ライン
アクセスありがとうございます。
とりあえずこの二話までを見ていただけたら、こちらとしてはかなり満足というか、一つ目の関門は突破したことになります。少なくとも、一話分でぱっと見て分かる文章力で、二話目を見ても良いかなくらいには思ってくれたということですので。
無論。最後まで読ませなければ意味がない訳ですが。もちろん全力投球、そうさせるつもりで一生懸命描いています。読んで後悔はさせない……とまで炭化をきってしまいましょう。これからもよろしくお願いします。
目が覚めると自宅のベッドで寝転んでいた。
慌てて置時計を確認する。遅刻十分前、夢の中で見たのと同じ時間帯だった。偉く鮮明な内容だったが、今まで起きたことが夢だとしたら時間が巻き戻ったと考えるしかない。遅刻を防ぐため、ぼくはその場を起き上がろうと体に力を入れた。
「おはようございます」
体を持ち上げると、鼻先で少女の真っ白い顔が、透明な瞳でこちらを覗き込んでいた。
「う、うわっ」
ぼくはその場で仰け反って、ベッドから転げ落ちそうになった。目の前の少女は白磁の肌を晒した格好で、ぼくに覆いかぶさるようにしている。「な、ななななっ」喚くようにして冷静さを失っているぼくに、少女はちょんと首を傾げて見せた。
「ここだと目が覚めた人にはこういうんじゃなかったっけ?」
心底不思議そうな女の子の小さな肩を掴み、無防備に顔を近付ける彼女をその場に座らせた。ぼけっとした印象を与えるその表情は、先ほどよりは調子を良くしているようだったが、間違いない。
「君、さっき……ていうか夢の中で倒れてた……あれ?」
そこでぼくは気付いた。ベッドで目覚めたぼくが着ているのは、パジャマではなく学生服だ。こんな服を着て寝ていた覚えはないし、寝るのもおかしい。
「夢? わたしはちょっと巻き戻しただけよ」
女の子はあくまでもぼけっとした、靄のかかったような表情で言った。
「巻き戻したって……時間?」
「わたしにはそれができるの。代わりに熱は出るけど」
そういうと、女の子は自分の説明に満足したようにその場に寝転んだ。銀色の髪が天使の翼みたいにふわりと広がって、柔らかい体重がぼくのおなかに押し付けられる。そのままゆっくりと目を閉じる彼女に、ぼくはあせってこう口にした。
「ちょちょっと。寝ないでってば。何がなんだかわかんないよ」
女の子は気だるそうにその場で寝返りをうって、ぼくの方に頭を向けた。
「なに?」
「君は誰なのさ? というかどうして裸なの?」
「服を着るのはあなたたちだけでしょう?」
「知らないよ。君の国はいったいなんなのさ。日本じゃないのは分かるけど」
「イニーツィオ」
女の子は眠たそうに答えた。
「そんな国あったっけ? 地理の教科書には……じゃなくて。いったい何が起こっているんだよ……朝日奈は豹変するし時間は巻き戻るし……」
必死でたずねるぼくに、女の子はきょとんとするだけだ。
情けない気持ちでその場でうなだれる。とにかくこの女の子を放っておく訳には行かないので、学校に連絡を入れる必要があった。
こんなことをしている場合なのだろうか。思ったが、今すぐ朝日奈に会いに行く度胸はなかった。立ち上がろうと手をついたぼくの肩に、鋭い痛みが駆け抜けた。
「あたたたっ」
涙が出そうな痛みだった。ぼくはその場でうずくまり、肩のほうを見やる。服が破けて、そこから大きな傷跡が覗いていた。
「安静にしなくちゃダメ。傷はふせげてないの」
