<64>賊という名前の遊撃
極秘裏に兵力を上陸させる計画は頓挫することもなく、逆に怖いくらいにとんとん拍子に進んだ。
内陸の都市に横付けする形で船団は停泊して、街を取り仕切る権力者の庇護のもと、着々と戦闘準備を整えていく。陸の主力戦力と同期して行動を起こさなくては効力が半減するので情報伝達も忘れず。
現代社会ではあまり考えられないことであるが、この時代において村町街は独立した一つのコミュニティであり、小さな国である。
国家という頭でっかちの権力者が軍隊をちらつかせて国への所属を求めているからやむを得ず国家に属するのであって、税金を絞られ、わけのわからぬ戦争に人を取られ、そこで国の誇りがどうのとのたまわれても嫌になるのが道理である。
ましてや街を取り仕切るのが商売人であるならば、話は早い。いつの時代においても商売人が欲しがる『特権』を約束してやれば首がもげるまで縦に振る。
という経緯を持って、その街は連合側の拠点へと一夜にして姿を変えていた。
と言っても、単に意識が変わっただけで、人口も、街の構成も、何もかも変化がないのであるが。
エルフ問題も、かたが付いた。ケチな懸賞金よりも特権による莫大な利益の方が得だからであろう。もとより『王国』が勝手にエルフが有害などと訳のわからぬことを並べたのが始まりであり、明らかに有害でもなんでもないのは周知の事実だったからだ。
注意すべき点は情報の漏えいだ。街が丸ごと寝返ったことが知られたら最後、大軍が押し寄せてくる。
だがしかし人の行き来を規制してはいずれ事実が露呈してしまう。動きをせき止めればいかに鈍い旅人でも気が付くだろう。
よって行動は流水が如く行われることとなった。
上陸地点の街をそれとなく強化する班、商人を装い旅をして各都市に向かい説得する班と、遊撃任務に就く班に分かれるのだ。
もししくじれば内側と外側からかき乱すという戦略が塵に還る。二度目は許されない。だからこそ慎重に慎重を期しているのだ。
無論セージは後者の遊撃任務班に志願した。断じて商人の娘かなにかとして女の子の格好をしなくてはならないと知ったからではない。
遊撃隊はルエ、ヴィヴィ、そして身分がさっそくバレている謎の鎧人物と、その他十数名からなる班である。遊撃隊は他にも十隊ほど組織された。
一行は、あたかも盗賊のように『ブルテイル王国』の戦力を削ぎ落とすように注意を受けた。本戦力として行動をしては、上陸がばれてしまうからだ。頃合いを見計らい合流して、陸上の本隊と共同で作戦を行うのだ。
出発当日。
服の上から布のマントを纏いフードをきっちり被った一行が街外れの小高い丘の上にいた。皆揃って馬に跨り、大河のうねりの途中に錨をおろして停泊している船団を見ていた。
馬にはそれぞれ荷物がぶら下がっており、旅商人の擬装用に品物が詰め込まれている。
ルエの馬に跨ったセージは、船団と街並みを眺め、のんびりとあいさつをした。
「さらば同胞よ、旅立つ馬はって奴か」
脳裏によぎるのは巨大な戦艦だったが、この世界で戦艦と言えば木造だ。間違っても波動を放つようなものは存在しない。
セージら一行の姿はやがて丘の上から消えた。
闇夜に紛れて距離を詰めた。もう少し近づければ、剣で斬りかかれよう距離にまで。
セージ、ルエ、そして数人の兵士たちは、王国の兵士詰所の裏庭に忍び込んでいた。
前方、約10mの地点に、軽武装をした警備がいた。彼は襲撃など予想もしていなかったのだろう、のんびりとした様子で地面を爪先で穿り返していた。飽きたのか夜空の星を仰ぐ。
「………」
鼻から乾いた大気を吸い、口を広げて甘く吐く。
セージはナイフを抜いた。すり足忍び足。口笛を吹きつつ夜空を見上げている兵士の背後に近寄る。刹那、凶器をスッと宛がった。振り返ろうとした兵士の口を塞ぎ、喉を横一文字にかき切る。
ナイフの刃が皮をねじ切り、肉を裂き、神経と血管を途切れさせ、気管を断つ。
魚の腹を切ったような手ごたえ。
どっと血が溢れ、噴水のように真上に噴き出た。あらかじめ用意しておいた布で抑え、血が周囲を汚さぬように縛る。今まさに死んでいく真っ最中の警備兵の瞳がセージを睨んでいたが、やがて焦点が遠くに飛んだ。
迅速に死体を地に横たえれば、手を振り、兵士らに馬屋と武器庫に忍び込むように合図する。
べとつく血を手の甲で払い、死体を引きずっていき、『賊』を演出するために工作を開始する。これまたあらかじめ用意しておいた手斧を肩に振り落とし、腹にも斬りこむ。物言わない顔面も殴っておく。服装を乱し、懐の金銭を奪う。
あまり手際がいいと『賊』にしては、と良からぬ噂を招きかけない。乱闘の末に殺されたと演出しておくのだ。
いかにも張り倒された感を醸し出すために服を砂で汚し、庭の小規模な畑に転がしておく。
その間に仲間の兵士たちは馬屋に忍び込み馬の口を縛って連れ出し、兵器庫から物資を奪い燃やすという算段である。
セージは見つかってはいかんと、庭の物置小屋の裏に身を潜めた。すぐそばには寄り添うようにルエの姿があった。
セージは血なまぐささに顔をしかめつつ、囁いた。
「ちょろいもんだ、まったく」
「攻め込まれるなんて思いもよらないですからね」
二人は押し黙った。仕事の最中に雑談するなど賢いとは言えないからだ。
セージは自らが殺めた男に視線を落としていた。かつては一人殺すのにも随分と後悔の念に駆られたものだが、現在では当たり前のように殺せた。
殺しに覚悟などいらなかったのだと今さらになって追憶してみる。慣れと摩耗と必要性、それだけで人は命を奪えるのだ。
無残な死体は黙して語らず、ただ肥料になるばかり。
空は満点の夜空。青い月。澄んだ空気。外はこんなに綺麗なのに、服に付着するは鮮血。
「悪く思うなよ………っと、そろそろか」
仲間たちが馬を引き連れて庭の外に出た。セージはルエの肩を小突くと、魔術の準備に取り掛かった。
イメージするのは火だ。ルエも火をイメージした。必要なのは大火力よりもお手軽な『火種』。適性が無くとも、魔術さえ使えるなら誰にでも扱える初歩の初歩。
手元に生じた赤い灯をその辺に放り、点火。腰の剣を抜剣すれば、クロスボウを詰所の窓に二連続ぶち込み、鬨の声を上げた。
―――ウォオオオオオオオオッ!
