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<40>兄と妹が似た者同士とは限らない

クララと勉学に励んでいる時のこと。

雑談の中で、クララに兄がいるとわかった。

 勉強は組の皆と共にやった。基礎教養はもちろん、魔術、数学、天文学、文法、論証など必要とされるものを毎日きっちり学んだ。

 数学や天文学に関しては驚くべきことに現代と大差ない水準であった。記号や計算法こそ違えど内容は現代の数学そのものだったし、天文学では地動説がしっかり認識され、星の大きさの計測まで行われていた。

 水準が高すぎるせいなのか勉学は難しかった。段を登る形式で学んでいくとはいえ、元の世界とは違った内容ばかりで苦戦する。本当に年齢にそぐう難しさかと疑った。

 セージは頭がさほど良くなかったので、クララと居残り授業を何度もすることになった。


 里は技術水準でも外の人間世界とは違い、原始的な爆弾の研究まで行われていた。案外、一番最初に銃を製造するのはエルフかもしれない。

 セージは己の知識を役に立てないか考えたのだが、思想や発想以外はゴミ同然だと気が付いた。

 現代人は科学や技術に優れているという印象があるであろう。本当だろうか?

 例えば我々が目の前に機械式腕時計をポンと出され、テンプを直せと言われたらできるだろうか。例えば乗用車のエンジンが故障したので直せと言われたら、修理できるだろうか。

 答えはノンである。腕時計、乗用車共、いずれのどちらにしても、修理するにはきちんと知識と経験を身に付けなくては、複雑怪奇なる機構に白旗を振ることになる。

 よって、セージの知識が役に立つことと言えば、技術やノウハウや物的面の必要のない、思想や発想ということになる。

 問題となるのはたかが子供の意見に誰が耳を傾けるのかと言うことである。こればかりは解決することはできないであろう。

 と言うことで、その知識の披露の場になったのは、クララとの勉強会であった。

 元の世界のことについて――――特に人口の話をすると、驚かれた。当然である。島国に一億人が犇めいて日々を過ごすなど、この異世界においてはありえないことだからである。

 だが、いくら話せど虚しさが振り払えない。

 元の世界の事を話せば話すほど離れている気がしてならないのである。肉体的、精神的、そのいずれもが。儂は昔戦場にいたのじゃと語るおじいさんの同類になってしまいそうな予感すらする。


 「ふっー!」


 嬉しい。手を叩く。羽ペンを走らせる。蛇ののたくったような文字がインクの造形として現れる。

 問題の解答をじっくり見て、ロジックの破綻が無いかを確認すれば、誇らしげに羊皮紙を一回転させて目の前に座っているクララに差し出す。

 クララは羊皮紙を受け取ると、白い指を各所に行ったり来たりさせ、合否の判断を下す。すなわち柔らかな笑みと頷きと言う形で。


 「正解。よく頑張ったわね」

 「っしゃあ!」


 思わずガッツポーズを決めるセージを、クララは不思議そうな目で見遣る。


 「何かのおまじない?」

 「これは、元の世界で喜びを表現するジェスチャーですね」

 「不思議なポーズをするのね。格闘技みたい」

 「その発想は無かったです」

 「そう?」

 「ええ」


 このように、元の世界では当たり前のように通じたことが通じないことが多々あり、その度に教えてあげるのである。咄嗟に口を出る固有名詞などもクララを含めて理解できない人が多いのが普通である。

 説明も面倒なので元の世界の単語は口に出すまいとしているのだが、無意識に出てしまうときや、ガッツポーズなどの仕草はどうしようもない。


 「そうそう、忘れるところだったわ。セージ君に会いたいって言ってる人がいてね」

 「へぇ……俺にですか?」


 雑談の中に出てきた話題に、セージは興味を示した。会いたい人は数多くあれど、逆に会いたいと求めてきた人はほぼ居なかったからである。

 クララはウーンと喉を鳴らして前髪を梳いた。彼女の顔に躊躇が浮かぶ。それやがて苦笑いに変わった。


 「しつこくしつこく聞いてくるものだから……兄さん……」

 「クララさんってお兄さんがいたんですね」

 「そうなのよ。兄さんったら外から来たって単語に弱くって、連れてこないと絶食してやるぞって聞かないのよ」

 「絶食ですか?」

 「ええ、半日絶食するって」


 半日食べないのを絶食とは言わないですよ。おかしいですよクララさん。喉まで出かかった突っ込み文句を咀嚼して胃袋に流し込む。美味しくない。


 「……半日ですか」

 「半日よ」

 「半日ですか」

 「半日……よ」


 なぜか顔を見合わせる二人。

 クララですら苦笑いを浮かべる兄とはどんな人物なのだろうと不安になってくる。

 詳細を訊ねるのはばかれるので、止めておいた。が、好奇心が早くしろとうるさいので居場所を聞き出した。怪しげなもの、危険なものほど、男の子の心を擽るものである。体は女であるが。


 翌日、セージは里の中にひっそりとある牢獄のような場所に足を運んだ。

 牢獄のような、であり牢獄ではない。理解はしているのだが、他の部屋が木製の扉であるのに対し、この部屋に限り鉄製であったのだ。

 おまけに扉の左右には悪趣味を極めた造形の鎧が仁王立ちしており、あたかも地獄の門番のようにこちらを睨みつけてくるのである。扉の上には水晶の球が据え付けられており、意図の不透明さが不気味を助長した。

