魔法使いの力
フルムは気付いたら屋敷の外に出ていた。
周りは木々に囲まれ、木の間から屋敷が見える。
結構な距離を走ったようで、屋敷は霞んで見えた。
これじゃあまるで脱走したみたいだなと思い、足を止める。
アークに見つかったら怒られてしまうだろうか?
「怒られないさ」
「っ!? 誰!?」
「誰だと言われれば、あの人形のお仲間かな」
声のした方に振り向くと、そこには仮面をつけたローブ姿の何かがいた。
人のようで人では無い。
アークに似ているけど、アークより気配はもっと薄かった。
「……アークの知り合い?」
「そうさ。あいつが嫁を貰ったなんて噂を聞いて、一目見たくなったのさ」
仮面の下から表情はうかがえない。
けれど、どこか楽しそうな声に聞こえる。
「俺は死霊術士でね。霊体の研究をしているのさ。同じく霊体を人形に憑依させるアークとは古くからの知り合いなんだよ」
「そうですか。えっと、アークは家にいますよ」
「ほぉ、旦那を置いて君はこれからどうするつもりだったんだい?」
旦那になったつもりはまだないとは言えず、フルムはちょっとお散歩に出かけるつもりだと答えた。
すると、仮面の男はより一層嬉しそうな声になる。
「そうかそうか。それじゃあ、奥方へ先にちょっとした贈り物だ」
そう言って、仮面の男がフルムの額に触れる。
一瞬の目眩がフルムを襲う。
立ちくらみまで起きて、たまらず膝をつくと――。
「フルム、どうしたの? そんなところでうずくまって」
「……お母さん?」
フルムの母親の声がした。いや、母親だけじゃなかった。顔をあげれば父親もそこにいた。
「どうした? 悲しそうな顔をして。また誰かが死んでしまう夢を見たのかい?」
「……お父さん?」
「大丈夫だよフルム。お前の目は死なんて映さない。たまたまなんだ」
そういって父親は優しく微笑んでいる。
二人の顔は自分を殺そうとした時よりずっと前の、フルムがまだ幼かった時にみた幸せそうな顔をしていた。
不思議に思ったフルムも自分自身を見てみると、手足が縮んでいた。
どうやら、幼い頃の夢を見ている。そうフルムは思った。
見た目だけじゃ無くて、父も母の言葉もフルムの力に肯定的だったから。
「人の最期がもし本当に分かるのなら、きっとそれは神様が人助けをしなさいってフルムにあげた力だよ」
いつだったから力に苦しんでいる時、両親にかけてもらった言葉。
けれど、その言葉通りにはならなかった。その力でフルムは一人も救えず、かわりに多くの人を死に追いやったと思っていたのだから。
「でも、もしフルムがその目をいらないって言うのなら、お母さんたちが良い人を紹介してあげるわ」
「あぁ、腕の良い魔法使いがいるんだ。その目を治してくれるって」
腕の良い魔法使いという言葉を聞いて、フルムの頭に誰かの顔がよぎる。
「誰……だったっけ?」
死眼を持つ自分を拾ってくれる変わり者の名前は――。
「その目が治ったら、村のみんなとまた仲良く出来るわ」
「そうだ。ずっとこの村でみんなと楽しく幸せに暮らせるぞ」
この目をどうにかすることが出来れば、確かに未来は大きく変わると思う。
不幸な目にあわず、普通の人みたいに幸せな生活が待っているかもしれない。
それでもフルムは何かにずっと心が引っかかっていた。
「私の眼はこのままでいいよ……」
「その眼があると、辛い事がいっぱいあるのよ?」
「知ってる」
「ならなんで?」
「私はあの人に明日と居場所を貰った。みんなが私を遠ざける中、私を家族に……お嫁さんにするなんて言ってくれた。なら、あの人が私をいらないって言って捨てるまで、あの人と一緒にいたい」
フルム!
誰かがフルムを呼ぶ声がする。
「ちっ、面倒なことになったわね」
「後少しだったと思ったんだけどなぁ」
母親と父親の身体がぐにゃりと歪む。
すると、幼い頃に見た憧憬もパリンという音とともに砕け散った。
かわりに現れたのは――。
「アーク……さん? あれ? 私は……」
「死霊に取り憑かれていた。危うく身体を乗っ取られるところだったぞ」
その言葉に心当たりがあった。
あのまま両親の手を握り、腕の良い魔法使いに会っていたら、きっとそうなったのだろう。
「仮面死霊、実体を持たない悪霊が仮面を通じて現世に作用する魔物だ。人や動物にとりついて身体を奪う性質を持つ。実体を持たないから、人に取り付く前に魔法で排除しないといけないんだ」
「ハハハ、魔物扱いとは心外だな。人形憑き。貴様とて似たようなものだろう。その死眼を手に入れて、好きな肉体を乗っ取り、魂を奪い、より高度の霊体になるのだろう?」
「そんなものに興味は無い。ただ、今の俺にはハッキリした目的がある。フルムを狙ったお前を絶対に許さない」
アークの身体から何か黒い霧が漏れている。
その霧は骸骨の腕みたいな形になると、霊体であるはずの仮面死霊を捕まえた。
死霊を捕まえるアークの姿は死霊よりもよっぽど死霊に見えた。
死に神と呼ばれたフルムですら、自分よりよっぽどアークの方が死に神に見えた。
「お、おい、そいつを引っ込めろ! 待てよ! ただの冗談だろうが! おい! 俺たちは同じ霊体の仲間だろ!?」
「その魂、砕き、引き裂き、我が糧となれ」
アークの黒い骨の腕が死霊の身体を引き裂き、千切り、影の中に取り込んでいく。
その様子は荒々しく獲物を食らう獣に見えた。
そして、最期の欠片を捕食された死霊は耳をつんざくような叫び声をあげ、苦しみながら消える。
「あの……アークさん……」
怒られる。フルムはそう覚悟してアークの名前を呼んだ。
無断脱走に、厄介な死霊を呼んでしまったあげく、アークに手間をかけさせた。
いくらアーク相手でもこんなに罪を重ねたら――。
「すまなかった。ちゃんとフルムが狙われていることを説明すべきだったな」
「……怒らないんですか?」
「フルムが無事だったことを知ったら、どうでもよくなった。無事でいてくれて良かった」
アークはそういうと、フルムに近寄って手を伸ばしてくるが、ハッとした顔になって木の陰に隠れた。
「アークさん?」
「その……怖がらせてしまったよな? この姿は出来れば見せたくなかったのだが……」
アークの躊躇いがちな言葉に、フルムはフルフルと首を横に振る。
「怖くなかったですよ」
「そうなのか?」
「はい。ちっとも。ほら、怖くないです」
フルムはそういうと、いまだに身体から骨の影が立ち上っているアークに、背中からそっと抱きついた。
魂を引き裂いた腕に触れられても怖くないのは、きっとあの日から私の心が壊れたから。自分も死に神になってしまったからだと思う。
そんな後ろ向きな気持ちを悟られないように、フルムはアークに抱きつく腕に力を込めた。
こうして密着していると、アークの身体は酷く強ばっているようにも感じた。
けれど、少し暖かくて、そのまま身体を埋めていたいような気持ちに駆られる。
「そうか。それは良かった」
「教えて貰って良いですか? 私、これからどうすれば良いか?」
「あぁ、それじゃあ、買い物しながらゆっくり話そう」
「はい。ついていきます。どこまでも」
あなたがその手を離すまで。
繋いだアークの手を見つめて、フルムはそう心の中で呟いた。