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無力

 アクセスありがとうございます。

 投稿おくれてすいません。今後は三日おきくらいには投稿していきます。

 「ねぇ朝日奈」

 と、ぼくは尋ねた。

 ある秋の日の下校中。夕焼け空の下を新品同然の純白の自転車を押して進みながら、朝日奈はいつもどおりの柔和な笑みでこちらを振り向いた。人を安心させるさわやかなその表情は、根暗なぼくにはとうてい真似できそうにはない。

 「飛行機を作った兄弟って、何兄弟だったっけ?」 

 その発言にこれといった意味はない。ただ、最近になってさらに綺麗なった朝日奈との距離を測りかねた挙句、何か喋ろうとようやく口を付いただけの疑問だった。

 「……カラマーゾフの兄弟?」

 「朝日奈。それ違う。それはドフトエフスキー」

 「どふろとえふすきー? 何それ」

 「……君って成績優秀だったはずだよね?」

 「そうかな? それほどでもないと思うけど……でもカラマーゾフの兄弟の発明品が、そのどふとえふすきーっていう奴なのは知らなかったわ」

 「そうだね。そんな事実は存在しないから、そりゃ知りようがなかったとぼくは思うよ」

 ぼくは苦笑した。

 「ドフトエフスキーは作家だよ。カラマーゾフの兄弟は彼の作品の登場人物で、飛行機は作っていない」

 「あらそう。違ったのね。……じゃぁファーブル兄弟だったかしら?」

 「ファーブルは昆虫学者だよ……小学生の時にぼくに薦めたじゃないか、ファーブル昆虫記」

 「記憶にないわね。……でもそういえば、読書感想文を書く本を読むのが面倒だったから、代わりにイナイ君に読んでもらった記憶があるかな。それかしら」

 それを聞いてぼくはかわいた笑い声をあげた。当時クラスメイトからいじめられて強い敗北感に支配されていたぼくは、あの図書に結構な勇気をもらった覚えがある。興奮したぼくが必死に語った本の感想を丁寧に聞いてもくれて、当時のぼくは本当に感謝していたんだぞ……っ。

 「確かあれの感想文、銀賞を受賞してトロフィもらったんだっけ? イナイくんのお陰ね」

 朝日奈は無邪気に笑ってそう答えた。

 「……そうだね。実際に内容を読んでもいないのに表彰台に上れた君の文章力を、ぼくは評価せざるを得ないよ……」

 「そういわれると照れちゃうなぁ。イナイくんもがんばるんだぞ。せっかく欠席日数成績で帳消しにして進学校に入ったっていうのに、また遅刻ばっかりじゃ先生怒っちゃうよ」

 そんな風に言い聞かせる彼女はできの悪い弟を相手にするかのようで、それがぼくにはどうも気に食わなかった。ドフトエフスキーを知らない、イカサマで賞を取る、そんな女だがぼくがこいつに適ったことは一度もない。今も夕焼けで火照った柔和な笑みを向ける朝日奈に、ぼくはどぎまぎして何も言えないでいた。

 「……そうだね」

 ぼくはそっぽを向いた。

 「がんばるよ。……極力……」

 そういうと、朝日奈は心配げに眉を顰める。

 「誤魔化してばっかり。良いわ、明日からあたしがイナイくんを起こしにいったげる」

 「……三日坊主だと思うよ。君、前にそれやろうとして妙な早朝に目覚ましかけて、それで二度眠して遅刻してたじゃないか」

 ぼくが言うと、朝日奈はぶりぶり怒って頬を膨らませる。仕草の一つ一つが人懐っこい奴だと思いながら、ぼくはどぎまぎと距離を測るのだった。

 彼女がナイフを振りかざして襲ってきたのは、その翌日の話である。


 暗い天井だった。

 脇においてある時計を見やると、現在時刻は八時三十分。またしても遅刻ぎりぎりの時間帯だ。

 今度こそかばえないから絶対に遅刻するな、などと朝日奈に念を押されていたことを思い出す。あの幼馴染にはいつも助けられてばっかりだ。こうなったら大急ぎで準備をしなければならないな、などと、ベッドを起き上がったところで違和感を覚えた。