泣きそうになりながら目の前で横になる少女を見下ろす。どうやら先ほど刺された傷のようだった。
「それが今のわたしの限界みたい。がんばったけど、そろそろ眠いわ」
「君はいったい……」
胡乱な目をした少女の顔を覗き込む。何が起こっているのかさっぱりだ。この傷を治してくれたのがこの女の子であることは分かったが、どうしてそんなことができるのか釈然としない。
「ねぇ。……君」
せめてもう少し事情を聞かなくてはならない。ぼくは少女を起こそうと方を掴んだ。
信じられないほどの熱気がこみ上げていた。
さっきから少し熱があるようだったが、しかし目覚めた時と比べて、発熱は明らかに酷くなっている。先ほど道路で会ったときのようだ。少女はふらふらとこちらに顔をあげると、胡乱な表情で薄く目を開ける。
「大丈夫よ。ちょっとがんばりすぎただけだから」
くらくらと頭を揺らす。よく見れば額には汗が浮かび、頬は蒸気し赤くなっていうる。どうして気付かなかったのか。
「少し休めばすぐに引くわ。心配しないで」
それからばたりと倒れると、喘ぐような寝息が聞こえてきた。ぼくは少女をその場で寝かせ、布団をかけてやってから、その場で泣きそうに頭をかかえた。
いったいなにが起こっているんだ。
学校に遅刻の連絡を入れた。
「は、はいもしもし。井内です。ええとその、今日ちょっと遅れると思います。……いえ、ちょっと外で裸の女の子が倒れてて……今部屋に。……はい、はい。いいえ、本当なんです。本当ですって。今彼女部屋で寝てるんで……だからそういうことじゃなくて、ふざけてなんか……」
舌打ちが聞こえ、『おまえもう何回目だよ。気をつけろ』電話が切られた。その乱暴な口調にびくりと反応してしまうぼくだったが、それよりも遅刻の連絡を済ませた安心感の方が大きかった。電話で人と話すのは苦手。年上の先生なら尚更だ。
ぼくはソファに腰掛けて、今にも全身埋没しそうな気分で大きく溜息を吐いた。今時分から人に説明してみたことで、自分の置かれている状況が如何にでたらめであるのか、それを思い知らされてしまったのである。
裸で転がっていた女の子のことを除いても、今朝からずっとおかしいことだらけなのだ。なんといっても無骨な刃物で襲い掛かって来た朝日奈がそうだし、朝の早い彼女がどうしてあんな時間にぼくの家の前でいたのかも、考えてみれば良く分からない。
「おはようございます……」
情けなく頭を抱えるぼくの背後、声をかけたのは今朝出会った裸の女の子だった。眠たそうに目をこすり、一つ結び目を解いたらさらさらと崩れ落ちそうな儚い存在感で、律儀に頭を下げて挨拶を行う。
「お、起きてきて大丈夫なの? 熱は大丈夫?」
最初に口を吐いたのはそんな焦ったような心配の言葉だった。少女はけろりとした表情で首を傾げる。すぐに回復するというのは本当だったようである。安心し、そして次に口にしたぼくの二の句は
「それと服を着て」
ようやく言えたこの一言だった。
部屋へと服を取りに行くべく、女の子を見ないように脇を抜けようとした。でもできなかった。女の子が目を大きくしてぼくの服の袖を掴み、何かを言いたそうな瞳をこちらに向けていた。
「あなた、どこに行くの?」
透明で弱々しい、ぞっとするほど寂しげな視線。
どうしてそんな目で見るんだろう。
「ど、どこにも行かないよ。逃げたりしないって」
ぼくはうろたえてこう言った。
「服を取りに行くだけだよ。大丈夫!」
