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<2>火炎とナイフと


 目が覚めた。痛かった。頭が死ぬほど痛かった。

 全てが焼け落ちようとしている西洋風の集落の片隅で“青年”は目を覚ました。 頭が痛い。思考が定まらない。唾液が出ない。

 視界に映る全てが赤と朱色で埋め尽くされて、


 「…………どこ、……だ……?」


 思い出せば、自分がカミサマとやらにテンセイさせられたということが鮮明に蘇ってくる。

 となると、ここはテンセイ先なんだろうか。

 青年はもっと考えておきたかったが、そうもいられないと気がついた。

 理由は極めて単純明快。自分が居るのが室内であり、なおかつ燃えているからだ。理由は知らない。原因も知らない。が、燃える室内にいつまでも居れば死ぬのは道理である。

 青年はすぐに逃げようと腰を上げて、その異常に気がつくことになった。

 身体が違うのだ。男性のそれは既に無く、不思議と違和感の無い、小学生かもっと小さいくらいの女の子の身体が自分のモノになっている。


 「からだ……からだが………どうなってるんだ」


 自己と言うアイデンティティが崩壊する。

 男性の身体で十数年生きてきたはずが、ふと気がつけば幼女。吐き気がする。キグルミが自分の身体に同化したような感覚。気持ち悪い。

 熱気満ちる室内なのに、吐き気が止まらない。涙が止まらない。

 性別も人生も何から何までを否定されて、しかも妙な世界に転生。自分そのものが完全否定された、その事実が吐き気を催させた。

 頭の中がぐるぐると廻る。


 「うぅ……っ」


 “少女”は、目の前でカーテンが黒の灰と消えるのを目にしつつも、胃の中身を床に吐きださなければならなかった。吐しゃ物が床にぼとぼと落ちた。

 口の中が酸性の液で満たされて、鼻につんとくる臭いが涙を滲ませる。

 これがゲームならいいのに、と思う。これが他人事ならどれだけ楽だったか。だがこれが現実。全て現実なのだ。

 

 「逃げよう。死ぬ」


 わざと口に出すと、“エルフ族の少女”は、火炎が壁から天井に広がっていくのを見て、手じかなナイフを握りしめた。

 脱出経路を確保しなくてはならぬ。ドアは燃えた。ならば、窓を破るしかない。

 カーテンは瞬く間に焼け落ち、床に転がった。

 好機、窓に手を伸ばすと、一気に開け放ち外に飛び出して地面に無様に倒れ込んだ。膝をすりむいた。

 次の瞬間天井の梁が力尽きたようにぼきりと折れて、部屋に火の粉と濃密な焔を滝のように流し、窓が爆撃を受けたようにけし飛ぶ。硝子の破片が少女に降り注ぐ。


「ッ……!」


 手の中のナイフを宝物のように握りしめ、少女はその家屋から逃げ出した。

 暗闇の中、その家屋は完全に火に包まれ、またその家屋が所属していた村は火炎に沈んで地図から完全に消えた。黒煙が闇夜に昇り、星空を覆い隠していた。







 どれだけ走った事か。

 事情も右も左も分からぬ“少女”は、エルフ特有の長い耳を揺らしながら、集落からほど近い場所をとぼとぼと歩いていた。

 深夜なのだろうか、空は暗く、蝙蝠が空を元気よく泳いでいるのが見えた。星空が近い。現代日本ではありえない。全く違う世界なのだろうか。

 道が舗装されているなんてことも無い訳で、岩でごつごつした場所を歩かねばならなかった。

 行くあてなんてない。あのカミサマとやらの話が本当なら、“少女”は完全に孤独であった。

 エルフがいるということはファンタジー世界。家の造りから推測するに中世。

 ということは法律は曖昧で、あての無い女の子を引き取ってくれる施設なんぞある訳も無い。勉学は得意で無い“少女”でも、歴史の教科書ではそんなことが書いてあったことくらいは思い出せる。


