9月6日(3)「乱戦にまみれて」
ランジェリー会社ルナティック・開発支部。
そこは笠原組の資金源となっている会社だった。
笠原組は元々、林原組という組の傘下なのだが、双方の昔からの因縁があるらしく、極稀に小競り合い等をしたりしているらしい。
数多くの分家を持つ林原組に真っ向から喧嘩を売っても勝ち目は無いのだが、敵対する組等に肩入れをしたりと、何かと反抗を繰り返し、ここ最近の抗争により、一時は破門にしろとの声が林原組上層部から上がっていたのだが、それを、正に林原組の大親分。 組長の林原流離の鶴の一声で不問とされて現在に至る。
林原組長が言うには「笠原んトコは本家のウチに喧嘩売るぐらいの度胸持ってやがるんだ。これからの渡世にゃそれぐらい元気のある若者が担っていくんじゃねえか。 キチンとケジメを付けりゃあいい。 これぐらいでピーピー騒いでやがるよりゃ、ワシはよっぽどマシだと思うぜぇ?」
組長の言葉に、上役達は一斉に口を紡いだ。
反論等は特に上がる事は無い。 他でもない組長の言葉であり、その言葉は絶対だからだった。
林原流離という人物は2代にして強大な組を作り上げた男で、東日本で彼の名を知らない者は居ない程だった。
彼は大雑把な性格をしているのだが、その表れとなっているのが組の構成だった。
世襲等にはとらわれず、実力主義者だ。 本当なら縁族がある者が組を継いで行くのだろうが、何処かからか拾ってきた若い男に若頭を任せる程だった。 それが玄さんである。
玄さんの本名は玄五郎で、若くして若頭だが、名実共に林原組長の右腕とまで登り詰めた男だ。その信頼は厚い。
ただのチンピラだった玄さんを、一流の極道に育て上げた流離の愛情には頭が下がるが、その思いに応えた玄さんにも頭が下がる。
そんな玄さんは、他の誰も口を開かないそんな場で「だったらオレがケジメつけて来てやらあな!」と吠えたらしい。
だが、玄さんは加減を知らない男だったので、相手の笠原組組長をボコボコにしたあげく、裸に剥いて木に吊るしたとか・・・。
それで事は収まったのだが・・・。
「だからこんな状況になってるんじゃないの!?」
要するに玄さんが暴れたせいで、僕はその尻拭いをさせられているってわけだ。
笠原組の組員が大勢居る会社に忍び込んで、周りを囲まれてしまうなんて状況に!
「オホホホ! 逃げ場は無いわよイチコさぁぁ〜ん? この頭の恨み晴らさせて貰います!」
いつの間にか復活していた桃子部長が高らかに笑いながら言ってきた。 その頭にはクッキリと足型が付いていた。 ナノカちゃんの足型だ。
「くぅ・・・ゴキブリ並にしぶといなの! ちょっとしたスキに逃がしちゃったなの! てぁやぁっ!」
そのナノカちゃんは悔しそうにしながら襲い掛かる社員(組員)を必死に迎撃していた。
資料室の入り口が狭かったせいか、一瞬で囲まれるような事は無かったが、それでもそれは最初だけで、もう徐々に囲まれそうになっていた。
そんな中で、僕はと言うと・・・。
「ええぇい!」
「うわっ! おっとっと・・・」
「ちぇいあぁ〜!」
「あぶなっ!? セーフセーフ・・・」
「に・・・逃げるなぁ〜! かかってこい〜!」
必死に恵子という子の攻撃を避けていた。
相手は女の子だし、殴るのも可哀相だしね。
「ミチオ君! 真面目にやってなの!」
そんな僕を、同時に5人をふっ飛ばしながらナノカちゃんは怒声を上げてきた。
「そんな事言われても、この子、意外に早くて・・・」
相手をしている恵子という子はパワーは無さそうだが、素早い動きで僕はそれを受け流すのがやっとだった。反撃の余地が無いと言えば嘘になるのだが、中々厳しい相手だった。
「だからって打ち倒されたら意味が無いなの!? 普段人殺してるのに何で殴らないなの!?」
人を殺しているという言葉に、目の前の恵子の動きが固まってしまった。
その間にナノカちゃんに僕は反論した。
「人聞きの悪い事言わないでよ? それだと通り魔みたいじゃないか」
「同じなの! 依頼じゃなければ出来ないっていうなら私が依頼するの! ミチオ君ぶっ殺してやるなの!」
女の子がそんな物騒な事言っちゃいけません・・・。
「分かったぜ。 それならやってやるよ」
・・・はい?
