<50>胸サイズと帰還と再会と
セージは二人の人物と再会したのであった。
“女の子”の役割は決まっている。要人の護衛である。
実力が認められたとはいえ、所詮は若造。経験を積まなくては実戦では到底役に立たない。里の防衛戦では後方にのみ参加していたので、実際には戦わなかった。そこで比較的安全な任務に就かせ、物事を経験させようと言うことである。エルフ陣営が来るべく戦争に備えているのは明白であった。
セージは部屋に置かれていた一枚鏡と睨めっこしていた。極力男でありたいので、化粧などしないし、服装容姿にも気を使わないのに関わらずである。目にゴミが入っただとか、戦化粧でもない。合わせ鏡で悪魔を召喚する儀式でもない。何をしているかと言えば、部屋の唯一の出入り口を施錠しての確認作業である。
上半身裸で確認する対象は、胸だった。
幼い頃は男と同じ体つきだったので考える余地が発生しなかったが、大きくなるにつれて変わってきてしまったのだ。背丈は伸び、体に丸みがついてきて、局所の細部も変わってきた。必然的、いわゆる自然の流れとして胸も成長してきたのだ。
お腹の中央に薄らと凹んだ線のやや上寄り。臍の凹からなぞった先。僅かに浮いたあばらの造形を覆う柔らかな表皮、その上に、腋から始まる、慎ましながら自己主張する膨らみがあり、桜色の円が頂上を彩っていた。
何年もの間親しんできた体の、変化の象徴。体を洗うときだって無視を決め込んできたが、大きくなってきてしまっては、目を向けなくてはいけない。
鏡の中で複雑な顔を浮かべる己の、鎖骨の下を見遣る。男性の体だった頃にはありえない丘がある。
ため息を吐いた。
「布巻くか。サラシってやつ。……ったく、……胸なんて贅肉いらねーっての」
喉から発せられるは、乱暴な口調に反して濁りの無い声。
ぶつぶつと本心からの独り言を呟きつつ、手ごろなタオルを持ち出し、胸に宛がってみた。胸を圧迫すれば成長を阻害できると踏んだのだ。
「よ、っと」
ひとまず胸に合わせてタオルを押し、屈んで後ろで縛る。だがタオルのようなふわふわした布では圧迫が上手にいかない。悪戦苦闘の末、包帯を持ち出してグルグル巻きにしてみた。胸苦しい。やや緩めてみる。調整、そして調整。胸がぺたんこ……に見える。継続すれば効果が望めるに違いない。
もし大きくなってきたら、きつく巻いてやろうと決めた。
いつまでも上半身裸ではいられなので包帯を解くと、普段着を着込む。要人警護もあるので腰にはロングソードをぶら下げたまま。戦いは機動性を重視しているので、鎧はむしろ無くて良い。
部屋を出ると鍵をかけて、重厚な岩造りの廊下を歩いていく。技術支援団として派遣された一団は、首都より少し離れたところにある湖の畔に造られた古城に居た。既に取り壊しが決まっていた城を研究施設に再利用したそうである。老朽化が進み防衛施設として利用が難しいが、研究施設としては十分である。首都が近いという地理上の利点もあった。
セージは、しばらく前に魔術師として派遣されたロウの居る部屋に行こうと、守衛の男性に道を聞いた。警護の仕事は道中や移動の時は一行だが、城に居る間はロウにつくことになっていたのだ。
城は小規模なものだが、案内表示などある訳も無く、迷いに迷った。防衛上の都合で、内部は入り組んだ構造をしていたのが道を失わせる要因だった。最後には自力で行くことを諦めてメイドに案内してもらった。
ロウの部屋の前に立ち、ノッカーで扉を叩いた。
「どうぞ」
酷く疲れた声がした。セージは恐る恐る扉を開き、内部に首を突っ込んで、やっと体を滑り込ませた。
部屋は意外にも狭く、予想に反さず散らかり放題だった。木の机は羊皮紙の束が山になっており、里から持ち運んだらしき鎧が二体ほど窓際に立っていた。用途不明の薬品を湛えたガラス製の実験器具。壁は謎の図式をこれでもかと記した広い羊皮紙だらけ。いくつかの国旗は申し訳程度に天井から吊るされていた。部屋備え付けの暖炉は、鞄やら本の山やらで物置状態。部屋を満たす大気は、何やら甘ったるい匂いと埃臭さであり、お世辞にも爽やかなという形容動詞を付けることは、天地がひっくり返っても不可能だった。
総評―――汚部屋。
部屋の隅にある机の前で目頭を揉んでいる不健康風貌は、セージが入室すると大あくびを噛み締めつつ、本にしおりを挟み、羊皮紙山の頂上にでんと乗せた。振り返る。不健康、疲労、そして優しさの融合した、老人のような表情が浮かんでいた。
数年ぶりの再会だった。
ロウの容姿はまるで変わっていなかった。エルフは体の絶頂期までは人間と同じように成長するが、あとはゆっくり、非常にゆっくりと老化するため、ロウもクララも外見に老いが無かったのだ。