 とりあえず、エルフが居ることに間違いはない。なぜならクララの兄だからである。間違ってもエルフのような何か別の生命体を兄として認識していることはあるまい。ないと祈りたい。

 何はともあれ外に人が居ると知らせなくては中に入ることはできない。

 戸に備え付けられたノッカーを使おうとして触る。金属的な粘り。背筋が逆立つ。嫌悪を堪え、数回叩く。


 「………留守?」


 反応なし。再挑戦。強めにノック、コンコンコン。


 「あのーすいませーん! ……セージっていう者ですけどー! ………あのー!」


 セージは手でメガホンを作ると、室内に届くように声を張り上げた。

 “少女”は気が付かなかったであろう、鎧と水晶に微かな変化があったことを。部屋の主はとうの昔にセージの姿を認めていたことを。

 出会えないのなら時間の無駄である。直そうと扉に背中を向けた。

 次の瞬間、鎧の兜がくるりとまわってセージの背中を捉えた。そして水晶が鈍く発光し、円形の何ものかを投影した。


 「……? …………っうええええ!?」


 物音に気が付いた。無感動な顔で振り返ってみれば、鎧の顔がこちらを見つめているのと、水晶に人の目玉と思しきものがくっきり映っているところが視界に入った。

 それだけならよかろう。悪いことに、鎧が二体揃ってセージに手招きしたのだ。

 流石のセージも、鎧が動く、水晶に目が映る、といった事象を予想できず腰を抜かした。叫ぶ。地を這いずる。立ち上がろうとしてしくじる。


 『おや、あまり驚くなよ。お楽しみはここからだ。ようこそ俺の部屋へ』


 水晶から悪戯っぽい掠れ声が漏れ、眼球が数回瞬いたかと思えば、鎧らが手招きを止め、扉へ誘うかのように背筋を伸ばして直立し、微動だにしなくなった。

 腰を上げる。お尻の埃を払い、水晶の向こう側でこちらを窺っているであろう男を睨む。すると目玉が瞬いて消えた。水晶から光が抜けた。

 一歩前に進み出ると、あろうことか扉が下にするすると滑り降りた。唖然とした。扉自体が押して開く形式の格好であったのに、下降したのだから。防衛上の為であろうか。

 これは世に言う自動ドアではないか。

 ともあれ、セージは中に入った。

 入室に合わせて扉が閉まった。いかなるカラクリが内臓されているのか見当もつかない。一拍置いて、暗闇の向こう側から光る石をランタンにつめた照明器具が左右に揺れながら接近してきたのだった。

 目が暗闇に慣れていないせいで、ランタンしか見えない。瞬き。ぼんやりと輪郭が浮かび上がった。


 「やぁ、君が愉快な経歴を持つという女の子かい。初めまして」


 その男は一目に不健康と分かる容姿をしていた。ブロンドの髪を短く切り揃え、優しい目つきと顔立ちはなかなかのいい男であるが、青白い肌と頬のこけが台無しにしていた。体躯も骸骨を思わせる細さであり、服の上からでも骨が透けて見えてしまいそうである。

 暗闇の中に浮かび上がった姿は、三途の川の岸辺で船を待つ死人を思わせた。

 男は視線の先に気が付いたらしく、袖を捲って腕の細さを見せつけた。平均的な女性よりも細い。


 「生まれ付きなのだよ。病弱な星の元に生まれた運命さ。自己紹介が遅れたな、俺の名前はロウという。しがない穀潰しだ」


 男は言葉を紡ぐと、覚束無い歩調でくるりと踵を返し、カンテラを揺らしながら幽鬼のように部屋の向こう側に進んでいった。すると部屋の各所に配置された光の岩がぽっ、ぽっ、と明かりを吐き出し始めた。

 部屋には興味深いものが並んでいたが、興味を発散する前にあいさつをしなくてはいけなかった。


 「俺はセージと言います」

 「セージ……いい名だな。本名ではないにしろ」

 「そこまで聞いていたのですか?」

 「無論。妹に全て吐くように言ったのさ。さてと、どこにやったかな」


 どうやら、クララはセージがこの世界にやってくるまでの経緯について話してしまったようである。口ぶりからして強引に聞き出したか。もしこの場で『お前頭おかしいんじゃないか』と馬鹿にされたら、クララとの関係が微妙になったかもしれないが、相手に理解がありそうなのでそうはならなかった。

 ロウは、セージと会話はするものの顔を合わせず、部屋の隅に鎮座する大きな机を占拠する羊皮紙の束をひっくり返す作業に没頭した。

 山の中から文字の欠片ものっていない羊皮紙を取り出す。繊維のくしゃげた羽ペンを同じく取り出し、インク瓶の蓋を開けてペン先を乱暴に突っ込み、足だけを使って椅子を引き寄せ座れば、下敷き代わりの薄い鉄板を床から拾って膝に乗せた。

 その目つきたるや青白い肌とは対照的で、どこにあったのかというほど血が集中し、血管の走行が浮き彫りになって狂気すら発散していた。知識に飢えた獣がここにいた。


 「座りたまえ、是非お聞かせ願おう、異世界の風景を……!」

 「は、はい」

 「早くッ! 椅子はそこにある!」

 「わかりましたぁ!」


 セージは完全に気圧されてしまった。

 部屋にあった奇天烈な加工の施された椅子に腰かけると、故郷の母親も泣いているぞと諭される容疑者のような面持ちで知識を吐き出していくのだった。


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