 それは、ぼくの体にしがみつく柔らかい感触だった。細くしなやかなその感触はぼくのわき腹を捕まえて離さず、呆然としているともう一方の手がぼくの頭を締め付けて、ベッドに押さえつけた。誰かいる。

 「ちょ……っなんで」

 その場から離れようとするが、暖かい感触はぼくを捕まえて離さない。ぼくはその場でもがこうとして、やめた。中にいる人物が偉くおとなしかったからだ。眠っているような気配すらある。ぼくは意を決して固唾を飲み込み、恐る恐る布団をひっぺがして侵入者の姿を確認した。

 「可愛い女の子だと思った? 僕だよ」

 上半身裸の荒城が、ぼくの全身にしがみついていた。

 「う。う、うわぁーっ!」

 ぼくはただひたすらその場で暴れることしかできなかった。全身にまとわりついて来る荒城から逃げ惑い、足掻き、悶え、無様に絶叫をあげる。それでも荒城は艶っぽい表情を浮かべてこちらににじり寄ってくるだけだ。

 「く、くく来る! こっちに来る! ホモが襲ってくる! 母さーん、朝日奈―っ。うわーっ!」

 「違う違う。誤解しないでおくれよ」

 と、荒城は上半身裸でにこりと笑んだ。

 「僕の住む国じゃ、寝ている人を起こす時は布団の中に潜り込むのが作法でね。こうしないことは、相手に対して遠慮があるという意味になってしまうのさ」

 どこまで本当か分からない。それにしたって、どうして上半身裸である必要があるものか。それどころか、今の荒城は上半身裸どころか、腰に巻きつけたタオル一枚しか身に着けていないようなのだ。まさに男娼のような格好である。

 「何奴っ! 敵か?」

 鋭い怒声が響き渡ったかと思ったら、突如として部屋の襖が吹っ飛んだ。ぼくの悲鳴を聞きつけていきなり空中に出現したユウは、大きな斧を担いでいるとは思えない身のこなしでぼくの部屋の中央に着地すると、斧を担いでいない左手で腰のサーベルを抜き放ち、警戒するようにして騒ぎの元凶を睨み付けた。

 そこにはベッドで絡みあうぼくと荒城の姿があった。

 「………………はえ?」

 ユウは顔を真っ赤にしてその場でのけぞる。開いた口が塞がらないといった表情で、その場でわなわなと震え始める。誤解だ。これは絶対に誤解を受けている。

 「ちょちょちょっとユウ……これはその、違うんだ」

 ベッドを抜け出し、ぼくは弁明の為にユウに近付いた。ユウはその場で絶句して目をぐるぐる回すと

 「え、ええ。え。え。きゃ、きゃあ!」

 女の子そのものの悲鳴をあげて、ぼくの肩を跳ね飛ばすようにして部屋から飛び出した。

 ぼくは当然、その勢いに弾かれて部屋の畳の上に転がる。「悪魔がっ! 悪魔がいるわ!」言いながらどたばたと走り抜けるユウの足音がとどろいた。

 「彼女の国だと、同性愛は最大級に不潔なことだとされているからねぇ。そういう誤解をしたのなら、あの反応も無理もないさ。切り殺されなかっただけまだ良いと言える」

 言いながら、タオル一丁の荒城がその場を起き上がった。

 「あ、あんたの所為じゃないかっ!」

 「そうかな? 事情も訊かずに逃げるのが悪い。こんなことただの不慮の事故さ」

 「絶対わざとだ……わざとの癖に……」

 ぼくは肩を落として嘆息した。あれだけ毅然としていた女の子が真っ赤になって逃げ出すなんて、相当な醜態だと思われたのだろう。いやそれより誤解だ。この誤解、解けるものなのか? あの思い込みの強そうな子に……。