「ロウさん、お久しぶりですね。本当に汚い部屋です。掃除してください」
「数年越しの再会なんだから、部屋には目を瞑ろうとは思わないのか」
「まったく、これっぽっちも」
「仕方ないだろう………都合のいい便利屋扱いで、あれもやれこれもやれ、これをこれこれしてくれると助かるなぁ……それとこれもお願いね、と“頼みごと”してくれるものでは、片付ける暇もありゃしない」
「お仕事ですからね、耐えてください」
「仕事はする。給料も出ているし、里の為にもなる。だがな、朝起きて夜寝るまで仕事漬けは堪える」
「体を鍛えると思えばいいでしょう」
「体力は要らん。時間が欲しい」
二人は、ふっと笑うと、どちらがともなく歩み寄り、がっちり両手を握り合った。かつて身長は見下ろす見上げる位には違っていたが、今はさほどでもない。
セージは白い歯を見せて笑った。ロウの手は冷たかった。
「大きくなったな……ガキっぽさが抜けた」
「大人になったと言ってほしいですね」
ロウは嬉しそうな顔を隠さず手を大きく振れば、部屋の隅で埃を被っていた椅子を配置した。セージは埃を払い、座る。
一変して二人は真面目な雰囲気を纏った。ロウが一冊の小さな本を机から取り出すと、表紙を捲った。題名も筆者も、あるべき情報が記されていない。重要なことを書き留めておくメモ帳らしい。
「それで? 帰還するという目標は諦めてはいないか?」
「はい。教えてください。あるのか、無いのか」
「端的に言えばある……らしい」
「らしい?」
セージの質問に要領得ない答えが返ってきた。この世界に落とされてから今に至るまでの行動指針の根底を支える重要な問いである。椅子で前のめりになって、両肘を腿に付け、声を落とし、再度聞き直す。
するとロウは細い指を使ってメモの中程に目を通した。セージが覗き込むと、蛇がのたくったような汚い字がびっしり書き込まれていた。
「大昔に遡るそうだ。ある日、突如として虚空に門が開いて人が現れたそうだ」
「エルフですか?」
「いや、対となる手足を持ち、ヒト程度の大きさの生物とだけ……エルフか人間か獣人かどうかも分からん。兎に角、彼らはこの世界に永住したそうだ。その時の門を作った道具こそが違う世界に行く鍵であり―――……現存し、なおかつ研究機関に保存されていたという確かな情報がある」
「じゃあ、その道具を見つければ―――……」
「まだ話は終わってない。保存されていたというのは二十年程前の事で、王国が技術を接収した現在では“本物”が無数にあるそうだ」
ロウは、要するにパチモンが沢山ってことだ、と言った。
そしてメモをぱむと閉じると、更に続けるのであった。指を折る。
「俺の調べじゃ本物を名乗るのが十以上はあったね。話そのものがガセと見られたのか、研究対象にすらなってない。王国各地の博物館やら貴族やらが収蔵してるとよ。よかったな、パクり易い場所にあって」
「……皮肉ありがとう。その道具の効力が神話だけということはないですか?」
神話に登場したものが現代にあるというのは、得てして名前だけの代物であることが多い。帰還の手段に入れるには、確かに使えなくてはいけない。
ロウが再びメモを開くと、最後の方のページまで捲って、指を置いた。
「その国は、ある日突然出現して、何の資源も無いのに魔術だけで生計を立てられるだけの技術を有していたと公式の記録にある。目撃例も数多くある。本物と見ていいだろう」
「よかった………もしおとぎ話だけだったら絶望してましたよ」
「どういたしまして。俺の労働も報われるというものだ」
「……報酬が必要ですか?」
「いらん。……あー、そうだな、うまい酒を手に入れてきてくれ。あの女が酒は体に悪いからと茶と水しか飲ませてくれんのでね」
あの女って誰だろうと質問しようとした矢先、部屋の扉がノックされた。ロウが入室を促すと、おずおずといった調子で扉が開いた。
「お呼びされたので参上致しました。ルエです」
登場したのは美青年だった。整った目元と、力のある口元。かっこいいよりも美しいが優先される顔立ち。輝く銀髪は、ゆったりと後頭部で結われている。体付きは大きくなっており、肩幅はがっちり広かった。枯葉色のローブを着込み、腰には魔術増幅作用を有するであろう術文の掘られた短剣がぶら下がっていた。
少年とも言える年齢だった彼は、青年に、もとい立派な男性になっていたのである。
二人は見つめ合い、そして沈黙した。
最初に動いたのはセージだった。椅子をひっくり返し起立すれば駆け寄って行く。猪のように。
「久しぶりぃぃ!!」
「ぐえっ!?」
セージが感情と腕力に任せてルエに抱きつきのつもり、される側には体当たりをした。
ハイパー再開タイム。
タイトルは適当です。纏まってないですけど、あんなもんでいいかなと。