第16話
次に目が覚めた時は、だいぶ気分が良かった。
それでも起き上がることはまだ無理のようで体に力が入らない。
どうしたものかと思っていたら、ドアが開いて、セイディーンが部屋に入ってきた。
「お目覚めですか?」
「はい。今起きました」
「ご気分はいかがです?」
「気分もいいし意識もはっきりしているんですけど、体が……」
「……今、食事を持って来ますから少しお待ちください」
セイディーンはそう言ってそのまま部屋から出て行ってしまった。
別にお腹はすいてなかったけれど、食べないと力が出ないことはわかっていたので大人しく待つことにした。
出て行ってからそれほど待つこともなく、手にトレイを持ったセイディーンが現れた。
持っていたトレイを脇に置いて私の側に来る。
「失礼します」
そう断わってから私の上半身を持ち上げ、背中にクッションを詰めて起き上がらせてくれた。
「ありがとうございます」
「いいえ」
短い返事だったけれど、気遣ってくれている事だけはわかる。
セイディーンはトレイを持ったまま私の横に座った。
トレイの上には、おかゆみたいなどろどろしたものが入っている。
それをスプーンですくうと、私の口の前に差し出してきた。
「……」
「どうかされましたか?」
「えっと……まさか食べさせてくれるんですか?」
「ええ、ご自分で無理だとおっしゃったので」
確かに力は入らないけれど、さすがにこれは恥かしい。
セイディーンはなんとも思っていないようで不思議そうに私を見ている。
私だけが恥かしがっているようだ。
恥かしさと気まずさに困惑しつつも食べさせてもらう決心をしたが、スプーンからはいかにも熱そうな湯気が立っている。
「なんか、熱そうなんですけど……」
「そうですか? 普通だと思いますよ?」
「……そ、そうかな? じゃあ、あ~ん」
羞恥で顔が赤くなっているのはわかる。
このさい恥を捨て、口を大きく開けると、そこにスプーンが差し込まれた。
「あっしゅい!」
「え?」
あまりの熱さに飛び上がってしまう。
口を押さえたくても体が動かないので、火傷した舌を出し動かして冷やす。
「ろろふぁ、ふるうらんれす?(どこが普通なんです?)」
舌を出したまま話したので、まったく言葉にはなっていない。
それでも私が火傷してしまったことがわかったセイディーンは水を飲ませてくれた。
「申し訳ありません。そんなに熱かったですか?」
「ううぅ……。私、猫舌で普通の人より熱いのがダメなんです」
「ネコジタ?」
私の言葉にセイディーンが不思議な顔をする。
私が猫舌だと何かおかしいのだろうか?
「私が猫舌だと何か変ですか?」
ぷりぷり怒った表情でセイディーンを睨むが、セイディーンは不思議そうなままだ。
「いえ、変ではありませんが猫舌とはなんです?」
「へ? なんですかって……」
意外な事を言われ困惑してしまう。
この世界では猫舌って言わないんだろうか?
「猫舌って……、熱いのが飲めない人のことです。猫って熱いのが苦手じゃないですか? だから熱いのがダメな人は、猫の舌を持っているって意味で猫舌って言うんですけど……」
かなり怪しい説明をセイディーンにしてみるが、やっぱり反応がおかしい。
「猫……ですか? 聞いたことがありません。それは何です?」
「えっ……。何って、ここ猫いないんですか?」
「ええ、私には初めて聞いた言葉です」
猫を知らない。
信じられない言葉にうろたえる。
今まで普通に会話していたし、違和感を感じたことがないからだ。
そう言えば今まで猫に会ったことはなかったような気がする……。
ここには本当に猫はいないのだろうか?
「猫って人間のペット……ええっと、愛玩動物です。にゃ~んて鳴く」
「?」
私の説明にもセイディーンはまったくわかっていないようだ。
「スフィア様の世界では猫がいるのですね。ですが、この世界で人間は動物を愛玩動物として可愛がる習慣はありませんよ」
「ペットがいない?」
「ええ」
舌をひらひら動かしながら、数少ない旅の中の情報を思い浮かべる。
猫どころか犬も見かけていない。
見た事があるのは、いわゆる家畜っていうものだ。
「丁度、スフィア様の世界の話が出たので、お話しておきます。昨日、宝珠に力を送り込んだ時、スフィア様が倒れられ、その様子に神官長が神殿の書物を調べてくださったのですが、未整理の書物から表には出ていない、スフィアの真書を見つけ出されたそうです。その中に、なぜ倒れられたかについて記されていたそうです」
「スフィアの真書?」
「私も本をお借りして先ほどまで読んでいました。簡潔に説明しますと、姫の引継ぎが行われなかったせいで、宝珠は飢餓状態になっていたと説明すると判りやすいですか?」
「……飢餓状態」
「宝珠の力を使えるのは『姫』だけです。しかし、世界から気を吸収し、力に変えるのも『姫』がいるからこそ。その『姫』がいなくなってしまったせいで、宝珠は気を吸収出来ず、スフィア様から一気に吸収した。そのせいでスフィア様の体に負荷がかかったのです」
つまり、あの激痛は宝珠が私の気を無理に奪っていったせいだったということだろうか?
「はっきり申し上げますと、姫の選出に日がかかればかかるほど、スフィア様にかかる負荷は大きくなります」
考えたくもない、本当のことをあっさりと言われ、疲労感がどっと襲ってくる。
それは宝珠に力を送り込む度、あの激痛が大きくなっていくと言っているのだ。
「……そうですか」
あの激痛は嫌だけれど、それでも仕方ない。
宝珠に力を送り込む事が出来るのは私だけで、送り込まなければこの国は宝珠の加護が消えてしまうのだ。
王宮にいた人たちはあまり好きじゃないけれど、それだからと見捨てる事も出来ない。
自分で決めてこの旅に出たのだ。
覚悟は出来ている。
「じゃあ、次の宝珠に力を送り込むまで、もっと元気にならないといけないですね」
「スフィア様……」
私の笑顔にセイディーンの表情が一瞬曇る。
しかし、すぐに穏やかで優しい笑みに変わった。
「では、まず、お食事をして元気になられてください」
「はい!」
それから私が元気を取り戻すまで、神殿の人達はみんなとても親切にしてくれたのだ。
倒れてから4日後、私は次の方宝珠がある北西の神殿、タウレンへと出発することになった……。
出発の前夜、神官長は私だけに自分のことを話してくれた。
この神殿に幼い時に来てから、彼は一生ここから出ることは許されない。
彼もまた、この神殿に捕らわれ、縛り付けられた存在だったのだ。
自分の意思でこの神殿に来たわけじゃなく、彼もまた選ばれ、強制された。
その同情から、私に優しくしてくれたのだ。
寂しさを含んだ笑みで、神官長はそう言って見送ってくれた。
彼は宝珠を護る為の守人。
置いていかれる者なのだ……。




