<22>岩の墓場
セージ、岩の墓場に訪れるの巻。
岩の墓場が前方に見えてきた。
地面に草が生い茂っており、木々があたりを囲うように生えていた。まばらな絨毯だと感想を抱く。乾いた土地の真ん中に草木が生えているということは水源があるに違いない。砂漠にオアシスがあるようにここにも水があるに違いと考える。
墓場と言っても岩が起立して並んでいるだけだが、規模が予想の斜め上だった。見渡すばかりに岩、岩、岩、石碑、岩、岩。岩がまるで行進する兵隊が如き威圧感を放っていた。
円形に並んではいるがやや不揃い。巨大な円の枠を配置して、はみ出さないように、しかし適当に並べたらこのようになるだろうか。
岩の列に足を踏み入れて、観察する。
岩には何らかの文字が刻まれていた。記憶の中で最も近似するのが楔形文字だった。ノミをハンマーでたたいて刻んだ文字。死者への弔いの言葉が記されているのだろう。
“少女”はフードの淵を指で弄りつつ、あたりを見回した。
「井戸ってどこ?」
墓場観光はどうでもいい。水の確保が先決である。
魔術で作るのは効率が悪すぎる。
念には念を入れて岩の影に隠れて誰も居ないことを確かめつつ歩いていく。隠れては顔の半分だけで覗く。さっと移動して岩に取り付き、また顔の半分だけ出して確かめる。
人っ子一人居なかった。
気恥ずかしくなった。わざとらしく鼻を鳴らせば、とんととんと岩陰から進み出た。
「……誰もいないか」
岩の群れを抜けて、円形の中央に向かう。何か目ぼしいものがあるとすればそこしかないと考えたのだ。彼もしくは彼女の予想は的中し、何らかの構造物があった。
岩を塔の形に仕立てたとでも表現すべきそれは、先端に向かうにつれて中央に収束する丸みを帯びた岩だった。大木程の太さがあった。セージの腕では周囲を包むのに複数人は必要となるであろう。
裏にまわってみると構造物の半ばからぱっくりと空間が口を広げていた。木の洞のように。
構造物の洞から中に入ると中央に穴があった。近づいてみるとそれは井戸であった。天井から吊るされる形で水汲み装置が設けられていた。鎖を手に取る。埃と錆でかさつく。
天井に目を凝らすと、滑車を使うのではなく、穴に通しただけの単純な作りであると分かった。まるで長時間放置してもいいように滑車を使うまいとしたようだ。
鎖を手になじませ、容器に水を汲むように動かす。勢いつけて引っ張る。天井の穴で擦れてガララと音が鳴る。振動で手がしびれる。
「よいしょっ、よっと……ふんっ……うっ、よし、せぇの!」
鎖は重く、一息にはすべてを引き上げることが叶わない。何度かに分けて引っ張る。
何やら綱引きを思い出し、懐かしくなった。悲しいことに相手は井戸であるが。
井戸の底からバケツか桶が昇ってくる気配を感じ、最後の一引きとばかりに鎖を腕に引っかけ、構造物の外に駆けた。
「うっし!」
手ごたえあり。あとはゆっくり手繰り寄せながら近づくだけだ。
振り返ったセージはとんでもない物を見てしまった。息を呑み、目を見開き、両手をわたわた振りながら全力で駆け寄らん。
「わー!? 馬鹿野郎! 待て待て待てー!!」
セージが目撃したのは、薄い石で作られた汲み容器が目一杯まで持ち上がっている光景。それと、容器の根本の部品が脆くなっていたらしく、振動に耐えられずへし折れ、水諸共自由落下に身を委ねた瞬間であった。
ぱっと寄って、井戸の淵にしがみ付き奈落の底を見遣る。
直後、容器が落着した音がした。
水音だった。
水があることは喜ばしい。久しぶりに水を補給できるし水浴びも叶うだろう。休憩することもできる。一時的な拠点として構えることも案の一つに加えることができる。
だが。
「どうすんだよこれ……」
セージは井戸の底を覗き込むと途方に暮れたため息を漏らした。魔術を行使して光を灯せば、底を照らして見る。目測で何メートルかは正確に分からなかったが、落ちたら死ねる高度があった。
光を反射する水面が恨めしかった。
そう、問題はいかにして水を汲み上げるかという一点である。