 「どうしよう……」


 熱射病にかかったのか、足元がおぼつかない。

 ナイフ一本を握りしめ、草の生い茂った場所をただ歩く。

 水が欲しい。水さえあればいい。でも、水道もコンビニも無く、井戸も無い。

 熱に浮かされた頭は水を求め続け、染み出すことを止めた唾液を飲み込むことを続ける。疲労が強く、思考に無駄な情報が錯綜して意味が分からない。

 自分が死んだことは理解できても、悲しみや怒りよりも先に水を求める原始的欲求の方が勝った。

 なんで村が焼き払われていたのか、自分のこの身体の親や友人はどこにいったのか、それすら分からぬまま、歩く。


 「………? ………声がする」


 舌と口蓋が張り付くほどに口が渇いている。

 耳に拾ったのは男たちの声。村の様子を見に来た近隣の村人かもしれない。ならば助けてくれるかもしれない。

 少女はふらふらと歩いて行くと、その男達の声のする場所を探した。ベト付く草木が服や皮膚を汚し、地面の凹凸は体力を奪い去っていく。


 「……!」


 だが少女の予想は完全に違っていた。

 大木の陰に身を潜めるようにして声の元に顔を向けて見れば、そこには馬に乗った男たちが、『血に濡れた』剣から丹念に血を落としているところだったのだ。

 出来る限り身を小さくして、草むらから耳を澄ます。虫の声が少女の雑音を打ち消してくれた。


 「あっけなかったなぁ、エルフなんてあんなもんか」

 「そうでもないぜ? 女はヤバかったな。いい声で鳴いてくれたよ」

 「おい、持ち帰るとか考えるな。皆殺しにしろとの命令なんだ」

 「殺したよ。死ぬ時もいい声で鳴いてくれた」

 「そうかい。でもさァ、俺にはどうも生き残りが居る気がするんだが……」

 「気のせいだろ?」

 「だといいんだがね」


 少女は草むらで震撼した。

 つまり中身の青年は震えあがった。フィクションの世界でしか滅多にお目にかかれない殺戮の現場に自分は居たと言うことになるのだ、恐怖を覚えない方がどうかしている。

 しかも皆殺しときたのだから、もう震えが止まらない。

 少女は震えの止まらない手で自分の耳を触り―――ヒッと息を漏らした。ファンタジーに出てくるような耳があった。そしてそれは自分がエルフであると確信させるに足りる証拠であった。

 指先から熱が漏れていき、筋肉が震え始めた。歯が鳴る。心臓が痛いほど脈打っている。


 「……に、……にげないと……殺される……ッ」


 火災。皆殺し。血濡れの剣。男たちの会話。

 何かが弾けた。


 「ッ! おい、止まれ!」


 居てもたっても居られない。

 少女は男二人に位置がばれるような動きで草むらから飛び出すと、あても無い逃走を開始した。だが水分が足りず、しかも疲れた幼女の足ではたかがしれている。

 馬に命じ少女の前を取ったその二人は、馬の前足を脅す様に掲げた。

 

 「あっ」


 目の前に馬の巨体が広がり、さらに偶然にも足を地に取られ倒れ込む。ナイフは足元に転がった。

 少女は慌てて立ち上がろうとして失敗して、また立ち上がろうとして男に腕を掴まれ、しかも腹部に蹴りを入れられた。胃液と唾液を吹いた。


 「ぐっ………」

 「おい、お前生き残りか?」


 男の一人が少女の美しいブロンド髪の毛を掴むと、無理矢理顔を上げさせた。

 腹部に突き刺さった蹴りの余波は凄まじく、意識が朦朧とするほどで、髪の毛を掴まれて頭皮が悲鳴を上げたことに抵抗することすらできなかった。

 男は少女を検分するような汚らわしい目で観察した。


 「精々いい声で鳴け。そうすれば許してやるかもしれん」

 「はは、そんなチビをヤんのかよ? 裂けちまうぜ?」

 「エルフってのは頑丈だから大丈夫だろ」


 “少女”は悟った。

 こいつらは散々犯してから殺すつもりなんだと。男から女になって、犯されて死ぬ。その未来予想図がまじまじと浮かびあがった。


 「止めろッ、止めろぉ!!」

 「やかしいぞガキ」


 今度は手刀が首に落とされて、危うく意識が消えかけた。

 悲鳴を上げる間もなく、あっという間に上半身の汚れた服が切り裂かれ、成長前のおだやかな胸部が露わになった。男二人は下品な口笛を吹いた。


 「いいねぇ……若いと食いがいがある」


 少女は腕をもがき、脚をばたつかせ、今にも噛みつかんと言う顔をしたが男にはつまようじほどの影響力を持たない。鍛えられた筋肉が全てを吸収し、森と言う障壁が凶行を覆い隠しているのだ。

 なんとか打開せねば犯された挙句死ぬことは必至。

 ナイフさえあれば首筋を斬ってやれるのに―――!

