腹ペコの女の子を満足させるなんて簡単なことだと思ってたら、食料は俺でした。
薄暗い森の中。
「ふぅ……今日はこんなもんでいいか」
コボルトの住処を壊滅させた蒼色の髪の男が、どすんっとその場に腰を下ろした。
周囲には20に及ぶコボルトが斬られ地に伏していた。
(最近は薬草採取ばっかりしてたからなぁ。腕がなまっちまってる)
男――トウヤはコボルトの牙により受けた肩の傷を手で軽く抑える。
コボルトの討伐は、なりたてのハンターでもない限りそれほど難しい依頼ではない。勿論、単独での達成となると中堅レベルの強さは必須ではあるが。
「……ちと痛ぇな。……戻ったらコゼットにポーションでももらうかなぁ」
トウヤは思わずため息をつく。
コゼットの作る魔法薬は一級品とも言える良質のものなのだが、いかんせん小言を言われるであろうことが簡単に想像できてしまったからだ。
どうにか小言を回避できないかと考え始めたが、長年悩まされていることなのだ。簡単に解決できるわけはなかった。
「……ま、帰りながら考えるとするか」
トウヤはコボルトの部位を切り取りリュックに入れた。
ともあれ、依頼は達成したのだ。
それなりに軽い足取りで街へと戻り始めたところ、何かが転がっていることにトウヤは気がついた。
(あ? なんだあれ?)
トウヤは方向転換をして、転がっている何かの方へと歩き出した。
間近まで来てようやくその正体を知る。
うつ伏せに倒れている黒髪の少女だった。
少女には服というにはおこがましい、布切れが着せられているだけであった。
「なんだって、こんな森ん中に……」
疑問を口に出すも、答えるものはこの場にはいない。
トウヤは少女の肩を揺すったが、反応はない。
口元に手をやると、呼吸は確認できた。
(どうすっかなこれ…………見なかったことにするか)
それが一番賢い選択だということは重々承知していた。
無闇に厄介事に首を突っ込んでもいいことなどないことは、トウヤの今までの経験が教えていたのだが……、
(…………だぁぁ。衛兵に引き渡せばいいだろ!)
トウヤは頭をがしがしかいてから、少女を背負った。
「……人さらいとか言われたら、だれが俺の無実を証明してくれるんだろうな、これ」
へへへ、と思わず乾いた笑いを漏らしてから、トウヤは街への道を歩きだした。
と、背中でもぞもぞと動く気配。
「……ふぁあ」
トウヤに背負われた少女が目を覚ました。
「お、起きたか? お前、どうしてこんなところにいたんだよ」
尋ねながら、トウヤは少女を下ろそうとする。
しかし、少女はがっしりとトウヤの背に身体を固定させていた。
「…………なんなんだよお前。自分で歩けよ。どっかケガでもしてんのか?」
「してない」
「じゃあ離れろって。下ろすぞ」
「ダメ」
「ダメって……お前なぁ」
トウヤは強引に引き剥がそうと、両手で少女の肩を掴む。
「くっ……このっ…………てめぇ、結構力強くねぇか!?」
「むぅぅぅぅぅぅぅ!!!」
「あいだだだだ!? わかった、わかった!! このままでいいから肩掴むな!!!」
負傷した肩を思いっきり握られて、トウヤは涙目になった。
◇ ◇ ◇
街に戻ったトウヤを迎えたのは、幼馴染のコゼットだった。
「と、トウヤ!? ……あんた、二十歳も過ぎたっていうのにそんないたいけな女の子を…………とうとう人として超えてはいけない一線を超えてしまったようね」
コゼットがゆらりと頭を振り、しっぽのように結われた茶色の髪をゆらす。
コゼットは凄惨な笑みを浮かべた。
放っておくと魔法でも詠唱しかねない空気に、トウヤは全力でコゼットの勘違いを修正を図る。
「だぁほ!! だれがこんな幼女を拉致するか!!
……こいつぁコボルトの集落の付近に倒れてたんだよ。今から衛兵の詰所に引渡しに行ってくる」
「つめしょ行くー!」
「どわっ!? 馬鹿、暴れんな!?」
「つめしょー!! きゃははは!!」
トウヤに背負われながら、少女は腕をぐるぐる回した。
微笑ましいと言えなくもない二人の様子を見ながら、コゼットは眉をひそめた。
「……この子、森の中にいたの? 一人で?」
「おかしいとは俺も思ったんだがな」
トウヤは嘆息して歩きだす。
とにかく、この娘をだれかに任せたかったのだ。
「……仕方ない。私もついてってあげる。トウヤ一人じゃ人さらいにしか見えないし」
「お気持ちありがたすぎて涙が出てくるよ。
ついでにポーション持ってねぇか? 肩が痛ぇ」
「え!? 怪我してたの!? どれ見せて!! …………かすり傷じゃない。つばでもつけときなさい」
「ひでぇ」
トウヤ達が詰所の前に到着する。
「ごめんくださいーい」
声をかけるも、扉をノックするも応答がない。
そもそも詰所前には大抵衛兵の一人くらいいるものなのだが。
「あんだよ、だれもいねーのか?