仲間たちが一斉に声を上げて、火矢や岩を詰所の建物に投げつける。敵襲を悟った兵士数人が戸口を開けた次の瞬間、四方八方、暗闇から矢が殺到し、蜂の巣にした。
すっぽりと黒布に身を包んだ仲間たちは、接近戦を仕掛けるようなまねはせず、矢を射掛けけ、建物を全焼させんとした。二人も加勢した。魔術の作動を悟られてはいけない。あくまで火矢を用いたと演じて。
窓の中、柱、その他。
時に松明に火を移し、投げ込む。建物の中から矢の応射があったが、当たるわけがなかった。めくら撃ちにやられるような素人は、いないのだ。
セージが三人ほど射殺したあたりから、兵士が逃亡し始めた。暗闇の四方から矢が飛んでくるだけで厳しいのに、建物に火が回り始めては抵抗するだけ馬鹿馬鹿しいと考えたのだろうか。一人が逃げ出せば、堤が洪水で崩れるように、次々に暗闇に飛び出して消えていく。
セージは手でメガホンを作り、吼えた。
わざと喉に力を込めて、声帯を轟かせた。
「よし野郎共、引き上げだ!!」
――オォォォ!!
仲間達が同調して大声を張り上げる。
威勢のいい掛け声をあげてみれば、胸が高鳴った。セージはすぐに装備を整えると燃え盛る建物を背に脱兎が如く駆けだし、離脱した。引き際が肝心だ。グダグダと留まっていては騒ぎを聞きつけたほかの兵士や街の防衛隊が駆けつけてくる。
仲間たちは手際よく奪い取った馬に乗ると、わざと身を晒すようにして疾駆する。
ルエが馬に乗ると、手を差し伸べてきた。握って背後に飛び乗る。彼の腰に手をまわしながら、背後を振り返る。小さき地獄とでも称すべき火災現場が確かに地上にあった。陽炎に晒された地上に影が揺らいでいた。
「手筈通りに散ってくれ!」
セージはルエの肩を小突いて指示を与えながら、仲間たちの馬列に声を張り上げた。
仲間達――と言ってもごく数人が――は馬に命じてバラバラの方向に舵をとった。
馬は車のようなものだ。文字通り強力な馬力で脚部をまわして地を蹄で蹴り付けて推進するからには、痕跡が残ってしまう。大勢で近間隔を巡航しては追尾してくださいと言わんばかりの線を残すだろう。
このたびの襲撃は成功と言えるだろう。
馬を操りながら、ルエがぽつりと感想を述べた。彼からしたら率直に言葉を発したに過ぎなかったのだろうが、セージにとっては恣意的に投げかけられたとしか思えないセリフを。
「まるで男性みたいでしたよ」
「………」
夕凪のように押し黙り、ああそうだなと適当な返事を返す。景色を眺める気分でもなく、ルエの服の皺を睨む。
喜んでいいのか、悲しんでいいのか、それとも笑えばいいのか。
とりあえずセージは二連クロスボウに矢を込め直しながら、夕飯のリクエストを求められたので『なんでもいい』と答える子供のように言葉を口にしてみた。
「男だからな」
「なら、僕は女ですね」
冗談じみた口上に乗せた言葉は、正しく冗談として受け取られたようだった。
セージはルエが前を見ていなくてはならないことを利用して、彼の後ろ纏めの髪の毛を弄った。体の細さと中性的な容姿、後ろ纏めいわゆるポニーテールの組み合わせは、女性ものの服を仕立ててやれば、女性と錯覚する気配を孕んでいた。
諺ではない意味で後ろ髪を引かれたルエは、手綱を握ったまま、背中を前にやることで抵抗した。
「ンん? 女装したいの? 色男。髪なんて結んじゃってさー、そっちのケあるんじゃないの」
「ありませんよ!」
「機会があったらやってみようぜ。俺の服を……お前でかくなったから入らないか、残念」
セージはそれとなくルエの肩幅や腰回りや腹の太さをペトペト触って測って、言った。
二人は雑談を交わしながら馬に乗って一路味方のもとへと走り去った。




