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<118>野?宿

 通路も広間も危ないとなれば、もはやどこで休憩すべきか判断がつかなかったが、水責めや全方位を囲まれる危険性のある広間よりも、進めるのが二方向に限定される通路で休んだ方がよいのではないかという結論を叩き出した。

 痺れ水――メローの様態を観察してそれが毒ではなく痺れ薬であるとわかった――を鍋に入れてぐつぐつ煮詰め水分だけを蒸発させそれを水滴に戻す作業を行い、やっと水が手に入った。とはいえ時間をかけた飲料水で体を清めるのは憚られ、噴水に飛び込むのも躊躇させられたため、汚れたままを余儀なくされた。

 メローは相変わらずすやすやと寝息を立てていた。猫のように体を丸めて。メローと付き合っていてわかったことがある。寝ることが好きらしいと。

 松明は板を加工した松明立てで床の上にある。

 ルエが来た通路に胡坐を掻いて座り、その背後にセージが座っていた。

 セージは、いっそ清々しいほどの大股開きに肘杖を付き、顎を乗せていた。片側には槍。銀の剣。二連式クロスボウ。革鎧を干す暇がなかったので、体から妙な臭いが漂っている。それが気に食わないらしくむっつりと唇を結んでいた。


 「風呂入りてえ」

 「それは浴びるほうですか? 浸かるほうですか?」


 ルエが振り返ることなく訊ねてきた。

 背中越しに触れる逞しい背中がもぞもぞと動くのを感じ、こそばゆさを覚える。

 ふむんと鼻を鳴らすと、自分の胸倉の革板をぐいと持ち上げて体臭を嗅ぐ。汗、汚れた水の臭い、革が生乾きのときに生じる不愉快な臭い。女性は汗をかいてもいい匂いなんて大嘘だとセージは思った。


 「浸かるほうがいい。ドラムか……じゃない、石造りの容器の下で薪を焚く本格的なやつがいい。毎日でも浸かりたい」


 セージは危うくドラム缶という文明の利器について言及しそうになるも、首を振って言い直した。脳裏に浮かぶのは純和風なお風呂。設備があるときには利用していたものの、遺跡の中にあるわけもない。

 そして面倒なことがもう一つあった。


 「うろ覚えですがどこかの国ではそういったお風呂が当たり前のようにあるとか。セージは行ったことがあるんですか?」


 無邪気に質問してくる男に、セージは目線を斜め上に逸らし逡巡した。迂闊なことは言えない。

 例の告白以後、ルエは積極的に動くようになった。例えばことあるごとにくっ付きたがったり。事あるごとにセージについて質問したり。

 なまじ生まれ故郷や出生について質問されて答えたくない領域を多々持つセージは、こういった突っ込んだ問いかけには慎重にならざるを得ない。この世界にやってきた理由を告白できたクララであればすんなりいくが、なぜかルエにだけは知られたくないという思いがあった。

 クロスボウの弦の張りに気を取られていたとでも言わんばかりに視線を大げさに下げて水平に戻す。


 「ない。けど、えーっと、どっかで使った時に気持ち良くてさ。はまった」

 「いずれ入ってみたいものです」

 「入るだけならカンタンカンタン。水入れた鉄の容器の下で薪を燃やせば完成」


 堪えたような笑い声が耳を叩いた。首を捻る。


 「なに。ピエロでも出現したかよ」

 「水を満たした鉄の容器の下で薪を燃やして加熱………まるでダシをとってるみたいだなと」


 脳裏になぜかサイクロプスが手足を縛った人間を風呂で煮込んでいる情景が思い浮かんだ。不意打ち的に出現した映像が笑いを作る。口元のにやけを噛み潰し、背後に鼠も殺せない強さの肘鉄。