 目を地に這わして探す。あった。数十センチのところに土で薄汚れた小型ナイフが光っていた。

 少女は咄嗟に手を伸ばすと、自分を抱く男の首筋にそれを突きたてた。

 ずぶり、嫌な感触が手に伝わる。


 「……ぐっ!? ……な、ガキ、が……なまいき……」

 「ジャック!」


 血が吹き出る。生温かい鮮血がナイフの先から噴水のように吹き出るや、少女と男二人をこれでもかと濡らす。

 少女はナイフから伝わる感触に震え、男の憎しみに満ちた瞳と対峙してしまった。血走った瞳。汚れた欲望渦巻く虹彩。それらが脳裏に刻まれ、閃光と化す。

 血が少女のブロンドの髪を染め、男はあっという間に絶命した。少女を拘束していた手が離れ、男が地面にへたり込む。


 「おいしっかりしろ!!」


 少女が男を刺し殺すと言う瞬間を目撃したもう一人の男は、首から血を流し続ける男に駆けよると、必死で首を押さえて血を止めようとした。

 だが、止まらない。


 「―――にげなくちゃ………早く動けッ、もっと早くッ」


 少女が、血濡れのナイフ片手に全力で地を蹴り逃げ出す。

 逃げだせた要因の一つに恐怖が挙げられる。殺されると言う現実が迫り、さらに相手を殺害した事実までが重くのしかかり、逆に、竦んだ脚の動くことを認めたのである。

 相棒が死ぬ行く様を無力な男が一人、星空の下座っている。血が地面へと流れ、とうとう首から流れる血すら勢いを衰え。最後には残った男の叫びが響いた。








 どれだけ逃げたのだろう。


 「―――……ハッ、はっ、はっ……」


 赤に染まったナイフ片手に、上半身裸、しかも脱水症状まで併発。腹部と首に貰った一撃は青痣になり、噴出した血が全身をぬらりと濡らしている。


「 ―――はっ、ハッ……あ゛ッ……ぐっ!?」


 少女が石に躓きすっ転んだ。

 悲鳴を上げつつ地面を転がると、目の前の木に顔から衝突、小川に転げ落ちた。ざぱん。水音が響く。


 「なんで俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ………なんで俺がこんな目に……」


 幸い小川は浅く、溺れることはなかった。

 顔面を小川につけて水を思う存分飲み込むと、小川の真ん中に腰掛けて呟く。血が落ちて行き、小川を赤茶に染めて、辺りに鉄の臭いを振りまいた。

 天に昇った満月は憎々しいほど大きく、星空は清浄であった。


 「……ヒッ」


 そこで自分の姿をじっくり検分した少女は、右手に汚れたナイフがあることに気が付き、悲鳴をあげて草むらに投げ捨てた。


 「……ぅ」


 そしてまた嘔吐する。

 自分が男の首にナイフを突きたてた時の感触と、血の噴出したことから恐らく死んだのであろうという不確かな予想が胃袋を引っ掻き回した。

 冷たい小川に胃の中身をすっかり吐きだしても止まらず、胃液を吐き続ける。涙が大量に溢れ、鼻水まで垂れて顔を汚す。こうしている間にも身体から血が流れて行くが、人を殺めた手は汚れたまま。

 少女、つまり青年は人を殺したことなんてない。

 ましてやナイフを使ったことも無く、殺す殺されるはテレビの中の出来事と信じていた。でも違った。自分は人を刺し、相手は死んだ。

 男の黒い瞳がナイフを投げた方向から覗いている気がして、逃げようとしたが、小川の砂に足を取られて転倒してしまう。派手に水しぶきが上がった。

 震える両手を顔の前に持ってきた少女は、必死に川の流れに手を突っ込み、血を落としていく。


 「落ちない……クソっ落ちない……」


 手の皮を剥いてしまいたい。

 少女は気が違ったように川の中で手を洗い続ける。指紋の間。爪と指の隙間。全てを洗い流しても、まだ洗い続ける。

 手首を洗い、肩を洗い、上半身を洗い、下半身も構わず洗う。全身から血が落ちても臭いが消えない。だからまだ洗った。

 数十分ほど経って少女は体を洗うのをやめると、小川の淵にへたり込んだ。

 緊張の糸が切れたらしく、しかし震えている。小川の水は冷たくて、そして風が容赦なく吹き付けてくる。体温が下がる。

 服を全て脱いでしまい、手頃な木の陰に隠れ、全身を抱きしめて震える。タオルなんて無いし、毛布なんてない。今の少女には服とナイフと自分の身体しかないのだ。

 少女は震えていたが、やがて疲れて眠ってしまった。

 もしも獣でも来ようものなら食わるなんて知ってたし、追手が来るかもしれないなんて分かっていた。でも眠かったのだ。

 何の皮肉か、天から流れ星が零れると一条の線を描いた。

 少女が最後に認識した感覚は、吐き過ぎて焼けた喉の存在であった。

 青年なのか少女なのか曖昧なその人物を尻目に、夜はこうして更けていった。





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