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<31>さらば渓谷の里

 巨老人の里の戦いが終わった!

 その知らせはたちまちのうちに口から口へのネットワークを伝播して里中に伝わった。

 エルフの里では、人間の街にスパイを放っており、それにより情報を得ることができている。数で劣るのであれば相手の行動をいち早く察知しなくては生き残れない。長老の言う風の噂と言うのはあくまでぼかした表現である。

 情報は、セージの耳にも届いた。

 セージはすぐさま長老の元に急いだ。

 長老の間に入ろうとしたが、入れて貰えなかった。ルエを連れてこなくてはいけないとわかり、里中を駆けずりまわった。気持ちが逸って転んだ。慌てて立ち上がると目的の人物が手を差し伸べてきていた。行幸。

 彼は不思議そうな顔をしていた。


 「いかがなさいましたか」


 ルエの手を握って立ち上がり、そのままぐいぐいと長老の間に引っ張っていく。

 

 「ルエ! ルエ! 巨老人の里の戦いが終わったってさ!」

 「引っ張らないでくださいよ!」

 「長老のところに里を出る許可を貰いに行くんだ!」


 ルエの顔は、セージの顔に反して暗かった。



 長老の間。

 ルークは仕事でクタクタだった。戦争の情勢はもちろん、かの里の被害、経過、周囲の反応、自分の里はどうするかの通達、それにかかる労力の算出、防衛、一般業務を一晩で処理するのだ。

 基本的に、里の運用で重要でないことは部下が処理してくれるが、事が戦争絡みとなると彼がやらねばならない。

 以上の情報を纏め、里の知識人らの集う会議で議論を重ねるのだ。

 ルークは有能であるが、専門家ではない。食糧、医療、技術など、各分野の識者に判断してもらわなければ決定できないこともある。

 やっと仕事が終わって、水で喉を潤しつつ古文書に目を通していたところ、来訪者があった。予想はできていた。係りの者に通す様に言う。


 「長老!」


 扉が係りのものに開けられて、イの一番に現れたのは、予想に反せずセージだった。すぐ後ろには不満そうなルエも一緒だった。二人に話すべき事柄があったので、同時に伝えることができそうだった。

 ルークは古文書にしおりを挟むと、横に退けた。長い指を組み合わせ、口元を隠す。


 「フム……やはり君か。来ると思っていたよ。巨老人の里の戦が終わった」

 「では!」

 「君の使命を遮るものはなにもないということだ。私の与えた仕事もちゃんとこなしてくれたしね」

 「はい! 俺は巨老人の里に行きます」

 「本当に行くのか?」

 

 ルークは、嬉しそうな様子のセージに対し、重苦しい声で確認を取らんとした。最終確認ではない。考え直してくれないか期待したのだ。

 だが、セージの答えは決まっていた。


 「行きます。より王国に近い里なら手がかりを得られるかもしれないですし」

 「………無茶はするなよ」

 「安心してください。王国にいきなり侵入するようなまねは、しません」


 セージが真面目な顔を作り、神妙に頷いた。現実の辛さを辛さではなく運の良さと都合のいい解釈をしていたころと違って、下手すれば死ぬとちゃんと認識しているのだから。

 それでも旅に出るのは、王国の技術を盗むにはより近い位置に行った方がいいし、実力を養えるからである。

 本当のところは、この世界への執着と、元の世界への執着がせめぎ合うことで生まれる焦燥感がそうさせているのだろうが。

 いずれにせよ、最初の里の長老の依頼を完遂しなくてはならない以上、いつまでも渓谷の里に滞在するわけにはいかない。ミスリルの剣と手紙を己の足で運ばなくてはいけないのだ。

 ルークの目がここではないどこかを見た。二つ名の由来になった巨体を持つ戦士の姿を思い出しているのだろうか。


 「巨老人は戦いに優れた男だ。私の知る限り、もっとも強い。彼に鍛えて貰うといい」

 「わかりました。感謝します」


 セージが頭を下げた。

 セージは知る由もなかったが、ルークは一つの思惑を抱いていた。巨老人という者の性質と思想についてだ。それが今もあるのであれば、セージは王国に行こうに行けなくなるだろうと。“徹底的に”鍛えて貰えるだろうと。

