表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/22

遺言

 夕方、両親たちが帰ってきた。

「またこんなところで寝て。風邪ひくぞ」

いつの間にか僕は眠っていたらしい。日ははるか西の空に姿を隠そうとしていた。薄暗くなった庭の表情は、夜のそれへとまた変貌していくところだった。かがり火の焚かれる頃、僕たちは再び式の行われた広間に集められた。

「結論は出たか?いや、今答えなくてもいい。おそらく遺言書の中身を解いた後、おばあさんから何か言われるはずだ。その時におまえの意思をはっきり聞かせてくれ」

父に言われるまで僕はそのことをすっかり忘れていた。父の過去に拘泥していた僕は、自分の未来を想像する余裕などなかった。無論考えていたところで、流れに身を任せるしかなかったと思う。父の言った「覚悟」など、まったくもって頭の中になかった。

「全員そろったようだ。早いとこ始めてもらえないか、お袋」

向かい側に座った叔父が急き立てる。ざわついていた部屋は刹那に静まり返った。

「その前に裕仁、あなたの娘はどうしたのです。今日連れて来るようにと云っておいたはずでしょう」

「聞いていたさ。けどあいつがどうしても来たくないってごねるんで置いてきた。ったく、あいつが一番親父に可愛がられてたってのに」

「あの子は亡くなった祖父に会いたくないだけなんです。気の強い子だから、慕っていたお義父様の前で泣いてしまうのが嫌だったのでしょう」

そう言ったのは、叔父の隣に座っていた女性、おそらく叔母であろう。

「…わかりました。あの子に直接関わることが遺言書に書かれているので、できればここにいて欲しいのですが。しかたありません、始めましょう。水島さん」

祖母が呼ぶと、

「はい」

と返事が聞こえて、昨日僕たちを案内した使用人の女性が座敷へ入ってきた。彼女は祖母の隣に座ると、一礼して話し始めた。

「本日遺言書公開の進行を務めさせていただきます、水島と申します。ここに集められましたのは、遺言の内容を享受する本家筋、および分家の主の方々でございます。ではまず大奥様から大事なお話があるそうですのでよろしくお願いします」

「ええ、話というわけではありませんが、皆に紹介したい者がいるのです」

そう言うと祖母は次の間の襖を開けて「お入りなさい」と促した。すると中から一人の少女が姿を現した。瞬間、僕の中に猛烈な衝撃が走った。

「神篠由宇!」

思わず叫びそうになった。しなやかな黒く長い髪、遠くを見据えたような眼差し、僕の心を奪った唇…。そう、僕の前に現れたのは、紛れもなくあの幽霊少女だった。まさかこんなところで再会するとは。

「本家筋の中にはおそらく知っている者もいるでしょう。故人の甥にあたる今は亡き神篠軍司と妻叡の一人娘。神篠由宇です。両親が亡くなってからは折月家で引き取り、一族で培ってきた呪術、式占術、祭祀法などあらゆる秘儀のノウハウを注ぎ込んできました。今や前当主に匹敵するほどの力を持ち得ます。彼女が一族の新しい砦となるでしょう」

 祖母の話している間、少女は目叩きもせず澄ました表情で立っていた。何とか平生を取り戻した僕は、ふと父の反応が気になった。そして横目でちらっと父の顔を窺った。硬く強張っているようには見えたが、いつもと何ら違いは見受けられない。動揺を隠しているのか、はたまた本当に冷静でいるのかは判別できなかった。

「つまりその嬢ちゃんに、次の当主の座を渡すと?」

叔父がいぶかしんで口を挟んだ。

「そういうことではありません。由宇には一族のためにやってもらわなければならぬことがあるのです。水島さん、次へ進んでください」

「はい。それでは遺言書を読み上げたいと思います」

水島さんは懐から三つ折にされた紙を取り出し、おもむろに読み始めた。

「一、長男栄作を次の当主に据える」

「何だと?!」

叫んだのはやはり叔父であった。

「裕仁、黙っていなさい。退場させますよ」

祖母の言葉で已む無く叔父は引き下がった。何事もなかったかのように、再び遺言が読み上げられる。

「一、秘術・祭文書および尊星武帝霊符は都築家に譲渡する

一、宝刀『弓張月』は神篠由宇に贈与し、所有権は妻久香に譲る

以上は私が亡き後に相続すべき事柄である。続いて結界の処置について。

一、全国の潜厄地に散らばった祠を、各地域の分家で治めること

今の一族に頼めるのは、おそらくこれだけだろう。いや、張り巡らされた結界網を繋ぎ止めるには、これでも荷が重過ぎるくらいだ。だがそれで良いのだ。

 末端で食い止められなかったものは集約点で噴出する。すなわち厄災の発現地点はただ一箇所となる。私の狙いはそこだ。その場所に力ある者を集中して当たらせれば災いを未然に防げる。若しくは封殺することができるわけだ。

 しかしながら問題は、その集約点がはたして何処にあるのかということだろう。私も長年調べ上げてきたが、とうとう見つけることができなかった。だがある程度の範域までは見当がついている。それは、西端と東端、北端と南端の祠をそれぞれ直線で結んだ交点。それと本家とを結んだ線を直径とした円の中である。一つの県を丸ごと飲み込むほどの大きさだが、何もわからないよりは遥かにましであろう。あるいはその地域全体にわたって災異が起こるかもしれん。折月栄作、都築裕仁両名の全力を以って金剛界五如来の封結法を施すこと。これは災厄を防ぐというよりも、それ以上広がらないための措置である。

 これによって噴出点はほぼ一点に絞られるが、封結法で手一杯の息子たちに封殺まで任せるのは無理がある。隙を突かれ、かえって危険が増大するだろう。ではどうするか。

 熟考に熟考を重ねた結果、私は一つの結論を出した。目には目を、災厄には災厄を、すなわち妖刀『弓張月』を以って災異を封結せしめんということだ。そしてその担い手は神篠由宇を置いて他にはいない。琥珀という名の血、黒き光の血統、すなわち『弦月』の正統なる後継者。すべての災厄の元凶ともいえるあの妖刀を扱えるよう、私が体得した陰陽術のすべてを、自らの手でことごとく教え込んだ。

 だが『弓張月』の封印を解くのであれば、それだけ負の力が強く働く。当然金剛封結も崩壊しかねない。そのために負の力を抑制、吸収する存在が必要となる。それが『宿星』と呼ばれる者だということは、一族の者であれば大抵知るところであろう。『宿星』は代々当主と兼任が常であった。それは折月家の直系子孫しかその資格がなかったからだ。資格を有する二人の息子は、先ほど言ったように不可能である。しかしもう一人、『宿星』の後継者たるべき者が存在する。

 折月究作。未だ見ぬ私の孫よ。『宿星』の後継者になってもらえぬか。いや、なってほしい。今まで何もしてやれなかった上に、運命さえも強制してしまうのは、酷なことだと自分でもわかっている。おまえの父を勘当してしまったこと、深く後悔している。だがこの国を守っていくためには、おまえの力が必要なのだ。おまえの存在を、人生を、覚悟を、『宿星』にかけて欲しい。

 私の伝えておきたいことは以上である。現在、一族にのしかかる問題は結界維持ばかりではない。それらを私の代ですべて解決できなかったのは悔やまれるが、私の意志は妻である久香にすべて託した。きっと我ら折月一族の悲願を叶えてくれることであろう。

 平成○年 四月某日 折月典正」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