表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
122/127

<116>罠に嵌まる


 掴みかかる手を槍の柄で弾くと、身のあたりで距離を作り、穂先で首筋を半ばから破壊した。倒れ伏す死体は、首の半分を失いながらも動こうとしていた。

 血とも粘液ともつかぬ悪臭のする跳ね返り液を拭うことも無く、真正面から接近する一体の胴体に腰の捻りを加えた蹴りを叩き込み、上半身の前傾と捻りを込めた理想的な突きを放ち死臭漂う肉を穿った。死にきれないらしく気味の悪い痙攣をするそれに、両膝を素早く穿ち跪かせた。死者が口から涎を吐き、濁った瞳で吼えるも、次の瞬間には槍によって穴が二つ増えていた。

 更に敵。前方二体を槍で突き、側面から噛みつこうとする一体の腕を柄で弾く。腕があらぬ向きに跳ね致命的な隙を晒した腹へ、短く構えた槍をねじ込みけっ飛ばす。槍を腹に貰ったまま死体が地面を転がった。


 「あとで返せよ。ルークに殺される」


 挑発染みた言葉を吐く。銀の剣を抜き、新手の死体に飛び掛かりその首を横薙ぎに裂いた。


 「でええぇっい!」


 一気呵成。返す刃がきらりと嗤う。

 瞬間、踊るように一回転して胸を袈裟懸けに斬り、蹴った。

 痙攣する死体から槍を抜き肩に担ぎ、銀の剣が穢れた血を蒸発するのを顔の前で確かめると鞘に納めた。


 「ふうっ……歩く死者を見たのは始めてだ」


 セージは死者を観察しつつ呟いた。辺りには十体程度の死人が転がっていた。いずれも腐敗が進行している。死んでいるのに歩く。不可思議な現象が起こっていた。もっとも歩く骨の大群に襲撃されたのだ、死体が歩いても不思議ではない。

 首を引き裂かれもなお立ち上がろうとする一体を無情な瞳で見遣り、槍先を地面に擦らせ音頭を取れば、くるりと一回転させたのちに脳天を貫き機能を完全に奪った。

 セージは、メローの砲撃で頭を吹き飛ばされた一体の元に屈むと、ナイフを抜いて首の後ろを弄り始めた。


 「なにをしているんですか? 気味が悪い」


 後ろで後衛の任務を担当していたルエがやってきた。彼は口を押えてセージの解剖作業を見ては視線を逸らす。この世界にやってきた時から戦いに巻き込まれたり、看護をしてみたり、里で多少医術の心得を学んできたセージと、戦いはあまりせず医術も応急処置程度のルエとでは、死体に対する耐性も異なる。

 セージは千切れた首の断面をナイフで弄り脊髄の様子を見ていた。


 「ん。こいつらどんな原理で動いてるのか気にならないか」


 謎の笑みを浮かべルエに声をかける。嗜虐が口の端に乗っていた。


 「………うぅ。吐き気が」

 「無理すんなよ。吐くならおれの見てないとこでな。それとも背中擦ってあげようか? 看病してあげようか? ん?」

 「大丈夫ですから!」


 手を振って退避していく男の背中を見て、死体の頭を切り取って見せびらかしに行きたい衝動がこみ上げるも、ぐっと堪えて検分するだけにとどめた。脊髄、腹を捌いてみても普通の死体と変わりない。ナイフをしまうと、立ち上がった。


 「……ん。くっさ」


 何気なく自分の臭いを嗅いでみた。すんすんと鼻を鳴らし、腕、肩を嗅ぐ。くさい。汗、脂質、おまけに死臭まで漂っており、女性特有の香りは虫の息だった。

 この世界では体を洗うこととは汚れを落とすことであり、匂いに気を配るものはあまりいない。しかしセージは十何年も風呂に浸かる生活をしてきたこともあり、体はしっかり洗いたいのが本音だった。問題は水源である。遺跡の中に潤沢な水があるのかは怪しい。