女性用の服があれば良かったのだが、あいにくとぼくの家に母親や女の兄弟はおらず、あの横暴な父親の服を勝手に拝借するのも恐ろしかった。
「これで良い?」
言って、とりあえずTシャツとズボンと下着を渡してみるが、少女はセミの抜け殻を見るような視線を向けてはてと首を傾げるだけだった。この子の住んでいる国には、本当に衣服着用の文化がないらしい。
しかし、郷にいっては郷に従ってもらわねばならぬ。
「ほら。こうするんだよ」
少女の頭からTシャツを突っ込み、その細い腕を脇から出させようと試みる。自分の体にまとわりつく異物の存在に、最初は嫌がるように身をくねらせた彼女だったが、少しばかり強引にやってやると観念したようだった。
ずぼりとTシャツから小さな頭が生えてきて、無垢な表情があらわになる。着心地悪そうに自分の体を見詰めた後で、まぁ良いかというような表情でこちらを向いた。両腕を出させてやって、中にまい込んだその綺麗な銀髪を外に出させてやる。指どおりなめらかで少し冷たく、それでいて柔らかい。
それからぼくが下に付けるものを取り出すと、少女は眉を顰めていった。
「まだ何かあるの?」
「できればコイツは自分でつけてもらいたいんだけどね……」
パンツだ。仕方がなくぼくの使っていたものということになるので、それがなんとも言えず恥ずかしいというか、考えても仕方がない類の罪悪感があった。
幸いにして今度は少女もぼくに対して協力的でいてくれたので、恐れていた程大変な目にはあわずに済んだ。それからズボンをはかせてやり、ぶかぶかのそれをベルトでがんじがらめにしてから、十五センチほど余った丈を合わせてやる。「変なことするのね」少女は退屈そうにそう言っていた。
「君……日本語上手だよね。イニーツィオだっけ、そこからどうやってここまで来たの? お父さんとお母さんは?」
時間を巻き戻したこととか、豹変した朝日奈のことは後にしよう。女の子の年齢は正確には分からないが、十歳よりは年上だと思うし、ぼくと同い年ということもないと思う。多分十三、十四歳くらいだろう。知らない土地で家族と迷子というのはつらいはずだ。
「わたしにはそんなのないわ」
「それって……。え? じゃあ一人で来たの?」
「『ライン』の奴らにイニーツィオから追い出されたのよ。あいつらは国をのっとるつもりみたいだから、きっとわたしのことが邪魔だったのね」
「……え? どうして? 邪魔って? 君、なんかの要人……お姫様か何かなの?」
「お姫様? それは初めて聞く単語ね。おそらく違うと思うのだけれど」
「じゃあどうして君のことが邪魔なの?」
「イニーツィオはわたしの国で、あいつらはそれを奪い取ろうとしているからよ。わたしがいなくなれば彼らはイニーツィオを手に入れることができる。だから」
分かったような分からないような、要領を得ない。ぼくはこめかみを突付きながら「ええと……」どうにか次の質問をひねり出し
「どうしてあそこに倒れていたの?」
「ラインの連中がわたしに付きまとって……何とかやっつけたけど代わりに熱が出て。それで」
少女は亡命者のような立場にあるらしい。こんな小さな少女が追っ手に対して「やっつけた」、などという言葉を使うことに違和感を覚える。しかしそれも、少女が持つ超常的な力を持ってすればできなくはないのだろう。現に、どんなトリックを使ったのかは知らないが、彼女は先程刃物を振り回す朝日奈から逃れて見せた。その反動で熱を出したということか?