 「って。そうだ」

 ぼくは時計の方を見た。

 「もうこんな時間……支度を……って。あ……」

 そこで魯鈍なぼくは初めて気付く。中も外も薄闇。天井は暗い。今はもう夜の八時で、学校に行く必要はないし……それに……。

 「朝日奈……」

 改めてそのことを思い出し、ぼくは喉にドライアイスを落とし込まれたような、そんな息苦しさにもだえた。

 あまりにものんきすぎる勘違いだ。いくらなんでも、こんなに間抜けなことがあるはずがない。おそらくぼくは心のどこかでまだこの現実を受け入れていなくて、目が覚めればそこに元通りの世界があることを期待していたのだろう。

 「いやぁ。君、寝顔はとっても可愛いねぇ。食べちゃいそうだよ」

 そしてその期待は、背後のホモの所為ではかなく崩れ去ったのだ。

 「僕の国だと、同姓愛はむしろ高貴なことと推奨される傾向があるんだけど、こっちではどうなんだい?」

 「どうも何も。この国でどうかはともかく、ぼくが個人的に受け付けない」

 性愛なんて所詮は汚らわしいものでしかない。倒錯した関係なら尚更だ。

 「そりゃ残念だ」

 荒城は冗談めかして肩をすくめた。

 ぼくはそこで大きな溜息を吐き、ベッドに腰掛けて頭を抱えた。こいつらまだぼくの家に居ついていたのか。追い出せば良いのだろうか。そもそもこいつら何の為に内にいるのだろう。というかこいつの腰に巻きついているこのタオル、こいつの局部を触れているだろうこのタオル、それってぼくのなんだけどな。

 「いやしかし。そもそも僕はお風呂あがりなんだけど」

 勝手に風呂場を使われていたらしい。

 「『クリーク』の斧持ちにいてもらったら基本的には安全だからね。くつろがせてもらっていたのさ。休める時にはきっちりと休まないとね。話が終わってすぐに気絶するように眠った君みたいに」

 にやにやと荒城は言った。

 「いやぁ。あんな話を訊かされた後で、すぐに眠りについてしまう君の度胸には恐れ入ったよ。斧持ちは神妙な顔で『なんだこいつは。痴愚魯鈍の類なのか?』なんて言ってたね。眉を顰めて君の傍まで言ったと思ったら、何を思ったか寝顔を覗き込んだ挙句、布団をかけてやっていたんだから驚いた。てっきり何も言わずに首を切り落とすのかと思っていたからね。彼女は意外と面倒見の良い性格のようだ。君が母性をくすぐるタイプなのかもしれないけどね」

 「首を切り落とすって……」

 ぼくはあまり尋常ではない言い回しにたじろいた。

 「どうしてそんなことを」

 「ん? 当たり前じゃないのかい?」

 荒城はさもぼくがおかしなことを言っているかのような顔で

 「そもそも君、ぼくが布団に潜り込んだ時襲われたのかと思ったみたいだけど、ありゃ命を取りに来たんだとは思わなかったのか?」

 「いや、何を言ってるんだ」

 ぼくは眉を顰める。言っていることが分からない。そりゃ、目の前のこの男、何のためらいも無く人を殺しそうな雰囲気はあるが……それにしたって。

 「やれやれ。その暢気な性格だね。単に魯鈍なのかもしれないけれど、どっちにしてもうらやましいよ」

 荒城はそこで首を振るった。

 「君は、代理戦争における『エタジュール』代表選手だ。命を狙われる立場にあるんだぜ」

 「代理……戦争……」

 思い出した。

 そう言えばそんな話を訊かされた覚えがある。『イニーツィオ』という国の資源を取り合った六つの国が、それぞれ代表を一人送り込んで殺し合いをさせ、勝ったものがその資源を総取りするというやり取り。その舞台に選ばれたのがぼくたちの世界、『エタジュール』。そしてどういう訳か、その代表選手にこのぼく井内一馬が選ばれている……。

