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干渉

 由宇は指先に乗っているコトを見つめていた。

「霊は人の創り出した幻像。叔父様がそう言ったのね」

「うん」

「だったら、今アナタの膝の上にいるウサギもこのインコも、幻だと言えるわね」

「それがわからないんだ。ユキは確かに死んでしまっている。けどどうしてもそうは思えないんだよ。第一こうして触っていられるんだし」

「触れるという認識さえも、その子が残した思念から生じる幻だとは思わないかしら。ユキはヒトの温もりを欲しているし、アナタはユキに触れることを望んでいる。同じような理由で、アナタはすでに幻を見ているはずよ」

「給食中、教室に現れたユウ姉のこと? それって生きている人の思念の話じゃないの」

「遺志と思念とを分け隔てるものはないの。どちらであろうとそれが他人に認識させる形は、その持ち主の存在同様、意識の具現形に他ならないし、形作られた認識は持ち主の概念そのものだから。言い換えれば霊は命そのもの。そして存在ではなく概念として捉えるべきもの。私の中の霊というものの位置はそうなっているわ。叔父様が言った幻の……」

 由宇が最後まで言い終わらないうちに、コトが何かに驚いたように、パッと由宇の手を離れた。樹の周りを一周して、そのまま校舎のほうへ飛び去ったかと思うや、空気に溶け込んで消えていった。由宇は立ち上がり、少しだけ険しい表情でコトの飛び去った方を見上げた。彼女の意見を聞いて感慨に耽る間もなく、僕はその挙動を追いかけた。

「彼の日、天上太衝に隠るる朱雀。彼の地、辰星の精魂鎮めるは凶兆か」

由宇がそう言うと、校内放送が聞こえてきた。

「四年三組、折月君。至急図書室まで来てください。繰り返します。四年三組、折月君。至急……」

「穂村?」

気づいたように僕は呟いた。その声は紛れもなく穂村の声だった。

「もうしばらく静かにしていてくれると思ったのだけれど、どうにもそうはいかないみたいね」

凪いでいた風が急に強く吹き始めた。揺れ動く髪が由宇の表情を隠していたが、彼女の冷静な気魄を僕はその言葉から感じていた。

「今の声に心当たりが?」

横目で僕に尋ねる由宇。

「同じクラスの穂村だと思う。さっき話した幽霊の正体を調べてるっていう女子だよ。図書室で残って調べ物するって言ってたんだけど……」

「生徒が私用で校内放送を?」

「考えられない。それに倭先生が僕を探してるって聞いたんだ。多分先生に頼まれたんじゃないかな。ユウ姉が近づくなって言うから、ホームルーム終わって急いでここに来たけど」

「賢明ね。でも危険なのはアナタだけじゃないみたい」

「それって、まさか穂村が……」

驚きのあまり、僕には危険という言葉が口にできなかった。

「稀にいるのよ。自分の知らないうちに、物理的現実から足を踏み外す人が」

「で、でもまだ倭先生が犯人だっていう理由がないよ」

「あるわ。いいえ、それを見つけられそうになったから、むこうもじっとしていられなくなったんでしょう。十五年前の事故、そして倭先生の思い出。その繋がりを確かめる必要があるわね」

「と言っても、先生にはもう近づけないし」

「そう言っていられるほど、こっちに余裕はない。むこうがなりふり構わず誰かを傷つけるようなら、最悪封殺してでも止めないと」

「僕も行く」

危険なのは分かっていた。言って由宇が賛成するはずないことも。けれどクラスメートが、それがたとえ知り合って間もない人であっても、その身に危険が及ぶのを黙って見過ごせるほど、僕は軽薄ではない。由宇の反応を待たずに、僕は立ち上がった。

「同じこと、何度も言わせないで。アナタに力がない以上、関わることは許さない」

今までのように優しい口調で制止しない、それが彼女の緊張感を感じさせた。

「分かってるよ」

「分かってない。言ったわよね、甘い考えで行動すればすぐに食い尽くされるって。今度は何。友達を助けたいから?」

「そうじゃなくて……」

「私のことが心配だから?」

「そうじゃない」

「宿星の後継者だから? 器だけじゃ何にもならないわよ」

「そうじゃない!僕は倭先生を救いたいんだ!」

そう叫んだ僕を、由宇はただ落ち着き払った目で見ていた。

「ユウ姉、言ったよね。何かが起こるのは理由があるからだって。倭先生にどんな理由があるのか分からない。けど自分が可愛がってた動物たちを殺さなくちゃならないほど、辛いことがあったんだって僕は思う。勿論殺された動物の無念も晴らしてあげたいし、穂村のことも心配だよ。だけど……一番どうにかしてあげないといけないのは倭先生だと思ったから……」

先生を救いたい。それは、未だに先生が犯人じゃないと信じたい僕の捏ね上げた、どこから出たともつかない屁理屈だった。僕自身、それが本心からの台詞かといえば判断しかねるし、まして由宇を説き伏せられるほど有効なものだとは思えなかった。

 僕は半ば諦めの気持ちでうなだれる様にうつむいていた。すると、由宇は僕の前まで歩み寄ってきて、

「是、吾の使役し奉る」

と静かに囁いた。調子を外したような語句に、思わず「え?」といった風に顔をあげた僕。その顔を両手でおもむろに抱えると、彼女はまた口づけをしてきたのだった。硬直したままの僕は彼女の独特の甘い匂いを感じて、再び安息を取り戻していた。

「落ち着いたかしら」

柔らかな唇を離すと、彼女はそう言った。

「他人の思念に中てられてしまったのね。擬似精神の干渉といって、術者としての自覚が芽生え始めると、必ず憑いてまわる物なの。アナタの記憶でも意思でもないのに、アナタの体が自分のものだと感応してしまう、中毒のようなもの。冷静になってよく考えれば分かるはずよ。そもそも、アナタは倭先生とそれほど親しい仲じゃない。アナタが信じているのは、思い出のとして語られるだけの、精神現実にのみ存在するもの。物理的現実でアナタと接している人とは全く別の虚像よ」

 僕は力の抜けた如くその場にしゃがみ込んだ。そうして自分の記憶の内に、自分の経験以外のもがあることに初めて気がついた。

「けれど、本来ならここまで顕著に症状が出ることはないはず。何者かがアナタを倭先生に会わせたいが為に、作為的に干渉しているのでしょうね。その結果が破滅とは言い切れないけれど、危険性がある以上、アナタを連れて行くわけにはいかない。今、アナタを失うわけにはいかないの」

「ユウ姉……」

「ここにいれば安全だから。でも日が落ちるまでには帰りなさい。それまでには戻ってこられると思うけれど、一応叔父様には連絡しておいて。それから絶対に校舎には近づかないで。何があってもね。……行くわ」

風によって顔を覆った髪をかき上げると、由宇はゆっくりその場から離れていった。そのとき僕の目に映った光景は、初めて彼女の洗礼を受けたあの日のそれと全く重なっていた。白く消えていく由宇の後姿を見送りながら、金縛りのように動けぬ内に意識が遠のいていくのを僕は感じていた。

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