 「ばかやろ。垢しか出ないぞ。はー………くそ。鎧は臭い、汗も臭い、太陽も風もないからなかなか乾かない。最悪の気分。お前も風呂入りたくならない? 水浴びでもいいよ」

 「入りたいです。水場がないので解決できない問題です」


 背中の様子は見えない。二人して相手の表情を窺うこともできない。背中越しに声が震えるのを感じ取ることだけ。視線は遠く、無限消失点に固定して。

 そのはずだったのだが。

 ふわり、という優しく甘い表現だと誤解があるだろう。汚れた水を吸って乾かした臭いが鼻に触れる。自分も似たような臭いを漂わせていただけに気にならなかった。セージの視界両端に、への字型の何かが出現した。ズボンの裾。靴。つまり足。背中に触れる背骨の感触は無く、強いて言うなら後頭部に硬く尖ったしかし肉の気配のある何かが触れた。

 理解する。背後の男が姿勢を反転させて、自身を挟み込むように足を広げて座っていると。幸い武器類を躱すように足を広げているので有事にも対応できるだろうが、通路の片側だけを監視する体制と化しており、まさに片手落ち。

 苦情を言うべく背後に寄り掛かった。頬に空気を溜めて不満をアピール。


 「アホタレ。背中合わせで守ろうなっ! の予定が台無し。どうしてくれる」

 「だめですか?」


 後頭部にあるのは顎である。理解したところで、糖蜜を混ぜた紅茶を思わせる舌触りの抽象的な問いかけが来た。

 背後から包み込むように手が前に回る。骨の角が皮膚を押す蜘蛛のような指が、体育座りをとっていた両足に這う。

 セージはさせぬと手で守った。逆にむんずと手を掴み取った。


 「くっつき過ぎ!」

 「くっつきたいです」

 「お前は恋する乙女か!」


 手を抓って、背後に頭突き。頑なに引っ付こうとする男に攻撃した。

 が、両足を狭め引っ付くばかり。鍛えているとはいえ女。体格も負けている。しまいには諦めてなすがままにされた。

 ルエがセージの髪の毛を整え始めた。慣れぬ手つきで乱れを正し、その過程で頬に指が触れる。

 くすぐったさを覚えて目尻が揺れる。ため息を吐き、拘束していた手を解く。


 「しゃあない。今だけは恋人になったみたいに髪の毛弄ってもいいようにしといてやる」

 「恋人ですか―――なりたいです」


 ストレート。ど真ん中。見事にミットに突き刺さる言霊に眩暈さえ覚えた。

 頬にかかる指を捕まえて引きはがし、振り返った。至近距離。息がかかるであろう距離。侵害されると不快感を覚えるパーソナルスペースという概念がある。この世界でも同様に通用する普遍的な考えではあるが、不思議と不快感はなかった。

 眉を寄せ、視線を逸らす。壁の染みに興味を奪われたとでもいうように。


 「ハッ……ほかにいい女の子は一杯いるだろ。ガサツで乱暴で馬鹿で男言葉の女なんて捨てろ。そりゃ……おっぱいは大きいし、見た目はいいだろうけど中身は大概どうかしてる」


 欠点を羅列しつつ指を折り、頭を前に戻して視界から逃れる。

 背後で首を振る仕草があった。


 「お断りします」

 「頑固者な奴。あぁそういえば聞きたかったことがある」


 セージは話題を探そうと言葉にならない呟きを漏らして時間を稼ぎ、一つだけ浮かんだそれに飛びついた。相手の手を握り、指を弄って遊びながら。


 「同性愛ってどう思う?」


 お前は馬鹿か? 自分で自分の後ろ指さして笑う。もし自在に操れる汗腺があったとしたら、顔から汗を流したに違いない。

 背後の男が首を捻り怪訝そうな顔をするのも無理がないことだった。質問の意図が掴めず目を細める。


 「同性愛………? いきなりですね。実は女性しか愛せないとか言わないでください。個人的な話になりますが、愛の形はそれぞれ。愛したい人を愛せば、倫理観や世間体を気にするよりも充実していると思いますが」