 誰かがどこかで無謀を止めなければ、絶望に変り果てるのが目に見えていたから。

 壁によじ登って転落死する前に、誰かが後ろから止めてあげなくてはならない。最初セージが訪れた里の長老にはできなかった。ルークにもできなかった。だが、巨老人ならばできる。

 ルークには確信があった。そして、それが起こるべき場所は、より戦場に近い場所であるべきだと考えていた。

 彼女が最初訪れた里の長老が巨老人の里を指定したのも、それが理由ではないか。


 「兄上!」


 その時だった。

 ルエがガラになく大声を張り上げると、一歩前に進み出たのだ。決意に満ち溢れた様が見て取れた。きゅっとむすばった唇が、今にも破裂しそうだった。

 

 「なんだ、弟。公の場では長老と呼ぶようにと言ったのはお前さんじゃないか」

 「僕もセージについていきます!」


 ルエは驚きを隠せないセージを一瞥すると、己の決断をぶちまけた。

 危険なところに旅立つのを笑って許せるほど冷血でもなければ、阿呆でもないのだ。特に好意を抱いていればなおさらだった。

 だが、ルークはまるで相手にならんと首を振った。


 「駄目だ」

 「どうして!」

 「まぁ……落ち着け、血のつながった同胞よ。お前の立場を弁えろ。私は彼女の出発を認めたが、お前の出発を認めた覚えはない」

 「ですか!」


 なおも食い下がるルエを、ルークは長老として断じなくてはならなかった。

 若さゆえの勢いで飛び出されては困るのだ。幸いなことにセージと違って他の里の長老の手紙による指示も無いことだし、止めることができる。

 手をひらりとさせ、首を横に大きく振った。


 「お前の言わんとしていることはわかる。タテマエも、ホンネも、私は理解しているつもりだ。ここは引け。お前には彼女の旅立ちを見送ることを命じる」

 「………わかり、ました」


 ルエは苦悩に顔を歪めながらも、頷いた。

 セージは長老の間を出る前に握手をした。ルークが意味深なことを言ったが、その時は意味がわからなかった。その時は。

 ただ、男ながら女性に言う台詞じゃないと思った。


 「―――さらばだ幼き者。再び会う時は美人になれよ」


 準備はそう時間のかかるものではなかった。元からの装備を身に着けて、保存食や便利な道具などをしまった。食事をして、水浴びをして、里の出入り口である岩の前まで行く。

 ルエの呪文により、岩は自動ドアのように横に滑った。

 外の世界が一気に広がった。青い空。川の音。木々の海。守衛の人があいさつをしてきたので、あいさつで返した。

 セージは振り返った。ルエが立っていた。今にも涙が零れそうな目つきがあった。彼は憂い、悲しみ、不安、それらの感情を処理できず、爆発寸前だった。

 できるのならば共についていきたかった。

 しかし、長老たる兄の言葉は絶対的な力を有しており、逆らうことは許されなかった。

 たった一人のわがままで里の規律を破ることは、できない。


 「気を付けて……」


 だからルエは体の震えを止められずに、抑揚のない言葉を投げかけることで精一杯だった。

 セージは、彼の両手を握った。

 温かく、自分の手より大きくて骨っぽい。


 「俺は死なない。死ぬもんか。それにちょっとお使い行ってくるだけだし、大丈夫さ」

 「……死んだら許しませんよ」

 「必ず戻ってくる」

 「いつまでも……待ってます」


 似たようなことを去り際に言われたな。セージは思った。

 未練が残る前に手をぎゅっと握れば、身を翻して里の外に出た。新鮮な空気。太陽の光が目に痛い。装備を確かめる。全て良し。いざ行かん。


 「じゃーな!」


 セージは振り返らず、歩き出した。

 背後で岩が閉まる振動を感じても振り返らなかった。

 地図を広げる。巨老人の里までは約一か月の道のり。里に到着したら、王国の情勢を探らなくてはいけない。唯一見つけた手がかりに近寄るためには、進まなくてはいけない。

 “少女”は、やがて森に紛れて消えた。


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