9月4日(6)「少女死闘中」
小学校に居る私こと汐留 祈はお昼休み中だった。
給食を食べるのは1ヶ月振りだったが、食事のバランスを考えて作られているとしても、楽しみの一つなのは変わりなかった。
だけど、そんな事を言ってられない状況がやってきてしまった。
「・・・誰よ! 給食に茶碗蒸しなんて希望出したヤツはぁっ!」
一週間に一度、生徒の希望の食事が一品追加されたりするのだが、今回のその「茶碗蒸し」がそれだったようだった。
チョイスが渋いとか、そういう問題では無い。 それに、私は別に茶碗蒸しが嫌いというわけでは無い。
ただ・・・その中に潜む悪魔の実の存在が私を苛立たせた。
その悪魔の名前は「銀杏」。
あのイチョウの臭い実だ。
茶碗蒸し自体は好きなのに、ソイツが入っていると分かったら、スプーンを入れる手が止まってしまう。 この茶碗蒸し全体に、銀杏のエキスが染みているかと思うと・・・。
昔、母が嬉しそうにこの悪魔の実を拾って調理したのだが、多分、それが原因だろう。
あの吐きそうな匂いと言ったら・・・。
日本中の銀杏の木を燃やし尽くしたい衝動に駆られながら、私は茶碗蒸しを脇に寄せ、他の物を食べ始めた。
「あれ〜? いのりんちゃわん蒸しきらいなのぉ? だめだよ〜ちゃんと食べないとおおきくならないんだよ?」
友達のシズが、それ目敏く見つけて注意してくる。
食べたって私は大きくならないし、大きくなっちゃ困るんだけど・・・。
大きくなると私の中の「ミノリ」が現れてしまう。
そうなると、私は私の自我と、大事な物を失ってしまう事になる。
それだけは・・・絶対に避けたい。
それがいくら飢えていた経験があるとしても、だ。
人の好き嫌いというのは総じてそんなものだろう。
「ちゃわん蒸しに入ってるギンナンって、あのさんかくの可愛い葉っぱの木に生ってる実だよね〜。 あの黄色いのが落ちてる道路とかって黄色いじゅうたんみたいでとっても綺麗で私大好きだなぁ〜♪ ほら、駅前にあるよね〜」
「ん。 駅前の銀杏並木通りの事ね。 ・・・見る分には確かに綺麗ではあるわね」
駅前にイチョウが植えられている並木通りがあるのだが、今頃からの季節になると、落葉してシズの言うような黄色い絨毯が現れる。 その通りには、確か恥ずかしい名前が付いていた様な・・・。
・・・思い出した。
イエローワンダーストリートだ。
その通りの丁度中央辺りに木で出来た看板があり、そこに「黄色とオレンジの優しく素敵な時間をあなたに・・・」と書かれてある。
多分考えた者は頭が花畑なのだろう。
「じゃあ、ハイ♪」
「え・・・」
シズは笑顔のまま脇に退けた私の茶碗蒸しを、私の目の前に置いた。
そして無邪気な笑顔はそのままに「死の宣告」を告げてくる。
「食 べ て♪」
私の頭の中でその言葉が「死 ん で♪」に変換されたとしても、それは仕方無い。
私は表情に出さないまま先程授業で見た映画の事を思い出した。
この状況は先程の映画の中でおじいさんが語っていた「自決」のようなものではないか?
私はスプーンが銀色に輝くナイフのように思えてきてしまった。
「・・・・・・」
脂汗を流しながらシズの顔を盗み見る。
純粋な瞳で私を見つめてくるシズ。
・・・・・・・・・・・・・・・
さて、ここでシミュレートしてみよう。
もし、私がこのまま食べなかったとすると・・・
「いのりん・・・。 いのりんのいくじなしっ! お百姓さんが作ったものをちゃんと食べないとおばけにさらわれるんだよぉ! そんなの私やだぁ〜〜!」
と泣き出されてしまうかもしれない。
それは出来れば回避したい状況だった。 私はシズに嫌われるつもりは無い。
では・・・食べたら?
デットアライブ。
大袈裟でもなんでも無く、生きるか死ぬかだ。
私はもう一度シズの顔を覗き見て、その笑顔に変化が無い事を確認する。
そして、スプーンを茶碗蒸しの黄色い表面に差し込んだ。
敵は・・・1・・・・・2・・・・・・3・・・。
なんと3個もの凶悪な実が内包されていた。
それが1個でも私にとっては最悪なのに・・・。
正に到死量だった。
だけど・・・私は神だ。 こんな木の実一個や二個に負けるわけにはいかない!
弱点の一つも克服出来ないでは、絶対神になどなれない!
大丈夫。
私は強い。
私は負けない。
私は挫けない。
私は私の尊厳を守る。
私は・・・神よ!
