雑誌『眼鏡譚』記事3
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古の昔から目は身体の窓といわれ、目を通してその人の魂、感情、真意が露わになるとされてきた。
目には自分の最も深いところの心が宿るのであって、そこには自分の、自分だけの真実が表れてしまう。奥底に潜む自分の姿をすべてさらけ出してしまうのは恐ろしいことだ。それゆえに、人はそれを隠そうとする。色のついたレンズによって自らの視線を隠し、思想を隠すのである。メガネは視力の不足を補うだけのものではない。仮面の隠喩でもあるのだ。
しかし仮面は、ただ隠すためだけに機能するのではなく、例えば恋の駆け引き、すなわち誰かを誘惑をするのにも役に立つ。鮮やかな赤色や黒色の仮面を白い肌に合わせたらどうであろう。肌の色がより引き立ち、魅力を際立たせるに違いない。そのような誘惑の手段としての仮面は、「変身」をも意味する。仮面は人の本当の顔を判別できなくし、仮面という外観がその人自身であるかのごとく振る舞い始める。
ご存じのとおり、サヴァーの祭りでは、目の部分に緑色のレンズが嵌め込まれた仮面が定番の衣装となっている。それはいわば、メガネと仮面が一体となった衣装だ。ひとたび仮面を身に付けたならば、祭りは変身の場となり、外面が内面に取って代わる転換の場となる。臆病な本心は隠匿され、大胆な誘惑も可能となる。
先に、緑色とは若さや生命、癒しを表す色であると紹介したが、実はそれだけではない。緑色は無秩序、放縦をも意味しているのである。野放図に伸びる雑草の姿を思い浮かべてほしい。
サヴァーの祭りにおいては、その喧騒に紛れ、仮面とともに数々の放埓が為されてきたわけであるが、近頃『仮面の君』なる者が現れ、巷を騒がせており…………
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――『眼鏡譚』記事より抜粋。