 「水がありゃあいいのになー……ざぶざぶ浴びたい」


 槍先を布で拭い清め背中に戻すと、腕を組み考え込む。生水を入手する方法はある。鍋を魔術で冷やして凝結した水を集めるやり方だ。初めルエとメローのこのやり方を教えた時は随分と驚かれたものだった。確かに水は手に入る。体を清められる量の確保が不可能なだけだ。

 その時だった。


 「あっ」

 「あ? あ………っおま……」


 怯えた調子の、何か手痛い失敗をしてしまったとでも言わんばかりの間の抜けた声を聞こえた。振り返ってみると、死体の傍で立ち尽くしているメローがいた。彼女はゆっくりと下を見遣り、ローブの裾をたくし上げ、自身が踏んでしまったスイッチを発見した。

 セージとメローが呆然と固まっていると、死体を見ないように上向き加減のルエがやってきた。雰囲気の違和感に恐る恐る質問をぶつける。


 「どうかしましたか」

 「どうかしたらしい。メローが、そのー……踏んじゃったらしい。スイッチ」

 「え? あ、確かに。じゃなくって! 何のスイッチです!?」


 ルエがメローの足元を見ると、納得して頷いたが、すぐに表情を硬化させた。遺跡にあるスイッチ。考えるまでもない。油に松明を投げ込んだらどうなるのかを議論するようなものだ。

 三人は罠がどんなものかをじっと待った。こういう場合、慌てて退避したところで別のスイッチを踏ませることがある。エルフ特有の聴力が三人分揃って場の気配を探り出す。

 三人が一斉に元来た通路の方角を向いた。何か金属的な嘶き。石と石がこすれ合う摩擦音。地面から伝わってくる重苦しい響き。

 通路の彼方から何かがやってくる。初め、静かに。侵略するが如く。足元を伝ってやってきたのは、水だった。靴の下半分程度の深さの水がざぶざぶと流れてきた。冷たく、濁り気のある水だった。

 セージは屈んで水を掬うとにおいを嗅いだ。埃臭いが、水に違いない。


 「水だ」

 「水ですね」

 「水」


 三人が呟いた。水としか言いようがない。

 エルフの脳には――もといヒトというカテゴリーの種族には予測という機能が付いている。故に先入観や思い込みなどに騙されるのだが、スイッチを踏み罠を作動させてしまったことと、水がやってきたことを総合すれば、次にどんな危機があるのかくらいは予測できた。

 ――問題は、通路の片側から水ということは、反対側に逃げるしかないということだった。

 イの一番に踵を返し逃亡を開始したのはメローだった。杖を後生大事に胸に抱えて、ばたばたとお世辞にも美しいとは言えないフォームで疾走する。


 「逃げて! 水が来る!」

 「水が?」


 セージはぼんやりとした受け答えをした。目を凝らしてみれば、轟々と音を立てて通路を埋め尽くす水量が迫ってきていたからだ。

 松明を握るルエの腕を掴むと、自分も走った。


 「水だぁぁぁっ!」

 「どうするんですか水ですよ水!」

 「知るかよちゃっちゃと走れぇ!!」


 ルエとセージは横並びとなって全力疾走した。無情にも水は量を増しつつあり、奥から地響きにも似た低音が響いてきていた。セージの脳裏には津波のメカニズムを解明すべく人工の津波を作り出せる装置の実験映像があった。実験では人が容易く押し流されていた。

 セージとルエと、先頭を行くメローの背後から肉食獣染みた威圧感を孕んだ濁り水が押し寄せる。それは最初足元を濡らす穏やかなもので、既に膝下まで増えつつあり、これ以上増えてしまうと行動に支障をきたすであろう威力を持っていた。

 先頭を行くメローは、慌てるあまりに松明を取り落した。


 「―――……っとお! 落とすなよ。おれの魔術で火を灯し続けるのは勘弁だっ」


 済んでのところでセージが拾い上げた。水量は膝に達しようかというもの。走る速度は大幅に減っており、このままでは水に押し流され溺死してしまうだろう。

 玉のような汗を浮かべて走る三人の前に、なにやら水の音がしてきた。流れる水ではなく、砕ける水の音。

 次の瞬間、松明の光源が後ろに移ったことで視野が狭くなっていたメローが、転んだ。

 否、足場がなくなっていたので、両手をばたばたさせ、エビぞりになって耐える。


 「あ、あ、あ、あ」


 素っ頓狂な声を上げ必死に踏ん張ろうとする。

 なぜなら前方には優に馬二頭分はあろうかという大穴がすっぽり口を開けていたからだ。水は穴に吸い込まれ――奈落へと通じていた。既に水量は腰の高さまで達しており、踏ん張るので精一杯。メローは多少飛行能力もあるし、ルエもそうだったが、大量の水を受けながら飛翔できる能力はない。


