9月19日②「忘れていた来訪者①」
「今日は以上だ。 ゆっくり休め」
「ありがとうございました!」
ふぅと息を吐きながら体内に溜まった乳酸を吹き飛ばす気持ちで敬礼する僕。
それを涼しい顔で応える師匠。
朝の鍛錬。
レイシャンに師事して貰って数日経ったが、未だに彼女の鍛錬に体が着いていかない。
基礎体力作りが主なのだが、修行中は一切休みを要れずほぼ限界までさせられるからだ。
体を鍛えるだけなら実は適度に休みを入れないと効率が悪いのだが、それを彼女に言うと厳しい眼光で睨まれ有無を言わさずに「半殺し」にされてしまった。
いくらなんでも・・・と思ったものだが、僕はその時に言った彼女の言葉が忘れられなかった。
「弛んでいる。 そんな覚悟で小僧は祈を救えると思っているのか? 祈は小僧を探して世界中を旅して来たのだぞ? いくら強靭な身体能力があって優れた頭脳を持っていたとしても・・・あの子はまだ成人もしていない子供・・・そんな子供がたった一人でやっとお前に会って安住の地を手に入れたというのに・・・」
「・・・・・・」
周りに身を寄せる場所が無い小さな子供だった僕でさえ、日本に帰ってくるまで苦労をしたものだ。
傭兵崩れの僕は帰ってくるまでにまともな空路も海路も確保出来ず、広大な大陸を横断した。
それは「大変」などと一言で済ましたくないような旅で、実は半分ぐらい記憶が無いのだけど・・・。気が付くと日本に帰っていたのだ。
「僕だって・・・という顔だな? 小僧。 お前と祈の違いは何だ?」
そんな僕の思考を表情から読み取ったのか、レイシャンは苦笑しながら聞いてきた。
「? 違い?」
「そうだ。 簡単な事。 お前は男でアレは女だ。 女尊男卑と言うつもりは無いが、小僧に会う為だけ・・・それだけの為に生き抜いてきた女の純情を同じ女として小僧には分かって貰いたい」
「それは・・・」
どれだけ優れた力を持っていても・・・強がっていたとしても・・・
祈は女の子だ。
僕より年下の。
そんな簡単な事を時折忘れそうになってしまっている自分を恥じながら、そして下唇を噛む。
「ん?」
「それは・・・想像を絶するような物だったのでしょうね・・・。 祈は・・・僕なんかに会いに来てそれで本当に報われたのでしょうか? 僕は彼女の期待に応える事が出来なかった。 そんな僕は・・・・・・って、いたっ!?」
下を向いていた僕の頭に硬い拳を落とされた。
顔を上げるとレイシャンは腕を組んで、身長は僕の方が少し高いのにその威圧感だけで僕を見下ろして、殴りつけた拳より強固な言葉を投げ放った。
「だから修行しているんだろう。 違うか? 今はがむしゃらにやれる事をやるのが小僧の仕事だ。絶対アレをこれ以上失望させるな!」
「・・・・・・・はい」
祈を失望させるな。
それを僕は胸に修行を続けていた。
師に認められるからするのでは無い。 自分を納得させる為にするのでも無い。
ただ、助ける事をする為に、僕は自分の体と心を鍛え続けている。
そう言っても・・・結局はそれも自分を納得させる為なのかもしれないけれど・・・。
祈を助けたい。
そして、僕はそれによって得られる笑顔を見たい。
そう思ったからには自分の欲だとも言える。
言い換えれば、不幸にしてしまった彼女に償いたいという自己満足であり、自己欺瞞なのかもしれない。
だが、そんな事を気にしている余裕は無い。
そんな気がした。
制限時間は着実に迫っている。
まだ3ヶ月程あるが、それまでに僕は「ミノリ」に勝たなくては・・・。
ん?
ちょっと待って・・・・・・。
「ミノリ」に勝つって事は・・・それって・・・。
「だが、翌々考えるとイノリは恐ろしい子だ」
「? ど、どうしてです?」
物思いに耽っていた所にレイシャンの呟きが聞こえて一瞬口篭ってしまったが、レイシャンはそれに気付かずに続けた。
「私まで利用しているのだからな。 フフ・・・。 こんな回りくどい事をしなくても協力はしたつもりだったがそれがイノリという事か・・・」
利用されていると言った彼女は何故か楽しそうに笑っていた。
祈がレイシャンを利用?
どういう事だろう?
