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<39>信じることは



 クララと目を合わせる。海を覗き込んでいるような澄んだ色の青が、セージの瞳をとらえて離さない。手も、離さない。

 手を握るだけではなくて胸に抱いてほしい欲求が生まれた。頭も撫でて欲しくなった。理性でぐっと堪える。母性を感じても、まだ会って日数の浅い人なのだから。

 甘えたい。その衝動が胸を締め付ける。

 セージとてまだまだ子供。元の体の時が大人になり切れない年齢で、現在の体は母親に甘えていても不自然ではない幼い体。精神が体に引きずられたとしたなおさらである。

 戸惑い、堪え、それらを総合して苦悩の顔をするセージの手を、クララが握り、そして撫でる。

 セージは緊張で足が貧乏ゆすりし始めたのをぐっと筋肉で制動し、唇を舌で濡らすと、そっと視線を己とクララの手のつながりに落とした。

 ―――……さぁ、懺悔の時間だ。

 

 セージは何から何まで全てを打ち明けた。

 包み隠さず、この世界に落とされたときから、巨老人の里に至るまでの一切を。

 荒唐無稽奇妙奇天烈な話が続いてもクララの反応は極めて真面目だった。笑うことも、指摘も、一切せずに話に耳を傾けてくれた。

 人を殺した話の時に限ってクララに動揺が走った。それでも頷くだけで、話をきちんと聞いてくれたのだった。

 口を動かしていると、心の淀みが栓を抜いたように消えるようだった。

 一通りの事情を嘘偽りなく話したセージは、疲労の溜まった肺の空気を入れ替え、視線を上げた。青い瞳と瞳が正面から向き合った。


 「……という訳です。だから私じゃなくて俺です。信じてくれとは言いません。ですが、俺は正気です。頭がおかしくなって嘘の話をでっち上げたと言われたら、証明する手段なんてありはしないですが」

 

 セージは自嘲を込めた笑みを口元で燻らせ、続く言葉を飲み込む以前に考えなかった。

 クララはセージの手を擦ったまま、黙り込んでしまった。視線もピントが遠くに合っていて、セージを見ていない。正気と疑っているのか、それとも考えのつかないことをしようとしているのか、“少女”には判断がつかない。

 居心地の悪い沈黙が一分を支配した。

 やがて、クララが顔を上げた。そして口を開いた。


 「信じるわ」

 「えっ……」


 セージはクララの手を握り返し、掠れた吐息をあげた。

 ありえないことを聞いた。耳を疑う。正常。次に頭を疑う。残念ながら自己診断はあてにならない。

 だから質問を投げかけるのだ。隠しきれない期待を込めて。


 「どうして……?」

 「セージ君は嘘をついているように見えないわ。もし嘘をついていたとしても、私は信じる」


 クララが言葉を切った。掌を離し、慈しむように手の甲を撫でると、人差し指を曲げてセージの目元に伸ばした。理由はごく単純明快。クララは目の前で泣く者を放置しておける心の持ち主ではなかったのだ。

 セージは呼吸の間隔すら乱さず涙を流していた。目を真っ赤にしているのにも関わらず表情が平坦というアンバランスさ。本人すら気が付いていない。

 クララはその水気を指で拭き取ってあげた。

 セージの肩が震えた。目元を指で触られるのは想定外なのと、己が涙を流していると自覚したから。


 「理由は……そう………私は信じたいひとを信じるから……じゃ不足?」


 クララはそう言うと、ハンカチを取り出してセージの顔を拭いた。

 

 「泣いちゃだめ。男の子でしょう?」

 「……むぐ」


 セージは顔を大人しく拭かれることにした。

 ハンカチが退いても目の赤さは残ったが、涙でぐしゃぐしゃな顔は消え去っていた。後から後から溢れる分を除いて。

 セージは無言でハンカチを求めた。クララが寄越してくれる。顔を隠す。涙を拭いているだけだ。泣き顔を見られたくない訳ではない。言い訳が心の中でだけ響く。

 クララがセージの肩に手を置いた。


 「人を……殺めてしまったことは、言い方は悪くなるけど今後の為になるわ。証拠も、目撃者も居ない。ほぼ自己防衛。忘れてはいけないけれど……この乱世、あなたのやったことを責める人はいないわ」

 

