エピローグ
その後、『仮面の君』騒動の経過を見定めているさなか、ササンが想像していたよりもずっと早く、エリズがサヴァーを発つ日が来た。
エリズは、パルテアと二人きりで話す機会も幾度かあり、いろいろと考えるところがあったようだが、結局一人であちこち見て回ることにしたのだという。
よく晴れたその日、パルテア、ササン、クーシュの三人は、エリズを船着き場まで見送りに来ていた。例によってミフラはどこへ行ってしまったのかわからない。
強く日が照り、あたりには水鳥の鳴き声や、行き交う人々の足音が騒がしく響いていた。
「いやはや、決断が早すぎますよエリズさん」
「まったくだわ」
「ニャ~」
クーシュは何を言いたいのかよくわからないが、残念がってはいるようだった。
パルテアとササンは当初知らなかったのだが、クーシュとエリズは、クーシュがミニコミ誌を図書館に寄贈に行って以来、付き合いがあったらしい。
「クーシュ、これを」
エリズは衣嚢から封書を取り出し、クーシュに渡した。
「図書館長への紹介状よ。きっとパルテアはまたどこか行っちゃうから、そのときのために次の職場を確保しておかないとね」
「ニャウ~。ありがとですニャー」
クーシュは軽やかにジャンプしてエリズに抱きついた。
エリズは困ったような顔をしてクーシュを受けとめ、少し撫でてから下ろした。
「人を根無し草みたいに言わないでよ」
パルテアは不満げな顔で言う。
「あら、違ったの?」
「……まあ、どっか行く予定だけどさ」
「でしょう」
エリズはそう言ってわずかに口元をほころばせた。
パルテアは、ミフラとの約束により遠からずサヴァーを離れることについては、エリズに伝えていない。が、エリズからすれば、パルテアが一つ所に留まるわけがないのは常識といえた。
「ほっつき歩くのはわたしの仕事だと思ってたのに」
パルテアは爪先で地面を蹴った。
「帰る場所は、自分で作るものよ」
「ふん。生意気言っちゃって」
パルテアは恥じるように視線をそらした。
「どこか旅先で逢うこともあるでしょう」
「……そうかもね。あなたとわたしの幸運を祈るわ」
パルテアとエリズは、どちらからともなく手を差し出し、固く握手した。
「で、ササン君はパルテアについて行くんでしょう?」
「ご、ご慧眼で」
「パルテアをよろしく」
「どちらかといえばよろしくされたいです」
ササンが軽口を叩くと、エリズはササンにぐっと顔を近づけて、
「ばかね」
と言って微笑んだ。
それは確かな笑顔だった。
もったいないと思ったけれど、ササンはそれを写真に撮らなかった。
それからエリズは、大きな旅行鞄を抱え、船に乗り、一度も振り返ることなく行ってしまった。
船の警笛だけが、見送った者たちに届いた。
「まったくもう。別れ際まで素っ気ないんだから」
少し震えたような声だった。
「パルちゃんさん、泣いてもいいですニャ」
「うっさいうっさい。どうせそのうちわたしも出て行くんだからね!」
「泣き顔は撮ってませんでしたね。ではここでひとつ」
「うっせーうっせー。ほらほらっ仕事に戻るよ!」
振り切るようにしてパルテアは船に背を向けた。そして思う。
世界は広くて深い。わたしも旅に出れば、二度とエリズに逢うことはないかもしれない。
ならば、このままサヴァーで待っているべきだろうか?
いや、そんなこと、わたしにはできそうにない。たとえ局長との約束を反故にしたとしても、書きかけのサヴァー文化論がひととおり終われば、わたしはきっと、ふいっとどこかへ行っちゃうに違いない。
それはどうしようもなくそうなのだ。
風が吹いたら、わたしの心は勝手に帆を張って、どこへとなりと飛んでいってしまう。
淋しいけれど、心細いけれど、それはきっとそうなのだ。
「…………ササン君」
パルテアは早足で歩きつつ、ササンのほうをちらと見て、また前を向き、聞こえてなくてもいいやと思いながら、言った。
「ちゃんとついてこれるんでしょうね」
「愚問です」
ササンもパルテアのほうを見ずに言った。
その視線の交わらなさが嬉しくて、地面を踏みしめる足に力がこもった。




