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登校

 全生徒の中では比較的遠い家と学校の距離。僕の足で大体三十分弱だ。億劫な道のりも今日は、いや、今日からはきっと楽しいものになるに違いない。浮かれ気分でずんずん進む僕。その後ろから、長い髪をなびかせてそろそろと由宇がついて来る。しばらく歩いたところで、僕は少しだけ後ろを振り向いてみた。彼女は素知らぬフリで、あちらこちらを見ながら歩いていた。

 やがてその途中、二本の白く塗られた鉄の支柱で鎖されたような細い横道が見えてきた。支柱の片方に「何々碑」と書いてある。側にある緑地公園の敷地の中に組み込まれてはいるが、そこから直接出入りできるわけではなかった。僕は立ち止るとその入り口を眺めて、

「ここを通れば近道なんだけど、どうする」

と言った。由宇は考える様子もなく、

「あまり気が進まないけど」

と答えた。余裕のなかった僕は、ためらう由宇を説き伏せてそちらを行くことにした。

 植林の中を通り抜けて奥へ進むと、左に大きな濃灰色の御影石があった。およそ二メートル、大人が手を伸ばせば届くぐらいのその石に、十数文字の漢字が彫られていた。人の名前らしいのと、最後の二文字の「ノ碑」の意味だけは大体分かっていた。

「これってさ、何かの神様を祭ってるの?」

ここぞとばかりに、僕は以前からの疑問を由宇に投げかけた。

「昔の偉い人の業績を称えているのよ」

「偉い人…」

二人とも立ち止まってその碑を見上げた。

「多分この地域の発展に努めた人じゃないかしら」

「へえ、でもこれって意味あるのかな。昔の人のことなんか分かんないしさ。偉いとも何とも思えないよ」

苦笑しながら僕は由宇の方を向いた。それを受けて彼女は、

「そうね、称えることに意味はないわ。むしろこの人の思念を、『この町を善くしたい』という思いを現在に残しておくための物ね」

と真面目に解釈した。

「人の思念はどういう形であれ残るものよ。こういう人工物だったり、その後ろに立っている樹の様な自然物だったり。勿論他人の心にも。おじい様の遺志が私の中にあるようにね」

僕は心の中で「ふうん」と言ってまた御影の碑を眺めた。そして僕たちは再び歩を進めていった。

「人の心の中に残った思念は、時として人の心を惑わせる。それがネガティブであるほど、闇はより深く人の心に潜ってしまう」

横道を抜け二、三分して、不意に由宇がその話へ戻ってきた。僕は何も言わずに彼女の隣を歩いていた。聞き入ろうとするには、もう時期が過ぎてしまっているという風に。

 先ほど言ったとおり、由宇を家に連れてきた要因は僕であった。しかし、何故彼女が学校に通うことになったのかは、僕のあずかり知らぬところだった。路地と広い通りの交差点に差し掛かったところで、僕は口を切った。

「でもユウ姉が学校に行けることになってよかったね。もしかして、ユウ姉が行きたいって言ったの」

「ええ」

由宇はあくまで簡潔に、尋ねられた質問の答えだけしか言わない。だから僕はいつも物足りなくて、その後また質問を繰り返すようになっていた。

「何で行きたいって思ったの。もしかして、学校で災異が起こりそうだとか?!」

真剣な面持ちに直って僕は尋ねた。由宇はただ前を見て、考えるように少し眉をひそめる。すると、微かに口元に笑みを見せて言った。

「私が行きたいから。それだけよ」

 僕にはその返事が普通すぎてつまらなかった。拍子抜けと言うよりも、はぐらかされた気がして、僕は僅かに憤りを感じた。そしてつんとしながらサクサク交差点を渡りだした。勢い由宇は少し遅れがちになった。彼女は後ろから「待ちなさい」と声をかけた。と同時に、僕の襟首を右手で引っ張り、左手で身体を抱えた。瞬間、僕の目の前を猛スピードで車が通り過ぎた。風圧で前髪と服の裾が持っていかれる。腰の抜けそうになった僕は、由宇に寄りかかるようにして立っていた。

