9月6日(1)「借金3000万」
僕には抱き癖がある。
それは、祈と生活を始めて思い出した事だった。
元々、掛け布団なんかを抱いて寝ていたりする事はあったのだが、無意識でやっている事なので、一人で暮らしている時には気にしていなかったのだが・・・。
昔、母親と親父と三人で寝ていた頃は、良く母親に抱きついていたらしい。 朝になると親父が不機嫌になっていたりする事もあった。 実の息子に、自分の嫁が取られたように思ったのだろうか?
結構子供な親父だった。
今は二人とも離れて暮らしている。
母親は父親に愛想を尽かして出て行ったのだが、親父は世界各地に旅をしているらしい。
なんでも親父は世界的な考古学者・・・に憧れてまだ見ぬ世界の秘密を解き明かすのが自分の使命だと思っているらしい。
昔エジプトに行っていた時にピラミッドの呪いでも受けて頭がおかしくなったんじゃないかと思ったものだが、その性格は地なのだから困ったものだ。
そして息子にはこんな相談所を預け、好き放題しているというわけだ。
困ったもんだ。
預かったというのは建前上の事で、親父の借金の肩代わりを僕がした事で、事実上も書類上も相談所は僕の物なのだが・・・。 若干足りなかったので僕にその負債が回っている。
額にして3000万程。
月々10万づつ返したとしても25年もかかる。 実際には生活費なんかもあるので単純に計算しても30余年程かかってしまうのだ。
普通の仕事をしているならば・・・。
幼い頃から教え込まれた色々な技術を生かすとしても、大仕事を何件もこなさなければいけない。
そういう意味でも、昼間の仕事ばかりしていても、一向に借金は減らないのだ。
「一週間前よりは大分マシだから、なんとかなるわよ」
その事情を何故か知っていた祈は、そう軽く言ってくれた。
彼女はブラックカードを持つ程の財力があるが、実際はそのカードは「預かっている」だけらしく、そこまで大袈裟な使い方は出来ないらしい。
「他人のカードじゃないんでしょ? どういう経緯なの? そのカード」
「・・・話したくないわ」
それを聞いても、祈は珍しく口篭ったりする。
本人が言いたくない事を無理矢理聞こうとは思わないけど、気になるのは確かだった。
良く言いたくない事を聞く事を「締め上げる」と言うが、実際に締め上げたりすると、僕の首が絞められてしまう為、現実には不可能である。
話がそれたが、それでも僕はそんな祈を締め上げていた。
両手で。
ぎゅ〜と。
物理的に。
「・・・・・・」
意味は違うのだが・・・。
気が付くと、僕は寝惚けて祈を抱き締めていたらしい。
僕の腕の中で寝息を立てる祈が布団の中に居た。
多分何かの拍子に抱き寄せてしまい、祈は脱出を諦めてそのまま寝てしまったのだろう。
とても大人しく眠っていた。
「・・・・・・」
まだ僕も寝惚けているが、腕の中の祈の体温が暖かい。
天然の抱き枕の感触は良好だった。
いつもなら慌てて離れるのだが、どうも今日は寝惚けていて、ただ暖かさが心地良くて、抱き枕と化した祈を抱き締め直した。
普段は小さな体から思いも寄らない力を発揮する彼女だが、こんな時は可愛らしいもんだ。
「黙ってれば・・・可愛いんだけどなぁ・・・」
我知らずそんな事を僕は呟いていた。
事実、祈は幼いが、傍目から見れば美少女だった。
普段はその強気な性格が災いして、そうは感じないが、大人になればとても美人になるだろう。
そんな彼女が僕の腕の中で静かに眠っているという状況は、優越感のような物さえ感じさせた。
この娘が・・・、正確にはこの娘の中に居る人格(?)が僕の命を狙っているなんて・・・考えられない。
3日前のあの日から、そんな兆候は見ていなかったし、あの時の行動が彼女の演技では無いという保証は何も無いのだから。
もし、演技だったとすると、そんな事をする理由が分からないが、「妹の霊が憑依している」というよりはよっぽど現実的な解答ではある。
その辺りの事は84日後。
12月になったら話してくれるらしいので保留として・・・。
今考えなくてはならないのは、そんな事ではなく、目先の問題。
3000万の借金をどうするかだ。
先日の仕事でほぼ100万程を稼いだが、振り込まれるのはもう少し経ってからなので、まだ金額自体の変わりは無い。
先日の仕事の依頼主は「祈の知り合い」らしく、支払いは確実らしいが・・・。
相手は中国マフィアだ。 支払いを催促も出来ないし、仮にしたとすると、こちらの身が危ない。
これについては祈を信じるしかなかった。
「神」のみぞ知る。 だ。
「わがままな女神様はどんな天啓を下さるんだろうね?」
僕は祈の頭を撫でながら、そんな呟きをした。
サラサラの髪を撫でると、撫でている方も気持ちいい。
・・・・。
サラサラ・・・だけど・・・。
なんだ・・・・・・コレ?
