<120>祈祷ではない
水辺を探し続けていた一行を待っていたのは都合のよい水辺だったが、通路を塞ぐように広がる大広間に水がたっぷり並々とあるという事態に三人で相談することにしていた。
水といえばダンジョンで水攻めに遭った経験があったのだ。
侵入者をあの手この手で殺そうとする場所にいるのだ、慎重になって成りすぎることは無い。
「問題なさそう」
「つまり無害な水ということか?」
「うん」
ダンジョンで死体漁りをしていたネズミを魔術を一切使わずに素手で捕獲しておもちゃにしていたメローがセージの問いかけに頷いた。
ネズミは必死で抵抗していたが、尻尾を引っ張って振り回してみたり、地面にたたき付けたりと酷い仕打ちにあってからかぐったりしていた。
大広間にたまっている水を掬って口にねじ込み毒性があるかを確かめていたのだ。
数時間待ってみても特に問題は無く、念のため自分の肌につけてみても爛れるようなことはなかった。
セージはネズミに酷いことをしたなと思いつつも別のことを考えて顎をなでていた。
「パッチテスト? ……アルコールつけたっけなぁ」
感慨深そうにセージは言うと、いけないと言わんばかりに目を閉じた。
うっかりもとの世界で使っていた単語を使ってしまったからであり。メローは何を話そうがどこ吹く風なのだが、ルエが反応してくるだけに気をつかってしまっていた。
案の定ルエが何か言いたそうに口を開くのを人差し指を振って制すると、おもむろにネズミをメローの手から取って逃がし――たりはせずに首をへし折って布に包んで鞄に放り込む。
セージはあぐらを描いたまま猫背で水面を見つめていた。
所在なさげに槍を肩に担いで両腕をかけていた。
「どうする? 戻って道を探すか。でも俺の勘なんだけどこれ実は道なんじゃないかと思う」
「どういうことだか説明してくれないか」
同じくあぐらのルエが問いかける。
メローは話を聞いているのか聞いていないのかセージにとられたネズミの行き先に熱っぽい視線を送っていた。
「わざわざ水があるんだ。潜って先に進む仕組みなんじゃないかと思う。水中ステージはRPGだと不可避なんだぜ」
「はい?」
「なんでもない」
いかんいかんとセージは溜息を吐いた。
「近頃考え事が多くてつい妙なこと口走るけど気にすんな。つまり、潜って泳いで進めってことなんじゃないかと思ってる」
「厄介だなぁ」
いつの間にかすぐ傍にやってきて胡坐をかきなおしているルエが言った。
セージが形のよい唇を尖らせる。
「あのさあ……」
セージは肩に手をかけようとしてきた隣の物体の腕を払いつつ、槍を地面に下ろして腰をあげ水面を見つめた。
澱みのない水の色。だが底は見えず果てしのない黒が広がっているばかりだった。
試しに腕を突っ込んで水をかき回してみる。妙な生物が食いついてこないだろうか。こなかった。
腕を引き抜くと、おもむろにルエのローブで手を拭く。
ルエがげんなりとした顔をした。ローブが台無しだった。
セージがくつくつと喉を鳴らして悪戯っぽい笑みを浮かべると、水場の前で足を抱えて座り込んでいるメローに声をかけた。
「泳げる?」
「無理」
「そうか……」
「さっきのネズミ貸して」
「……あとで食うから妙なことすんなよ」
即答だった。
ぴしゃりと跳ね除けられたことに肩を落としつつもネズミを貸してやると、メローはネズミの死体を地面に置いてネズミの周りにチョークで魔方陣を描き始めた。
魔方陣に記述される文字を見たルエが腕を組み唸り声を上げた。
完全に専門外である術を見せられているセージは自分の髪の毛の先を指で弄りつつ、ルエの横っ腹を肘で突いた。
「なにやってんのこれ」
「古い魔術だ。久々に見た。ゴーレムと同じ系統の術で、死んだ生命体の脳を基点に……」
メローが何事か呟くとネズミの死体が気持ちの悪い動きをし始めた。両足をだらりと地面に転がすと、顔面をゴリゴリ擦りつけ始める。人間がするように伸びをしたかと思えば唾液を吐き出しつつ痙攣してキーキー泣き叫ぶ。
引き付けでも起こしたかのようなネズミの行動に目を見張っていると、唐突に動きが止まった。
まるで人間のように二本足で立ち上がると、感情を宿さない無機質な濁った瞳をぱちくりさせたのだった。
メローが嗜虐的な笑みを口の端に乗せて杖を振ると、ネズミはその場で丸くなった。指を動かし何事かつぶやくと、ネズミはその場で逆立ちをした。
くっくっく。怪しい笑い声を隠そうともしないメロー。
いい加減不気味になってきたセージはメローの方を心配そうに見つめた。大丈夫だろうかこの子。大丈夫なのだろうけど、大丈夫じゃない。不安を隠せない表情を浮かべて。