 「この僕だって本来君を狙う立場にあるんだ。幼馴染が君を殺しに来たのだって、あれは彼女が『ライン』の端末だったからさ。本体である『ライン』の代表選手はどこかで仲間を増やしているだろうが、今後あの手の襲撃は絶えないと思った方が良いよ」

 「いや、そんなばかな……」

 しかし考えてみればそれはそのとおりなのだ。良くも今までのんきに寝ていられたものだと思う。寝ていた間中、ぼくの命はこの目の前にいる荒城の指先一つで握られていたのだ。いや、今この瞬間もそうかもしれない。今すぐ荒城が本当に襲い掛かって来たら、ぼくはひとたまりもなく殺されるばかりだろう。ぞっとしない気持ちになった。

 「安心してよ。僕に君を殺す意思はない」

 ぼくが固唾を飲み込んでいると、荒城は察したようにそう言った。

 「君のように無防備な人間を見ているとね、殺せなくなるんだ。これは本当だ。戦う意思のない奴を殺すのは、どんなに戦争を経験したって難しいものなんだぜ? それができるのは『ライン』の端末と『ゾーオ』の木偶人形と、後は『エスキナ』の飢えた怪物くらいのものさ。そうでなくとも、僕には簡単に人を殺したりはできないよ」

 胡散臭さ溢れる口調だった。あんなにあっさり朝日奈を撃ち殺した癖に。

 「君を殺さないのには他にも理由があってね」

 けらけらと荒城は笑う。

 「僕と同盟を組んで欲しいんだよ。それでね、この世界で僕ら同盟が勝利する為の手助けをして欲しい。そしたら君のことを守ってあげるよ。簡単だよ」

 おそらくこれが本題だろう。荒城はまったく口調を変えることなく、冗談を口にするように言ってのけた。真剣に同盟を組む気なんて、微塵も思わせないような言い方である。

 「ど、同盟って……。何をさせられるんだよ、ぼく」

 胡散臭いものを感じて、ぼくはなるだけ動揺を悟られないようにそう応答した。こいつの口調は財産を全て奪い取る契約書にサインを求めるペテン師のそれに近しい。

 「そう警戒するなよ。僕は守ってやると言ったんだ」

 荒城はにこにこと笑う。そして艶っぽく顔を近付けて

 「いいじゃないか。一緒に風呂に入ったし、こうしてベッドで乳繰り合った仲だ。何もそう怯えることはないじゃないか。さっきも言っただろう? 君は少しは人と仲良くすることを覚えた方が良いって」 

 「こ、これはそういう問題じゃないだろう。同盟組むったって、そっちが何も説明しないんじゃ。……でも、どうせする気もないんだろう?」

 「そのとおりだよ。本当に愛らしいな、君は」

 荒城はにやりと笑う。

 「君を守ってあげる。これで十分条件じゃないのかい? 何せ、僕が君を守るということは、少なくとも、君が僕に殺されるということはなくなるんだから」

 キザったらしい声で荒城は流し目を送る。全て自分に任せておけと言いたげだが、この男は悪魔の選択を迫っているのだ。こんなに楽しそうに、従わなければ殺すと言える奴と、ぼくは同盟を結ばなければならない。

 「同盟……だったらさ」

 決死の覚悟で、ぼくは提案した。

 「そっちの条件は全部呑むよ。だからさ、一つだけこっちの言うこと訊いてくれ」

 「なんだい?」

 荒城は包容力のある笑みを浮かべる。しかしその裏で、不都合な要求があればはぐらかそうという気が満々なのは、いい加減分かったことだった。

 「神無を死なせるな。ぼくと一緒に、この子を追っ手から守ってくれ」

 そこで荒城は目をぱちくりとさせると、唇を尖らせてこう言った。

 「ねぇ君。それは本当に言っているのかい?」 

 荒城は少し呆れたようだった。

 「町で猫を拾ったのとは違うんだぜ? 故郷を追われた『邪神』に同情しているのなら、そりゃ君が単にお人よしだというだけさ」

 「あの子をそんな風に言うのはやめろ」

 ぼくは真剣に荒城の方を見据える。荒城は困ったような顔を続けるばかり。これもポーズだろう。おろおろと情けない眉の顰め方だったが、美貌を持つ荒城がすると目もくらむようにもどかしかった。