 「メローッ! あ、くそダメだ!」


 セージは必死の形相でメローの手を取り、落下を防いだ。メローの肉体は通路と穴の中間地点でなかば宙ぶらりん状態。危険な拮抗状態はしかし今にも崩れてしまいそう。無詠唱の肉体強化を作動させ踏ん張ろうとするも、水量を前に、体が前にずれていく。

 もはや考える間もなかった。

 自分と水の向きの間に割り込んで風の魔術で水を防ごうと躍起になる男の背中を叩き、怒鳴る。


 「ルエ! 拾え!」

 「わかりました!」


 そしてセージはメローを強く引き寄せると穴に躊躇なく跳躍した。安定性を欠いたせいで地面を思うように蹴れず、ずっこけるような無様な飛び込み。まるでそれが引き金であったかのように鉄砲水かくやという水量が通路を埋め尽くし迫った。

 セージの目の前で男も同じく飛び降りたが、重力に逆らいかくんと上昇に転じた。完全に制御された風を背負い、間一髪でセージの手を取った。

 が、メロー、セージ、二人分の装備と水を吸った衣服、滝のような水、さらに自由落下中の加速度からなる重さがルエの二の腕に痛痒を迸らせた。苦悩の表情を浮かべ、重さに歯を食いしばりつつ、己の背後から伸し掛かる水量から逃れるため、穴の対岸へと飛ぶ。

 不格好にて空中に浮遊する三人へ水が魔の手を伸ばす。轟々と咆哮をあげ、下へ下へと引きずりおろさんとした。


 「くぅぅぅぅぅぐぐぅぅぅッぁぁああ!」


 声帯が潰れても構わないという絶叫を上げ、ルエはセージの手を両手でしかと握り、イメージを膨らませて浮力を作ろうと躍起になった。この手を離さないと言わんばかりに握り直し、最後の力を振り絞って対岸に二名を無事に送り届け、自分は崩れ落ちるように仰向けに倒れた。

 セージは水が穴の中に流れていく様子が滝に似ていることをぼんやりと考えつつ、濡れた前髪を払った。真っ暗だった。松明を手放してしまったからだ。荷物入れを探ると、油紙に包んだ松明の予備を出し手元に火花を作って点火した。

 ぐったりと倒れ込んだ男の傍に座ると、親しげにお腹を突いてやった。

 くすぐったげに目尻が下がる。


 「やるときゃやるじゃん」


 ルエも同じく髪の毛を払うと、首だけ上げて笑みを浮かべた。


 「惚れました?」

 「………」

 「……………」

 「………………」

 「あの」

 「おーいメロー」


 瞬間、心臓が跳ね上がったが、顔に反応を伝達せず、無反応無言で迎撃する。

 メローの方へと這っていく。腰に力が入らない。自分の手元に目を落とせば、震えていた。

 彼女は猫のように体を丸めて、穴の方に虚脱感溢れる瞳を見開いていた。しっとりとした髪は水を吸って乱れており、編み込みの毛先は墨汁を吸った筆先を思わせた。


 「…………死ぬかと思った」

 「おれもだ。けど、まだ危険は去ってないみたいだ」

 「?」


 セージは首を捻るメローへ答えを示すべく松明を穴とは反対側の通路へと掲げた。つまり進むべき方角へ。

 ぬらぬらと揺らめく松明の火に照らされ、ぬっと巨体が進み出る。一つ目。剥げた頭。筋骨隆々の体躯。相応の鎧を身に付け、丸太のような太さの腕に粗末かつ無骨な斧を握った人型。

 サイクロプスが獲物を狩るべく待ち受けていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