「君、名前は?」
「ないわ」
女の子はこともなげに答えた。
「名前が……ない?」
ぼくはぎょっとして女の子に問いかける。女の子はそこでちょんとうなずいてみせて
「わたしの国では必要ないもの。あんまり珍しくないものよ? 『ライン』の連中は自らの匿名性が損なわれることを何よりも嫌うし、『ゾーオ』の機械人形のほとんどはパーソナルネームを持っていない。どんなものにも名前が付くのは、『クリーク』『サルバシオン』の他には、例外で『グロウズマウル』くらいのものね」
『イニーツィオ』『ライン』に続いて四つも新しい国が登場した。流石にここまで来ると、この子のアタマがちょっぴりサワヤカなのかもしれないと思えてくる。理解しようと努めるのがそろそろ嫌になって来たぼくは、「ああもうっ」そう啖呵を切って手当たり次第に視界にあるものを探った。
「君の名前は神無! カンナだ。これからこういうからね」
「名前……カンナ?」
女の子は目をぱりくりとさせてこちらを覗いた。穴が開くほど鼻先を見詰められ、どぎまぎとしてしまう。ぼくが視線を逸らしたのは、名前を決めるのに使ったカレンダーの『神無月』というフォントだった。
「ぼくは井内一馬だ。そう呼んでくれ。この国だと名前がないと何も始まらないんだ。なんというのかな……」
ふと考えて、ぼくは誰からも名前を呼んでくれなかった時のことを思い出して、こう言った。
「……名前を言えば、他に誰がいたって君のことだと分かるだろう? これがないのは本当につらいことなんだ。ほかの人とは違う、他でもない君の存在を表してくれる、とても大切な言葉なんだよ」
ぼくがそういうと、女の子は僅かに首を傾げて、それから少し恥ずかしそうにちょんとうなずいた。それから口元で「カンナ……カンナ」と何度かつぶやく。
「ねぇ一馬」
名前を呼ばれて、ぼくは笑って返事をした。
「何?」
「さっきは、その」
どこかぼけっとした印象のあった表情を緩ませて、神無は新しい表情を作る。
「助けてくれて、ありがとう」
それは思っていたよりも素朴で綺麗な、花の咲くような笑顔だった。
ぼくはその一瞬、自分が何を言われているのか分からなかった。
外で倒れているのを助けたことを言っているのかもしれない。しかしあれはぼくにとっては未だに夢の中の出来事といった感覚で、今ひとつ実感の無いことだ。
「わたしは今狙われているの」
神無は唐突にこう切り出した。
「『クリーク』『ゾーオ』『グロウズマウル』『エスキナ』『サルバシオン』そしてさっき襲い掛かって来たのは『ライン』の信徒……。あなたが助けてくれなかったら、わたしはきっと殺されていたわ」
「ちょちょっと……それどういう意味?」
「『よくできた国』ラインには個人というものがない。皆の意見の総合がそのまま個人の行動となり、皆で考えて決まったことなら親だって殺す。ううん、違うわね。彼らには親子という概念すらないもの。完全匿名性、人間関係なんてない。親の顔すら覚えていないわ」
「わかんないよ。何それ」
ぼくは焦りながら言う。
「だいたいぼくらを襲ったあの子は朝日奈良子と言ってぼくの幼馴染で、れっきとした日本人なんだ。ラインなんていう国の人じゃないし、アイツは自分の親の顔くらい知ってるよ」
「『ライン』の恐ろしいところはね、どんな場所からでも端末を増やすことができることよ」
神無はつまらなさそうに言った。
「彼らは基本的に所有物を持つことをしない。名前がないんだから、個人の持ち物という概念がないのも当たり前ね。でも一つだけ例外があるわ。彼らがいつも持ち歩いている携帯型の端末……信徒が自分の意見を発信し、人の意見を閲覧する為のもの」
神無はそこで言葉を切って、こちらに遠慮するそぶりも見せず
「あなたのお友達は別の端末からそれを渡されたの。そしてすぐに入信……洗脳されたわ」
「洗脳って……」
「名前を捨てさせることは本当に簡単なものよ。ほんの少しでも自分や自分の周囲に煩わしいものを感じている人間なら、誰にでも入信の可能性はあるわ。そうじゃない人なんていると思う?」
「…………」
ネットの匿名掲示板に常駐してしまうような心理だろうか。自分の周りで嫌なことがあった時、煩わしい人間関係から解き放たれたくなった時、どんな人でも利用することができる匿名掲示板は本当に便利だ。もっとも矮小な概念である『自分自身』から解き放たれ、あらゆる責任を問われず圧倒的な安楽を得ることができる……。
