第36話
目の前にセイディーンの執事が座っている。
その事に不思議な感覚を覚えた。
ここはセイディーンの治める領地で、私はストーンマスターとして名が通るようになって、接触する可能性は高くなっていたと思う。
それでもこんなふうに突然セイディーンが関わってくるとは思わなかったのだ。
「私の主は王都の軍に所属する騎士でしたが、スフィア様にお仕えし魔道力を捧げた為、軍から退くことが決まっていました。宝珠の消滅の後、母君がお亡くなりになり、この領地に戻って領主の地位を継いだのでございます」
グレドルフに忠誠を誓っていたのは、お母さんを護ってくれたからだと聞いた。
そのお母さんが亡くなったという。
なんとも言えない複雑な気持ちが私の中に湧き上がる。
「宝珠が消滅してしまった今、この国は終わりです。国の主要官吏の殆どはこの国から出て行き、国の政は混乱を極めております。そのせいで、王都の協力はあてに出来ず、我々は領地ごとに孤立しているようなものです。セイディーン様は、魔物を排除し、領地を護りながら、領地に住む者を助けていかなければなりません」
「……」
「しかし、あの方は王都から戻ってきてから……」
ルザーさんは遠くを見て、何かを思い出しているような表情を浮かべている。
きっと彼はセイディーンが小さな頃からローラン家で働いているのだろう。
「私はあの方を幼少の頃からお世話させていただいております。ですから、あのように辛そうなあの方を見てるのは忍びないのです。どうか、貴女のお力で、あの方を癒してくださいませんか?」
「え?」
突然の頼みごとに、頭の中が真っ白になる。
この人は私がスフィアだったことを知っているのだろうか?
そう思った瞬間、ルザーさんはカバンをテーブルに置いた。
「このお金で足りないようでしたら、必ずお金を作ります。ですから、セイディーンに癒しの魔道を……」
自分の存在ではなく、魔道石を使う力を求められていたのだとわかって苦笑が漏れる。
私がスフィアだったことは誰も知るはずがないのに……。
「貴女の給料、1ヶ月分の半分が報酬です。それ以上はいりません」
「では! お受けしていただけるのですか?」
「ええ。いつになさいますか?」
「……実は、セイディーンには何も話しておりません。とても顔色は悪く、いつ倒れてもおかしくないような状況です。出来るだけお早くお願いしたいのですが」
「……では、今から行きましょう」
「なんと! よろしいのですか?」
「今日の診察はもう終わりましたから」
「ありがとうございます!」
瞳を潤ませ、ルザーさんは嬉しそうに私に頭を下げてくる。
彼は本当にセイディーンを愛しているのだ。
こんなに彼を思う人に頼まれて断わることなんて出来ない。
正直、会うのは恐いが、彼が私の正体に気づくはずはないだろう。
スフィアの印は隠しているし、ストーンマスターは私だけじゃない上に、今の私は北斗の姿をしているのだ。
半年振りに彼と会える。
馬車に揺られ、私はローラン家へとやって来た。
とても大きな館で、領主の屋敷らしい感じだ。
「セイディーン様は執務室におります。一緒にいらしてください」
「はい」
廊下を進むと、心臓が息苦しくさせるほど高鳴った。
最後に会った時の、正装をしたセイディーンの姿が目に浮かんでくる。
鼻がつんとして涙が滲む。
ルザーは重厚なドアの前に立って、ドアをノックする。
「セイディーン様、ルザーです」
「入れ」
確かに彼の声だった。
半年ぶりの彼の声に、心臓の鼓動が早くなる。
「少しここでお待ちください。話をしてまいりますので」
「はい」
ルザーが中に入っていってしばらくした後、突然、セイディーンの怒鳴り声が響く。
「よけいなことをするな! ストーンマスターなど必要ない。帰せ」
「ですが……」
彼は普段、物静かで温厚な態度を崩すことがなく、めったに大きな声を上げた事がない。
その彼が怒鳴っている。
かすれてしわがれたセイディーンの声に胸が痛む。
確かに健康な人間の声ではなかった。
魔道石は別に相手の顔を見ないと発動できないわけじゃない。
私は袋から、癒しの魔道石をいくつか取り出した。
「クレイアラル! 癒しの光よ、この部屋にいる者すべての体内に潜む疲労をすべて癒せ!」
呪文により、石が光となり光がドアの隙間に吸い込まれていく。
これで癒しの魔道は発動された。
セイディーンだけでなく、ルザーにも疲労回復は必要だ。
2人は色々なことに疲れて心も体も疲労している。
体の疲労が消えれば、お互い少しは冷静になれるだろう。
ドアの前から去ろうとした時、いきなり大きな音を立ててドアが開いた。
振り返ると、瞳を大きく見開いたセイディーンが立ってる。
しかし、その変わり果てた姿は痛ましいほどだった。
体は痩せ細り、頬はこけ、髪は伸び放題。
ヒゲはちゃんと剃られておらず、瞳の下にはクマが出来ている。
最後に見たセイディーンの姿に重なることが出来ないほど、彼は別人のようになって私を見ていた。
「……今、お前が今の力を使ったのか?」
敬語ではない、命令することに慣れた上流階級の言い方。
その言葉使いに、胸がちくりと痛む。
私と一緒にいた時の彼は、いつも敬語で穏やかな言葉を使っていた。
今思えば、私との間にある壁の存在を教えるものだったのかもしれない……。
「……はい、ストーンマスターのホクトと申します。ルザー殿に頼まれて参りました」
「ストーンマスターか……」
「はい。ルザー殿よりすでに報酬はいただいております。今のお2人にはゆっくりお話することが必要かと思います。セイディーン様。貴方は愛してくれる存在に対しもう少し目を向けるべきです。愛されているうちが幸せになれる時ですよ」
言いたいことを言って去ろうとした。
でも、腕をつかまれ振り向かされる。
「お前に何がわかる!」
酷く苦しそうな表情を浮かべるセイディーンが痛ましい。
彼は最愛の家族である母親を失ったのだ。
悲しみを何かで紛らわそうとする気持ちはわかる。
「なぜ、経験から出る言葉だと思われないのか、お伺いしたいものですが……、差し出がましいことを言ったことは承知しております。余計な事を申しました。お詫びいたします」
「いや……すまない。私の方が悪い。……助かった。随分と体が軽い。私はひどく疲れていたようだ。お礼にお茶だけでも飲んでいくといい」
「ですが……」
「ホクト様。わたくしからもぜひお願いします。最高のおもてなしをさせていただきます」
「……」
力だけ使ってさっさと帰るということは叶わないらしい。
一緒にお茶をと引き止められ、少しだけでもセイディーンと一緒にいられるという魅力には勝てなかった。




