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<29>地底生活と事情を持つ彼ら



 それからのセージの暮らしは、おおまか楽しいものだった。

 農作業はもちろんのこと、掃除、本の整理、螺旋通路の維持作業、里の光る岩の回収と配置、守りの強化、料理の手伝い、戦闘訓練など、ありとあらゆることをした。

 試練と言うより雑用に近いことばかりであったが、衣食住が保証された“少女”の苦になるはずもない。

 友達もできた。エルフだろうが人間だろうが、世界が違おうが、子供の遊びに大差はないと分かると、面白い気分になった。かけっこ、かくれんぼ、ごっこ遊びなど、童心に帰って遊んだ。

 何せ体は子供である。振る舞いも子供にして、心も子供に戻せば楽しいことこの上ない。

 セージの一日は、仕事をして、遊んで、日の最後に迎えに来るルエに部屋に連れて行って貰い眠るという規則正しい生活であった。

 最初に訪れた里で暮らした時と同じくして楽しかった。

 そしてわかってしまうのだ、暮らせば暮らすほどにこの世界に対する執着心が芽生え始めていると。もし神の背中に刃を突き立てる機会が巡ってきたとして、その時には元の世界に戻りたくないと思っているかもしれない。

 いっそ、第二の人生を与えられたのだと割り切って、新たな命を全うすることもいいだろう。

 だが、心に誓った一文が元の世界への帰還を促してくるのだ。諦められなかった。何のために地に這いつくばってここまでやってきたのか分からなくなるではないか。

 諦められない原因の一つが元の世界に帰還する手段が残されているということであろう。もしもそれすら不可能であったなら、どうなるかは誰にもわからない。

 

 セージは地底湖の美しさに見惚れていた。

 ドワーフが作ったという空洞の最下層部に位置する場所に、現実のものとは思えない幻想的な光景が広がっていた。

 その空間は広く、深く、そして神秘を孕んでいた。

 空気は冷たく、塵の一かけらも感じない。

 天然ものの光キノコや苔が淡い光を供給し、広大な水面を青く色づかせていた。水は透き通り、あたかも存在しないかのように振る舞うほど、純粋であった。

 何千年、何万年、何十万年という永き時をかけて溶けだした岩が、まるでつららのように天蓋からぶら下がっている。

 水面と陸地の境界線には『危険』『足元注意』『泳げぬ者は近寄るべからず』という物々しい看板が立っており、かなり大きい光る岩の照明具が辺りを照らしていた。

 地底湖の奥に向かう桟橋があり、小舟が係留されていた。

 “少女”は、その桟橋の端っこに仰向けで寝転がっているのだった。腕枕にてリラックスしきっている。そっと呟く。

 

 「すげぇなぁ……」


 セージの視線の先に広がっている光景は、暗黒と光の織り成す造形美だった。

 黄色い光のキノコや苔とは違った、涼しい青い光を放つ小石があちこちに埋没している。それらは乱交し、暗闇と混じり合うことで星のように煌めくのだった。光の淡い部位はまるで銀河の星々だった。

 桟橋の下を覗き込めば、趣の異なる美しさがあった。

 天蓋の光が侵入した結果、水が青き色合いを醸し出している。眼下には、切り立った岩山を丸ごと持ってきたような空間があった。とても、水があるとは思えぬまでに透き通り、底の底までを見せてくれる。底は、深すぎて霞みがかっていた。

 身を乗り出し、セイレーンに魅入られた船乗りのように見つめ続ける。

 垂れ下がった石の先端から水が落ちた。水面に付くや、重力と表面張力に従って一度凹みを作り、再び水の粒を大気中に投げ、やがて落ちる。波紋が円形となり伝播すれば、地底湖に動きが生まれた。

 水面と言う境界が揺れ動き、光の幕がため息をついた。

 そっと手を伸ばす。触れる。冷たく、心地よい。体のくだらない熱が吸い込まれていく。かき回す。乱れる水面と、乱れる光。一口飲む。おいしい。

 この地底湖を知ったのはつい先日のことだ。

 エルフの一人に生活用水は川の水を取り込んでいるかと尋ねてみると、湖のを使っていると言われた。場所を尋ねると教えてくれたのでやってきたという寸法である。

 ふと、セージは足音を聞いた。

 上半身を起こすと、桟橋に座った。


 「ここにいましたか。そろそろ寝る時間ですよ」

 「ルエ。精霊が居ないんだけど」

 