 「あの子はぼくを助けてくれたんだ。朝日奈にぼくは二度も殺されて、そのたびあの子が助けてくれた。最後の最後、殺されそうになっているぼくの前に出て、朝日奈に飛び込んで守ってくれた。ぼくの命を守るっていったら、それはあの子がしてくれたことなんだよ」

 「その彼女は、今君の足元で寝ているね」

 と、荒城が指差すと、神無はベッドからずり落ちたようにぼくの足元で寝転んでいた。

 「う。うわっ」

 「あのソファからおきだして、すぐにこの子は君の事を探していたよ。雛鳥が親を探すかのようにいじましかったな、あれは。そして君のところへ来ると、安心したように布団の中に潜り込んだ。なつかれたものじゃないか」

 くっくと、荒城はおかしそうに笑った。

 「ねぇ。君はいったい何に見入られたんだと思う? 君の運命は何によって定められたんだと思う? 全ての元凶はそこの愛らしい堕天使さ。君が神無と名前をつけたそれは、『クリーク』の騎士を四万人戦死させ、『ゾーオ』の人形を九万体廃棄し、『グロウズマウル』の魔術師を三千人地獄に落とし、『エスキナ』の化け物を一万匹土に返し、『サルバシオン』の使徒を二百人ヴァルハラに送り、『ライン』の信者を五十万人殉職させたんだよ。それだけの残虐を行って初めて力を消耗し、この『エタジュール』の地へと敗走した、正真正銘破壊と殺戮の化身さ。復活を恐れ、いたるところから命を狙われている」

 「知らないよ、そんなこと」

 ぼくは言った。

 「確かにこの子がいなかったら、こんなことにはならなかったかもしれない。けどね、この子は何度も熱を出してぼくを救ったんだ。それは確かなことなんだよ」

 「愛しいね。ああ、君は本当に愛しい」

 荒城は両手を晒し、天に向かって静かに吠えるようにそう言った。

 「この地に純粋な魂がまだ残っていようとは。ああ、七千年の時を今尚生きる偉大なる教祖アルドよ、私ディプロマージの末席はこの奇跡に感謝します」

 それからくるくるとその場を振り向くと、ぼくに向かって微笑んでこう口にした。

 「いいだろう。イナイくん、君の望みだったら僕は何でも叶えてあげよう。『ライン』の執拗な追撃も、『クリーク』のねちっこい報復も、このぼくがきっと防ぎ切ってみせようじゃないか」

 そう言って荒城は頼もしげに胸を張った。ぼくはその微笑みをとりあえず信頼することに決めて、ベッドからずり落ちた神無を抱き上げ、寝かせてやった。


 神無はそのまま翌日の朝までずっと眠りっぱなしだった。よほど消耗していたのだろう。

 ぼくはその晩、ろくに眠ることができなかった。昼間に気絶するように眠った所為だろう。その間、考えることはいくらもあった。

 眠っていようが眠っていまいが朝は来る。五時二十七分、いい加減畳みに転がっていることが煩わしくなったぼくは、のそりと立ち上がってリビングルームを仰ぎ見た。

 ソファで横になり、あどけない寝顔を浮かべるのが荒城だった。彼は父の寝室を使うようにぼくに薦めて来たのだが、あの部屋に対しては何かと遠慮が多い。ベッドを使うなど恐れ多くてできやしないので、ソファは彼に譲って自分は床で寝ることにした。

 同盟を組むに当たってのぼくに対する荒城の要求は、代理戦争におけるしばらくの拠点としてぼくのこの家を提供することだった。父の手腕なら何年向こうに残ることになるのかは知らないが、しばらく家に寄り付くはずもないのだし、他に家族もいない。いきなり始まる共同生活に正直愉快な想いはしなかったが、命を狙われている以上、わがままも言っていられない。

