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再会

 夜が明けた。打ちつける強い雨音と肌寒さで僕は目を覚ました。大きく伸びをして寝返りをうつと、両親の姿が無いのに気づいた。未だ目覚めぬ精神で慌てた僕は、枕元の置き手紙の存在に気づくのに時間がかかった。

「母屋のほうに行ってます。すぐに戻るから着替えて帰る準備をしていなさい」

と、それには一行だけ書かれていた。

 昨日はあれからどうしたのだろう。「宿星」になることを請けてから、いや、神篠由宇に囁かれてから床に就くまで、半ば無意識のようなふわふわした感覚でずっといた気がする。

「本当にいいんだな」

そういえばそんなことを、布団に入る直前に父から尋ねられたのを思い出した。その問いに対して僕は、

「父さんが母さんを守っているように、僕にも守るべきものがあるから。僕にしかできないことだから」

と、そういうふうなことを答えた。あのとき父が何を思っていたのかは分からないが、まだ僕を裏の世界へ招くことに煩悶を持っていたのではなかろうか。でなければ、あの問いかけは僕の覚悟に対する猜疑心から出た言葉と片付けられる。しかしどちらにしろ、僕の答えも覚悟も一時の感情の昇興ではないのは確かだ。少なくとも僕の中には葛藤というものは存在していないし、父の持つ覚悟と僕のそれとを比較しても、何ら遜色ないように思われた。

 着替えている間に雨足は、しとしとという形容がぴたりと嵌まるほどに弱まった。両親はまだ戻ってくる気配がない。手持ち無沙汰の態で、柱に寄りかかり庭を眺めていた。こんなことなら…

「本でも持ってくればよかった。そう思ってるのかしら」

卒然と僕の気持ちを代弁した声が聞こえた。この声は、まさか。直ぐに後ろを振り返るとまさしく彼女が立っていた。

「おはよう。『宿星』君」

そう言って僕の隣に座る神篠由宇。膝を抱えた手の上に頭をのせ、じっと僕のほうを見た。

 僕は気恥ずかしくて目を合わせられなかった。何を話そうか、話したいことがたくさんありすぎて、どれから話したらいいものか。収拾がつかずにいると、少女の方から

「ありがとう」

と、意外な言葉がでてきた。僕は思わず「え?」と返さずにいられなかった。

「『宿星』になってくれて、ありがとう」

彼女は優しく微笑んだ。

「あ、どう、いたしまして」

 彼女に感謝されるのは、あの日以来二度目だ。あの日の笑顔も今日の微笑みも、僕の心に一縷の温もりを与えてくれていた。ただその表情の裏に、何となく寂しさのような影がさしているように思われた。それは、彼女の何処となく愁いを帯びた瞳のせいだと考えられなくもなかった。

「こんなところでまた会えるなんて思ってもみなかったよ。あれから毎日あの場所に行ったんだけど…。君は―」

「由宇、でいいわよ」

「由宇は若草小の生徒じゃないの」

「ええ」

「じゃあ、こっちの学校に通ってるんだ」

「いいえ、私、学校には行かないから」

「え、何で」

「行く必要がないもの。私は折月家のために、陰陽術やいろんな呪法を学べばそれでよかったから」

「そう、なんだ」

「それに幽霊の私が学校に通えるわけもないし」

付け足したその言葉に、僕ははっとして由宇の顔を見た。凍りつくようなあの表情を思い出して、背筋を嫌な汗が流れていくのを感じた。幸い、彼女はいつもと変わらぬ澄ました面持ちだった。

「それって、どういう意味なの。ずっと気になってたんだけど」

「…アナタ、幽体離脱って聞いた事があるかしら」

僕はテレビとかで知っていた。しかしそれが事実起こるとは思わなかった。

「そう、確かにそういう体験をする人もいるけれど、でもその内の殆どは単なる幻覚。夢と同じことよ。でも、あの場所に現れた私は私の精神そのもの。身体を除くすべての私。亡くなったおじい様の力を借りて、私の念を送ってもらったのよ」

