第33話
神殿に近づくと大衆の声が聞こえてくる。
この結婚式を一目見ようと集まっているのだろう。
この国の大臣と女神の娘との婚儀だ。
見る価値は十分にある。
「スフィア様、こちらへ」
そう呼ばれ、確保されている通路を通って神殿の中へと入る。
天井から花びらが撒かれ、あたりは花びらが舞って幻想的だ。
中も、すごい人で溢れていた。
参列者のほとんどは上位の官職者で占めている。
その中にセイディーンの姿を見つけた。
正装に身を包み、こちらを見ている。
これが最後に見るセイディーンの姿で良かった。
少し微笑んで見せたけれど、セイディーンの表情は少し硬くなっただけだった。
「スフィアよ。こちらへ」
呼ばれて顔を向けると祭壇の前に神官長のエッジと、新郎のグレドルフが立っていた。
自分の子供より年下の娘を娶ろうとしている男は、ニヤニヤと品定めしているような視線で上から下まで私を見る。
「さ、スフィア様」
リーザにそう促され、私は祭壇までひかれた赤いジュータンの上を進む。
私は一人でゆっくりと進んでいく。
新郎のグレドルフから100メートルほど離れた場所で立ち止まる。
「スフィア様?」
怪訝そうな表情で見つめるエッジと、いぶかしげな表情を浮かべるグレドルフが私を見る。
急に立ち止まって動かなくなった私を見ていた群集のざわめきがさざなみの様に静まっていく。
私は祭壇の横に置かれた、華美なほど豪華な王座の上に座っている王を真っ直ぐに見つめる。
「……私は女神の娘、スフィア。この国を救う為に召還されし者。願いの通り、私はこの国を救ったというのに、国が安泰とわかれば意志を無視し、
私を金と引き換えに大臣に与え、辱めた愚かな王よ。 よく聞くがいい! 私は王の思惑通りにならぬ! 私はこの国から消える!」
出来るだけ威厳があるように聞こえるように言う、私の大きな声が静まり返った神殿内に響く。
ポケットに忍ばせていた首飾りを掴んだまま、腕を高く上げる。
「ウェンフェンゲルリーフ! 汝は女神ルーディアの娘。スフィアの名において請う。私を元の世界に戻せ!」
手の中にある帰還の魔道石は私の呪文に反応し、鋭い光を放つ。
魔道石から蛇のような光が数本も飛び出してうねる。
光の眩しさであたりは騒然となっていた。
「スフィア様!」
セイディーンの声に振り返ったけれど、光の眩しさでその姿を見ることは出来なかった。
さようなら、セイディーン。
貴方を愛した事だけは、私だけのもの。
「さようなら、セイディーン……」
光に包まれ、浮遊感が襲ってくる。
帰還魔道が発動したのだ。
私はその浮遊感に、目を閉じて身を任せた。
元の世界に戻った瞬間、トラックに跳ねられる痛みが襲ってくるだろう。
出来ればその痛みが長引かないといいのだけれど……。
優しい風が吹いている。
辺りは静かで、何も音がいない。
いつ元の世界に戻されるのだろうか?
『死を選択してまで、己の意思を貫くのですか?』
突然声がして、私は驚いて目を開けた。
しかし、あたりは眩しい光に包まれているだけで何も見えない。
相手の姿は見えないけれど、声だけが辺りに響いている。
「誰?」
『私の愛しい娘よ。このまま元の世界に戻れば待つのは死。それがわかっていて、なぜあの世界に戻ろうとする?』
凛とした気品を滲ませる美しい声音。
私を娘と呼ぶ人。
「女神ルーディア……」
『せっかく生き長らえた命を捨てようとしているのですよ?』
「記憶がなくても、私は私なりに必死にあの国を救おうと頑張ってきた。それなのに王は私を金と引き換えに愛してもいない男と結婚させようとしまし
た」
『……』
「……私は私の意志で選んだ人生に責任を持って生きたい。それが出来ない人生など、どんな意味があるのでしょうか?」
私の言葉に、しばらく沈黙が流れる。
言いなりになるばかりの運命なんていらない。
不幸になるとわかっている運命を生きるのを両親は喜ぶはずがない。
だから、死ぬとわかっていても、あの世界に戻る。
『この世界でそなたは幸せではなかったと言うのですか?』
「あの国……王など権力を持つ者にとって私は利用すべき対象でしかない。前のスフィアも悲しい運命を生きた。私はそんな人生を受け入れてまで
生きていたくはない」
『……そなたにとって幸せとは?』
私の幸せ?
そんなの1つしかない。
「……何の束縛もなく、ただ愛する人のそばにいたい」
『どうすればその願いは叶う?』
悲痛な悲しい声だった。
確かに私はこの人は私の母なのだ。
私の母だからこそ、娘の運命を嘆いている。
「姿を変えようとも、私がスフィアの力を持っている限り、また利用しようとするだけです。……力のない、ただの加賀波 北斗としてな
ら生きていけるかもしれません」
『では、私の愛しい娘が生きるのを邪魔する、すべてを消し去ろう。必要なものと必要でないもの。それを分けてしまえばよい』
悲しい声を聞いているうちに、心臓のあたりがだんだんと熱くなり、胸からぽっこりと音をたてて虹色の光の玉が出て来た。
その時、自分の髪の色が変わっていることに気付く。
少し茶色かかったクセのある黒髪。
見慣れた髪だ。
きっと北斗の姿になっているんだろう。
慈愛に満ちた優しさが私の心を満たしていく。
女神ルーディアは、愛する娘を求める母なのだ。
『私の愛しい娘……、今しばらく私の手元にいておくれ』
「女神ルーディア……お母さん。愛してくれてありがとう」
私の言葉を最後に、空間には強い風が流れ出し、光の粒子が舞う。
再び閉じた瞼に、元の世界の両親が浮かぶ。
遠く記憶の中にだけしか思い出せない両親。
もう会えないけれど、私は生きている……。