……すんませーん、入りますよー」
トウヤは扉を開けて、詰所の中に入る。
中では、衛兵達が忙しなく走りまわっていた。
「ゼラニスの方にも被害が出ているとのことです!! 負傷者は10名以上!! 全損した家屋もあるとのことです!!」
「南の村にも被害は出ています。北の村の伝令はまだ到着していません!!」
「急ぎ討伐隊を編成せよとのことです!!」
「隊長!! 王都への応援要請はいかにしましょう!?」
てんやわんやの状況に、トウヤは言いかけた言葉を飲み込んだ。
この状況で、果たして迷子を扱ってくれるのか。
(いや、無理だろ……)
「どーすんの、この子?」
トウヤと同じ考えに至ったのか、コゼットが半眼になっていた。
「どーするって…………どーしよか」
途方に暮れるトウヤ達に、走り回る衛兵。
少女はいつの間にか、トウヤの背でぐっすりと眠りに落ちていた。
◇ ◇ ◇
宿の一階にある食堂の一角で、ひたすらに食材が失われていた。
「……うまいか?」
「うん。うまー!!」
トウヤの問いに、村娘のような簡素な服を着た少女は食べる手を止めずに答えた。さすがにいつまでも布切れを着せたままでいるわけにもいかず、安物の服を買い与えていたのだ。
少女の横に置かれた食器を見てトウヤは軽く頭を抱える。
少女はすでに成人男性3人分は食べているのだが、まだまだ止まる気配がない。
一体この小さな身体のどこに入っているのか、謎というよりも神秘ですらあった。
「ところで、この子ってなんていう名前なの?」
「さあ?」
「さあってあんた……どれだけ適当なのよ」
心底呆れるコゼットに、トウヤは頭の後ろで両手を組む。
「こいつに聞いたけどわからねぇみたいだったからな。
だから余計詰所に置いてこれりゃよかったんだけどよぉ……」
名前も言えない森の中で一人倒れていた少女。
ワケあり感が大爆発していて、トウヤはうならずにいられない。
コゼットは頬づえをついてトウヤに告げる。
「周辺の村に飛龍が出たんだってねぇ。衛兵の人たちに迷子の女の子を構ってる余裕はないでしょうね。
一応届出だけはしておいたから、保護者が詰所に行けば話は通ると思うけどさ」
「おお!? お前いつの間に……手際いいな」
「あのねぇ。黙ってそんな子預かってたら、本当に誘拐だってされても文句言えないんだからね。少しは気を付けなさいよ」
「おっしゃるとおりで」
「ぷはー」
ひたすらに食べ続けていた少女が手を止めた。
「お、ようやく満足したか?」
「お腹いっぱい!」
トウヤは、ご機嫌の少女の頭をぽんぽんっと軽く叩く。
「ふぇー。これ、5人分くらい食べたのかな?」
コゼットは呆れを通り越して、感心したように言う。
「まったく……今日の稼ぎがあっという間に吹き飛びそうだぜ」
トウヤは頭を抱えたくなった。
◇ ◇ ◇
「それじゃあ…………トウヤ、一応信用はしてるけど、本当に馬鹿なことはしないでね」
「だからするわけねぇだろって言ってるだろうが!! お前俺をロリコンかなにかと思ってねぇだろうな!?」
「うーん……確かにあんたは昔っから胸の大きな子が大好きだから心配ないか。
じゃ、おやすみ」
「…………」
「おやすみー!!」
幼馴染に好みを把握されていて無言になるトウヤにかわり、少女が元気よく手を振った。
コゼットは思わず笑いが溢れて、二人に手を振りドアを締めた。
部屋の中に残されたトウヤはとっととベッドに向かい寝転がった。
(ったく……気まぐれなんか起こすもんじゃねーなぁ。ホントどうすんだよこいつ…………)
今も本当はコゼットの部屋で寝かせるつもりだったのだが、少女はトウヤから頑なに離れようとしなかったのだ。
(気がついてから俺を一番初めに見たから、刷り込みでもかかってるってか……?)
今日のところは結局連れていたが、まさかこのままずっと一緒にいるわけにもいくまい。
トウヤはどこか適当なあずけ先はないかと考えていると、腹に強烈な衝撃が走った。
「ぐぇっ!」
カエルの潰れたような声を出すトウヤ。
トウヤの腹の上に乗った少女は、心底楽しそうに笑っていた。
「お前なぁ……」
トウヤは少女を猫を持つかのように、服の襟首を掴んで持ち上げ隣に落とした。
「きゃはっ」
少女は何かの遊びとでも思ったのか、再びトウヤの腹部にまたがった。
「遊びじゃねーよ。今日は久々に討伐依頼こなして俺は疲れたの。もう寝るぞ」
トウヤは少女を寝かせて、自身も布団に入る。
「暗転」
トウヤの言葉に、天井に設置されていた灯りが消える。
暗闇になると同時、トウヤは速攻で寝た。
◇ ◇ ◇
「ぐぇっ」
カエルの潰れたような声を出すトウヤ。
腹部に圧迫感がある。
トウヤは強制的に眠りから目覚めると、少女が腹の上に乗っていた。
「おはよー!!」
「……眠ぃ」
雲ひとつない快晴の日、トウヤの目覚めは最悪だった。
食堂に降りてきて適当に食事をしながらトウヤは呟いた。
「お前の名前決めるか……」
「なまえー?」
「ないと不便だろ。
どーすっかなぁ、…………ぐー、……グリムゾンとかどうだ?」
「ぐりむぞんー!!」
「お、気に入ったか? じゃあ今からお前はグリム……」
「いいわけないでしょ!!」
すぱーんっと頭をはたかれる。
平手で叩いたとは思えないほど軽快な音が食堂に響いた。
「いてーよ、朝っぱらからご挨拶だなコゼット」
「あんたが馬鹿なこと言ってるからでしょ! なによグリムゾンって!! モンスターの名前にしか聞こえないわよ!!」
「でも当人は気に入ってるみたいだぞ?」
「ぐりむぞんー!! きゃははは!!」
センス0の二人を前にして、コゼットは特大のため息をついた。
「あなた、せっかくかわいいんだから、もっとちゃんとした名前にしましょうね。
……そういえば、このあたりじゃめずらしい黒髪よね」
「龍国には多いっていうけどな、黒髪」
「あ、じゃあ龍国風の名前にしよっか。……シャオとかどう?」
「シャオねぇ…………どう思うよ?」
トウヤが聞くと、
「シャオ!! シャオー!! きゃははは!!」
「うん、気に入ってくれたみたいね。今日からあなたはシャオちゃんよ!」
満足気に何度も頷き、少女の頭を撫でるコゼット。
トウヤは、グリムゾンのときと反応一緒じゃね? と思ったが口には出さなかった。
森へと入る準備をして、トウヤは街の門の前へと立つ。
「じゃ行ってくら」
トウヤはシャオの手を握っていた。
放っておいたらどこへ行くかわからないからだ。
「大丈夫? シャオちゃん連れてったりなんかして」
「奥まで入らなけりゃ平気だろ。今日は討伐依頼じゃなくて薬草採取しかするつもりはないし」
「うー、私も魔術協会から呼び出しがなければついて行くんだけど……」
唇をかむコゼットに、トウヤは反転してコゼットに軽く右手を挙げた。
「すっぽかして目つけられたら厄介だろ。とっとと用事済ませてこいよ」
「うん……気を付けてね」
「あいよ」
「あいよー!!」
振り返ってぶんぶんと手を振るシャオに、コゼットも手を振りかえした。
トウヤはシャオと二人で森へと入っていく。
目的地は薬草の生育された場所なのだが、ここまでは一番直近の場所でも1時間はかかる。
「シャオ、今日はおんぶしてやらねぇからな。自分でちゃんと歩けよ」
「トーヤ、おんぶする?」
「だからしねぇよ。無駄にはしゃがねぇで、帰れる体力残しとけよ」
「トーヤをおんぶする?」
「されねぇよ。できるわけねぇだろ……」
森に入って間もないのに、すでにトウヤは疲労感に苛まれていた。
森に入って数時間が経過した。
トウヤはシャオと共に干肉を炙ったものと簡易のスープで食事を済ませた。
「お前、この量で腹大丈夫か?」
「うん」
「本当かよ。……昨日あんだけ食ったからまだ腹減ってねぇのかな。
朝食ったのは普通の量だったっけ」
(昨日は極端な飢餓状態だったってことなんか?