 荒城の奴からしてみれば、知らない土地で屋根とシャワーとぼくや神無という格好のおとりのある隠れ家を手に入れたのだから、万々歳というところだろう。ユウがそんな風に説明してくれた。

 ユウはというとリビングの中央にあぐらをかいて座っている。襲撃に備え座って寝ているのだそうだ。寝息を立てるようにして僅かに肩を揺らすのが愛らしかったが、その肩には相変わらず大きく邪魔そうな斧が乗っかっているのだから、ぼくは呆れる。そんな状態で良く眠れるものだ。

 ぼくが静かに床を起きると、間髪入れず、ユウはぴくりと覚醒してすぐさま首をこちらに向けた。寝起きとは思えない鋭い眼孔に、ぼくはたじろいでその場で固まる。

 「なんだ……貴様か。確かにもう起きても良い時間だろうな」

 そう言ってユウは再び首を下に向ける。

 「戦に備えて英気を養うのは重要なことだ。ことが命の取り合いとなれば、休息さえ戦いの一部であると言える」

 「そんな体勢で疲れない? ちゃんと休めたの?」

 ぼくが尋ねると、ユウは眼を閉じたまま

 「疲れない。私の体はそんな柔な構造はしていないからな。腰を地面に着けられれば十分安息だ。騎士団でマルトーに従事していた時は、いつも野営の見張りをさせられ、何週間も夜眠らなかったものだぞ。師匠の荷物を肩に載せ、移動しながら眠るのだ。新入りの騎士は皆そうさせられる」

 漠然としてその話を訊いていると、ユウは静かに立ち上がる。周囲への警戒を強めるように首を振り、斧を担ぎなおしてからぼくに向かった。

 「貴様も鍛錬すればできるようになる。自分の行為や周囲で起きていることを、自分の意識からきっぱり切り離すのだ。そうすればどんな状況でも簡単に眠れるようになる」

 そしてぱっちりと眼を開き、偵察だと言って玄関へ向かった。

 「安い娼婦がくだらない男から自らの心を守るために、その訓練を受けることもあるくらいだ。貴様も学習しておくのが良いだろう」

 労わるような言葉を残して、ユウは家から出て行った。一瞬意味が分からなかったが、ぼくが荒城に襲われた時のことを言われているのだと気づいてぞっとした。まだ誤解されているのか。それにしても酷い皮肉である。

 しばらく呆然としていると、部屋から神無が現れた。

 ウサギを追って穴に落ちそうな服を着せられた神無は、眼をこすりながらリビングルームをよたよたと進む。裸足を冷たそうにすり合わせ、ぼくの方を発見すると、唇を丸くしてとたとた駆け寄ってくる。

 「一馬」

 それ以上の言葉はなかった。ただ呼んでみただけらしい。それからぼくの隣に腰を着けると、僅かにかしこまった声でこう口にした。

 「おはようございます」

 ぼくは苦笑した。この国の作法である。

 「ああ。おはよう。熱はちゃんと直った?」

 神無はちょんとうなずいて言った。

 「寝たら直る。もうやだけど」

 そう言って神無は小さくあくびした。それからなついてくるように身を寄せる。

 「もう大丈夫だ」

 ぼくはそう言った。

 「そこの荒城にお願いしておいた。君のことを守ってもらえるように。こんなことしかできなくてごめんね。だけれど、もう君に熱を出させるようなことは、きっとないと思う」

 神無はそこでふと目を見開き、言葉を捜すように口をもにゅもにゅと動かすと

 「ありがとうございます」

 とようやくそう言った。そして再び呆けたようなゆるい表情へと逆戻りする。

 これで少しは安心してくれると良いと思った。神無は気だるげに四肢を投げ出し、小さな饅頭のようにぐにゃりとその場で座り込む。頭から引っ張れば、いくらでも伸びてしまいそうだった。今にも眠ってしまいそうな、胡乱ではかなげな態度は温かい人形のようである。