僕は祈の頭を撫でながら、何か違和感を感じてしまった。
一見、特に何かあるわけじゃないのだが・・・。
何か変だった。
何が変なのだろう?
祈の髪の色? いや、それは特に変わった所は無い。
頭の形? いや、普通だ。
では・・・
撫で具合?
そうだ。 それに違和感がある。
優しく撫でていると分からなかったが、少し力を入れると・・・皮膚が硬かった。
「う・・・・・・」
僕は、それが意味する事を考えてしまい急激に吐き気がしてしまった。
祈の頭は、一見普通だが、その髪を掻き分けると・・・。
痛々しい傷跡がクッキリと残っていた。
それは、彼女が語った「一家心中の事実」を物語っていた。
あの話は本当だった。
僕は祈の言葉が始めて本当だという事を自覚して、罪悪感と嫌悪感が同時に襲って寒気さえし出して来た。
その傷は、普段髪を縛っている所に隠れるようにあった。
祈は別に好きでツインテールにしているわけでは無く、何かの拍子にそれが分からないように隠しているのだと分かった。
僕は、それが分かってやるべき事を思いついた。
今は、この手で慰めてやるべきでは無いだろうか?
その頭の傷が癒されるまでは・・・。
「祈・・・」
再び抱き締める祈の体は、やはりとても暖かかった。
「・・・ありがとう」
「え・・・?」
声に気付いて見ると、祈が僕を見上げていた。
「知っても・・・抱き締めてくれるのねミチオ・・・。 私、これを知ったら貴方は拒絶すると思っていたのよ・・・」
祈は僕が頭の傷に気付いた事に、気付いていたようだった。
たしかに見るに耐えないが、そこまで目立った傷でも無く、実際に触ってみなければ分からない程だったのだが、本人からするととても気になっていたようだ。
「陥没してないだけマシよね? でも、気持ち悪いでしょう?」
いつから起きてたの?とは聞けなかったが、祈の言葉に真剣に耳を傾ける。
「あぁ、気分が悪いね」
僕は正直な気持ちを口にした。
ここでそれを偽っても仕方無い。 そんな事をすれば、余計に祈を傷付けてしまう気がしたから・・・。
だが、気持ち悪いのでは無く、気分が悪いのだ。
「? 気分?」
祈はその小さな言葉の違いに気付いて聞き返してきた。
「うん。 気分。 だって、祈は僕の事をそこまでの奴だって思ってたって事だよね? それって気分悪いと思うよ?」
「ミチオ・・・・・・」
ちょっと臭かったかな?