まぁ、いいか。うるさく言われたとしても今食料なんてねーわけだし。かえって助かるってもんよ)
トウヤはシャオを連れて歩き始める。
薬草については無事採取は完了していた。
ポーションの材料に痺れ薬、麻酔薬に適した草も採取できていて、ちゃんと知識のあるものに引き取ってもらえばそれなりの稼ぎにはなりそうだった。
「じゃあ、そろそろ本題へと行くか」
「ホンダイー?」
ぶらぶらと繋いだ手を振るシャオに、トウヤは気持ち気を引き締めた。
「そ。この辺見覚えないか?
お前が倒れてた場所だ」
「うーん。……知らない」
首を振るシャオ。
トウヤは半ば予想していた答えだったので、大して気にせず周囲を見回す。
「なんの変哲もねーんだよな。
はぁ。一体なんなんだろうな、お前は……」
「あ!!」
突然走り出したシャオに、トウヤは繋いでいた手を離してしまう。
「おい!? 馬鹿、離れんな!!」
トウヤは慌ててシャオを追う。
ここは森の深部というほどではないが、コボルトの巣がある程度には奥に位置している。
(ちっ、視界が悪い。シャオの奴、どこ行った!?)
姿を完全に見失い、トウヤは焦る。
トウヤが手こずるような魔物はいないだろうが、小さな少女を一撃で殺す程度の魔物はごろごろしている。
「シャオ、どこだ!? 戻ってこい!!」
ぽつり、ぽつり。
頬に当たる感触で、トウヤは雨が降ってきたことに気づく。
(くそっ、こんなときについてねぇ!?)
間もなく、雨は豪雨へと変わる。
トウヤはあっという間にバケツの水をかぶったようにびしょ濡れになった。
「シャオオオオオオオ!? どこだあああああああ!? 返事しろおおおおおおおおお!?」
腹の底から声を出して、トウヤは耳をすます。
雨音に紛れたどんな小さな音も聞き逃さないよう、目を閉じて神経を集中させる。
「…………ぁ」
「!? こっちか!?」
トウヤは弾かれたように走り出す。
かすかにだが、シャオの声が聞こえた気がしたのだ。
「……うおおおおおお!?」
トウヤは慌てて急制動をする。
雨で視界が悪くなっていたせいもあるが、すぐ先が崖だったのだ。
あと一瞬でも気づくのが遅れていれば、真っ逆さまであった。
(って、まさかシャオの奴この下にいるのか?)
「シャオオオオオオオオオオオオ!!!」
大声で崖下へと呼びかける。
しかし待てども、聞こえるのは雨音のみ。
「……ちっ、行くしかねぇか」
トウヤはリュックの中からロープを取り出し、木に巻き付け固く結んだ。
ロープを身体にも巻き付け、トウヤは慎重に崖を降り始めた。
幸い崖は思ったほどの高さではなかった。
せいぜいが20メートルといった程度だろう。
「シャオ、いるかー? 返事しろー!?」
下はほとんど光が届かず薄暗くて気味が悪い。
トウヤは周囲の気配に集中した。
この状況で魔物に不意打ちでもされたらシャレにならない。
「お?」
うっすらと地面に何かがあるのが見えた。
近づいてみると、それは倒れていたシャオだった。
頬を叩いてみる。反応なし。
呼吸を確認する。異常はない。
身体全体を見るが出血や骨折の様子はない。
落ちたショックで気を失っているだけのようだった。
「ったく、心配させやがって……」
トウヤは腰を下ろしてシャオを背負った。
「ん?」
シャオを背負った際、トウヤの背中に硬い感触がった。
シャオを腕だけで持ち上げてトウヤの背中との間に空間をつくると、薄い石のようなものが地面に落ちた。
トウヤは再びシャオを背負い、違和感がないことを確かめるとすぐに歩き始めた。
周囲の様子を確認する。
「っと……もう行き止まりか。円形の空間みたいだな、ここは」
見上げると斜め上に木々が見える。
そういえば雨にうたれていない。
(斜めに掘削されているような形のおかげだな。
とはいえ、下は水が流れ込んできてぐちゃぐちゃだし、とっとと出るとするか)
トウヤは降りてきたときのロープを使い、無事森へと戻ったのだった。
◇ ◇ ◇
「……うー、トーヤ?」
うっすらと目を開けて、シャオは呟いた。
「お、やっと起きたか。気分は悪くねぇか?」
ベッドに眠っていたシャオに、トウヤは優しくシャオの頭を撫でた。
「ん。だいじょぶ。びっくりした」
「バカやろ、びっくりしたのは俺の方だ。
崖落ちたの覚えてるか?」
「うん。ひゅーっていった!」
「痛いところあるか?」
「なーい!」
「そりゃよかった。
シャオ、お前もう俺から勝手に離れるなよ。
今回はなんでもなかったからよかったものの、一歩間違えれば怪我じゃすまなかったかもしれねぇん……」
シャオはがばっと起き上がり、トウヤの背中にまわってはりついた。
「おい!? なんだよいきなり!?」
「トーヤが離れるなって言った」
「言ったけどそういう意味じゃねーよ!?
つーか、いきなり動いて大丈夫なのかよ?
