9月6日(2)「エージェントの事」
女の準備には時間が掛かると言うが、実際にやってみるとそれは納得出来る。
化粧をするだけでも、慣れていないのもあって数十分掛かってしまう。
レンちゃんやナノカちゃんが嬉しそうに「(お化粧)してあげるなの(です)」と言ってきたりしたけど、それぐらい自分で出来なければプロ失格だし、何よりオモチャにされそうで嫌だったので丁重にお断りした。
「・・・あんまり濃くならないようにナチュラルに・・・」
職場への化粧というのは濃くなりすぎず、しかし薄くなりすぎず、失礼にならないように細心の注意を払わなければならない。
濃過ぎて下品に見えたり、薄すぎて身だしなみが悪く見えたりするのはその時点でOUTだ。
ノーメイクでは無いが、気持ち程度に「してある」ように見せる為に、薄く薄く・・・。
「おぅぅい〜ミチ〜ちょっといぃか〜? っておわっ!?」
そこに玄さんが現れた。
「ん? 玄? ?? どうしたの? 固まったりして・・・」
鏡の前で化粧をしていた僕を見て、目を見開いて固まっていた。
あぁ・・・。
そういえば、下着姿だったんだね僕。
胸の所にパッドも入れてるから、一瞬見ただけなら騙せたかもしれない。
うん。 バッチシだ。
「・・・・・・ミチよ。 そっちの世界だけには行かないでくれよぉ?」
「怖い事言わないでよ。 僕はまともだ」
仕事で女装しなくちゃならなくなったんだから、仕方無いんだ。
「・・・にしても、意識して見なけりゃミチが女に見えらあな。 天職なんじゃねえか?」
「・・・いくら玄でも本気で怒るよ?」
酷い事を言う玄を睨んでやるが、その仕草さえ「可愛いじゃねえか」とか言われてしまう。
本末転倒とはこの事だ。
「ミチオ君〜」
そこにナノカちゃんがやってきた。
ナノカちゃんは既に化粧と着替えが済んでいて、その化粧の効果により、いつもの垂れた目が心持ちクッキリとしていた。
なるほど。 これが化粧の効果か・・・。
「準備できたなの? ・・・ふ、ふわぁ〜・・・。 レンちゃんが言ってた通りミチオ君とっても可愛いなの♪」
ナノカちゃんは僕を見るなりそう言った。
「だとよ」
玄さんも「だろ?」と僕を肴にして笑っている。
結果オーライなハズなのに、どんどん惨めになっていくのはどうしてだろうね・・・?
「で。 今日はどうするんでぇ?」
「うん。 多分現場は祈達のおかげで混乱しているだろうから、重要そうな情報を見繕って、流離組長にそれを報告するだけだよ」
「それだけかい? 事に乗じてぶっ潰してやりゃあいいじゃねえか?」
「そんな過激な事するように言われて無いよ。 エージェントっていうのは基本的に情報を操るのが仕事だからね。 インターネットの普及した時代だから余計に言えるけど、情報一つがお金になる。 そんな仕事なんだよ」
「なんでえ・・・。まどろっこしいねえ」
「そうでも無いなの。 ペンは剣より強しって言葉のように、暴力だけで解決しない事でも、情報ひとつで簡単に解決してしまう事だって一杯あるなの。 私達はそれを最大の武器にしてやりくりしているなのエージェントとして」
今ひとつ分かっていない玄さんに、ナノカちゃんも続いて説明した。
エージェントというのは諜報員だ。 そんな者達に特殊部隊のような動きは必要無い。
「玄に分かりやすくいえば、夏に熱くなりますよ〜って情報があったとして、それをエアコンなんかを作っている会社に流す。 それで、エアコンの生産量を調整したりするとか、そういう事だよ。 物だけに価値がある時代はもうとっくに終わってるんだよ」
そんな情報を取り扱っているのが僕の「相談所」であり、「昼の仕事」である。
実は相談所で売っているという物はそんな情報のカタログだったりするわけなんだけどね。
非合法な顧客リストなんかもあったりする。
「玄だって、抗争の前には相手の勢力や状況を調べたりするだろう? それと同じ事だよ。 今日もその線で来たんじゃないの?」
「あ・・・あぁ・・・。 今ウチのもんに例のランジェリー会社の背後の笠原組について調べに出してるぜ。 俺はどうすりゃあいいんだ?」
「それは・・・祈か小木曽さんに聞いてよ。 今回の作戦指揮は彼女達だよ」
祈は学校を休んで事務所のパソコンを使って何かしているようだった。 それにレンちゃんと小木曽さんがバックアップのような形で控えていた。
ナノカちゃんは僕に付き添って会社へ。
玄さんは・・・なんだろう?