「だから言ったでしょう。気が進まないって」

「え、何が」

「あの横道は方角的に善くないの。『凶方位』って言葉、この前聞いたでしょう」

持ち直した僕の体から手を放すと、由宇はそう言った。

 命を助けてもらっておいて何だが、そのときの僕は腹の中で彼女を憎らしく思った。分かっていたなら、どうして教えてくれなかったのか。再び学校へ向かって歩き出してからも、ムスッとしたまますたすた先を行った。由宇の方でもそれに気づいているのかいないのか、まったく僕の様子に戸惑う仕草もなく、例の如く黙りがちに澄ましきった歩みを続けていた。

「ユウ姉は偶然とか考えないの」

反抗心のつもりで、僕は別の問題で由宇を困らせてみたくなった。

「偶然?」

「そう、偶然。僕がさっき車に轢かれそうになったのも、考え方によってはただの偶然じゃないかなって」

「私は…物事はすべて理屈で考えるようにしてる。だから私の中に偶然はないわ」

「それじゃあ、ユウ姉が学校に行きたいって思ったのも、ただの偶然じゃないよね」

その言葉に由宇はすぐ返事をしなかった。僕はそれをやり込めれたようにも、暖簾に腕押しのようにも感じた。しょうがないので底まで追求せずにうちやっておいた。

 学校沿いの道路まで出ると、同じ若草小の生徒たちの姿がちらほらと目に入ってきた。今でこそ小学生でも普通に男女交際をしているが、当時は男子と女子が二人で話しているだけでも、冷やかされたものである。並んで歩いていた僕たちを横目でちらちら見ては、何かしらの反応を見せない人はいなかった。そんな風に見られることに気を取られていた僕は、さっきまでの会話を忘れるくらい頭の中がへどもどしていた。校門の手前で由宇に突然喋りかけられるまで。

「あなたの言ったように、ここで何かが始まっているのは間違いないわ。それが災異の予兆かどうかはまだわからないけれど。事によると、神明大社へ行く前に一ヤマ起こるかもしれないわね」

「やっぱりそうなんだ。じゃあ今日から早速行動開始だね」

「そうね、でもあなたは何もしなくていいわ」

意気込んでいた僕は彼女の言葉にカクンとなった。そうして不満そうに彼女を見上げた。

「さっきのこと、もう忘れたの。凶方位からですらあなたは身を守れないのよ。あなたにはどう感じるか分からないけれど、この場所に学校があること自体危険極まりないの」

由宇は何かを感じ取るかのように、ポンポンと壁を手のひらで叩いてみせた。そして強い眼差しを校舎に向けた。

「あなたにさっき凶方位について何も教えなかったのは、知識だけ先に備えてほしくなかったから。確かにあなたには早く陰陽道の理を学んでほしい。けれど、知識があるのと力を備えているのはまったく別の問題よ。それを勘違いして無暗に首を突っ込む真似はしてほしくないの。だから今は私に任せて。私があなたを必要とするそのときまで」

彼女はまた眉をひそめて笑みを作った。

 その談話もついに校舎へ辿り着くまで発展せずに終わった。と言うよりも、由宇が僕の心を見透かしていたことに対して畏縮してしまって、これ以上進む気が起こらなかったのだ。僕のことを思って「だめだ」と言われれば、仕方なく引き下がるしかない。けれども彼女の変な笑顔は、僕の中に葛藤を植えつけるには十分であった。校舎裏や本家で見せたような、彼女自身が嬉しくて自然と出る笑顔とはまったく違う「作った」笑顔。目につきだしたその日のうちに、僕はそれが嫌いになった。

 由宇は直接職員室に寄ると言うので、そこまで送っていってから僕は自分の教室に向かった。放課後、例の場所で落ち合うことを約束して。

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