<77>束の間ティータイム
地図に記された村へやったきたセージは親切な女性に出会ったのだが……
端的にいえば山の根元にあった村は不気味だった。
地図に存在だけが知られている村であり、情報のかけらもない、小さな拠点。村がある。ということが重要で、村を目印にして先に進むための場所であり、村がどのような環境で住民はどのような人々なのかは地図に記されていない。
セージは治療を求めていた。左腕を切り裂かれており放置するわけにもいかない。食料も底を尽きていたので補給する必要性に迫られたのだ。
そこで擬装用の指輪がきちんと作用しているのをできる範囲で確かめると、村に足を踏み入れた。
村は森の中にある自給自足のコミュニティーを具象化したような絵に描いた場所であった。猛獣除けの柵。畑。井戸。木と煉瓦の家屋。けれど不気味というのは、環境にあらず。
住人という住人が俯いており元気がない。村の門を潜ろうとするセージに注意を払うこともない。ただ、いずれの住人もセージが前を通った後でこういうのだ。
よそ者が。
「参った。いつつ……これじゃ、治療なんて受けさせてくれる人がいない」
どうやらこの村は典型的な閉鎖社会であり、エルフだからという理由関係なしによそ者はのけ者扱いして然るべきというのが常識らしい。左腕を擦りながら村をうろついてみる。門番らしい門番もいないのであっさり入れたことと、よそ者進入禁止という札もなかったので入ってみたのだ。言うまでもなく看板もなければ店もない。
途方に暮れて村の中心にある教会らしき建物の横にしゃがみ込む。
とりあえず片っ端から戸を叩いてみるか、それとも村長を探し出して取引をするか。選択肢はそう多くない。いつまでも村にとどまっていても時間を食うだけだし、行動に移すべきである。
セージは布を取り換えて傷口を洗おうかと腰を上げた。
すると、扉が開いておかしな格好をした女性が現れた。振り返る。
「もし、旅のお方。どうやら怪我をなさっているようですね。もしよろしければ治療して差し上げましょうか」
女性の服装は、黒一色であった。普通の服とは違い黒く大きな布を全身に巻きつけているような感じであり、着物のようにも見えなくもない、ゆったりとした装いである。靴はありふれたサンダル。頭に被り物はないが金属の輪のようなものを乗せている。
相手は、長いブロンドを後頭部で結い上げた柔和な微笑みの若い女性であった。何者かと警戒を露わにしそうになるもこらえる。村人に敵意を剥き出しにしてもよいことがない。
黒服の女性はにこにこと笑みをたたえた顔のままで、手を使い扉の中に誘う姿勢を見せた。
「さぁ、緊張なさらずに。例え信徒でなくても神はお恵みをくださいます」
セージは内心で神なんて糞しかいねぇよと毒づきつつも、女性の方へ一歩体を寄せた。何やら甘い香りがする。体臭でも香水でもない。嗅いだことのない類の香りが鼻をくすぐる。
「セージと言います。治療の代金は持っていないのですが……」
やや俯き加減に臆病な口調でセージは言った。ルエなどが見れば吹き出すであろう猫かぶり。袖を指でもじもじと弄って見せたりする。無論、演技である。男勝りの女の子という強い印象を残してしまうわけにはいかないからだ。あくまで可愛い女の子を演じる。内面が男とはいえ演技の練習はそれなりにしているので違和感はない。
すると女性は扉を更に開いて見せた。
「お代など不要ですよ、旅のお方。さあ、いらっしゃい」
「ではお言葉に甘えて。お邪魔します」
セージは女性に誘われ扉を潜った。
そこは教会であった。元の世界のキリスト式のように中央に道があり両左右に長椅子が設置されていた。正面奥に神を祀ったと思われる像が聳えている。両目のない男性の像。ただし額には第三の目とでも呼ぶべき眼球がある。寂れた森の奥の村にしてはやけに豪華な造り。
女性は手を合わせながら何かを呟きつつ頭をさげて像の前まで歩いて行った。つられてセージも真似事をしながらついていく。
―――それにしても。セージは思った。見たこともない神像だ。この世界にも元の世界と同じように無数の宗教がある。拝めるものはさまざまだ。だがこの神は勉学の中でも見たことがない。辺境の宗教だから知らないのも仕方がない。考えるのが面倒で思考を切り上げる。
女性は神の像で一度頭を下げると、奥の部屋へと軽快な歩調で進んでいく。セージは後を追いかけた。
奥の部屋は机と書物とベッドのある簡素な作りをしていた。教会の本堂とは正反対のシンプルさ。女性は部屋の椅子に腰かけると、ベッドを叩いた。
「ここにどうぞ。自己紹介が遅れました。私の名前はルィナと申します」
「ルィナさん、ですか。よろしくお願いします。左腕の傷なんですけども……」
ルィナとは不思議な発音をするものだと思いつつもベッドに腰掛けて左腕をまくる。血に染まった布が巻きつけられた白い腕がある。傷口を晒そうと布を取れば、痛々しい切創が眼前に登場する。
傷口に触れぬように指を沿わせ、説明を始めた。
「熊にやられてしまいまして……なんとか命からがら木に登って事なきを得ました」
「まぁ………なんと綺麗な傷痕。化膿してるわけではないようですね」