 「いやお前。ルエはどうなの。実は両方いける口とか」

 「女性しか愛せません」

 「わかった。正常でよかった。いや………うん、それが当たり前か。あんまりにも女の子に手を出さないから男色かとばかり。里でも女の子に声かけられてたじゃんか」


 セージはにやりと嫌味な笑顔を浮かべた。ルエは整った容姿と物腰の柔らかさゆえに女性受けがよくしょっちゅう声をかけられていた。進展はなかったが。


 「……おちょくらないでください。女性しか愛せませんよ。中には同性でも構わないヒトもいるそうですが。一体こんな質問に何の意味があるんです」


 ルエがむっとして、何を思ったかセージの頬をもてあそび始めた。横に引く。押す。ふにふにと頬の肉が形を変える。

 きっと今自分は面白い顔をしているだろうなと想像する。手を払おうと思えば払えるだろうが、不愉快さを抱かなかったが、発音の阻害要因にほかならず、指を持ってどけた。


 「覚悟――――あるいは再確認? 悪い、言葉にできない」

 「へんなセージですね」

 「おれはいつも変なんだよ? 知らなかった?」

 「ええ」


 奇妙な沈黙があった。

 セージの頬に触れる指はいつの間にか広がっており、頬全体を包み込むようになっていた。

 マズイ。直感的に悟る。雰囲気がマズイ。どうマズイのかと言えば雰囲気に流されてしまいそうという意味でマズイ。

 雰囲気という魔の手が迫る。物理的にも、頬にあった手が滑ってうなじに触れる。ぞぞぞ、と背筋が毛羽立つ。黙っていたらおかしなことになる。話題を探しに探して、上体の姿勢を変更した。

 くるりと身を翻して、相手の胸元に飛び込み肩を抱く。鎧を着込んでいるのだ、胸が当たるなどの危険性を考慮しないでもいいと考えたが、その考え自体常識的におかしいことは度外視した。


 「こっ……こうしないと! ……こうしないと敵を見張れないだろ?」


 セージは相手の肩から通路の反対側を監視するべく顔を出した。ルエも返事と同時に似たような姿勢を取る。


 「名案です!」


 上ずった声で頷き合う。吹き出しそうな状況。頭では理解しているのだ。通路の二方向を見張るなら背中合わせが合理的であり、抱き合いながらなど、非合理の塊。曖昧に心理を誤魔化して、その誤魔化しの手法が合致してしまっている。

 無言。体が近すぎて呼吸さえ耳を打つ。見張りという名目のため、遠くを監視する。意識の瞳は遠くよりもすぐそばにある体を意識するばかりで油断が綯い交ぜだったが。

 銀髪と金髪。

 子供をあやすように銀髪が金髪の頭を撫でている。


 「たまにだったら……」

 「はい」

 「たまにだったら、抱き着いたりしてもいいよ」


 セージの額が赤信号になった。自分で言っておいて羞恥心に打ちのめされ、ぱくぱくと口を開閉して、しまいには口をきゅっと結んで目を閉じた。

 その熱を持った頭を細く繊細な、それでいて血管の浮いた男性的な指が優しく撫でる。負けず劣らず赤い顔の彼は、汚れて光を損なっている髪の毛を慈しんでいた。

 一方二人から少し離れた地点で寝たふりをしていたメローは、いつ見張り番の後退について切り出すのかを悩んでいた。二人が抱き合ったところで欠伸でもしてやればよかった。前にも起きる機会を喪失したな、と機械的に考える。


 「うーん」


 わざとらしく伸びをして、寝返りを打つ。

 メローの鋭い瞳が二人がぱっと離れたのを確かめた。むくりと起き上がると、目を擦る。


 「交代。つぎは、どっちが寝る?」


 子供な外見からは想像できないくらいに冷静なメローであった。


ながいのに! すすまない!

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