……まぁ、この様子じゃ心配するだけ無駄か」
トウヤは背中に張り付いたまま動かなくなったシャオを背負い、部屋を出た。
「でっかいコブー」
「コゼットさんに殴られたんだよ。誰かさんのおかげでな」
「痛い?」
「当たり前だろ。だからもうあいつにも心配かけんなよ」
「わかったー!!」
(こいつ、返事だけはいいな)
なんだかなぁと思いながら、トウヤはコゼットにシャオの無事を知らせるのだった。
◇ ◇ ◇
トウヤがシャオを拾ってから一月が経った。
トウヤは孤児院の前で、院長であるハーフエルフの女に頭を下げていた。
「すみませんが、今日もシャオの奴をよろしくお願いします」
「ふふふ、確かに頼まれました」
上機嫌で笑う院長に、トウヤは罰が悪そうに頭をかく。
「笑わないでくださいよ。自分でも似合わねぇと思ってるんですから」
あくびを噛み殺しながら言うトウヤ。
院長は頬に手を当てて、目を閉じて昔を懐かしむ。
「そんなことないですよ。でもあのやんちゃで無鉄砲だったトウヤくんが、まるで父親みたいなこと言うものだから」
くすくすと笑う院長。
トウヤは自分が小さい頃からほとんど変わらない院長を眩しく思いながら、シャオに目をやる。
シャオは孤児院の子供たちと走り回っていた。
「この年であんなでかい娘は勘弁して欲しいですね。結構疲れるんですよ、あいつの世話」
「あら、じゃあ妹? どちらにしろ、ちゃんと面倒みているようだし感心感心。
あの服、シャオちゃんによく似合ってますよ」
「服はコゼットの奴が買ってるんですよ。どうせならあいつに全部任せられたらよかったんですけどね」
「そんなこと言うものではないわ。
シャオちゃんは、トウヤくんが一番なんだから」
「……なんでですかねぇ。そりゃ確かにあいつが倒れてたの拾ってきたのは俺なんですけど」
「理由なんて必要ないわ。大事な事実だけわかっているのなら、ね。
でも確かにトウヤくん、少し疲れてるように見えるわ。あんまり無理はしちゃだめですよ」
ぱちんっとウインクする院長。
トウヤは、頭が上がらないことがまた増えたなぁとぼんやりと思った。
森から帰ってきたトウヤは、コゼットのいるマジックショップを訪れた。
「あ、トウヤ帰ってきたのね。
今日はレアアイテム見つけてきた?」
「そんなもんがぽんぽん手に入るわけねーだろ。
ほれ、薬草とレグルス草」
「へぇ、レグルスなんて見つけてきたんだ!
なかなか頑張ってるみたいね。シャオちゃんがいるからかな?」
「単に運が良かっただけだよ。
……確かにシャオを育てる分の金は稼がなきゃいけないからな。
今までみたいにその日越せればいいって考えじゃいられねぇよ」
「うんうん。感心感心。特別にちょっとだけ色をつけてあげよう!」
コゼットから取引の金を受け取った。
それからトウヤはギルドへと向かった。
ギルドの建物に入り、依頼票を順番に見ていく。
(なにかあったときの蓄えはあってしかるべきだよなぁ。
俺が体調不良で倒れる分には我慢すりゃいいだけだけど、シャオがそうなりゃ医者だって必要になるかもしれねぇし。
そうじゃなくたって、この先何があるかわからねぇしな)
割のいい依頼がないか、トウヤは順繰りに確認していく。
討伐関係はトウヤの腕であれば大半はこなせるのだが、問題は遠方になる場合がほとんど、ということであった。
(うわっ、キマイラアント出てるのかよ。俺にとっちゃ、すげーお手頃なんだけどなぁ。
でも出現場所はフォムレス山の中腹かよ、ここから往復で10日はかかるよな……)
馬車旅であれば別だが、基本的に徒歩の旅は必要最低限の荷物しか持っていけない。
シャオを連れて行くのはできるだけ避けたかった。
(かといって、あいつをこの街に置いてくるのとか無理だろうなぁ。
今だってやっと孤児院にいるようになったんだし。俺が迎えに行かなくても、夜になったら勝手に宿に帰ってきちまうしな)
ほとんどの依頼を確認したが、報酬のよいものはどうしても日数がかかるものばかりであった。
(地道に薬草採取が一番か……いつまでこんな生活が続くのかねぇ)
トウヤはあくびをしてから思いっきり伸びをして、それから肩を落とすのだった。
◇ ◇ ◇
さらに半月後、変化は訪れた。
「だいじょぶ、トーヤ?」
「……平気だって。シャオは孤児院行ってこい。迎えに行けねぇかもしれねぇから、夜になったら帰って来いよ」
「わかったー!!」
シャオは、ばたばたと走って外へ出ていった。
(…………ホントに俺が倒れてやんの。マジで世話ねぇな)
トウヤは自嘲して、目を閉じる。
昨日の夜から体調を崩し始めていたため、コゼットの手配で医者にも見てもらったが、単純に風邪とのことであった。
(慣れねぇガキの世話なんぞしてたせいか?
にしたって情けねぇ。クソガキの頃以来だぞ、風邪ひくのなんて。
ったく、シャオの奴はいつだって元気いっぱいだっていうのによ)
これまで自分のことしかやらず、そもそも自分のことすらいい加減にしてきたツケなのかもしれない。
トウヤは、どうにもならない考え事はやめて、寝ることにした。
寝ればこの程度の風邪、すぐに治るのだから。
眠っていたトウヤは文字通り飛び起きた。
「なんだっつーんだよ!?」
宿が揺れている。付近で大爆発でもしたかのような馬鹿でかい衝撃があったのだ。
「くそっ!!」
いつもの服に着替えて、トウヤは階下に降りる。
宿の店主を見つけて、事情を聞くが、オロオロするばかりで要領を得ない。
と、轟音がして再度建物が小刻みに揺れた。
(またかよ!?)
トウヤは外に飛び出して、音の聞こえた方角に向けて走り出した。
黒煙が上がっている場所がある。
煙はそこまで大きくないが、建物が燃え始めている可能性はあった。
(……おいおい、あのへんって孤児院あったよな?)
嫌な予感にかられながら、トウヤはひたすらに走り続けた。
「マジかよ……」
燃えていたのは孤児院だった。
幸い、すぐに消化活動がされたようで多少建物が黒ずんだ程度ですんでいた。
しかし、敷地には何人もの子供たちがうつぶせ、仰向け、横向けとバラバラに倒れていた。
「先生!? 一体これは何が……」
「……トウヤくん」
ハーフエルフの院長はトウヤの姿を認めると、思わず目をそらしてしまった。
いつだってまっすぐな態度の院長しか知らなかったトウヤは、強烈な違和感に思わず院長の肩を強く握った。
「先生!? どうしたんですか!?」
「…………ごめんなさい、トウヤくん。私には何もできなかったの」
「何言ってんですか先生!?