「なぁ・・・」
気合十分にいざ征服に掛かろうとした瞬間、私は声を掛けられた。
それはシズの幼馴染の男の子のヨウ君だった。
「なんか知らね〜けど、嫌いなら、おれが食べてやろうか?」
その台詞を聞いた瞬間、私はヨウ君を抱きしめてキスしたい衝動に駆られそうになったが、相手はシズの幼馴染でシズが好きな男の子―本人は言わないが、分かる―だ。
そんな事をしたら明日から口を聞いて貰えなくなってしまう。
だから、その代わりに慢心の笑顔で茶碗蒸しの容器をヨウ君に渡そうと思った。
だが、横目でシズを見ると、少し泣きそうな顔になっている。
・・・・・・
そういえば、私一度スプーンを入れちゃったから・・・間接キスになっちゃうのね。
そんな裏切り行為をしそうになった自分に活を入れて、ヨウ君に言った。
「その申し出は断るわ。 ありがとう、私は大丈夫よ」
その宣言をした私に、ヨウ君は少し驚いていたが、すぐに納得したように頷いて、立ち上がった。
何かと思って見ていると、ヨウ君は教室中に聞こえるような大きな声で叫んだ。
「皆〜〜! 今から汐留のヤツが嫌いな茶碗蒸しを食べるぞぉ! 皆も応援してやってくれっ!」
「はぁっ!? 何恥ずかしい事言ってるのよアンタはっ!?」
思わず私も叫んでしまったが、ヨウ君の言葉に教室中の皆の視線を一身に浴びてしまう。
「おぉ〜! 汐留〜がんばれぇ〜!」
「いのりちゃ〜ん♪ ふぁいと〜!」
「いっちゃえいのり〜ん! そんなヤツぶっとばしてやれ〜!」
「ふれ〜ふれ〜い〜の〜り〜ん!」
「大丈夫〜祈さんなら出来るよ〜!」
「いのいのれでぃ〜ふぁいっ!」
「いのっち〜あいしてる〜〜!」
は・・・恥ずかしい・・・。
ヨウ君がクラスで人気者だった事もあり、皆は盛り上がってしまっていた。
騒動の張本人のシズもそれを見て嬉しそうにしていた。
引くに引けない状況・・・。
助けてミチオ・・・・・。
いや・・・助けを求めるなんて事の方が間違っている。
これは私の戦いだから。
私は戦う・・・
そして勝つ!
私は一度目を閉じて精神を集中させる。
落ち着け・・・大丈夫。
私は大丈夫だから・・・。
勝つ。 勝って・・・私は幸せを手に入れる!
「汐留 祈・・・・・・私は今から修羅となる! 修羅道とは・・・・・・」
カッ!と私の目が見開かれた。
「死ぬ事と見つけたりぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
『わあああぁぁ〜〜〜♪』
ちょっと間違えた台詞と共に一気に茶碗蒸しを掻き込む。
悪魔の実はその勢いで1個、また1個と口の中に進入する。
「!?」
その瞬間に地獄の味わいが口の中に広がっていく。
マズイ! このままだと・・・・・・・
吐く!
それだけは出来ない。
「頑張れ汐留! ここで負けるお前じゃないだろっ!」
昔雌雄を決したヨウ君が私を励ます。
そうだ。 負けるわけには行かない。
女として
人として
神として
汐留 祈として!
ゴクンと一気に悪魔達を飲み込む。
口の中に残留しているエキスが気分を最悪にさせるが、まだ終わりじゃない。
「ヤツ」は後1個残っている。
すでに満身創痍だったが、ここで終わるわけにはいかない!
だけど・・・私もそろそろ限界・・・
ミノリ・・・今だけでいいから力を貸して!
「・・・アホじゃないの?」
そんな声が頭の中で響いた気がする。
ただ、それがトリガーとなったように私はスプーンを最後の敵に向かって突きつけた。
そして・・・
ぱくり。
もごもごもご・・・。
ゴクン。
私の喉が鳴る音と共に教室中は静まり返った。
・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
私は皆に見えるようにサムズアップした。
「敵将 銀杏! 討ち取ったりぃぃぃぃぃぃぃ!!」
『わぁーーーーーーーーー!!!』
歓声が上がる。
やった・・・。
私はやり遂げたんだ!
ありがとう皆。 ありがとうヨウ君、シズ。
ありがとうミノリ。そしてミチオ。
皆・・・皆ありがとう!
「やったぁ♪ いのりん流石だよぉ♪ かっこよかったよぉ〜♪」
シズが感極まって私に抱きついてきた。
そんなシズを私はとても清々しい気持ちで抱きしめ返した。
「ありがとう。 シズが機会を与えてくれたおかげで私は完璧になったわ」
そう。 もう私には弱点など無い。
誰にも負ける事など無い。
そんな機会を与えてくれた学校、そしてシズ。
なんと素晴らしいのだろう。
ふと、教台を見ると、担任の教師がそんな私達を見て涙を流していた。
「うんうん。 青春だなぁ・・・」
教室がこんな騒ぎになっているのにも関わらず止めに入らなかった先生。
そんな先生にも感謝したいと思う。 やっぱりこの担任は良い人だ。
「あ、ありがとう先生! 私、一つ成長することが出来ました!」
人に礼を言う等というのは私にとってあまり無いのだが、その時は本心からお礼を言いたい気分だった。
それに先生もハンカチで涙を拭きながら呟いた。
・・・・・・・・・・
それが、ただの祝辞だったら良かったのだが・・・。
「うんうん。 よかったよかった。 汐留が銀杏嫌いだったのは知っていたよ。 それで今回給食のおばちゃんに頼んでみたんだが・・・先生は感動したっ! おめでとう!」
ピキッ・・・
私の中で何かが音を立てて壊れたような気がした。
ゆらりと視界が揺れる。
なんだ。
そうか・・・
そうだったのか。
今回の事は・・・
「お前の仕業かあああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」
「ほぎょええええええ!!?」
再び教室の中は騒然としだす。
血の涙を流しながら突貫する私と、それをで恐怖に震える顔で逃げ惑う先生。
もちろん逃がしはしない。
これは私を苦しめた報いだ。
報いは受けてもらう!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして今日も小学校の一日は平和に終わるのだった。
【聖夜に銃声を 9月4日(6) 「少女死闘中」終わり (7)に続く】