鎖の先端に布を巻き付け下ろし、水を染みこませて汲むことを思いついた。容器を探してくるより苦労は少ないように思える。
……鎖を引き上げる手間を除いて。
手持ちの布の中で最大のものでも手拭きタオルしかない。手間は計り知れない。水筒一杯になるまでと、己の飲む分を確保するには何往復すればいいのかも見当がつかなかった。
ここまで思考の糸を張り巡らせていたセージは、普通に水筒を括り付ける案を採用した。
だが、危惧していたことが的中した。水筒の浮力で水が中に入らないのである。考えた末、手ごろな石を括り付けてようやく水を汲むことができた。
やれ、成功だ。
ほくほく顔で水筒から水を飲み、また汲んでは飲む。腕が疲れを訴えたが無視した。目一杯飲んだので顔も洗って鼻と口も洗う。水筒に水をたっぷり注いで蓋を閉める。
そこで、鼓膜を打つものがあった。
「もし……」
静かな声。霧と靄と雲を集めて楽器に仕立てたようだ。小人が口笛を吹いているのを枕元で聞かされる感覚に陥った。
心臓が早鐘を打つ。
「もし……旅のかた……」
「………ハ、ハイなんでしょうか」
セージは水筒を握りしめて硬直した。フードを被っていたのが幸いであったが、振り返りたくなかった。フードを覗き込まれるとエルフであることがバレるかもしれない。
今しがた水で潤ったはずの喉が急速に砂漠に似通っていく。腰のミスリル剣を指で突く。魔術の発動を頭の中で準備する。
妙なことに、背後の人物からは息遣いを感じられなかった。気配すら。暗殺者や腕の立つ傭兵などは相手に存在を悟らせないというが、まさか。
「旅の方は……いかなる用事でここに参られたのでしょうか……」
「水を汲みに」
セージは水筒を肩越しに見せつけ、揺らした。落ちる水滴。
「そうですか、ここの水は死者の為の水なのですが……」
「ごめんなさい! 長旅で水が入用だったもので」
「フフ………いえ、私の所有地ではありませんし……あなたのような子供の喉を潤せるのなら井戸も本望でしょう」
「ところであなたはなぜここに?」
振り返らずに尋ねてみる。岩の構造物から墓場の外までの最短距離を計算する。最悪、突如背後から斬りかかってくることも考えておく。
背後の人物――声という要素だけで判断するのなら女性――は、ゆっくり噛み締めるように答えた。
そよ風が背後の方から吹いた。爽やかな花の香りが鼻腔を刺激した。香水だろうか。
「―――……ひとを待っているのです」
「それは誰ですか」
「愛する人です」
「えー、どのくらい待っているんですか?」
「さぁ……わたくしには解りませんわ。もうそこにあの人がいるのかもしれません」
「………」
「………」
会話が継続せず押し黙った。
一分経った。二分経った。三分経った。背後に居るのか居ないのかもわからない。思い切って振り返ろうと、拳を握る。
さっと振り返ってみれば、誰も居なかった。アッ、と声を漏らす。岩の井戸がある構造物の周囲をぐるっと一周してみたが、やはり居ない。狐につままれた気分。首を傾げる。
「疲れすぎて夢でも見てたとか……うーん……。わからない。いいや、なんでも」
考えれば考えるほど泥沼に嵌りそうで、セージは考えるのを止めた。
身支度を整えて地図を開くと道程に文字を記入していく。里と里の間を行き帰りするのには情報が必要だからだ。
地図を仕舞い、お決まりのストレッチで体を解すと、次の目標に向けて歩き出す。岩と岩の間をすり抜けて、ゆったりと足を進める。
その途中で、はたと足を止めた。違和感ともいえるし、異変とも、自然現象とも言えるものを見つけたのだ。
一つの岩のすぐ横の地面に赤い色がある。生き生きとした赤く小さく可憐な花が横たわっていた。手折られたのち、この場所に誰かが置いたのか。しゃがむ。手にとって鼻に押し付ける。爽やかな香りがした。
お供え物だろうか。花を丁寧な手つきで元の位置にそっと戻す。
セージは、さっきの人物が見ているかもしれないからさっさと行こうと伸びをして歩きを再開した。