僕は聞いてなかったので、祈に言付けして任せる事にして、出勤する事にした。
大手ランジェリー会社のルナティック。
三日月に女性が座っているロゴが有名な会社ではあるのだが、そんな会社の末端と言える子会社が今回のターゲットだった。
「おはようございます〜遅くなりました〜」
その開発部に潜入している僕は、腰を低くしながら部署の扉を開けて遠慮がちに挨拶した。
「おはよ市橋さん! ちょっと手が離せないから昨日の書類整理の続きでもしていて!」
部署の上司の影山桃子部長が忙しそうに挨拶を返してきた。
ちなみに「市橋さん」とは僕の事だ。「イチハシ」と「キリナシ」は母音が同じなので聞き逃した時の反応がぎこちなくなったりしない。 フルネームは「イチハシ イチコ」だ。
偽名というのはあまり本名とかけ離れた名前にすると、ボロが出易いので母音を合わせてやると良い。
さて、思惑通り、混乱してるようで、こちらを見ている者は居ないようだから・・・仕事を始めようかな。
「すいませ〜ん。 こちらを手伝って来いと言われたんですが〜」
そこにナノカちゃんがやってくる。
混乱しているのでそんな来訪者の事等気にも止められない。
それも予定通りで、ナノカちゃんは僕のディスクの横まで来てニヤリと笑った。
「ボディーガード参上なの♪ イチコちゃん状況はどうなの?」
「菜乃ちゃんお帰り。 ちょっと調べただけじゃ出てこないね。 笠原組と繋がっている証拠が分かればいいんだけど・・・」
最初は新商品の情報を盗もうと思ったのだけど、笠原組という組と繋がっている事実があるならば、その情報を盗んだ方が打撃になると踏んだ。
暴力団と繋がっているという情報は世論を簡単に敵に回しやすいスクープだと思ったわけだが・・・。
そう簡単に見付かるハズも無く、僕に宛がわれた端末からでは何の情報も出てこなかった。
もちろん同時に新商品の情報も調べているのだが、そちらも一向に出てこない。
まだ秘密裏に商品開発は進行しているのだろう。
プルルルル・・・・。
作業が難航している所に一本の電話が鳴った。
「はい。 お電話ありがとうございます。株式会社ルナティック開発部。 市橋が担当いたします」
外線だったので開発部では無く、「お客様サポート」とでも言った方が良かったかもしれないが、咄嗟に出てしまったのでそのまま押し通すことにした。
だが、受話器から聞こえてきた声は良く知った声だったので、そんなものも杞憂に終わる。
「フフッ。 様になってるじゃないのよイチコ」
「あ、いつもお世話になっております」
相手は祈だった。
だからと言って私用の電話だと思われてはいけないので業務的に対応をする。
「きっと調べても何も出て来て無いだろうから、今から電力供給を遮断するわ。 その間に資料室に行ってアナログな調べ物をしなさい」
「かしこまりました。 アポイントで御座いますね? 恐れ入りますが、ご予定はいつになりますでしょうか?」
「5分後よ。 じゃあ頑張りなさい。 ここからが正念場よ」
「はい。 では、そのように・・・。 本日は株式会社ルナティックへ御用命頂き誠にありがとう御座いました」
どういう操作をしたら会社の電気を落とす事が出来るのか分からなかったが、5分後に会社は真っ暗になるようだ。
僕は隣に控えているナノカちゃんに筆談で「この後、停電になる」と伝え、5分の時間を待った。
そして五分後。
突然部署の電気が消えた。
そう言っても、昼間なので真っ暗になるわけでは無いが、それでもパソコンやその他の電気機器が全部止まってしまって部署は先程に増して大混乱した。
「な、なんなんですか!? 停電!?」
わざとらしく驚いて見せたりする。
「皆さん! 落ち着いて! 今「元電」を確認しに行きます!」
それに影山部長が冷静にブレーカーの大元を確認すると言い出した。
意外に有能な人みたいだけど、それがまさか遠隔操作で意図的に落とされている等とは思わないだろう。
「部長。 ちょっとお手洗いに行ってきます」
「え? ・・・・・・そう。 分かったわ」
そんな中僕は落ち着いて「アリバイ」を作っておく。
こう言っておけば「作業」が長くなってもこの状況なので、「水が流れませんでした・・・」と言い訳が効く。
そうしてその後ろをナノカちゃんが「私も」と着いてくる。
僕等は部署を抜け出し、会社の資料室のあるところまで素早く移動する事にした。
その道中誰とも出会わずに、難なく資料室へ到着する事が出来た。
資料室の扉は鍵が掛かっていたが、それは簡単な鍵で、僕は、着けていたヘアピンを外してそれを曲げてピッキングを試す。