「これでも旅人として薬草を使うくらいの知識はあります。けど、縫うことができないんです」
「わかりました。少し染みますが我慢してください」
嘘は言っていない。熊に襲われたのも木に登ったのも薬草を使ったのも。熊に啖呵を切ったことや魔術で大跳躍したことは伏せた。
ルィナは机の引き出しから薬品を取り出した。瓶入り水薬を手に取り蓋を開ける。それをガーゼにたっぷり染み込ませると傷口を撫でた。
「あっ…………くぅぅぅ………」
沁みる。痛い。傷口から走る電流に唇が白くなるまで噛み締め涙を堪える。
ルィナがガーゼを離した。苦痛が遠のいた。傷は表面上治療されているようには見えないが、感覚として、まるで蒸しタオルでも宛がわれているようにぽかぽかと温かさが生じている。
「これでよしっ。これから私の治療魔術でセージちゃんの傷を治しますね。動かないでくれるとありがたいです」
「お願いします」
ルィナはガーゼと瓶を置くと次に両手で腕を包み込むようにした。ぼそぼそと何かを呟く。両手に淡い光が宿ると傷口を守る任務を仰せつかっていた瘡蓋が消えていき、傷口がぱっくり開いた。
目を見開いて治療の光景を見守る。魔術はイメージによる部分が大きい。治療の仕方も様々なのだ。
開いた皮膚がまるで時間を巻き戻すようにして腕に戻って行く。破壊された皮膚が脈打つようにして再生していき腕の表面をぴったり覆い尽くす。しばしの後にセージの腕は痕跡も残さず元通りになった。
どうやらルィナは優秀な治療魔術の使い手らしい。
元通りに再生した腕を触ったり曲げたりして感触を確かめる。違和感なし。
「ありがとうございます! 見事な魔術でした!」
「感謝には及びません。神の限りなく降り注ぐ慈愛あっての技術です。神よ感謝します」
さっそく手を合わせて感謝し始めるルィナに、信仰深い人だという印象を抱いた。
ルィナが席を立った。
「せっかくですからお茶を飲んでいってくださいな。旅に戻る前に一息つくことも必要でしょう」
「そうですね、お願いできますか?」
「よろこんで」
この時点でセージの警戒心はなくなったに等しいだろう。
もし害するつもりならば水薬といいつつ毒薬でも傷口に擦り込めば殺せたし、村に入ってうろついても危害を加えてくる様子がないからだ。エルフとばれている様子もない。おまけにルィナは優しい。疑う余地がない。
ルィナが退室して、暇ができた。自然と机の上に視線がいく。何やら難しい書物が無造作に置かれている。なんだろう。身を乗り出してみた。魔法陣らしき図柄。その時。
「お待たせしました」
「はいっ!」
ルィナが戻ってきたのでストレッチをしていましたという風を装い首を回す。
ほかほかと湯気立つ茶色っぽいお茶。紅茶系だろうか。お菓子はついてこなかったが久しくお茶を口にしていないのでたまらなく飲みたかった。
差し出されたカップを手に持ち、ルィナを見遣る。上品に目を閉じてカップを傾ける姿。黒一色の衣装という神秘性も手伝って美しささえ醸し出している。
「頂きます!」
セージは口で吹いて温度を僅かに下降されると、一口飲んだ。芳醇な香りが口内を満たす。甘味は無いが程よい酸味と鼻まで昇ってくる上品な香りに喜びを感じた。
ほう、と胸を上下させてカップから口を離す。半分ほど消えている。
「おいしいですね、このお茶」
「私が作ったんですよ。村の人はあまり飲まないから、私専用ね。うふふ。お代わりならもっとあるからどうぞ」
ルィナはカップを置くと、そういって見せた。急須にはまだお茶があるらしく湯気が立っている。
セージは、遠慮なく全部飲み干した。一気飲みではなく、ちびりちびりと存分に舌の上で転がすようにして。そして恥ずかしそうにお代わりを求める。カップをルィナの方に差し出して。目がきらきら輝いている。
「おかわりいただけますか? 本当においしくて」
「もちろんです」
次のお茶を貰う。カップの8割を埋める茶色の液体を存分に楽しみながら嚥下すると、じんわりと唾液が湧いてくる。これでお菓子があれば最高だぜ。なんてことを思うのは秘密である。
三杯目のお茶はさすがにはばかられ、カップを机に置こうとした。
「………? ……?」
カップを置こうとする手が鈍る。眩暈がした。首を振って疑問符を振り払うと、コトン、とカップを机の上に納める。ところが眩暈はますます勢いを増していった。ルィナの顔が霞む。それどころか部屋中が霞んでいく。瞼が閉じかけているから風景が霞んでいくことに気が付いたときには手遅れだった。口も聞けない強烈な眠気が肉体を責め立てる。事実を認識することもできず顔を歪め、眠気を殺そうとベッドから起き上がって数歩進んで、床に転んだ。
―――盛られた!
誰に? ルィナである。ルィナは自分はさも当然のようにお茶を飲みつつ、セージが床で静かな抵抗を継続するのを見守っていた。その顔に笑顔は無く能面のような顔だけがあった。
セージはロングソードを引き抜こうとして暴れた。抜けない。クロスボウに手をやりルィナに照準しようにも狙いが定まらない。魔術は論外だ。手から力が抜け、首が脱力。視界の片側を床が占める。もう片方にはルィナの黒服が映っている。
「だ、め……………?」
最後にそう呟いたセージは暗黒の世界へと旅立った。