今何処かから男の声がしたような・・・。
そう思っていると、視界が一瞬ブレて、恵子という子が宙に浮いているのが見えた。
そう見えたのは実は視界の恵子が仰け反っていたからなんだけど・・・。
「僕の拳」で・・・。
「がはぁ・・・」
気が付くと、僕は恵子の鳩尾に拳を叩きつけていた。 その衝撃で胃液を撒き散らしながら崩れ落ちる恵子。
その頭を僕は踏みつけていた。
「これでいいのかよ? なのなの娘よぉ?」
僕は喋っていない。
いや、僕の口から出ているのだが、僕の意思とは別の意思で、そんな言葉が出てしまっていた。
様子が急変した「僕」を見て、その場の者全員が凍りついたように固まってしまった。
「・・・・・・ミチオ君・・・なの?」
「あぁ、そうだぜ? ミチオ君だ。 「体は」だけどな?」
これって・・・。 前に小木曽さんが言ってた「僕の別の人格」?
なんて冷酷な感じなんだ・・・。リアルに人の頭を踏みつけている感触が気持ち悪いんだけど・・・。
「恵子ぉ!? アンタなんて事を!」
それを見た美香という子が殴りかかってきた。
その拳を、「僕」はあっさりと避け、その子の横面に思いっきり肘を叩きつける。
「ぎぃやぁぁぁぁ!」
それを受けて、美香という子は酷く可哀相な悲鳴を上げてのたうち回った。
肘の感触からして、歯が折れたと思う。
「ミチオ君は優しいからなぁ〜? 女をまともに殴れないんだぜ? それで死んだら元も子も無いってのに、馬鹿だよな? オマエもそう思うだろ?」
「あ・・・あ・・・あ・・・」
ナノカちゃんは、そんな「僕」を恐怖の瞳で見ていた。
意識のある僕だって、こんな酷い事をするのは嫌過ぎるんだけど・・・。 どうにも体が勝手に動いてしまう。
「それにしても、オマエ等金は持ってるんだろうな? 無いっていうなら体で払ってもらうぜ? その体はオレ好みだしな」
コイツ・・・分かって言ってる。 ナノカちゃん達はそんなお金が無いから僕の相談所に住み込んでいるのに・・・。
「ちょっと! イキナリ何よアナタ! 女の子じゃなかったの!?」
桃子部長・・・空気読んで下さい。
「僕の」変貌にも気付かず、不用意に部長は近付いてきた。
それを「僕」は手を広げて制していた。
「うるせぇ。 こっちは今交渉中だ。 黙ってろ年増」
「と・・・誰が年―」
「黙ってろって言ったんだが?」
年―いや、桃子部長を「僕」は手刀で黙らせ、再びナノカちゃんに向き直った。
「そのでかい胸は飾りにしとくのはおしいぜ? 有効に使うべきじゃねえか?」
いやらしい言葉を吐いてナノカちゃんに手を伸ばす「僕」
それにナノカちゃんは正気に戻ったようにビクッと震え、すっと身を下げて後ずさりした。
だが、それは怯えからの行動では無い事を、僕はすぐに思い知る事になる。
「ミチオ君・・・・・・・・・・・最低なのぉぉぉっぉおぉ!!」
「おわあぁぁっ!?」
ナノカちゃんが絶叫したと思うと、僕は何か大きな力に吹き飛ばされていた。
腕力? いや・・・
超能力? いやいや・・・
「力そのもの」に僕は当てられてしまったようだった。 気迫と言えば分かりやすいが、そんなちゃちゃな物じゃない。
恐ろしいものの片鱗を味わった気がした。
それは祈が神だとすると、このナノカちゃんは・・・
魔王と形容してもいいかもしれない。
「女の敵! 覚悟するなのっ! 皆やっちゃうなの!」
? 皆?
