<5>焚火の中の串肉
“少女”は頭を抱えた。
とある町で聞いた話によると、某山脈にエルフの里があり、高度に構築された罠と防衛網により人間の侵入を拒んでいる場所があるらしい……それは、いい。
もう一つは、その場所が現在いる地点から歩いて数週間はかかると知ったため。
道中、整備もなにもあったものではない道を歩き続けようやく見つけた宿屋の裏で一休みしていたところ、エルフに関する話をしていたので聞き取れたのだ。人間の時と比べて聴覚が優れていたのか、それとも話している人間の声が大きかったのかは定かではないが。
エルフは迫害される社会的弱者であるが、場所によっては人間の全面攻勢を受けても耐えられるほどに力があるらしい。肝心の魔術とやらを見たことがないから何とも言えないが。
「腹減った……」
宿屋の裏、ごみ箱の裏に座り休憩中の少女。
時刻は昼間で、宿屋からはやたらと美味しそうな匂いが漂ってきて、胃袋が大暴れしているのが分かる。
あいも変わらず食べる物といったら木の実。食べられそうな野草を道中でほうばったこともあった。釣りにも挑戦したが、餌も針も無いのに食い付くわけがなかった。
誰かに食べ物やお金をねだったり、美少女であることを利用しようとおもったが、自分は男であり元の世界の人間であるという一種の固定観念がそれをさせなかった。
何をいらない自己を抱いているのか、とは思っても、長年染み付いた自己は取れてくれない。
歩き続け、ろくにご飯も食べず、安心して眠れない環境下に置かれた“少女”の肉体と精神はもはや限界だった。
健全な環境ありてまともな考えが浮かぶわけで、環境が最悪だと考えまで最悪になる。
なまじ現代の楽を当たり前のものとして享受してきた“少女”には、数週間もかかるかもしれない道のりは一生かかるのではないかとすら思えてくる。
仮に数週間の道のりが酒の席の誇張で、一週間の道のりだとしても、山の中にある集落を見つけられるとは到底思えない。遭難して死ぬのではなかろうか。
少女はゴミ箱の異臭漂うその場所で体育座りのまま、うつらうつら櫓をこぎ始めた。
身にまとった布の隙間から薄ら寒い風が入り込むも、もう気にするような事でもない。
どこかで読んだファンタジー小説ではエルフ族は少なくとも一千年は生きていられるそうだし、もしもこの世界のエルフもその位生きるなら、のんびりとしても怒られない。
言い訳じみた事を考え、少女は意識と睡眠の合間で煩悶した。やもすれば眠ってしまいそうなのに、眠れない。霧の中に居る気分。
脳裏に乱暴で破天荒な映像が支離滅裂に駆け抜けて、疲れと肌寒さからくる頭痛が麻薬のように甘美な眠りを誘う。
それは時に乗用車だったり、幼き時のごっこ遊びだったり、家族と口喧嘩して家を飛び出した時だったりした。中には映画のワンシーンも混在していた。
意識が落ちて行く。
もう、寝てしまう。
おやすみなさい。
少女は夢か現実か、どこともしれない場所で呟くと、こてんと倒れ眠りについた。
目が覚めた。
「………うぅ」
うめき声と共に目を開けると、体がほんやわ暖かい。
暖かい? 妙な話だ。屋外でしかも屋根も無い場所で、暖かいなんてありえない。毛布をかけてくれた人が居たとして、それは体が温かいだけではないか?
目の焦点が定まってくれば、今度はパチパチと何かが細かく弾けるような音が聞こえてくる。
これも、変だ。該当する音といったら焚火だが、火種も火打石も魔術で火を生じることも出来ないのに、どうして。
早く起きろと体に命じると、ただちに腰からナイフを引き抜き、錯乱状態で周囲を見回す。
一面の草原。ぽつぽつと木々が点在しており、目を凝らせば、自分が寝込んでいた宿屋が蟻のように小さく彼方にあった。
誰かが運んだのか? その答えはすぐさま提示された。
「起きたか」
煌々と火の粉を撒く焚火の向こう側に、男が居た。歳は四十、無精髭に鍛え抜かれた体躯、頬の下に走る傷跡が厳格で強い印象に加える。
男の腰に長剣がぶら下がり、また体を覆っているのが革の鎧であることを認めた少女は、ナイフを取り落とし、その場で腰が抜けてしまった。
殺される殺される殺される。
あの長剣が抜かれるや、自分の貧弱な体は骸になり果てることが容易に想像できた。たかがナイフでは革の鎧を貫けず、逆に貫かれ死ぬことが分かった。
だがしかし、その男は黙したまま、焚火で焼かれていた串肉を持ち、少女に渡すと、静かに言葉を紡いだ。
「喰え。腹が減ってはまともに考えられない」
「………」
少女はそれを受け取ったが、顔を強張らせ動けない。
当然である。心はかつての平和な世界の男性的思考。そして本能的恐怖、疲弊した体と、エルフは迫害されて殺されると言うこの世界の常識がそうさせた。