5分もしない内にカチャリと鍵は外れ、僕達は資料室の中に入り、後ろ手で鍵を閉める。
中に入ってから電気を点けず、目的の資料を探す。
「それにしても・・・ミチオ君手馴れてるなの。 泥棒さんっぽいなの」
「人聞きの悪いね。 必須スキルじゃない? ピッキングって?」
潜入捜査をする場合でも、何かの組織に捕まってしまった時でも必要になってくると僕は思っているのだが、ナノカちゃんはそんな僕の仕事に感嘆していた。
ちょっと鼻が高くなってしまう。
鍵を閉めているので小声で僕等は普段の口調で会話をしていた。
目と手で資料を探しながら、耳で資料室に近付く足音を警戒する事を忘れない。
「20●●年新作ブラ・・・。 これかなぁ?」
資料閉じてあるファイルがある棚の背表紙を確認しながら僕は新商品の情報らしきファイルを発見する。
笠原組との繋がりの情報は逆に足が付くので書類のような形で残っている可能性は低いと思いそちらを重点的に調べていたのだが、やっとそれらしき物があった。
それをナノカちゃんが横から覗き込んで来た。
「ん〜一年後の商品っぽいなの。 開発期間から考えて正解に近いとは思うなの」
「ABCDで言えばBかCって所?」
抵当な比喩を口にしてファイルを開いてみてみると、隣でナノカちゃんが嫌な顔をしていた。
「・・・ミチオ君セクハラなの・・・」
「?」
何故かナノカちゃんが少し離れてしまった。
何故か分からないが、それは置いといて、僕は携帯電話を取り出す。
別に電話をするわけじゃない。
携帯の写メ機能を使って資料を写す為だ。
こういう機能には必ず効果音が出るようになっているが、ちょっと改造すれば音が出ないように設定できる。
ただ、そんな改造をしてしまうとサポートは受けられなくなるが・・・。
悠長に資料を読み漁るわけにもいかないので素早くデータとして残す為に、ファイルを開いては写真を写す作業を続けた。
カチャ。
資料室に軽い金属音が鳴り響いた。
資料室の鍵が開く音だ。
足音はしていなかったので、その突然の音に僕とナノカちゃんは固まりそうになったが、そんな硬直時間が命取りであるので、すぐに物陰に移動する。
ファイルを直す暇が無かったので小脇に抱えて、物陰から資料室の入り口を覗き込むと、一人の女性が中に入ってきているのが見えた。
あれは・・・部長?
部長は電気の点いていない資料室を見渡して、部屋の丁度中央まで来ると、カン!と足を踏み鳴らした。
そして「吠える」。
「ネズミ達! こそこそしてないで出てきなさい! 居るのは分かってるのよ!」
「!!」
それは声としてはそこまで大きくなかったが、言われた瞬間に身が竦みそうな迫力があった。
部長はこちらが居る事に気付いている!?
「最初から怪しいと思ってたのよ。 バレてなかったとでも思っていたの? そうならとんだ三流のようね。 ネズミさん? ・・・いえ、イチコさん?」
名指しで呼ばれてもはやそれまでだった。
口調からして彼女は僕が潜入捜査をしている事に気付いている。
まさか・・・さっきの「元電を確認しに行く」と言ったのは・・・僕と同じ様に、此処に来るための「アリバイ作り」だったのか?
そうだとすると・・・。
「会社の者は騙せても、私は騙せないわ。 だって・・・貴方達と同じだもの。 わ・た・し・もね?」
腕を組んで不敵に笑いながら影山部長は僕が隠れている場所をキョロキョロと探していた。
そのすぐ近くのダンボールの裏に隠れていた僕は、そこまで聞いて観念して姿を現す事にする。
もう隠れていたって同じだ。
「同じってどういう事ですか?」
なんとなくわざと演技を続けて部長の前に対峙する僕。
僕の姿を見つけて、怪しく微笑んでいる彼女は、完全に「こっち側の人間」の顔だった。
一介の会社員の顔では無い。
「分からないの? ・・・・・・こういう事よ」
「!」
僕は強烈な殺気を感じてなりふり構わず横に飛んだ。
その横を文字通り殺気の塊がすれ違った。
部長の手には一丁の拳銃が握られていて、引き金を引いたようだ。
なんだか分からないけど、一つ分かった事がある。
要するにやはり彼女は「こっち側」なのだという証明だった。
「苦労して部長にまで登り詰めて・・・これからって時に邪魔をする汚いネズミは・・・生かしておかない!」
部長は再び銃口をこちらに向けてきた。
反射速度だけで、至近距離の銃弾を避けるのは至難の業だ。
それに、今日は愛銃も持っていない。
「させないなのっ!」
その瞬間、同じく生身のハズのナノカちゃんが部長に向かって飛び掛った。
銃の引き金に手をかけている者に飛び掛るなんて自殺行為だ!