「何のために」

「理由は二つ。一つは結界網の集約点を特定するため。もう一つは究作君、アナタの力を覚醒させるため。おじい様は自分の死期が近いことを覚って最善の策を選ばれた。結果的に身体を弱らされて、私も数日しか学校にいられなかったけど、でも目的の一つは達せられた。こうしてアナタがここに来てくれたことが、おじい様への最高の手向けになったわ」

「そうか、だからあのとき幽霊かもしれないって言ったんだ。『お姉さん』て言うのも親戚のってことだったんだね」

 僕は一人納得して安堵の笑顔でいた。神篠由宇についての謎はほとんど解けた気でいた。由宇は何とも言わずに、雨の降る庭の景色を眺めていた。

 それから僕は、学校のこと、倭先生の思い出のこと、動物たちに名前をつけたこと、飼育小屋の惨事のことを話した。由宇は話の合間に気のない相づちをするだけだった。一辺通り話した後で、とうとう僕は由宇の意見を聞きださなくてはならなかった。

「それでそいつの言うとおり、やっぱり焼却処分するしかないのかなって。せめてお墓だけでもあの場所に作ってあげたいんだけど、由宇はどう思う」

一呼吸置いた後、彼女は冷ややかに、

「作ってどうするの」

と答えた。

 僕は肯定的な返事を期待していた。根拠立てられた自信があった。それだけに彼女の言葉は、辛辣な響きを以って僕の胸に突き刺さった。

「アナタ、『死』というものがどういうことか、本気で考えたことがないでしょう」

「そんなことないよ」

少しむっとして僕は答えた。

「じゃあ、おじい様の亡骸を見たときどう思ったの」

僕はそのときの感情をありのままに話した。すると由宇は立ち上がって僕のほうを見下ろした。対するように、僕は彼女の顔を不愉快そうに見上げた。

「つまり動物たちは可哀そうでおじい様はそうでない。そういうことね」

「そうじゃなくて、僕はもう少し動物たちに優しくしてほしいだけなんだ」

「優しく?違う、偽善よ。アナタは単に自分の思うようにしたいだけ。自己満足をしたいだけなのよ。同情でお墓を作るのに何の意味があるの。そんなことで死んだ動物たちが幸せになれるなら、私なんかここにいる必要ないし、生まれることもなかった」

 由宇は興奮しているように見えた。いや、そんなにというほどでもなかったが、平生の落ち着き払った態度を顧みると、滅多に見られるものではなかった。しかし僕の驚いたのは、けっしてその声の強さではなかった。むしろ、言葉そのものの意味するところに、意外さを見出していた。僕は神篠由宇という人間をもっと強い者だと思い込んでいた。そうしてその強さと優しさに、父に対するような慕情の根を張っていた。浅はかな考えで由宇に気に入られようとした僕は、その悲愴感漂う言葉の根底にある彼女の弱さを、図らずも引き出してしまったことに後悔していた。彼女は言った。

「アナタが考えている以上に、こっちの世界はシビアなの。甘い考えで行動してたら、すぐにつけ込まれて喰い尽くされる。私はアナタにそうなってほしくない。『弦月』の後継者である私には、『宿星』であるアナタが必要だから。命を預けられるほどの信頼に足り得る人に、アナタにはなってほしい。私はそう願ってるわ」

「ごめん。これから頑張るよ。でも自分が生まれなくてもよかったなんて、そんな寂しい考えは止したほうがいいんじゃないかな」

そういった僕の意見に、由宇は耳を貸さなかった。

「私はこの国を護るばかりじゃない。この国に住むすべての生き物の幸福というものを、この手で預かっているの。私がここにいる理由はそれだけで十分だと思う」

こういう使命を背負った彼女に対して、僕は畏敬の念も同情も起こらなかった。あるいは、自分自身の幸福さえ願えれない彼女の信念を知って悲しくなった。

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