<67>潜入せよ
襲撃のために街の防衛戦力の確認を行った一行は、次に交易情報を奪取せんとした。
街の防衛を探る手段として、兵士の詰所を遠くから観察するのが一番であるという結論に落ち着いた。潜入をやらかしてみたり、破壊工作をしてみたりは、リスクが高すぎた。長老の戦闘能力であれば悉く殲滅できるであろうが、本国に敵が侵入しているという事実が露呈しては、戦略が瓦解してしまう。
三人組の偵察の結果、交易の街だけあって盗賊団が大勢押しかけてきても逆にやりかえせるばかりか、全滅に至らしめるだけの戦力が存在していた。
多くは騎兵と弓兵。機動力のある馬で追い払うか、追撃。街の外で矢で釘付けにする。そういうことであろう。
次に調べるべきは、王国の品がどのルートを通っているのか、どの日ならば確実に街にいるかである。適当に焼き払っておいて、実は何の関係も無い国の交易品でしたでは、悪戯に時間を浪費するだけだった。ひとたび襲撃が発生すれば、交易路が変更される恐れもあった。
可能ならば王国の品を。可能ならば一度に大量。しかも、襲撃した時にたまたま王国の品があったという偶然を装えるように。
これが案外難しいもので、『これはどこの国の品なのか』を直接訊ねるわけにもいかず、こっそりと調べざるを得なかった。
セージはどこにでもいそうな女の子の服装に、帽子を斜に被ったスタイルにて、荷物とその運搬キャラバンがたむろする飲み屋と飯屋の付近をうろついていた。
大柄で筋肉質なヴィーシカは目立ちすぎるし、魔術師然とした格好のヴィヴィも目立つ。そこで、相手の油断を誘う意味合いを持たせ、セージが調査を担当したのだ。
子供特有の徘徊を装いつつ、キャラバンの合間を縫っては耳を澄ます。
聞こえてくるは、下品な会話、愉快な会話、商売の話、身内の話、仕事の話。
「でよー、あのねーちゃんケツでけーんだわー」
というお下品な話もあれば、
「俺も年だな。腰がたたん。目もかすみやがる」
己の肉体を気にする会話もあり、
「どこぞの種族じゃ言うらしいぜ。娘っ子ほど男らしいもんはねェってな」
雑学を披露するものもいれば、
「雇い主の羽振りが悪くて困ってるんだが、ブン殴る以外の解決法はないかねぇ」
金の心配を話すものもおり、
「うちのかみさんがね」
とホクホク顔で妻の自慢話をやりはじめるものもいる。セージは心の中で「どこの刑事だ」と突っ込みを入れていた。
飲み屋と飯屋そして装備屋の間の空間にひしめくキャラバンの中を、とにかく歩いて探る。
「効率わる……」
セージは一日中ほっつき歩いてそういう決断を下すと、凝り固まった腰を手で押して揉み解しながら、二人のもとに戻った。
翌日、キャラバンの列を片っ端から虱潰しに探すのはあまりに効率が悪いとして、キャラバンがいつ通過したのか、何を運んできたのか、どれくらいの規模かを知る人物を探すことにした。
人物はあっという間に見つかったのだが、肝心の情報は部外秘であることが判明した。
三人は街外れの資材置き場に集まると、顔を突き合わせて相談した。
「金で釣るのは?」
セージはそう提案したが、すぐさま二名の反対意見を受けた。
「交易台帳を管理するほどの人が、小金につられるかしら。第一、私、大金持ってないわ」
「我もそう思う。リスクをしょい込むのは勘弁願いたい。街を消し炭にしていいのなら……」
ヴィーシカがくぐもった声でそう言いかけた。街を丸ごと焼き滅ぼしていいのなら、台帳など紙屑より価値のない品物であろうということである。
すぐさまヴィヴィが首を横に振る。
「長老、駄目に決まってます」
「分かっている。慎重に事を運ぶべきだ」
セージは腕を組むと、寄りかかった資材をコツンと手で叩いて見せた。
「なら、俺が忍び込んできますよ」
夜。
セージは装備を整えていた。あからさまな盗賊スタイルは怪しまれるが、真っ白な服では見破られやすいのでダークトーンでそろえた一式を身にまとったのだ。
さりげなく通路を歩いていく。木の家を通り過ぎて、土を乾かして作るレンガの家を通り過ぎて、道の途中に放置されていた誰の所有物とも知れぬ馬車の陰に隠れ、巡回の警備兵と思しき人物をやり過ごす。
「………」
スィー。歯の隙間から吐息を漏らす。
腰を振り立てるように音を立てずに起立すれば踵に接地してから爪先に重心を移動する忍び足を素早く繰り返し、目的の建物に近づく。
暫くして、それが見えてきた。レンガ造りの頑丈そうな二階建て。周囲に建物は無く、意図的に空間が空けられている。周囲は数名の人間で固められ、二階テラスにも数人を視認できた。
煌々と松明がたかれ、闇夜の街にぽつんと浮かんだ光の小島が如き。
「ここか」
独り言はここまでだった。
