夜道の女
「すっかり遅くなったなぁ……」
暗い夜道を、1人の高校生が歩いている。格好からして塾帰りだろうか。表情には疲れが見え、足取りも重くなっている。
「早く帰らないと……この辺には最近変なヤツが出るって言うし……」
良くない噂を思い出し、彼は足取りを早める。別に噂を信じている訳ではないが、自分がその標的の条件にカッチリ当て嵌まってるとなるとどうしても早足になってしまった。
そして、10分程歩いて帰りの電車が出る駅までもう少しと言うその時。
「ねぇ、君」
不意に自分に向けて、声が掛けられた。
「えっ?」
振り返った先にいたのは、かなり整った顔立ちの1人の少女。自分と同じ高校生位だろうか、この辺りでは見ない制服を着て背中には少し長めの棒の様な物を背負っている。
更に目立つのはその首だ。包帯が顎の下から首と胴の付け根の辺りまで巻かれている。正直かなり痛々しいし、異様な感じだ。
「『◯×教会』って知ってる? ちょっと道を教えて欲しいんだけど……」
「!」
少女の問いに、彼の背に寒気が奔る。嘘だと思っていた事が真になったから。この辺りで最近話題になっている、半ば怪談じみた噂と同じ状況に直面したから。
――――『包帯女』。
その噂の内容はこうだ。夜道を中学生や高校生の男子が1人で歩いていると、不意に中学生か高校生位の女の子が後ろから声を掛けて来て道を聞いて来ると言う。その首には必ず痛々しい位に包帯が確り巻かれ、背中には少し長めの棒の様な物を背負っているらしい。
そして聞いて来るのは大抵『病院』や『霊園』、それに『教会』と言った場所。それもあまり有名でない物ばかりを選んだかの様に問うて来るらしい。間違い無く夜中に、それも女の子が1人で行く様な場所ではない。
これだけでも不気味だが、問題はその後だ。彼女の聞いて来る質問には、必ず『知っている』と答えなくてはいけないらしい。もし万が一知らないと答えた場合、答えた人は彼女に因って何処かへ連れ去られてしまうのである。断言しているのは実際に彼のいる学校でも行方不明者が出ており、その生徒は『何を聞かれても知らないと言ってやる』と堂々と言っていたからだ。
「し、知ってるけど……」
そんな風にはなりたくない。だから彼は、『正解』に辿り着ける様にそう答えた。すると少女はニコリと笑って
「じゃあ、道を教えてくれる?」
(来た……!)
そう、噂の通りに次の質問をして来た。
(確か○×教会は……)
記憶の中から情報を引き摺り出して、必死に答えを捻り出す。これで正解すれば彼女は去って、何事も無く家に帰れるから。その一心で彼は疲れた頭をフル稼働させた。
「ええと……この道を真っ直ぐ行って、突き当たりを左に曲がると坂があるからそれを登って。暫く登って行ったら今度は三つの分かれ道があるから、その真ん中を――――!」
其処まで言った時、彼は失敗に気付いた。そう、焦るあまり道順の説明を間違えてしまったのだ。本当は分かれ道を『左に』曲がらなければならないのに。つい先日用事があって真ん中に行ったのとごっちゃになってしまったのである。
「……マチガエタネ?」
「ひっ……!?」
瞬間、目の前の女の顔がニタァと不気味な笑みを浮かべる。待ってましたと言わんばかりに。この瞬間を楽しみにしていたと言わんばかりに。
同時に女は、背中に背負っていた棒に手を掛ける。そしてそれを包んでいた紫の布をスルリと取り払う。
「け、剣!?」
其処にあったのは、一振りの剣。ファンタジーものの作品なんかで甲冑に身を包んだ騎士が振っている様な代物と言えば分かるだろうか。一瞬レプリカとも思ったが剣からは異様な何かが漂っており、模造刀や玩具の類で無い事は明らかだった。
「道を間違えた子には、罰を与えないとねぇ……」
「うわあああ! だ、誰か!」
剣を振り上げる女に恐怖を感じ、彼は必死に逃げる。少し歩けば駅だし交番だってある。そうすればこの女からだって逃げられる。僅かな希望に望みを託して、彼は必死に走った。
だが
(何で!? 何で駅に着かないんだよ!?)