 荒城達の話によると、この小さな体のどこからか何対もの羽が出現し、光を浴びた者を次々と朽木に変えていったということらしい。とうてい信じられない話だったが、ぼくにはどうも、そんなこともあるのではないかと思えてくるのだ。この少し虚ろな表情で、真っ白い髪を靡かせながら、眼に写るもの全てを朽木に変える神無の姿。どうしてかそれは、容易に想像できてしまうのだ。彼女の持つ天使そのものの美貌がそう思わせるのかもしれなかったし、感情のない瞳の所為かもしれない。

 「ねぇ神無」

 声をかけると、神無はぱちくりこちらを向いた。

 「君はたくさんの人から追われて、『イニーツィオ』と呼ばれるところから逃げて来た。そうなんだね?」

 ぼくがあまりに真面目な声をしていたからか、神無は僅かに戸惑ったように首を傾げて、それからちょんとうなずいた。

 「だったら、どうしてこんなところに逃げたんだ?」

 「どうしても、何も」

 神無はぼくの追及の意味が分からないというように

 「理由なんかない」

 それはそうかもしれない。事実、熱を出して倒れ付すほど追い掛け回された人間が、これからの逃げ場に気を使ったりはしないだろう。

 ぼくはいったいどうしてそんな質問をしたのだろう。荒城に言われたことが引っかかっているのかもしれない。事実として、ぼくをこんな意味不明な戦争に巻き込んだのは、他でもない神無なのだから。

 何でも良いから納得に足るだけ、十分な理由を求めたのだろう。

 「ごめん。確かにそうだよね」

 そう言ってぼくは小さくはにかんでおいた。

 時計を見やる。朝の六時ちょうどほど。一睡もしていないはずなのに、不思議と眠たさを感じない。これなら下手に二度眠してしまって遅刻、ということも起こらないだろう。死んだ朝日奈に心配をかけなくて済む。

 ……朝日奈。

 そうかアイツ、もう死んだんだ。刃物を使って二度ぼくを刺し殺しその後は爪を首筋に食い込ませ、最後は腹と頭に銃弾を打ち込まれて冗談みたいにあっけなく死んだ。だがしかし実感はない。悲しくもなければ、残念だという気持ちさえない。学校に行けばまた会えるような気がしてならないけれど、その死体は今でも袋に包まれ、ベランダに無造作に放り込まれているはずだった。

 ぼくはそれを確認するため、何気なくその場を立ち上がろうとした。

 できなかった。

 大きな瞳でこちらを見上げる神無が、ぼくの袖口を掴んでいたからだ。呆けたような瞳は僅かに歪められ、唇は一文字に結ばれている。ぼくはその場でかがみこみ、同じ視点でこう口にした。

 「なんだい?」

 神無はぼくが立ち上がるのを止めたようでもあった。朝日奈の死体を見に行こうとしたのだと、そこまでのことは分かるはずもない。神無は口元で何かつぶやいて、それからすっとうなずいた。

 なんとなくその意味が分かるような気がして、ぼくはその場でしゃがみこむ。

 「ここにいて良いよ、神無」

 ぼくが言うと、神無は潤んだ瞳でこちらを向いた。

 「本当?」

 「ああ。君はぼくの命の恩人だ。この国に来て、まだ少ししか立っていないんだろう? 君みたいな何も分からない小さい子が、一人でうろついていちゃ大変だしね。ぼくにできることは限られているけれど、面倒くらいは見てあげられる」

 神無の表情が明るくなる。花が咲くような笑みは、まことに愛らしいとしか形容のしようがなかった。

 「そうそう。それがその子の目的だよ、イナイくん」

 背後から、おもしろがるような明るい声が聞こえて来た。

 「彼女がまるで子犬のように君になつくのは、一重に君が必要だからさ。何も分からないこの土地で、自分を導いてくれる協力者がね。それに選ばれた者こそが『エタジュール』代表選手に相応しいとされ、つい三時間前の国連会議でようやくそれが君であると、正式に決定した訳だ」

