朝食
五月二日、朝。僕は朝食に出された食パンをほおばりながら、対面に座っている由宇の様子を窺っていた。勿論ここは自分の家である。何故僕の目の前に由宇がいるのか、自白すれば、彼女を家へ連れて来させたのは僕なのだった。経緯を説明するならば、話を数日前に戻す必要がある。
それは本家から去るその日、帰る間際になって父が、
「母さんは本家に残していこうと思う」
そう言ったからだ。災域の中心に近い我が家に母を置いておくと、しばらく家を空ける父としては、力のない僕一人では心許ないと言うのだ。
「安心しろ。水島さんが家に来て、家事とかはやってもらえるから」
躊躇する僕を見て、父は見当はずれになだめた。そんな父に内心不満を抱いた僕は、
「だったら由宇に家に来てもらえば」
と無茶なことを言ってみた。勿論、父は僕のこの意見に対して反対した。封殺役の由宇としては、災域の中心にいたほうが機能的にもいいし、陰陽道的知識における僕の教育係にもなるわけだから、むしろ僕の方に分がある。しかしながら、父は頑なに渋った。父のことだから僕が推察したようなことは、とうに考慮していたに違いないはずだ。それなのに筋の通った理由もなくただ、
「母さんに負担がかかる」
と繰り返すだけだった。父の言う「負担」とは、日常的な世話のことだと僕は捉えていた。それ以外捉えようもなかった。
「働きに出てるんだからあまり関係ないじゃんか。二人いれば料理も掃除も協力してできるんだから」
僕が反論すると、父は問題の矛先を変えて、
「それならおまえのためにもよくない」
と言いなおした。僕が何故僕のためによくないのかと聞き返すと、今度は父の方で答えを躊躇するのだった。
実を言うと、僕とて強いて母を家に引き止めておく必要はなかった。母を危険な目に遭わせるのは僕だって嫌だから。けれどここでやっと由宇と出会えたのに、また離れ離れになってしまうのは、それが束の間のことであろうと僕には心苦しかった。大好きな玩具を取り上げられた赤ん坊がそれを取り返そうと必死に泣くが如く、僕は由宇に執着するのだ。
一向に収束しない論議を見かねて、祖母が仲に入って口を出した。
「由宇にとっても、普通の家庭というものに触れることが必要だと私は考えます。ここは『宿星』である究作の意見を尊重するのが妥当でしょう」
もとより身寄りのない由宇は、本家の目が届くところであれば、何処にでも行ける身であった。無論本人が望めば、の話だが。その点において彼女が僕のこの処置に対して、はたして喜んでくれたかは疑問だが、家に初めて来て僕に会うなり、
「よろしくね」
と言って、握手を求めてくれたのが、僕にはこの上なく嬉しかった。
ともかく、由宇が我が家の一員になって、本当に自分に姉が出来たようだった。調子に乗って「由宇姉さん」なんて呼んでみたりもして、最初こそ戸惑ったけれど、抵抗もなく「何、究作」と優しく応答してくれたことで、本当の姉弟のように早急に打ち解けていけた。今では「さん」を略して「ユウ姉」で通じているくらいだった。
父は数日間家を出たままだが、毎日電話をしてくれていた。別に大した用事ではないのだけれど、やはり僕たちのことが心配なのだろう。災厄が何処まで押し迫っているかは、母や僕には分からない。だから由宇に代わろうかと言うのだが、「いや、それには及ばない」と父はいつも断るのだ。由宇を迎え入れたことに未だに慣れないのだろう。
その点、母の方が腹をくくっている度合いは高い。何とか彼女と打ち解けようと努力しているのが覗えるから。例えば今目の前にある朝食においても、由宇だけ和食にしてある。おそらく小さい頃から食べ慣れたものを作ってあげようとしているのだろう。
しかしながら母に対しては、僕にそうするような開放というか、自分を見せるようなところが由宇には見受けられなかった。勿論嫌っているわけではないのだろうけれど、彼女の落ち着き過ぎた言動が、冷たく感ぜられるときがよくあり、そういうことで母はよく失望させられたのだろうと思う。
「早く食べちゃいなさい。ほらもう学校へ行く時間でしょう。今日は由宇ちゃんの初登校日なんだから、究作がちゃんとエスコートしてあげないと」
時計を見ると七時五十分。僕はトーストの最後の一口をコーンスープで押し込んだ。支度をすませ、慌てて部屋を飛び出す僕。対して由宇は自分の食器を片付けようとする。それを見た母は、
「いいのよ由宇ちゃん、私がやるから」
と彼女を制した。
「…お願いします」
そう一言だけ告げると由宇は僕の後についてきた。
「んじゃ、いってきます」
「いってらっしゃい、究作。由宇ちゃんも」
「いってきます、叔母様」
「あ、あのね、由宇ちゃん」
「はい、何ですか」
ドアノブに手を当てたまま振り返る由宇。
「その、何でもないことなんだけれどね…」
と余計な前置きをする母。なかなか来ない由宇の様子を見て、僕は堪らず扉の隙間から訴えた。
「母さん、遅刻しちゃうよ!」
「と言ってるので、帰ってからでいいですか」
「あ、ええ、ごめんね。いってらっしゃい」
母の言葉をすり抜けるように、僕たちは学校へと急いだ。