「奴らだって誰これかまわず端末を配っている訳じゃない。ちゃんと『みんなで話し合って』決めたとおりの人にしか配らないわ。持たせて使う徴候がなければ別の信徒に殺害させれば良い訳だし、そうやって仲間をどんどん増やしていく……」
その時、玄関からチャイムのなる音が聞こえた。
肩が震えた。こんな時間にいったい誰が、思い、振り返った途端に今朝の惨劇が蘇って来た。豹変した朝日奈、振り下ろされるナイフ……。
「カズマ」
神無はやはりぼけっとしたような表情で、しかしどこか懇願するような声色で
「行かない方が良い」
「待ってよ」
ぼくは言った。
「あるはずがない……そんなことあるはずないじゃないか。大丈夫だよ。朝日奈はしっかりものなんだ。そんな新興宗教みたいなのに引っかかるはずがない」
そうとも。アイツはいつだって冷静で、危ないことには首を突っ込まない性格のはずだ。神無の言うことを信じるにしたって、朝日奈がそれに引っかかるはずもない。
それに……そうとも。このチャイムの音が朝日奈であるとも限らないじゃないか。ただの宅急便かもしれない。それこそ新興宗教の勧誘じゃないとも言い切れない。ぼくは立ち上がり、神無の方を一瞥してから玄関へ向かう。神無はどこかふてくされたような、納得のいかないような表情で、僅かに頬に空気をためていた。
……仕方がない。
「イナイくん? やっぱりいたんだ、嬉しいな」
朝日奈だった。腰を僅かに折り曲げてこちらを見詰める清涼な笑みは、普段の朝日奈のものとなんら違いがないように見える。恐る恐るドアを開くぼくの様子を怪訝に思う風もなく、朝日奈は明快な声で
「ねぇイナイくん? 家に今、一人?」
「え……いや。その。一人だよ。いつもそうじゃん」
ぼくは咄嗟に嘘をついた。なんとなく、神無のことは朝日奈に言わない方が良いような気がした。
「それより、朝日奈。覚えているかどうかは分からないけど、さっきその、どうして、あんな刃物で……」
「何のこと?」
ぼくが尋ねると、朝日奈は目を丸くして、首を傾げた。白を切っている様子はない。
「でもそうだよね。お父さんいっつも忙しいもんね。でもイナイ君、本当に今、家で一人なの?」
「え……。ほ、本当だよ」
どうしてそんなことを聞くのかと思っていると、背後でぺたぺたとした足音が聞こえてきた。びくりとする。ぞっとして後ろを振り向くと、僅かに剣のある表情を浮かべた神無が、朝日奈の方をじっと見詰めながら一歩ずつこちらに近付いて来ていた。
「ちょっ……神無」
「そっかぁ。イナイくん、やっぱり出会っちゃってたんだぁ。そうだよね」
言いながら、朝日奈はポケットから何やら携帯電話のようなものを取り出した。
「そうだよねぇ。隠れてるとしたらここしかありえないもんね。……ごめんねイナイくん。もう選ばれてるみたい。もう少し前だったらまだ、止められたかもしれないのにね」
朝日奈はニコニコと笑う。そして黒光りする、何やらほんの少し稚拙な印象を与えるその機器を何やら操作して、納得したような表情を見せると笑顔のままこちらを向く。いや、これは笑顔なんてものじゃ……
「新しいテンプレートを作成する。『エタジュール』代表選手は井内一馬。ただし数秒後には死亡の報告をしなければならないだろう。『エスキナ』以外の代表とは同盟を結ばない方針で決まっている。殺害し、早急にスレッドを作成し現状を問うべきだ」
唐突に口調の代わった朝比奈が言い終わる前に、神無が小さな足でこちらに向かって走りこんで来た。唇をきゅっと結んで、今にも転んでしまいそうに。ぼくがびっくりして動けないでいると、懐から巨大な刃物(あの時と同じものだ!)を取り出した朝日奈が、どこか苛立たしげな声色で言った。
「遅いよ」
振り下ろされた刃物がぼくの頭上に降り注ぐまで、ぼくは硬直して、固唾を呑むことも許されなかった。ほとんど鈍器のような感覚で振り下ろされたその刃物が、ぼくの意識を奪うその瞬間。ぼくに見えたのは、朝日奈の夢で見たとおりに冷徹な、表情ともいえないような無機質な顔だった。
読了ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。