 クララの言うことは現実的であった。乱世を生きる女性の倫理観では、以上のような結論が導き出されるのだ。戦って武勲を上げることが推奨される世の中で育てはそうもなる。

快楽の為に人の命を奪う殺人鬼に成り果てたら、擁護のしようがないが。

 黙ってハンカチで目を擦る、セージ。涙は止まっていた。


 「帰る算段はあるの?」

 「……はい。王国が接収した魔術が世界を渡る術だったそうです。それを使って帰ります。俺は、その為に王国を倒したいと思っています」

 「……強いのね」

 「弱いです。死んでもおかしくなかった」


 目に宿るは強固な意思。妄執の位に昇華したそれは、いかなる者に諭されようが曲がらない鉄板になっていた。

 巨老人の説教も、最終目的を諦めさせるに至らなかった。

 経緯――心が現在に至るまでの――を知らぬクララには、セージが強い意志で行動する強き者に映った。彼女は頬に手を当て、ほぅ、と息を吐いた。視線がぶれる。考え事をし始めた合図。


 「そう……時間がかかってしまうわね……」

 「いくらかかっても構いません。やると決めたらやります」

 

 セージはハンカチで涙を根こそぎ拭き取り、小さくたたんで胸元に抱いた。洗わずして返却するつもりはなかった。そのことを伝えると律儀ねと言われた。

 その後のセージはクララとひたすら話した。辛かったこと、楽しかったこと、世間話、など。

 他人との接触に飢えていたのだろう、“少女”は貪欲だった。些細なことでも楽しげに反応した。相手が好きなこともあってか表情も生き生きとしていた。

 話すべきこと、話したいことの全てを吐きだしたころ、クララと別れることになった。

 最後にセージは頼みごとをしてみることにした。口に出すのが躊躇われ、羞恥に顔を染める。何度も舌を噛みながら、手を広げて、目を瞑り、言わん。


 「クララさん、……っ、ぎゅ、ぎゅっとしてください!」

 「あらあら。いいわよ」


 クララはドアノブから手を離すと優美に振り返った。小首を傾げて、セージに温かい視線を送らん。緩やかに歩み寄り、セージの肩に手を置くと、そっと引き寄せる。そして腕の中に包み込んだ。

 セージは腕を背中で交差し、抱きついた。温かい。柔らかい。花の香りがした。

 頭を撫でられる。不意に、胸の中で眠りたい衝動に襲われる。なんとか堪え、別れの挨拶代わりに顔を押し付ける。女性の体の柔らかさに驚いた。いずれ自分もこうなるのかと考える。

 それから、ゆるりと二人の体は離れた。

 セージが手を振れば、クララも手を振り返す。


 「いつでも相談してね」

 「はい!」

 「元気ね。それじゃあ、また明日」

 

 そうして、クララは去った。

 手や胸に残る余韻が温かくて暫し佇む以外の事をしなかったセージは、突如として頭を掻き毟り、ベッドにドロップキックで飛び込むや枕を蛸殴りにし始めた。腰と腕のひねりを込めた強力な拳が突き刺さる。


 「くそっくそっ! 馬鹿! 馬鹿! 恥ずかしい! 恥ずかしい! ぎゅっとしてくださいじゃねーよ! 何がぎゅっとだよ! あー!!!! あー!!!!」


 悶える。枕を顔に当ててベッドを転げまわる。今になって羞恥心が噴火したのだ。何をやったか。ぎゅっとして。抱擁を催促したのだ。あろうことかクララに。


 「きぃぃぃぃ!」


 絶叫しつつ布団相手にプロレスを仕掛ける。関節があると想定して絞めに入らん。次に拳を叩きつけて転がる。勢い余って床に転落してしまった。しかも頭から。

ゴッ。鈍い音。


 「ぉぉぉぉぉ………」


 頭を抱えて悶絶する。

 半分程蹲っていただろうか。やっと引き潮を迎えた痛みの尻を蹴飛ばし、立ち上がると、おもむろに布団と枕を整える。体を動かしたせいなのか額に汗が浮いていた。

 そしてセージはベッドに腰掛けると腕を組んだ。眉に皺が寄る。指が落ち着きなく往復して皮膚を叩く。

 どうにもしばらくの間は剣を使った訓練ができそうに無い。夢を見ないで睡眠できる薬は常用するしかないであろう。さもなくば悪夢が待っている。となれば、やることは限られてくる。


 「まず、勉強しないと」


 セージは前向きな発想ができるまでに気力が回復していた。それほどまでに、クララの影響は大きかったのだろう。

 もし、クララと出会わなかったら、一日中部屋に籠りっきりの生活を続けていただろう。

 体を動かせないのなら頭を使えばいい。図書館から借りてきた本の中の一冊を手に取る。題名は『魔術の心得』だった。


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