残り数十メートル。ほんの何秒かのハズなのに幾ら走っても駅も交番も見えなかった。どころか明かりの1つも見えない。幾ら遅いとは言えまだ22時、駅の明かりが消える訳も無いのに……
「無駄よ……私から逃げようたってそうは行かない……」
「! あ、ああ……」
背後からの声と肩を掴む冷たい手の感触に振り返ると、其処にはあの女が。手に握られた剣は不気味な紫色の光を放っており、それが勢い良く自分に振り下ろされるのが月明かりに照らされてハッキリと見えた。
「――――あッ!」
鋭い痛みが身体に奔り、思わず目を閉じる高校生。だがおかしな事に、何時まで経っても死ぬ気配は無かった。不審に思い目を開けると
「あれ……?」
女は何処にもいなくなっていた。先程までの冷たい手の感触や今さっきの斬られた感覚は確かに残っているのに、気配の1つも感じられなくなっていた。
(如何言う、事なんだ……?)
服を確認してみるが、其処にも斬った跡は無かった。あんな風に斬られたら、間違い無く大きな斬り傷が出来るハズなのに……。
(疲れてたのかな……まぁ良いや、早く帰ろう)
分からない事だらけだが、兎に角自分は助かった様だ。そう思って、また駅まで歩こうと立ち上がった。
その瞬間だった。
「うっ!?」
心臓が、急にドクンと強く鳴った。同時に息が苦しくなって来た。
「あっ、ああっ……!?」
見ると、自分の背が少しだが伸びていた。しかも、異変はそれだけではない。
「うわっ!」
不意に髪が勢い良く伸び始める。しかもそれは癖の強い自分の毛とは違う、艶のある綺麗な黒髪。そう、まるで女の髪の様な……
「い、一体……うぐっ!?」
更に異変は続く。着ていた服を押し上げ引き千切ろうとするかの様に、胸が見る見る膨らみ服がきつくなって行ったのだ。しかも空気ではなく、其処には確かな質感と重さがあった。
「く、苦し……?」
悲鳴を上げる服と成長しようとする胸の両方に苦しめられ、呻こうとする彼。そんな彼の前で更なる異変が起こり始めた。着ていた服が見る見る純白になったかと思うと、胸の辺りに段々と余裕が出来て来ていた。しかも其処には胸を支える感覚も……
(これ……まさかブラジャー!?)
「あ、や……止め……」
漸く自分がどうなるのかを察した彼は、変化が止まってくれる様願う。だがそれを発する声の変化が無慈悲にもそれが叶わぬ願いだと彼を嘲笑う。
そうこうしている間にもズボンの両脚がくっつき、穴が1つに。そしてベルトが消え、形を変えたシャツと一体化する。更に一体化した服に合わせ、彼の体型も変わって行った。
インドア派とは言えそれなりにあった筋肉が無くなり撫で肩に。肌は白くきめ細かく。胸は益々膨らみ尻も大きくなって行く。
股にあった慣れた感覚は消え失せ、腕や脚は細くなる。顔も男らしいそれから少女の――――いや女の顔へと変わって行く。そして細くなった腕や脚には手袋とストッキングが、顔にはマスカラや口紅等が着けられた。
「そ、そんな……」
呆然とする彼の手には何時の間にか綺麗な花を纏めたブーケが、そして髪の毛も纏められヴェールが被せられていた。最早その姿は、誰が見ても花嫁と分かる物になっていた。
「わ、私花嫁さんに……私? な、何で私自分の事を私なんて……」
自分の口調が自然に女性の物になっている事に気付き、戸惑う男子高校生。だが直そうと思うと強烈な違和感が奔り、自然と仕草共々女性の物になってしまっていた。
「こ、これからどうすれば良いの……?」
記憶だけは確かに男子高校生だった時の物だ。でも姿は女性の物だしそれに合わせた行動でないと違和感を感じてしまう。
途方に暮れてその場に立ち尽くした彼――――もとい彼女がその後どうなったかは、誰も知らない……