自分の肩の上に乗せてみせたメローは嗜虐的な笑みを引っ込めて無表情で拳を固めてうなずいた。もしサムズアップという文化があればやっていただろう。
「制御完了。この子を潜らせて探る。もう死んでるから呼吸は必要ないから」
「そ、そっか。ちなみに人間とかにも使えるの?」
セージは目の濁ったネズミを指差し尋ねてみた。
するとメローはネズミの腹に紐を巻きつけつつ背中を向けた。水の中に放り投げると紐を手繰る。ネズミはしゃきしゃきとした機敏な動作で潜っていくと、暗闇に消えた。
「厳密には……」
メローは紐を手繰りつつ片手の指を立てた。師匠であろう痩せたエルフの姿を彷彿とさせるしぐさだった。
「死んでいなくても使うことはできる。接続に介入して別の制御を割り込ませて制御する。元通りに復元しようとする動きに阻害する術を使う……すなわち制御を奪うための術と妨害する術の二つを平行して」
「わかった。つまりこの先に何があるのかわかるんだな」
「うん」
興奮した声でしゃべり始めたメローをセージはさえぎった。
死霊術。ネクロマンシー。一般的には禁術扱いされているそれを平然と行使して興奮した口調になるくらいである。とめないといけない予感がしたのだった。
セージ、メロー、ルエの三人が見ている前で紐が急速に水の中に吸い込まれていく。
もし息を止めておける時間以上に深かった場合は別の手を考えておく必要があるだろう。もしくは、メローが手繰っている紐の長さが切れてしまった場合である。
いつまでも戻ってこないネズミ。
セージはその場で胡坐を掻いてつまらなそうに肘杖をついていた。ネズミを操作しているであろうメローは楽しげである。血が大好きというべきか、過去酷い人体実験にさらされた影響か狂気的な発想に走る傾向がある。それ以外は寡黙な普通の女の子であることは知っていても、やはり気圧される。
セージはごろりと横になろうとして、
「あのな」
男の膝に頭を乗せた。正確には腿だが。
膝枕というやつである。視界の上方には逆さまになった男の顔が映り込んでいる。
唐突に怒りがこみ上げてくる。馬鹿じゃないのか、とか。あほか、とか。何で俺が寝ようとしたらお前がいるんだよ、とか。つまるところセージの行動を逐次観察していて、寝転がろうとするのを見るやさっと位置をずらして膝を移動させてきたといったところだろう。
行動力があるといえばそれまでだが、やりすぎじゃないか。セージの心にわきあがった感情はしかし男の和やかな表情にかき消される。
柔和な笑み。下手すれば女にも見えかねない麗しいつくりの顔が柔らかい表情を浮かべている。
自然な動作で髪の毛を梳こうとするルエに対してあきらめの顔を浮かべるしかなかった。
「見つけた」
「やっぱりな。出口あったんだろ?」
「泳ぐ。泳げないけど泳ぐ」
てきぱきと泳ぐための準備を整え始めるメローを前にセージは苦い顔をした。
森で追い詰められて川に飛び込んだ記憶はいまだに鮮明に思い出すことができる。傍らでじっと水面を見つめている男がいなければ今頃下流まで流されていっただろう。行き着く先は海か獣の胃袋であったはずなのだ。
枕から頭をあげて水面に歩み寄る。あとから相棒がついてくる。
ルエがふむと喉を鳴らした。
「よし行こう。これでも泳ぎには自身がある。万が一溺れたら僕が絶対に助けるから」
「………お、お前な。俺なんかよりメローを助けてやればいいじゃん。ばかなの?」
セージは、泳げないといったくせに何故か胸高鳴らせて嬉々として水を掻く仕草を予習し始めるメローを指差した。
「手厳しいな。最初あったとき溺れてたろ。泳げないんじゃないかと」
「あれは疲れてボロボロで死にそうだったところで襲われたから飛び降りたんだって。熊がいたんだぜ。死ぬかと思った。自慢じゃないが水泳ならプールじゃ一番早かったわ」
「ぷーる?」
「なんでもない。忘れろ」
ぼりぼりと頭を掻くしぐさをする男を前に、セージは自らも泳ぐ準備をし始めた。
泳げるのかどうかはわからないが背後の男が入れば絶対に助けてくれるだろう。安心感があったのだ。この男ならば絶対に自分を助けてくれるという。
信頼というべきなのか、好意と呼ぶべきなのか。
難しく考えれば考えるほど絡まってしまいそうな思考の糸を引きちぎった。
手早く髪留め用の紐を解いてポニーテールに結び直すと頬を叩いた。
が、まずは。
「準備運動だな」
おいっちにーさんしーと運動し始めたセージの横にメローが加わった。
運動に加わるなんて感心だと思った矢先、
「新しい祈祷?」
「いや違う」
と言われた。見ようによっては新種の祈祷に見えただろう。
セージはメローの無邪気な質問へ首を振るしかなかった。
完結はさせます