毒でも入ってるのではないか、と考えていた少女に、男は口の端をにやりと上げた。
「毒を入れるよりも剣で斬った方が早いと思わないか。幸い今のご時世、エルフなら殺しても特に文句など言われないのだからな」
「…………なっ……」
何故エルフと分かったと驚愕する少女に、男は自らの耳を示した。
「体を検分すれば分かることだ。安心しろ、俺はエルフを嫌悪しない。むしろ、好いている」
「………本当ですか?」
「そうでもなければ食料を分けてやるものか。行き倒れの女の子を見殺しにするほど腐ってはいないつもりだ」
呆然とする少女を尻目に、男は焚火に焼かれていた串肉を取り、一口。
「美味しいぞ?」
「い、頂きます!」
「喉につかえて死ぬなよ」
ぐぅ、と腹が鳴り、自分が空腹であることを再認識し、慌てて手の中の肉にかぶりつく。じわり染み出る肉汁が咥内に広がり、頬が縮こまり痛い。酸っぱい木の実やら野草やらと比べ、その肉は余りに美味しかった。
知らず涙が出る。その肉が香辛料や調味料を使っていないことなどこの際関係無い。少女は無我夢中でそれを貪った。
たかが肉、されど肉。少女がそれを食べるのを男は見遣りつつ、こちらも食べる。
暫しの間、二人の間に会話は無かった。
串に張り付いた肉の一片までお腹に収めた少女は、焚火から一歩退き、日本で言うところの土下座をして、男に感謝の意を示した。
「ありがとうございます……エルフなのに、助けてくれるなんて、感謝してもしきれません」
「そんなにお腹が空いていたのか。まぁ、兎に角耳を隠すと良い。俺は良くとも、他の連中に見られたら言い訳のしようが無い」
そこでやっと、自分の特徴的過ぎる耳が出ていることに気がつく。いつの間にか布のほっかむりが無く、背中に垂れていることを認識した。
慌てて布をかぶり直すと、改めで土下座体勢。少女にとって男は救いの神そのものだった。
男は串を一舐めすると、焚火に放り込んだ。
暗き空に火の粉が舞い、星間に消えて行く。
「君はエルフ狩りから逃げてきたのか?」
「エルフ狩り………?」
「知らないのか? 最近エルフを敵視する連中が人間に協力的なエルフを狩りまくっている。酷い話だろう、人間に協力的だから、狩りやすいとな」
「そうです………里が焼き討ちにあって」
「やはりか、畜生め」
男は淡々と語るようで、エルフが虐げられている現実に悔しがっているようであった。
“少女”は、『異世界から転生しました』ということを伝えるのではなく、『エルフの里から逃げてきた少女』という役割を選択した。どの道信じてくれるわけがないのだから。
「何故……襲撃を?」
「エルフを危険視した王国の連中が手を組んで排除しようとしてるんだろう……エルフは神話上でも、現実的にもそれだけの力がある………まさか知らないのか?」
男が怪訝な顔をしたので、少女は出来る限り表情に出さぬように、首を振った。
エルフがエルフの伝説を知らないのは余りに不可思議なのだし、またエルフの現在の状況に無知なことを知られては後々拙い。情報を引きださなければならない。
土下座のまま、背筋を伸ばし口を開く。
焚火の熱が体を温めていき、手足が熱くなってきた。
「いえ、だから、どうしてって」
「危険視するのもそうだが、……利権、カネ………いつだってそうだ」
「………そうですか」
「ところで、この後はどうする。エルフの里まで行くか?」
少女は男から焚火へと目を移すと、物思いに耽った。
揺らめく火を絶やさないようにと男が焚火に薪を投じ、それが火を活性化させてぱちリと音を鳴らさせた。
面を上げ、選択を。
自分があの世界に帰還する方法は、自分を匿い、なおかつ力あるものに縋る以外に 選択肢は無い。
元の世界で死んでしまった事実があれど、戻れさえすればよいという考えがあった。また、“神”を倒せばいいのでは、という考えもあった。
「行きます」
「そうか………道は教える。俺は行くべき場所がある」
男が手元の何かを探り、焚火に当たらないよう注意して、少女に見える位置にそれを置いた。毛布のようなものだった。
「今日は寝ろ。出発は明日にした方がいい」
「はい………」
少女は素直に頷くと、その毛布を取り、焚火の熱が程良く当たる位置に転がり、目を瞑って適当にかぶった。お腹が満たされたこともあって、瞬く間に瞼の中で睡魔が渦巻き、意識が飛んだ。
男は喉を鳴らす様に笑うと、少女に毛布をかけ直し、寒くないように繕ってやった。
そしてその姿をじっと見つめ、溜息を漏らす。
「……娘が生きてたらこの位だったな」
その夜、“少女”は元の世界の父親の夢を見た。
焚火に反射して、地面に転がったナイフが柔らかく光っていた。