……そうだ、先生!? シャオはこっちに来てなかったですか!?
俺、今日は体長崩してて、一人で孤児院に行かせたんですけど……」
「君が、トウヤくんかい?」
穏やかな声だが、有無を言わさぬ空気を纏った男がトウヤの肩を掴んだ。
プレートアーマーを着込んでいて、街にいる姿としてはかなり物々しい。
「なんだよあんた、こっちは忙しいんだよ」
「シャオくんのことについてだ。君が彼女の保護者なのだろう?」
「知ってんのか!? シャオはどこだ!? 無事なのか!?」
「彼女は無事だとも。彼女は、な」
冷たい目を向けてくる男に、トウヤは一瞬肝が冷えた。
目的のためには手段を選ばない者がする、特有の目だった。
「ついてきたまえ。ここはもう他の者に任せればいい」
立ち去る男に、トウヤは一瞬だけ躊躇うが、すぐに後を追った。
衛兵の詰所に連れられて、トウヤは奥の部屋へと通された。
「まず最初に伝えておこう。
シャオくんは無事だ。そしてシャオくんのおかげで、この街は無事だ」
「……街?」
(子供たちでも、孤児院でもなくて、街だと?
スケールでかすぎじゃねぇか?)
面食らうトウヤに、男は話を続けた。
「孤児院が燃えていたのは、飛龍に襲われたからだ。
単なる気まぐれなのか、それとも外で遊んでいた子どもたちでも喰らおうとでも思ったのか、原因はわからない。
あの孤児院は飛龍に襲われて、それを撃退したのがシャオくんというわけだ」
「……あー、そいつぁすげーなぁ」
「信じられないのも無理はない。私も部下の報告しか聞いていない。
それでも付近にいた住民も口を揃えて同じように言うのだ。信じるほかあるまい。
シャオくんは、飛龍に向けて何らかの魔法を放ったのだ。
放たれた光の渦が飛龍に直撃して、飛龍は黒煙の中に紛れ退却していったらしい」
冗談抜きの真顔で言う男に、トウヤは混乱する頭を必死で正常に戻そうとする。
「ならシャオは街のピンチを救った英雄ってわけだ。
それにしちゃあ、随分とあんたは俺にプレッシャーをかけてくるじゃねぇかよ」
「そういったつもりはない。しかし、私が今言っただけのことであれば、あの現場はもっと違う雰囲気だったとは思わないか?」
もったいぶる男にトウヤは舌打ちする。
「回りくどいのはよしてくれ。
シャオはどうした? どこにいる?」
「彼女は今、地下の留置施設にいてもらっている。
何人もの子どもたちが意識を失っていただろう。あれは彼女がやったのだ」
「…………」
「彼女が自らそう語ったのだ。
住人の中には、飛龍に向けて光の渦を発射した後に、シャオくんに向けて子供たちの身体から白い光が流れ込んでいたと証言している者が何人もいる。
このまま彼女を放っておくわけにもいかなかったのだ」
「は。それで詰所の地下の留置施設にいるって? 飛龍を追い返した御仁に対して随分な扱いじゃねーか」
煽るトウヤには取り合わず、男は真剣な表情でトウヤをまっすぐに見た。
「トウヤくん、正直に答えて欲しい。
……君は、あの子どもたちのように、何か気力のようなものを奪われたりしたことはなかったかい?」
「あるわけねーだろ!! てめぇ、シャオをなんだと思ってやがる!?」
「本当に?
君が優秀なハンターだということは聞いている。
非常に頑強で丈夫で健康体であるということもね」
「だからなんだっつんだよ!」
「そんな君が、果たして子どもの世話程度で体調を崩すことがあるのかい?」
「…………」
「院長先生にも聞いたよ。君がシャオくんを連れて顔を出すようになってから、少しずつ痩せていくように見えたとね。
君自身に何も心当たりはないのかな?」
「知らねぇよ。ダイエットでもしてたんじゃねぇの」
「これは大事な話なんだ。
シャオくんは何者だ? こちらに提出されている届出を見ると、森で見つけた迷子とあるが、君はどれだけ彼女について知っているのだ?」
「……そんなん俺が聞きてぇよ。話は終わりか? だったら今すぐシャオを檻から出せ。帰る」
「それはできない。正式な手続きにのっとって彼女には留置施設にいてもらっているのだ」
「英雄を檻に入れる手続きがあるとは驚いたぜ」
「……危険とみなされる者を私の判断で留置しているのだ」
机が飛ぶ。
トウヤが怒りに任せて蹴り上げたのだ。
「どわぁ!?」
机は後ろに控えていた衛兵の近くに落ちた。
「……なぁ、隊長さんよ。どうしてもシャオを返しちゃくれねぇのか?」
「私も君の気持ちはわかるつもりだ。しかし、この街の安全を任されている立場としては、現状として君個人の願いを優先させるわけにはいかない」
トウヤは固く拳を握りしめる。
トウヤとて無鉄砲な子供のままではない。
男が言っていることは理解できていた。その行動もおかしなところは何もない。
しかし納得できるかと言われれば、答えは否であった。
「シャオに会わせろ」
「……わかった。本来は相応の手続きが必要なのだがな。私の責任で許可しよう」
トウヤは衛兵隊の隊長の案内で地下牢へ来た。
何人かの犯罪者と思われる者達がおりの中に入っていた。
その部屋の奥の扉をあけ、いくらか歩いた先に小さな牢屋があった。
「トーヤ」
シャオはトウヤに気づくと、走ってきて檻にぶつかった。
反動で倒れる。
鼻を押さえたシャオが、笑って立ち上がった。
「夜になった。おうち帰る?」
一瞬。
トウヤは何もかも忘れて、後ろに控えている衛兵隊長を斬ろうとした。
「…………」
「トーヤ?」
「…………」
「寝てる?」
「起きてるよ。
シャオ、お前孤児院で子ども達になんかしたのか?」
「んー? 魔力使ったから魔力もらったー」
こともなげに言うシャオに、トウヤは自分の心臓が早鐘を打っていくことを自覚した。
「……シャオ、悪いがもうちょっと家に帰るのは後にしてくれ。
俺が迎えにくるまで、ここで待ってろ」
「えー、つまんない」
「ごめんな」
「むー」
「…………」
「トーヤ、どっか痛いの? まだ風邪つらい?」
「あ? ……あー、そういや俺風邪ひいてたんだっけ。
もうなんともねぇよ」
「そっか。
わかった。じゃあ待ってる!!」
笑うシャオを見て、トウヤは踵を返した。
黙って歩き、扉を開けて階段へと移動して上っていく。
「すまないな」
ぽつりと言う衛兵隊長に、トウヤは吐き捨てるように嗤った。
「何が? 俺が短気を起こして、お前の部下が手を汚さずにすんだことがか?」
「…………」
「あれっぽっちの数で俺を止められると思うなよ。
単にシャオに血を見せたくなかっただけだ」
「そうか」
それきり二人は何も言わず、階段を上り続けた。
宿へと戻ってきて、トウヤはそのまま布団に倒れた。
廊下から足音が聞こえてくる。
そのまま音は大きくなり、勢いよく扉が開け放たれた。
「トウヤ!! シャオちゃんは!?」
「檻」
「そう、檻……檻!?