 ルエがあずき色のローブを着込んで登場した。

彼は桟橋の真ん中をするすると歩んできた。セージと同じく湖に目をやり、そして隣に座った。


「精霊は居るらしいというだけです。期待していては、出るものもでませんよ」

「どんな感じなの? 羽とか生えてたりすんのか」

「光の球という話も、蝶という話もあります。一概にこれと断言できる形をしていないそうです」

「フーン……」


 ルエはそこまで語ると、視線をゆっくりとずらしてセージに向けた。幼いながらも厳しい体験を積んできた横顔は、彼の主観では風景よりも美しかった。

 ――まただった。

 ルエの目つきが完全に恋する男のそれになっているのである。気が付かない振りをするしかない。男であるためには、男と付き合うことなどできやしないのだ。

 第一である。“少女”の現代的な考え方からすれば、彼はロリコンである。無論、この異世界の考え方や文化を理解しているので、ロリコンではないと分かっている。しかし、ロリコンでないのかと思ってしまう。コミカルな意味で思ったのではない。まじめな意味で思ったのだ。

 客観的な視点で考察する。

 彼は、ボロボロの美少女を助けた。今にも死にそうなところを、間一髪で救った。記憶が正しければ人工呼吸もされた。これは吊り橋効果の亜種ではないのか。

 考えれば考えるほど迷宮を堂々巡りしてしまうので、考えるのを止めた。

 セージは立ち上がると、伸びをした。薄い胸がぐっと反る。


 「よーし、寝よう!」

 「そうですね、早く寝なくては明日に差支えます」


 二人は連れ立って部屋に戻った。

 その最中に、セージは頼みごとをした。

 翌日から二人は一緒に狩りに出かけることになった。


 一方その頃。

 頭を悩ませる男がいた。


 「フム……」


 長老の間で、ルークは熟考していた。顎に手を置き、腰まで伸びた髪の毛を口元で弄りつつ、本棚の前をうろつく。

 考え事の内容は多数あったが、中でも大きい割合を占めていたのが弟のことだった。

 弟――ルエはとにかく奥手で、女性を前にすると尻込みして交際を申し込むことができない。

 ところが、外からやってきた子だけは別だった。まるで友人のように――否、友人以上に親しく接しているのだ。

 もちろんルークとて、セージが婚姻には早すぎることは理解している。

 だが、やがて時が経てば成長するわけである。大人になれば結婚もできる。子供も産める。

 かつてのように里同士が自由に交流できた時代ならまだしも、現在のようにエルフ狩りが奨励される殺伐とした世の中では、里の中に引きこもる他に無い。

 里同士でエルフの行き交いが無いわけではない。ある程度はある。しかし、最盛期と比較すれば少なすぎる。人間の攻勢が強まれば里は完全閉鎖されるだろう。

 ルークが危惧していたのは、血が近しいもの同士が子供を授かることであった。閉鎖的にならざるを得ない現実では、血統の問題は解決しがたいことである。

 エルフの古き知恵で、血の近しい者同士の間には病弱な子しか生まれないとある。

 十年二十年ならまだしも、数百年と迫害が続けばどうなるかは分からないではないか。

 セージの来訪は気弱な弟に妻をという問題と、血の問題を解決(完全にではないが)する有効な手段だったのだ。

 セージは『王国』に向かいたいと言っていた。巨老人の里の戦が終われば直ちに出発してしまう。強制的に繋ぎ止めるのは、ルークの信条に触れる。

 情報を何年もの間に渡って制御することでセージを外に出させない案も考えたが、却下した。情報は漏れるもの。いずれ知られるのが目に見えていた。

 要するに、ルークの力ではセージを里に永住させることはできないのだった。


 「何があの若者を駆り立てるのやら……」


 ルークは前髪を指で払うと、ため息をついた。



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