セージは顔を軽くはたくと、事前の下見の記憶を手掛かりに、目的の二階建てに最も近い地点にある物置に近き馬小屋に照準を絞り、迂回した。二階建てを背に街の中に潜り込み、細い裏道を通って巧妙に姿を隠匿しつつ、距離をできるだけ詰める。
セージには幻術は発揮できず、暗殺者が会得するという姿を消す技能も無い。見つからないこと。目視されないことが何より肝要だった。
距離にして20m地点に辿り着いたセージは、建物の陰に身を潜め、天蓋で微笑む銀球が漆黒に姿を消す瞬間を待った。
およそ数分後、ふっと周囲一帯が暗闇に包まれた。
「〝強化〟せよ………っ」
瞬時に、練り上げてきたイメージを出力する。魂と肉体の引き合う力を強引にこそぎ取って全身の筋肉のパワーアップを図った。
それは程なく成功し、肉体が異常な過熱を起こした。
筋繊維が膨張する。
熱さに唇を噛む。
「ッ……」
駆けだした。疾風が如き俊足で。
建物を警備する兵士が目を逸らした僅かな隙に馬小屋に駆け込むや、一息に二階建てに取り付く。外周の警備が建物に目を向ける前に、強化された腕力を持って二階の手すりを登って、伏せの体勢で床に張り付きながら陰に身をやった。
この間、僅か十秒足らず。稚拙な忍び込みはしかし成功した。
一階の警備兵に見つからぬように二階の床に伏せたまま、二階の扉を守る兵が目を逸らす隙を窺う。こちらを見られたときのためにそれとなく兵士が使うと思われる机と椅子を引き寄せて、影を濃くしておいた。
――兵士が、ふっと目を逸らして、一階の兵士と雑談し始めた。タバコまで吸い出した。
機会は今しかなかった。再び肉体を強化すると、可能な限り音を殺し、扉に忍び込むと内部を鍵穴から窺った。誰もいない様子。歯が鳴りそうになるのを堪え、ドアノブを捻る。スッと身を浸透させる。
侵入に成功した。
「………」
セージは息を殺した状態を維持しつつ、事前の調査に基づき目的の部屋に向かった。外部の警備の大仰さと比較して、内部は人っ子一人おらず、勤務している者らの寝室からはいびきが聞こえてくるくらいだった。
拍子抜けしたが、仕事はこなす。
目的の部屋に辿り着いたセージは、万が一の危機に備え懐のナイフを袖に忍ばせ、扉に耳を張り付けた。無音。静寂。心音だけがやけに大きく聴覚を刺激した。
どこかで犬が遠吠えした。ビクッと顔を強張らせ、廊下に目を配る。何もおらず、何もいなかった。
一応、扉に手を翳して魔術的な防御がないかを検索してみた。何も無かった。組成が木と鉄の扉でしかなかった。
鍵もかかっていなかったので内部に身を滑り込ませると、不用心にも机の上に堂々と置かれていた。
早速、台帳の内容をこれまた音を立てぬように拝見していく。王国の物品がいつごろ到着するのか、どの日なら確実にあるのか、どのルートを通ってきたのか、どれだけの量があるのか……。ほどなくして情報を発見した。指を止めて、懐から板を取り出し、机の上から羽ペンを拝借してメモする。
「っし」
メモに要した時間は数分間とかからなかった。吐息を漏らし、高鳴る心臓をなだめる。板を懐にきっちり収め、台帳と羽ペンの位置を記憶通りに戻しておく。指紋は考えなくていい。この世界では有用な証拠として認知されてもいなければ、指紋を取る技術すらない。
部屋から出る前に、扉に耳を付ける。警戒を怠らない。無音を確認すれば、扉を薄く開いて目による確認。無人。安全。扉からするりと出でて、元来た道を戻る。
二階の外、いわゆるテラスに出る扉に張り付く。警備兵がいるはずである。
「………!?」
扉の向こう側から足音がした。息を飲み、仰け反る。泡食って隠れようとしたが、扉の近くでは隠れようがない。身を隠すものもない。天井に張り付く技術はなかった。
――次の瞬間、扉が開かれ―――。
南無三。ナイフを握りしめた。
「交代交代っとぉ」
幸運なことに、開いた扉と壁の間に挟まれる形となり、警備に気が付かれなかった。警備は鼻歌を歌いながら寝室の方に向かっていった。扉が閉まってしまう前に、外に出る。
再び床に張り付くと、下階を窺う。警備はちゃんといた。が、見ているうちに内部へと姿を消していった。どうやら交代の時間らしかったが、交代の時期をずらしていないらしい。不用心にもほどがあるが襲撃があるなど考えもしないのだろう。
しめた。
セージは手すりの隙間から下をそれとなく窺えば、ひょいと飛び越して着地、前転で衝撃を殺し、中腰姿勢を維持して馬小屋に駆け込んだ。
「――はぁっ、はぁっ」
慎ましやかながら女性を主張する胸が上下し始めた。緊張と、魔術の反動による心拍数の急上昇がもたらした生理現象であった。
いつの間にか息が切れていたが、整える時間は無かった。
セージは再び周囲に警戒の糸を走査させ、ただちにその場を離脱した。
次回戦闘パートへ。