なにそれどーゆうことなの!?」
「俺が聞きてぇよ。……用がないなら出てってくれ。
俺はもう寝る」
「何のんきに寝ようとしてんのよ!?
孤児院はなんか焦げてたし、先生はごめんなさいとしか言ってくれないし!
シャオちゃんが檻の中ってなんなのよ!? おまけに飛龍が襲ってきたっていうじゃない!?」
(飛龍がおまけ扱いって、哀れだな飛龍)
トウヤは、くくっと肩を震わせる。
トウヤは壁側を向いて、コゼットに背を向けた。
「孤児院のガキどもがぶっ倒れてただろ。
あれをシャオがやったっていうんだよ。
で、衛兵隊長がシャオを危険視して檻にぶちこまれてるんだよ」
「シャオちゃんがやったって……あんたそれ信じてるの?」
「本人に確認した。
……なぁ、コゼット。シャオは孤児院の子供から魔力を吸い取ったって言っていた。
人間に、そんなことはできるのか?
魔力を他人から吸い取るだなんて魔法、存在するのか?」
「……それ、シャオちゃんが…………?」
コゼットはショックを受けて言葉を失った。
何も言うわずにいたコゼットに、トウヤはさらに聞いた。
「コゼット。シャオと一緒にいるようになってから、俺は痩せたか?」
「な、何急に? そんな話よりも今は……」
「寝ても微妙に疲れが取れないとは思ってたんだ。
薬草採取しかしてねぇのに妙に疲労が残るし。
俺は慣れないガキの世話のせいかと思ってたんだよ。
繊細な俺の心がストレスでも抱えてんのかなって」
「……行き当たりばったりのあんたがストレスなんてあるわけないでしょ」
「だよな」
「…………」
「…………」
「あんた、これからどうするつもり?」
「どうもしねぇよ。寝る」
「シャオちゃんのこと、どうするのよ。放っておくの?」
「あいつがいるのは衛兵隊の仕切る牢屋だぞ。盗賊に捕まってるのとは訳が違ぇ。下手したら軍隊が動くレベルだ」
「だから放っておくの?」
「俺は病人だぞ。寝かせろ」
それきり、二人は何も言わなかった。
どれだけの時間が経ったのか、コゼットは乱暴にドアを閉めて部屋を出ていった。
◇ ◇ ◇
三日が過ぎた。
トウヤは寝て過ごし、コゼットはマジックショップで仕事をし、シャオは檻の中にいた。
変化は何もなかった。
「頃合、か」
ベッドからおりて、トウヤはいつもの服に着替える。
剣をさげ、孤児院へと向かった。
「こんにちは、先生」
「……トウヤくん」
目を伏せるようにする院長に、トウヤは深く頭を下げた。
「この度はウチの馬鹿が迷惑かけてすみませんでした。
シャオからも後で謝りに来させますんで、今は勘弁してください」
「……こちらこそ、騒ぎにしてしまってごめんなさい。
子供たちはみんな元気にしてるから。だからどうか気にしないでちょうだい」
「そっか。元気ならよかったです」
それじゃ、と背を向けるトウヤに、院長が声をかける。
「トウヤくん。シャオちゃんは、今どこに……」
「…………反省部屋で反省してますよ」
ひらひらと手を振るトウヤに、院長はそれ以上何も言えなかった。
マジックショップに来た。
「コゼット、いるかー?」
「……なによ」
店の奥から出てきて不機嫌な顔で応対するコゼット。
「愛想なさすぎだろ。冷かしじゃなくて客として来んだぞ」
「はっ。そうですか。引きこもりは飽きたの?」
「のんびりできたけど退屈ではあったな。
レグルス薬できてるか? あとフレアマントをこの金で買えるだけありったけくれ」
「…………両方用意はできるけど、あんた何する気よ」
「なぁに、ちょっとしたお散歩だよ」
◇ ◇ ◇
夕闇が迫る。
(完全に日が暮れる前に戻るとは思うんだけどなぁ)
トウヤは森の中で草むらに紛れて伏していた。
近くまで来ない限り、人がいるなどとはわからないだろう。
(もうすでに場所を変えていたとか? そしたら徒労もいいとこなんだけど。
あのときだって、昼間とはいえほとんど痕跡なんてなかったしなぁ)
心中で愚痴を零してはいるが、トウヤはその場から離れようとはしなかった。
あのとき、シャオと自分の背中の間から落ちた鱗が飛龍のものであるとトウヤは賭けていた。
(奴を相手にするなら、最低限有利な場所で不意をついて一瞬で勝負を決めないとな。
勝ち目がない相手を殺るなら、ゴリ押しだけじゃどうにもならんからなぁ)
ふいに、闇が濃くなった。
トウヤが頭上を確認すると、そこには巨大な飛龍が悠然と空を舞っていた。
体長は10メートル以上は優にある。
翼を広げた状態ではかなりの大きさに見えた。
「……ホントに来たよ。さて、どちらの死地になるかね。飛龍さんや」
トウヤは伏したまま剣を手にして待つ。
飛龍は旋回を数周して徐々に地に近づく。
やがて巣である穴の中へと降下した。
その瞬間、トウヤも崖から飛び出し、飛龍を追って穴の中へと落ちていった。
(飛龍狩りの始まりだ!!)