 嘲弄するような言葉を放ったのは、ソファから起きだした荒城だった。にやにやとした表情のそいつは、ぼくと唇を結ぶ神無とを見比べると、苦笑いを浮かべるようにはにかんだ。まるで微笑ましいものを見るような表情でもある。

 「ぼくにはどうでも良いことだけれどね。それより君たち、せっかく僕が遠慮してリビングで寝てたんだ、夜中の間にパートナー同士の営みの一つ、きちんとこなしてきたんだろうな?」

 「……おまえは何を言っているんだ」

 「僕らの国だとそれがふつうでね。カーストも年齢もおかまいなしさ。それに、楽園の神様と子を作るなんて、なんともドラマチックな話じゃないのかい?」

 「下劣なことを」

 「おやおや穏やかじゃないことを言うね。二人があんまり仲良さそうだったから、つい冗談を言いたくなっただけだというのに」

 荒城は愉快げにそう微笑んだ。こいつはいつも微笑んでいる。浮かべる笑顔は気さくで優しく友好的で、ひょっとすると純粋ですらあり、そしてそれ以上に露悪的で醜悪だった。

 「その子を守ってあげるのは君の役割だ。優しく打算のない君だからこそ、それができる。ちょっぴり頼りないのがたまに傷かもしれないけどね」

 にやにやとしながらそう言って、荒城はソファを立ち上がる。

 「邪魔しちゃ悪いね。僕はちょっぴり野暮用で出掛けさせてもらうよ。君のお父さんの職場に用があるんでね。それと……」

 にっと微笑み、とっておきの話をするようにこちらを向いて

 「今日の十四時三十分に、君の高校から少し南に行ったところにある廃校した小学校まで来てくれないか? 人に見られたくない用事があってね、まずはそこで落ち合おうって訳だ」

 「それって……どういう……」

 「斧持ちも来る。ちょっと君の力を試したいだけさ。詳しい説明は向こうでするよ。だからよろしく」

 ぼくがそれ以上の追求をしようとするのを、荒城は笑み一つ浮かべてそれを制した。何も心配することはないといった具合だ。

 「それと。これを持っておくと良い」

 そう言って差し出されたのは、一丁の銃と何やら取っ手のついた筒状の装置だった。白い金属でできたそれらは見るからに危なげで、ぼくは思わずつき返してしまう。荒城は詐欺師の表情になると

 「君を守る武器さ。ただし、あくまでも護身用……いやお守りの類だと思った方が良い。間違ってもこれを使って戦おうとはしないことだ。突きつけて、脅して、そして逃げろ。それが通用しない相手なら、遭遇した時点で君は死んだことになる」

 物騒なことをつぶやいた。

 「どちらも『ゾーオ』の職人が作ったものだから質は保証する。この国のどの兵器よりも高いスペックを持つものと断言しよう。こんなものでも持っていないと、君は敵と遭遇した途端に泡を吹きそうだからね。気持ちを大きく持ってもらうだけさ、何もこれで人を殺せといっている訳じゃない」

 それでも躊躇した。手渡されるそのまがまがしい二つの武器を、最終的にぼくが受け取るのには数分の時間を要しただろう。荒城は満足げに微笑むと、「じゃぁ、頼んだよ」一言かけて、軽い足取りで家を出て行った。これからあいつが何をしでかしにいくのか、想像することもできなかった。

 「大丈夫だよ、一馬」

 武器を手にしておののくぼくに、神無は無表情のまま口にした。

 「一馬はわたしが守るわ。だから、そんな顔しないの」

 そう言って頼もしげに僅かに胸をそらしてみせる神無に、ぼくは情けなくなって苦笑した。なんと弱気なことなのだろうか。さっき誓ったばかりだというのに。

 「……ありがとう。神無。でも、ぼく、がんばるよ」

 そう言って銃と、取っ手のついた筒を撫でる。冷たく、ぐっと何かが詰まっていそうで、それでいて軽い不思議な兵器。それはぼくに適度な緊張感と、浮ついた高揚を与えてくれた。

 強くならないとなと、ぼくは胸の奥でそう思った。


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