僕は、その言葉を理解するのに一瞬時間が掛かったが、資料室には今男は僕しか居ない。資料室に集まっていた社員は全員女社員だった。
「ちょ・・・ちょっと!? ナノカちゃんどっちの味方なんだよ!?」
あ、やっと声が出た。
「あっ! ミチオ君正気に戻ったなの?! でも、貴方の行動は貴方がやった事であって、消えないの! それがどんな強い意志であっても「記憶が無い」とか「無意識」を理由にするのは大嫌いなの!」
「それってある意味自己満足と取れないっ!?」
その信念は好意に値するけど・・・。 ナノカちゃんもしかして僕の裏の人格の事知ってる?
小木曽さんに教えてもらったのかな・・・。
僕は声が出た事で、体の自由を取り戻した。
あまり良い性格と言えない人格が出た瞬間に思い通りに動かなかったのだが、動いたら動いたで押し寄せる社員達を打ち倒す為に身を固めなくてはならない。
此処に来る前に祈が「乱戦は苦手」って言ってたけど、こんな人海戦術で来られたら誰だってタコ殴りになると思うんだけどね・・・。
僕は玉砕覚悟で拳を固め、最初に近付いてきた子の鼻先を狙って拳を固める。 女の子を殴るのはやっぱり抵抗があるけど、そうも言ってられないしね。
しかし、僕の拳と共に固めた決意も、その後の一瞬で霧散した。
少し遠くの方から轟音が聞こえてきたからだ。
その擬音で言えば「ゴゴゴ・・・」という地鳴りのような感じだったが、それが一人の男によっての事だと気付いた時にはその場の全員が立ちすくんだ。
「な・・・今度は何!?」
上司は工作員だわ、社員も同じ組織だわ、僕は暴走するわ、ナノカちゃんは暴れるわ、これ以上、何か起こったら収集がつかなくなると感じた僕は、近付いてくる異常を耳で聞きながら人混みの中に資料室の入り口までの僅かな隙間を見つけた。
多勢を打ち倒すのが無理なら逃げるしかない。
意を決して「女子社員達の足の隙間」に滑り込む。
絵的に変態的だけど、皆意外に足が細くて助かった。
人一人の体を通すのには無理があったが、イキナリ低空で突っ込んでくる僕に怯えた様に身を引いてくれた。
一跳びで資料室の入り口まで来れた僕は、まだ資料室に残っているナノカちゃんを気にしながらも、何も出来ないので、立ち上がりそのまま立ち去ろうとした。
入り口付近の社員達は何が起こったのか分からずに僕と目が合ったが、それより気になる事が廊下側にあったのだろう。 すぐに視線を外した。
「?」
何かと思って僕も同じ様に見ると、そこには一人の男に群がる社員達が四方へ吹っ飛んでいるなんてアクション映画のような光景があった。
その中心に居る男は・・・。
「玄っ!?」
「おうっ! ミチ! 助太刀に来たぜぇ!」
「・・・やりすぎだよ・・・」
人が宙に浮くほどの打撃を繰り出す玄に、僕は正直頼もしいというより呆れてしまった。
相手が林原組に抵抗する笠原組の関係者なのだとしても、こんな一般大衆の前で大暴れする組員が何処にいるんだというのだ・・・。
もちろん。目の前に居るんだけど・・・。
頭でも打ったのか気を失って倒れている社員達を尻目に、玄に近付いて僕は大袈裟に肩を竦めて見せた。
「玄って好色家だと思ってたけど、女も男も関係無くぶっとばすんだね・・・」
「おうよ! 年増に興味ねえからなっ!」
彼は自信たっぷりに言った。
何故か犯罪的な台詞に聞こえるのは気のせいなんかじゃないねきっと・・・。
彼の中で「女」は14歳以下なんだろう。
「ミチオ君〜〜! 置いてくなんて酷いなのぉ〜!」
そんな声と共に平然と人並みを殲滅しながらナノカちゃんは資料室から出てきた。
その後ろの方で桃子部長が「おぼえてなさいよぉぉ・・・」とか言いながら力尽きてるけど、見えなかった事にしとこう。
もう此処に来る事は無いだろうし、というか来れない。
「玄。 とりあえず退路を確保して撤退しよう。 もう此処には用は無いから」