トウヤは闇の中で目を凝らしながら、飛龍の片翼を斬り飛ばした。
グルルルゥアァァァアアアアアアアアア!!!
突然の痛みに飛龍が悲鳴のような声を震わせる。
(先手は重畳! これで奴は飛べねぇ!!
さて、コゼット。お前のアイテム、信用してっからなぁ!!)
トウヤは痛みで身体を振る飛龍に向けて、大声で挑発した。
「おら!! かかってこいよ飛龍!!! Aランクハンターのトウヤ様が相手してやんぜ!!!」
グルルルルルァァァァアアアアアアアア!!!
人間の言葉までは理解できなくとも、飛龍にも知性はある。
飛龍は、この痛みは目の前の人間がもたらしたのだと直感的に理解した。
飛龍は人間程度なら丸呑みできる程度の口を開き、すぐさまブレスをまき散らしてきた。
トウヤの眼前いっぱいに炎が広がる。
トウヤは祈りながら、穴の中に用意していた何枚ものフレアマントを全身に巻きつけてブレスを真正面から受ける。
「熱っ! あっつ!! あっつーーーー!!!
…………けど、我慢できないほどじゃねぇなあ!!!」
十数秒に及び続いていたブレスが弱くなった瞬間、トウヤはマントを剥いでレグルス薬と呼ばれる液体の入ったガラス瓶を全力でぶん投げた。
狙いたがわず、ガラス瓶は飛龍の口の中に吸い込まれて……
轟ッ!!!!
という爆音と共に、飛龍の喉内で爆裂し焼いた。
飛龍は、悲鳴を上げることもできずのたうちまわる。
めちゃくちゃにふられた腕や尻尾がトウヤに迫るが、トウヤは大きく後方へ飛んで躱し、壁に両足をつけて限界まで曲げて、
「く、た、ば、れえええええええええええええええええええええ!!!!!」
飛龍の喉の下、一つだけ他の鱗とは逆方向に生えた逆鱗へと飛翔し、渾身の力で刺突した。
剣は根元まで刺さり、トウヤは剣を残したままその場を離れる。
ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!
飛龍がさらに暴れ、片翼のみで飛び上がろうとする。
やがて飛べないことを悟ると、飛龍は目の前の人間に目を向けて、大きく口を開いた。
(やべぇ、ブレスがくる!?)
トウヤは慌ててフレアマントのある場所へと走る。
まともな空間のない穴の中で、飛龍のブレスから逃れる術などない。
生身の人間がブレスなど受ければ、骨が残ればいいほうだろう。
グゥゥゥゥアァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!
残る力を振り絞り、飛龍は今生最後のブレスを解き放った。
◇ ◇ ◇
マジックショップのドアが開く。
「いらっしゃいませー」
コゼットがカウンターに向かうと、そこには焦げた死体がひとつ転がっていた。
「ひゃっ!? なにこれ!?」
思わず飛び上がるほど驚くコゼットに、黒焦げは告げた。
「ポーション持ってねぇか……全身が痛ぇ」
コゼットはすぐさま、店で最高級品のハイレア・ポーションをトウヤにぶっかけた。
◇ ◇ ◇
布袋を持ったトウヤは衛兵の詰所を訪れた。
「こんちわーす」
「こ、これはこれはトウヤ殿。ど、どのようなご要件でしょうか?」
「隊長さん呼んでくれない?
今すぐ」
「か、かしこまりました!」
飛んでいく衛兵。
トウヤが立っていると、自然衛兵の視線が集まってくる。
「何。何か用?」
トウヤがぐるりと周囲に視線をやると、衛兵たちはさも見てませんでしたよー的に思い思いの仕事に取り掛かるフリをした。 なんだか気の毒な気持ちと、こいつら面白ぇと思う気持ちが綯交ぜになり、面白い方へと傾いたため、なにかいたずらでも仕掛けようかと思っていたところ、隊長が顔を出した。
「そろそろ来ていただけると思っていましたよ。飛龍討伐の勇者殿。
どうぞこちらへ」
隊長はトウヤを促し、以前にも来た奥の部屋へと案内された。
「それで、今日はどのようなご要件で……」
「ほい、保釈金」
どんっと布袋を机の上に置いて、トウヤは腕を組んだ。
「そいつでシャオの身柄を解放しろ。
正金貨10枚だ。処分保留者相手には充分だろ」
「……確かに額面どおり拝見致しました。
しかし、それだけでは足りませんよ」
「わかってる。シャオを連れて、とっとと街を出てけばいいんだろ。
こっちこそ望むところだよ。隊長様はせいぜい街のためにがんばってくれ」
イヤミを飛ばすトウヤに、隊長は首を振る。
「もう一つあります。
トウヤ殿は、シャオくんが魔力を必要とする存在だということはもうご存知ですよね。
彼女が生きていくには魔力を他人から吸い続けなければなりません。
それについて、トウヤ殿はどうお考えなのですか?」
隊長の言葉にトウヤは、はっ、と鼻で嗤う。
「要は他人に迷惑かけなければいいだけだろ。
俺がなんとかする」
「なんとか、というのは?」
「今までと何も変わらねぇ。俺が傍にいりゃいいんだよ。
シャオは何もないときは、魔力を奪われた他人が気を失うほどの量を必要とはしない。
それこそ、眠っているときに少し分けてもらうくらいでな」
「…………それが、あなたの答えですか。
トウヤ殿にとって、苦しいものであると思いますが?」
「それには同感だ。
けど、それだけだ」
トウヤが立ち上がると、隊長も続いて立ち上がった。
隊長の先導で、地下へと降りていく。
深い底へとたどり着き、さらに奥へと向かい扉を開け、進む。
「トーヤ!」
シャオはトウヤに気づくと、走ってきて檻にぶつかった。
反動で倒れる。
鼻を押さえたシャオが、笑って立ち上がった。
「迎えに来たぞ、シャオ」
「待ってたー!!」
隊長が牢の鍵を開け、扉を開放した。
飛んできたシャオをトウヤは優しく抱きとめた。
「トーヤ、遅かった!!」
「悪いな。ちょっと野暮用があったんだよ」
「おうち、帰る?」
「いや、これから旅に出るんだ。美味い食物に優麗な風景、珍しいモノやヘンテコなもんでも見にいくんだ。
きっと楽しいぞ!」
「旅行くー!!」
腕の中できゃっきゃと喜ぶシャオに、トウヤは安堵した。