でも、僕は本当にそう思ったのだから仕方無い。
ちょっと前まで赤の他人だった汐留 祈という少女が、今息が触れるぐらいに身近に居る。
一緒に仕事をして、一緒にご飯を食べて、一緒に寝て・・・。
そんな家族のような生活をそろそろ一週間以上過ごそうとしているのだ。
彼女の事情を少しづつ知って、その情報量と共に僕の中で彼女を愛おしく思える気持ちが生まれていた。
もちろん、異性への愛情とは違うとは思うが、それに近い慈しみの気持ちがあるのは自覚していた。
「ミチオ・・・。まだ全部は話せないけど・・・私は貴方を裏切る為に此処に居るんじゃない。 それは信じて欲しいの」
「うん・・・。 信じるよ。 祈」
「だから・・・協力して欲しい。 こうやって・・・貴方が抱き締めてくれるなら、私は私で居られる。 あの子に勝つ事が出来るのよ・・・」
「あの子って・・・ミノリ?」
「ええ。 私の心が強ければ、あの子は出てこないわ。 それを後85日程耐え切れば・・・私達の勝ちよ」
祈の気持ちが強ければ、出てこない。
その言葉に僕は今の状況が分かってきた。
今日は寝惚けて祈を寝床に引き込んだわけでは無く、彼女から入ってきたのかもしれない。
さっきの台詞より臭いけど・・・僕の愛が彼女の狂気を抑える事が出来るというわけだ。
憶測でしかないけど、本当に臭いねまったく・・・。
「ところでミチオ」
「何?」
「遅刻してるわよ」
「遅刻? 何が?」
「潜入してる会社への出勤に」
「いぃっ!?」
祈の言葉に僕はバネのように跳ね起きた。
それと同時に祈も放り出されるが、そんな事はどうでもいい。
「なんで起こしてくれなかったんだよ!?」
時計を見ると9時を少し回っていた。
出勤は9時からなので、どう足掻いても既に会社は始まっていた。
潜入二日目にして遅刻なんてしたら、目をつけられてしまって目立ってしまう。
隠密行動には大きな痛手になってしまった。
「今朝起こしに来たら、丁度あの子が出そうな感じだったから「補充」したら寝ちゃっただけでしょ? 死ぬよりマシよ」
「そ、それはそうだけど、こっちだって死活問題だよ!?」
「親父さんを呼び戻せばいいじゃないのよ。 元々はその人の借金なんでしょ?」
「うん。 頑張って稼ぐよ!」
「・・・・・・そんなに嫌なのね」
僕はもちろん親父の事が嫌いだった。
母に見捨てられても気にした素振りも無く、自分勝手にしている困った大人を誰が好きになるというのか。
僕の反応は間違ってないよね?
僕はまともだ。
「まぁ、大丈夫よミチオ。 私に任せなさい。 私は神よ」
「今度ばかりはその言葉が気休めにしか聞こえないよ・・・。 時間を戻せるなら別だけど・・・」
祈が何をしたとしても、遅刻という失態は消えるわけが無い。
それこそ時間を戻したり出来ない限り、僕の会社での立場は悪くなるだろう。
別にそのまま働き続けるわけじゃないけど、会社内で動きづらくなるのは必至だった。
「・・・仕方無いわね。 今回だけ種明かししてあげましょう。 別に遅刻に気付いてなかったわけじゃないし、遅刻してもいいようにしてあるのよ」
「はい?」
「今頃それどころじゃ無くなってるハズよ。 フフフ・・・」
祈のその怪しい笑いの真意は、事務所に行ってパソコンを立ち上げてみてすぐに分かった。
そんなに大きくは出てなかったのだけど、その事がニュースに上がっていたのだ。
【大手下着メーカー●●社の株価が異例の大暴落!】
そんな見出しが出ている記事を、レンちゃんが見ながら違う画面で何かをしていた。
「レン。 調子はどう?」
「はいです。祈様のコードは完璧に機能してますです」
僕には詳しい知識は無いので良く分からなかったが、今、会社は大混乱しているようだ。
レンちゃんがそこに偽の情報を色々流して余計に混乱の炎に油を注ぐ。
僕のような新人の一社員の遅刻など、どうでも良くなっているかもしれない。
「さて、それじゃあミチオ。 潜入捜査は任せるわよ? これだけ混乱させれば仕事はスムーズに済むでしょうから抜からないでね?」
「・・・鬼か君は・・・」
「鬼じゃないわよ」
仕事の為とは言え、一個の会社を手玉に取るような事をして平然としている祈様。
「私は神よ」
戦闘技術だけでなく、こんな所も恐ろしい神様だ。
僕はそんな神の支援を受けて、潜入二日目を開始するのだった。
【聖夜に銃声を 9月6日(1)「借金3000万」終わり 9月6日(2)につづく】