「黙れネズミがぁ!」
不意打ちであったハズなのに、部長は素早く銃口を飛び掛るナノカちゃんへ向けた。
部長の動きは訓練された兵士のように正確に、そして俊敏に反応して引き金を引いた。
だが、その銃弾が発射されるのより早く、ナノカちゃんは動いていた。
僕は普通よりは動体視力に自信はあるのだけど、そんな僕でも目で追う事が出来なかった。
何が起こったのかわからない内に、部長は床に転がっていて、ナノカちゃんがそれを見下ろしていた。
「く・・・貴様何者だ・・・ただのネズミじゃないわね・・・」
倒れながら呻き声を上げる影山部長に、ナノカちゃんは冷やかに見下ろしていた。
・・・これが、いつも眠そうにした目の・・・ナノカちゃん?
身体能力だけなら祈を凌ぐんじゃないだろうか?
始めて会った時に、こんな子に組み付かれて・・・良く無事だったね僕・・・。
「ネズミさんなんかじゃないなの。 私は高貴な薔薇の使者。 ラビアンローズの樟葉 菜乃華なの」
・・・頭は悪いみたいだけど・・・。
「名乗っちゃ駄目だと思うんだけど・・・」
「あーーー!? しまったなの〜! 忘れるなのっ! えいっ!」
「ぎゃぁぁ〜〜〜!?」
ワタワタと慌ててナノカちゃんは取り繕うように、部長を思いっきり踏んづけた。
だが、その断末魔が大きく資料室に響いてしまった。
「今の声は何!?」
「あっち! 資料室の方からよ!」
その声を聞きつけて足音が二つ資料室へ近付いてきた。
マズイ・・・。 こんな状況を見られたら普通に捕まってしまう。
なんとか隠れるか逃げるかしようと思ったが、そうするより早く、二つの足音は資料室に来てしまう。
「此処ね! ・・・あぁ! 部長! どうしたんですか!?」
「待って恵子! これって、もしかしたら林原組の・・・」
恵子と呼ばれた女子社員と、活発そうな女子社員が一瞬状況を見ただけで核心めいた事を言っている。
「私達笠原組への出入りね! 出て来なさい曲者!」
出て来なさいも何も、目の前で部長を踏んづけているのにそう叫んでいる女子社員。
・・・頭おかしいのだろうか?
それより自分で笠原組だとか叫んで、とても手間が省けて助かる。
どうやらこの女子社員も笠原組から「潜入」している者のようだ。
「・・・君は笠原組の者なんだね?」
熱く叫んでいる女子社員の目の前で存在を主張するように声を掛けると、今更気付いたようにビシッ!と指を指して来た。
「出たわね曲者! 私が倒してあげるから大人しくしなさい!」
「恵子・・・部長が倒れてるぐらいだから応援を呼んだ方が・・・」
もう一人の女子社員は冷静のようで、僕と部長を踏みつけているナノカちゃんを見て不利と感じたのか息巻いている恵子という女子社員を宥めようとしていた。
「何? 私が負けるって言うの美香? 笠原組100番勝負の覇者の恵子様が?」
「恵子ぉ〜・・・」
100番勝負なんて馬鹿な事って何処でもやってるのかな?
僕は今だ新しく現れた闖入者を唖然と見ているナノカちゃんの腕を引き、耳打ちした。
腕を引いた瞬間「ぐぎゃ!」って聞こえてきたのだけど、ナノカちゃん体重掛けてたみたいだね・・・。
「ナノカちゃん、この二人も敵みたいだけど仲間を呼ばれると厄介だから・・・」
「了解なの。 一瞬で終わらせるなの」
最後まで言い終わる前に意思が伝わる。
ナノカちゃんの「一瞬で終わらせる」という言葉に、相手の恵子は一瞬怖気づいたのか顔を引きつらせた。
「く・・・中々の実力者みたいね・・・。 でも、この会社の全員を相手にしても立っていられるかしら!?」
「ぜ、全員!?」
恵子の言葉と共に、何処からか大勢の社員が資料室へと殺到してくる。
この会社・・・。
全部が笠原組関係者だっていうのか!?
それで僕はさっきの祈の電話の事を思い出す。
『ここからが正念場だから頑張って』と言っていたけど・・・この事だったのもしかして!?
こうして・・・
僕とナノカちゃんは、昼間から堂々と大乱闘に巻き込まれてしまうのだった。
【聖夜に銃声を 9月6日(2)「エージェントの事」終わり 9月6日(3)に続く】