「ねー、トーヤ。ちょっと痛い」
「そっか、悪いな」
「だから、痛いってば」
「……おお、悪かったな」
シャオは、強く抱きしめてくるトウヤの頭を撫でた。
「トーヤ? 痛い?」
「俺は痛くねぇよ」
「そっかー」
「シャオ」
「なにー?」
「…………待たせて、ごめんな」
「うん。待った!!」
はきはきと答えるシャオに、トウヤは思わず笑った。
街の門の前まで来て、トウヤは先に来ていた孤児院の院長に頭を下げた。
「先生、わざわざ見送りにきてくれたんですか?」
「当たり前でしょう。まったく、駆け落ちみたいな真似して」
「駆け落ちならシャオはもっとでかくして、飛龍はスルーしてましたよ」
「ふふふ。そうね」
笑い合う二人に、そばにいた衛兵は顔をひきつらせていた。
飛龍が現れると言われている地点で討伐予定だった衛兵にとってはシャレにならない冗談である。
「……シャオちゃん、行っちゃうの?」
孤児院の子供たちが、おそるおそるシャオに話しかける。
「うん! ヘンテコなもの見に行くの!!」
「ヘンテコ?」
「なんでヘンテコ?」
子どもたちの頭の上に?がいくつも浮かび上がった。
「いつか帰ってくるの?」
シャオは首をかしげた。
「わかんない」
「そうなんだ……」
しょぼんとする男の子に、シャオは手を振った。
「魔力吸っちゃって、ごめんねー。
もう皆からは取らないから」
「う、うん……でも、大丈夫なの?」
「これからは、トーヤだけから取るから大丈夫。
頑丈だからいくら吸い取っても大丈夫だってコゼットが言ってた」
聞捨てならないことを言うシャオに、離れて見守っていたトウヤがコケた。
「おいこらコゼットオオオオオオオ!! 何勝手なことほざいてんだあああああああ!!!」
この場にいないコゼットに対して文句を言ったつもりであったが、
「勝手なことしまくってるあんたには言われたくないわー」
「おふぅ!?」
ぽくっと後頭部をチョップされて、トウヤが慌てて振り返った。
「お前来てたのかよ!? ……って、なにその格好?」
「はぁ? 別に普通でしょ」
「見送りにしちゃ、随分重装備じゃねぇかよ」
コゼットが背負っていたのは、いくらか紐で固定されている大きなリュックであった。
後ろから見ると、コゼットであるとは誰もわからないだろう。
「あんたこそ軽装すぎ。あんたはどうでもいいけど、シャオちゃんの着替えとかちゃんと用意してるんでしょうね」
「ないけど?」
「あんた女の子なめてんの!? ぶっ殺すわよ!!」
襟首持って締め上げてくるコゼットに、トウヤは成すすべもなくタップする。
「はぁ。やっぱり用意しておいて正解だったわ。
じゃあ、先生、今までお世話になりました」
院長に対して頭を下げるコゼット。
背負ったリュックでバランスを崩し倒れそうになっていた。
「お前、まさかついてくるつもりなのか?」
「コゼットも一緒ー?」
子供たちとの挨拶は終わったのか、シャオが戻ってきていた。
「そーだよー。このぶわぁかだけじゃ心配だからね」
「わーい!!」
シャオがコゼットに飛びつく。
コゼットは受け止めて、綺麗に後ろへコケた。
「……おまえ、いいのかよ。マジックショップの仕事とか、魔術協会とかの方は」
「別に。仕事はやめてきたし、協会では特に重要なポストとかついてないから。どーにでもなるわ。
だいたいねぇ」
特大のため息をついて、コゼットはシャオを抱きしめながら立ち上がり、トウヤをびしぃっと指差した。
「あんた、いつまでもシャオちゃんに魔力吸わせる気?
また体調崩したらどうすんのよ? シャオちゃんが気に病んじゃうでしょ!?」
「……おま、俺の心配は?」
「それにねぇ、ここ数日間、シャオちゃんがどうしてたと思ってるのよ。
毎日あんたの魔力吸ってたのよ? 牢屋に入れられたからって、それがなくなるわけじゃないのよ?」
あ、とようやくトウヤは気がついた。
確かに、牢に入れられていた間、シャオは他人の魔力を吸わなかったのだろうか。
「ふん。
私がね、魔術協会や街の図書館を漁って、ちゃーんと打開策調べておいたのよ。
リーフレットの葉をすりつぶして煎じたものを、製作者の魔力と合わせてポーションと調合させれば、完全とはいかないまでも、シャオちゃんが必要とする魔力の補充は、大部分は賄えるの」
「……マジっすか?
お前、そんなことしてたのかよ」
「どう、すごいでしょ!?」
胸を張るコゼットに、トウヤは素直に感心した。
「なんてね。……あんたなんて飛龍を倒してきたじゃない。
立派にパパやってるわよ!」
ばしぃっと背中を叩かれる。
「痛ぇよ。あとだれがパパだ」
「何? じゃあお兄ちゃん? 別にどうだっていいけど」
「どうだっていいぞー!!」
コゼットがシャオの手を握ったまま門を抜けて歩き出す。
トウヤは慌てて二人を追いかけた。
「トウヤ、遅いわよ。ちんたらしてるとおいてくわよ」
「トーヤ、遅いー!!」
「お前らがせっかちすぎるんだよ!!」
トウヤはコゼットの後ろに回って、リュックをひったくる。
「ちょっと、何とってるのよ!」
「アホ、持ってやるだけだ」
「じゃあそう言いなさいよ。いきなり盗まれたかと思ったわ」
「お前なぁ……ったく」
ポリポリと頭をかいて、トウヤは呟いた。
「ありがとな。付いてきてくれて」
「いいわよ。別に。私のためだし」
「それでも、な。ありがとよ」
「あっそ」
「コゼット、顔赤い? 熱ー?」
「りゅ、リュック持ってたから熱いだけだから!! 他に何も理由なんてないからね!!」
「つか、さっきからちょっと気になってたんだけど、シャオ臭くね? お前風呂とか入ってなかったの?」
「入ってないー」
「そりゃ臭いわけだわな。次の街ついたらまずは風呂だな。
いや、その前に途中で川あったっけ。そこで身体洗うか」
「水浴びするー!!」
「…………あんた、ちょっとは私のことも気にしなさいよ」
騒がしく歩く三人組に、穏やかな日差しが降り注ぐのであった。