「??」
そんな疑問符を浮かべている僕に、レイシャン師匠は世間話レベルのトーンで無茶苦茶な事を言った。
「なに。 初めからイノリは自殺するつもりは無かったのだろう。 という事だ」
「えぇっ!? だってそれは・・・」
「本当に死のうと考えている者があれだけ用意周到に妨害工作をするのか? それにイノリはお前を鍛えるようなことを言っていたと言うじゃないか。 それなのに今は私が相手をしている。 という事は考えが変わった? そんなわけがない。 イノリは私を頑固者だと良く言うが、イノリ程頑固者はいないぞ。 いや、これは言い過ぎか・・・。 アレは純粋なのだよ」
「純粋・・・」
純粋。
その言葉を反芻するように呟くのに、レイシャンも同じ様にもう一度続けた。
「そう、純粋。 だからイノリが直接相手しようとするとアレの事だから手加減してしまう。 私なら手加減しないと踏んだのだろう。 実際私は手加減するつもりは毛頭無い」
祈は、このレイシャンという女性を呼び寄せるために一芝居打ったという事を言っているのだろうが・・・。
僕にはあの時の祈の行動は直情的だったと思っていたけど、それが計算だったとすると・・・恐ろしい。
「・・・それが本当だとすると・・・。 祈はどこまで計算して行動していたっていうんだろう・・・」
もう半月以上一緒に居るが、まだ祈の本質を掴みきれない気がした。
実際何処までが彼女なのか本気で混乱しているが、確かめるにもそれも難しそうだ。
計算づくめなのだとしたら、簡単に口を割るとは思えない。
「これは私の予想だが・・・」
「? はい」
「最初から・・・じゃないかと思うぞ」
「最初って・・・何処からでしょうか・・・」
「もちろん小僧に出会ってからに決まっている。 アレが無駄な行動を起こした事が今まであったのか?」
「・・・・・・・・・」
思い当たる記憶は無かった。
何処までが「無駄」になるのか、その定義が他人の事なので曖昧というのもあるが、祈を見ているとそう思ってしまう。
答えずに居るのが答えとばかりレイシャンは満足そうに頷いていた。
そして「話はこれで終わりだ!」と言うように片手を振りかざして号令する。
「ふむ。 やはり無いのだな? まぁこれは私の憶測だ。 あまり気にせず今は鍛錬に励め!」
「は・・・はいっ!」
今は・・・考えているより体を動かしていよう。
そう納得させて鍛錬を始めようと思った。
その矢先――
「桐梨相談所よっ! 私は帰ってきたぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「!? この声は!」
突然男の声が相談所に響き渡った。
僕は弾かれたように玄関まで全力で駆け抜け、その声の主を肉眼で確認した瞬間に頭を抱えて座り込んでしまった。
帰ってきた・・・・。
最悪なのが・・・。
「おう! 我が親愛なる息子よ! 元気にしていたか? 女でもそろそろ出来てないか? そうして孫を見せてくれるんだろうなぁ?」
僕が目も合わせたくないのも構わずに僕の「親父」は勝手な事を言い捲くっていた。
「なによ騒がしいわね・・・」
そんな騒ぎに祈が気付いて玄関までやってきたようだ。
「おっ!? もうこんな子供を作っていたか息子よ!」
その祈を見て更にアホな事を言う馬鹿親父。
「あ・・・あんた・・・」
怒りと恥ずかしさに、つい声が震えてしまった。
「ん? 親に向かってアンタとはなんだ。 再教育が必要か?」
「今までどこほっつき歩いてたんだボケーーーーー!!」
「ほぎょら~!? 息子の愛の鉄拳~~!」
容赦無く本気の拳を親父の横面に叩き込む僕。
クリーンヒットして吹っ飛ぶ親父は気持ち悪い事を言って吹っ飛んだ。
あの顔からして全然効いてないっぽいよクソっ!
「ハイテンションな人ね・・・。 ミチオのお父様?」
僕らの会話から祈はこの変態親父が僕の肉親だと気付いたようだ。
末代までの恥だった。
「ふぅふぅ・・・。 ん?」
「お久し振りです。・・・と言っても覚えてらっしゃるか分かりませんが、汐留祈です」
「うん? ジン君の娘さん?? おおきくな・・・・ってないなあ! あ~はっはっはっは!」
ジン君とは祈のお父さんの名前なのだろう。
「汐留 陣」という名前を後で聞いた。
そういえば、祈とは昔会っていたというけど、親父とも面識があったようだった。
最後の一言がちょっと多い。
「・・・・・・ミチオ」
「何? 僕は今視界と聴覚からあの穢れた存在を消すのに忙しいんだけど?」
耳と目を塞いでも禍々しい気配はそこにあるから困ったものだ。
「あ、うん。 物理的に消しちゃっていい?」
「了承」
その提案は願ったりなので即答した。
「おいおいおい! アッサリと親を引き渡すな息子よぉ!?」
息子とは誰の事だろう?
