葬儀
翌朝起きてみると、両親はすでに支度が出来ていた。
「まだ寝ててもいいぞ。葬式は昼からだ」
昨夜はいつごろ戻ってきたのだろう。父は赤い目をこすりながらそう言った。寝すぎるほど寝た僕は、それ以上眠るのも億劫だった。顔を洗い、服を着替え、朝食を食べた後は日が昇るまで別段何もすることがなかった。縁側に出て庭を眺めてみた。夜とは趣が違って、同じ場所とは思えないくらいだった。
午後一時。僕と両親は母屋の広間に通された。そこにはすでに二、三十人の喪服を着た人間がいた。その黒い集団は僕たちを見るや、身内どうしでひそひそ話し始めた。彼らの目つきはまるで、禍々しい怪物でも見ているようにぎらついているのだった。父は気にすることなく祭壇の一番近くの席に腰を下ろした。母は終始うつむいていた。葬式というものを初めて体験する僕は、祭壇やその前に置いてある棺に好奇心を寄せていた。それらをしばらく眺めていると、一瞬僕の視界を一人の影が横切った。
「久しぶりだな、兄貴。親父がいなくなったら早速里帰りか」
父の目の前に立ったその男は、ぶしつけに言い放った。僕はその男の顔を見るなり驚いた。父とまったく瓜二つだったのだ。
「まったく久しぶりだ。裕仁、またおまえに会えてうれしいよ」
「ふん、心にもないことを。何が目的だ。遺産か。それとも当主の座か。まあ何にしろ、親父は兄貴を許して死んでいったわけじゃないからな。遺言書に兄貴の名前など出てくるはずはないさ」
「俺はおまえが言うような取るに足らん問題など気にしちゃいない。親父が望むなら、当主の地位などおまえにくれてやるよ。だがその責任を果たせられない人間を、親父が選ぶわけがないだろう。それはおまえにも分かっている筈だが」
父の態度は落ち着いていた。しかし眼つきはむしろ鋭かった。気圧されたのか、父に似たその男は苦い顔をしてじっと黙り込んだ。険悪な雰囲気がその部屋一帯を包み込む。そうして睨み合っているところへ、祖母が毅然として現れた。
「故人の安眠の妨げになります。諍いなら外でやりなさい」
「お袋だな、兄貴を呼んだのは」
「それがどうかしたのですか。さあ、もうまもなく始めますよ。裕仁は早く自分の席に戻りなさい」
男はチッと舌打ちすると、その場を立ち去ろうとした。そのとき父が呼び止めた。
「紹介しておくよ。俺の息子の究作だ。究作、この人は都築裕仁。俺の双子の弟で、つまりおまえの叔父さんだ」
僕はもう一度自分で紹介をした。半身で聞いていた叔父は、ふんといった感じで向こうへ行ってしまった。
父と叔父は、父が家を出て以来、一度も会っていなかったらしい。苗字が違うのは婿養子にいったからだ。今は僕のいるK市の隣のT町に住んでいて、僕と同じ学年の娘がいる。そういったことを後で父から聞いた。髪形を除けば、二人の顔の造作はほとんど同じだ。
葬式は密葬で行われた。といっても、分家を含めた一族は五十人を下らない。一般のそれとは種を異にする葬儀であった。僕の知識として持っている、経を読んだり焼香をあげたりする類のものは一切なく、ただ祖母や親戚の誰かが長々と唱文を読み続けるだけであった。とはいえ、子供の僕には退屈以外の何者でもなかったが。
すべてが終わり、最後の祖父との別れを告げる段階になった。僕はそこで生まれて初めて人間の死体というものを見た。死に化粧を施した顔は綺麗であった。本当に死んでいるのか、ただ眠っているだけなのか判然としない。しかしその顔には、生きている人のような艶やかさはなく、氷のように冷たく青白く、それが血の通わぬ証拠でもあった。
母は泣いていた。祖母も慎むように涙を流していた。さっきあれほど悪態をつけていた叔父でさえ、目を赤く染めていた。父は片ひざをついて棺の中を覗き込み、祖父に何かを呟いていた。後ろ向きでよくわからなかったが、一筋の光るものがその頬をつたっていた。
式が済むと僕は一人離れに帰った。両親は僕を置いて火葬場へ行った。日差しの温かい縁側に、身体を放り出して大の字に寝そべる。そうして自分の見ていた世界を顧みた。祖父の遺体を見て泣いていた大人たち。一体祖父はどういう人間だったのだろう。それほどみんなに惜しまれる存在だったのだろうか。その場の雰囲気につられて一緒に泣いていた僕には、到底理解し得ないことだ。
僕の中にはすでに何の感情も起こっていなかった。父や母たちの心の中には、存生していた頃の祖父が存在し、僕にはない。それだけのことだ。そう考えると、僕の見えている世界と両親たちの追憶との間に立った祖父の遺体なるものが、意味のあるようなないような、変な物体に思われた。