惨劇
四月ももう終わる頃、学校でとんでもない事件が起きた。
その日、僕は学校に遅刻しそうになった。かなり焦りながら最後に教室に入った僕は、いつも以上に騒がしいその空間に気を払う余裕もなく、ただ席に着いて「ふう」と深呼吸をした。すると前の席の男子がこっちを向くなり、
「おい、聞いたか?」
と問いただしてきた。もうすぐ五月とはいえ、早くも半袖で登校してきているこの少年は、いつもクラスの中心になって駄弁っている奴だ。そのとき初めて僕は、普段と違う教室の雰囲気に気がついた。
「またあの幽霊がでたとか?」
教室中が騒ぐならきっとこれしかないと、僕は腹の中で予期してかかった。というか、僕の中ではその幽霊の正体、すなわち神篠由宇のことしか考えていなかった。
「そんなのならまだマシだぜ」
そう言った彼の顔は真に迫っていた。僕はやっとのことで、ダレた首を違う方向へ向けた。あちこちでざわついている生徒たち。その中には泣いている女子も数人いた。これはただごとじゃないなと考えていると、前の席の男子が大体のことを話してくれた。時間がたつにつれ、他からもいくらか情報を得ることができた。
事の顛末はこうだ。昨晩、正確に言うと今日の午前二時ごろ。市内に住む高校生ら数人(俗に言う非行グループ)がこの小学校でたむろしていた所、突然飼育小屋のほうから動物の慌しい鳴き声が響きわたってきた。その悲痛な鳴き声に驚いて、高校生たちが恐る恐るそこへ近づいてみると、中にいた鶏やウサギがむごたらしい姿になっていた。怖くなった彼らは一目散に逃げ帰ったらしい。
朝になって、出勤してきた教職員によってようやく警察に通報された。目撃証言によって、高校生たちには事情聴取。当初は彼らの仕業だと思われたが、彼らの必死の訴えとその怯え様から、犯人は別にいるとされた。
早くから登校した生徒の中には、その惨状を生で見た人もいたらしい。警察にいろいろ聞かれたことを、自慢げに話すクラスメートもいた。もちろん犯人を見た生徒など、いるよしもなかったが、中にはやはり、幽霊の仕業だと噂する輩がいた。その無責任で馬鹿げた推量に、僕は黙りながらもむかっ腹をたてていた。あの少女が、神篠由宇がそんなことをするはずがない。彼女は死んだ動物たちをずっと見守ってきたんだ。あの場所に眠る動物たちをずっと。
そこまで考えて、ふと僕はある疑問を思った。殺された動物たちは、どこかに埋められたのだろうか。そうして休み時間中、その疑問を前の席の男子に投げかけた。
「ああ、それなら保健所に引き取ってもらったんじゃないか」
と、彼はそっけなく答えた。迂闊な僕は、ここで初めて保健所という存在を知った。それについて詳しく教えてもらった後で、彼はこう言った。
「で聞いた話だと、そういう死体は焼却処分されるらしいぜ」
それを聞いた僕は自分の耳を疑った。
「焼却処分…って」
「つまりアレだな。ごみ処理場で燃やされる。死んだらゴミと同じ扱いなんだよ。可哀そうだよな」
僕は心を締め付けられるようなひどい衝撃を受けた。あまりにも哀れすぎる末路じゃないか。誰かに無理やり命を奪われたこともさることながら、お墓さえ、生きた証さえ残してもらえないなんて。そう呟いた僕を、前の男子はキョトンとした表情で見ていた。
「女じゃあるまいし。そんなに思いつめるなよ」
彼は冷ややかに言い放ったが、その態度は特別冷淡というわけではない。現に他の生徒だって、あんな事件があった後でも馬鹿笑いしてる奴がいる。勿論僕のように沈んだ調子の人もいる。朝泣いていた女子は、気分が悪いといって早退してしまった。確か彼女は飼育委員だったと思う。無理もない。
放課後、例の場所で僕は感傷に耽っていた。
「確かに動物墓地とかはあるぜ。家で飼ってた動物が死んだときは、そういうところに葬ってあげられるけど。でもそれはよほどの金持ちぐらいじゃないとできないぜ。まして飼育小屋の動物のために、学校がお金を出すはずはないだろ。税金でやってるんだぜ、学校は。ま、確かにおまえの考えも分かるけどな。哀れだと思うよ、俺も」
一般知識に富んだあの男子の結論。それが頭の中でグルグル巡っていた。
無論人間側の都合から言えば、焼却処分という選択は間違いじゃないと思う。お金の問題、土地の問題、疫病など、あらゆる障害がじゃまをしているのは事実だ。だがそれは、所詮人間の都合でしかない。今の僕には、人間でありながらそういった人間中心の考え方が、ひどく悪者のように思えてならなかった。
生物学者やその他多くの自然派の中には、あるいは僕と同じ気持ちを持っている人もいるかもしれない。しかしそれら自然主義者の考え方は、生きているものに限られる。僕のは少し違う。死んでしまったもののほうが、はるかにたっとぶべき存在だと思うからだ。それは、この場所で神篠由宇に出会い、そしてこの場所で眠る動物たちの思いを、温もりを肌で直接感じているからに他ならない。だからあの男子にしてみれば、人間都合主義の知識を、いつ身につけたかはわからないけれど、知った時点でその考え方が常識となったに過ぎない。けっして彼が悪いのではない。何が善くて何が悪いかなんてことは、まだ若すぎる僕の頭では判るはずもなかった。
「おまえたちはよかったよな。こうしてこの場所にいられるんだから」
そう言いながら、僕はユキの頭をなでた。ユキというのはウサギの名前で、ここの動物たちの中で僕を一番慕ってくれる子だ。ユキは胡坐を掻いた僕の脚の上で気持ちよさそうにしていた。
他にも名前をつけた動物はいる。鶏のリュウ。セキセイインコのコト。そして亀太。亀太はもちろん、この前埋められていた二組のミドリ亀だ。彼らに触れられるようになったのはつい二日前のことだった。
「ごめんな、おまえたちの仲間連れてこられなくて」
気の毒そうに僕がそう言うと、ユキは僕のほうをみつめた。まるで僕を慰めてくれているようだった。気分のくさくさしていた僕は、その日いつもより早めにその場を去った。