日本に帰ってきて来た僕を放って世界中を旅・・・いや、遊びに行っていた男が僕の親のハズが無い。
戸籍とかそんなものは知ったこっちゃない。
「どうしました? 騒がしいですが・・・」
「なんなの? 声が部屋まで響いてきたなの」
「あにゅぅ・・・おはようございますです・・・」
更にラビアンローズの三人も起きてきたようだ。
騒がしい騒音を撒き散らす迷惑者のおかげでいい見世物になっているよ全く・・・。
「っ!? なんだこのハーレム状態は!? 壬千夫! オマエってヤツは・・・!」
「いや、違うから・・・」
反応するのも疲れる・・・。
「騒がしいな。 うん? 来客か」
そしてレイシャンまで現れて全員が玄関に集まってしまった。
レイシャンを見た親父は一番衝撃を受けたように3.4歩後ずさり、そちらを指差しながら僕に凄んできた。
「こんなお姉さんまでっ!?」
「アンタそういう反応しか出来んのかぁっ!」
「男として一夫多妻は夢だが私はそんな子に育てた覚えは無いぞぉぉぉ!」
「育ててもらった覚えもないわボケェ!!」
「・・・・・・ミチオ君はしゃいじゃってますなの」
とナノカちゃん。
「そう見えますね♪」
と小木曽さん。
「ですです」
とレンちゃん。
ラビアンローズの三人は眼科に行って欲しい。
本気で嫌がってるんだってばっ!?
「イノリ。 アレは小僧の父親か?」
「そう・・・らしいわね。 私も昔に会っただけであんまり覚えてないけど」
「ふむ・・・」
祈とレイシャンが何か話しているが、そっちより今はこの男に一言言うのが忙しいよ。
「今頃何しに帰ってきたんだよ! アンタの残した物(借金)は大方目通しがついたけど、もう此処はアンタの物じゃないのを忘れないでよっ!」
「息子の物は私の物。 私の物は息子の物だろうが」
「言葉だけ聞くと「ギブアンドテイク」みたいだけど、テイクした事あるヤツの台詞だからねソレっ!?」
「? 何で怒ってるんだ? お前?」
「くわっ!? 自覚まで無いよこの男はぁ!?」
首まで傾げて本当に分からないという顔を見せる40過ぎのおっさん。
そういえば名前も言ってないけど誰も聞いてこないから言わないでおこう。
この男を「紹介」しようとは思わないから欠片一片も。
親父は集まった顔ぶれを見渡してからその内の一人に声をかけた。
「ところで、そこの美女」
「ん?」
「はいなの」
レイシゃンとナノカちゃんが同時に反応した。
ナノカちゃんは一瞬キョロキョロして親父の視線がこちらに向いていない事に気付き顔を真っ赤にして座り込んでしまった。
「ごめんなさい。 うまれてきてごめんなさいなの」
「どんまいです・・・」
その落ちまくった肩をレンちゃんが叩いてあげていた。
親父もそれを見てかわいそうになったのか少し眉を潜めて慰めの言葉をかけてあげていた。
「あぁ、そっちの子も美女じゃないわけじゃないから落ち込む事はないぞ。 ええと、君。 見た所ジン君の娘と親しいようだが?」
レイシャンに向き直り親父。
「うむ。旧知の仲だ。 あぁ、申し遅れたな。 私は李麗香という」
「李? 中国人か。 それにしては流暢に喋るな」
「それは洒落で言っているのなら笑えないから辞めた方がいい」
一瞬どういう意味の言葉か分からなかったがレイシャンは「日本語が喋れる経緯」について説明する事は故郷の忌まわしい過去を喋らせるという侮辱だと言う事を言っているようだった。
過去に日本語を強制的に習わせられたという黒歴史を日本人として忘れてはならない。 そう彼女の目は語っていた。
「・・・ほう。 ・・・なるほど。 ちょっと私の部屋で大人の話をしないか?」
「どういう事だ? ・・・・・ふむ。 いいだろう」
「えっ!? ちょっと!?そ・・・」
言われるままに着いて行こうとするレイシャンを慌てて僕は止める。
この男、女にもだらしないから―そう言い掛けるが彼女の自信満々な瞳に当てられて言葉に出なかった。
「心配するな小僧。 早々遅れを取る私では無い」
「いや・・・そのオヤジ見た目はアレだけど反則的に強いから・・・」
さっき一発殴ったけど僕は親父に一度も勝った事が無い。
この男は、普段の抜けているような所が戦闘になると人が変わったように鬼と化すという化け物だ。
祈やレイシャン達とは種類の違う化け物なのだけど・・・。
「なら、なお面白い。 それに・・・」
「?」
何か言い含んでレイシャンはすぐにかぶり振った。
「いや、いい。 親父殿。 2階の部屋か」
「だな」
そうして二人は親父の部屋―元は僕の両親の部屋―に向かった。