そう言いながら手にもったままだったファイルを握りなおす。
新商品の開発案の資料が入っているファイルだ。
これで今回の依頼はクリアのハズだから問題無い。
会社の建物から僕等は地下の駐車場に向かう。
そこに玄さんが車を止めているらしいのでそれを逃走に使う為だ。
玄さんの車は屋根無しのマー●ツーだった。
「なんでこの御時勢にサンルーフも無いオープンカー!?」
「なんでぇ! ミチはナイ●ライダー見てねえのか? パカパカがそっくりじゃねえか!」
ナイ●●イダーって・・・。
「パカパカ」ってヘッドライトの事だろうけど、酷似してるのってそこだけだし、古いよ玄さん・・・。
「! 待ってなの! 二人とも!」
「えっ?」
急いで車に乗り込もうとした僕等をナノカちゃんが制止してきた。
その瞳に駐車場の柱の影に居る人影が映っていた。
「おわっ!? 撃って来やがった!」
チュインッ! と柱の影から銃撃が跳んでくる。
位置的には相手の姿はわからないが、こちらへの敵意は明確だった。
「玄! 武器は無いの!?」
「む? 愛銃は常に腹んトコに持ってるぜぇ!」
「ごめんね借りる!」
言うが早いか、僕は玄さんのお腹の所に差してあった一丁の銃を勝手に拝借した。
狙撃が下手な玄さんに持たせるよりはよっぽどマシだと思ったが、愛銃を奪われたことで玄さんは少し怖い顔をしていた。
まぁ、僕だったら怒ってただろうけど、玄さんは大人だ。 そこはじっと耐えてくれた。
玄さんの愛銃はコルト・アナコンダ。
僕の愛銃のコルト・キングコブラとは系統が同じなので、扱い方は熟知しているつもりだった。
チュインチュイン! とその間に何度も撃たれるけど、ヘタなのか、威嚇なのか分からないがこちらに当たるような事は無かった。
「銃ってのは・・・無駄弾撃つもんじゃないよっ!」
柱の影から一瞬見えた相手の肩口を狙って、一発だけ僕は発砲した。
「ほら、ナノカちゃん! 玄! 乗って! 出るよ!」
相手の状態も確認せずに僕は二人に車へ乗り込むように促した。 そのまま低速で発進してもらって、僕はその後ろを走りながら、先程狙った柱の影に銃口を向ける。
柱の横まで車と併走して結果を確認する。
どうやら命中していたようで、柱の影に隠れるように倒れこんでいる人陰が見えた。
その顔を見てやろうと思ったが、丁度顔が髪で隠れてしまっていて見えなかった。
だが・・・その顔は分からなかったが、その「腕」には見覚えがあって僕は戦慄した。
確認してから僕は一気に車に飛び乗って加速して貰う。
「玄! 一気に行って!」
「任せなっ!」
ハンドルを握る玄さんは僕が飛び乗ったと同時に言われるまでも無くアクセルを踏み抜いた。 その瞬間一気に速度メーターが上がり、反動で振り落とされないようにしがみ付きながら、先程見た特徴ある「腕」を僕は思い出していた。
「・・・・・・義手・・・まさかさっきのって・・・」
昨晩打ち倒した義手の少女を思い出す。
あの時、あの少女は僕を狙っていた口ぶりだった・・・。
ブラッディ・イーターの僕を他の誰かと勘違いして任務遂行したと思って帰ったが、やっぱり違ってたので再び襲ってきたという事か?
いや、それより僕が此処に忍び込んでいる情報が漏れているとしか思えない感じだったが・・・。
監視されている?
それともスパイが居る?
ただの偶然?
答えは分からなかったが、ハッキリしている事はただ一つあった。
それはもう「日常」には戻る事は出来なくなっているという事だった。
玄さんの車に揺られながら、僕は心無しに空を見上げた。
その日は雲が少ない綺麗な青空が広がっていて、眺めていると吸い込まれていきそうな感覚があった。
「この空を僕は後何度見る事が出来るんだろうね・・・」
そんな小さな呟きをしながら、僕は相談所へ帰っていくのだった。
【聖夜に銃声を 9月6日(3)「乱戦にまみれて」おわり (4)に続く】