<12>遺書、もしくはただの手紙
数日後、アネットのツリーハウスにて。
「では、魔術、魔法、魔導、妖術、奇術、その全ての違いを述べてほしい。焦らなくもいいぞ? まだ最初だから」
「えー……魔術が通常の法則でも再現できる術、魔法はその上位術、魔導が魔の心得も才能もないものでも扱えるようにしたもの、妖術は意図せずして発動するもの、奇術は……手品ですよね? ただの」
「正解。覚えがいいな。もっともこれらはあくまで分類で、全て魔術で問題ない」
「覚えただけですよ。俺はまだ火すらまともに起こせないんですから」
「知識を馬鹿にするものは後で知識に泣く。覚えて悪い知識は滅多にない」
人間の適応力は凄まじいと言うが、エルフになってもその能力はそのままだった。
あの後一通り身支度を(着替えや身繕い)をしてもらったセージ(本当はセイジ)は、がつがつとご飯を食べて寝て、医者の診断を受けた後、アネットの自宅に泊っていた。
自身でも不思議だったが、アネットが自宅で服を脱ぎ始めてもぴくりとも動揺しなかった……訳では無く多少どきりとしたが、それだけだった。
己と体の性別差が同化し始めたかと思ったが、どうやらそうではなく、男でも女でもない不思議な夕闇に立っているようなのだ。もし“少女”にお前は男かと聞けば首を振り、女かと尋ねても首を振るだろう。
彼女はエルフの民族衣装を纏い、アネットの自宅の机で文章の勉強をし、その後はこの世界について学んでいた。
それこそ教師のように丁寧に教えてくれるので、おおよそ数時間ほどでこの世界の情勢について掴むことが出来た。
てっきりエルフは外界について興味が無く敵意しか抱いていないと思いきや、そうではなかった。むしろ積極的に親交を深めたがっているが情勢が許さないため排他的にならざるを得ないとか。
エルフの里は数学や文学に建築学、生物学や神話の編纂など、元の世界のローマが如く文化が発展していた。製鉄や、更には初歩的ながら医術まであり、魔法薬で抗生物質そっくりの効果を持ったものまで製造しているのだから驚きだった。
魔に依存するのではなく、驕らず常に高みを目指す。媚は売らず、決して誇りは捨てない。来るもの拒まず行くもの追わず。
少女にはなんとなくだが外よりも技術が進歩している理由がわかった。
魔術に関しても少女は学んだ。
どうやら魔術とは世界を改変する技術であり、その力は物理的肉体と霊的肉体とを結びつける引力を利用しているらしい。つまり使い過ぎれば魂が離れてしまうらしいのだ。
世界に語りかけられるのは一摘みの人間らしいが、ことエルフは全員が全員少なからず先天的に世界の改変を行えて、それが迫害の理由にもなっているとか。
魔術の発動を助ける触媒やら式やらもあるらしいが、一日でそこまで学べるほど時間は無い。この世界について書かれた本を読んでもらった後、自宅リビングでのんびりとする二人。
セージとしては早急に自分が元の世界に帰還する術を得たいが、果たして信じてもらえるかと言ったら首を捻らずを得ない。
長老に話すのが一番だろうとは思うが、エルフの里があまりに美しかったのでしばらくのんびりしていても良いかなとすら思えてくる。
木の上の家から望む景色は森にぽつりと浮かぶ街並み、そして大いなる自然。
窓に張り付いて景色を凝視しているセージを余所に、アネットはポニーテールを結び直すと机の横から弓矢を取り背中に担ぐと立ちあがった。
「私は鍛錬に行く。セージはどうする、ついてくるか?」
「そうですね……おれはこの町をもう少し見て回って、それから長老の許に行きたいんですが、許可とかはいるんですか?」
「いや、特に必要はない。名前を名乗って要件を伝えれば通して下さるはずだ」
「分かりました」
アネットは弓の調子を確かめるとセージに頷き、プラチナブロンドのポニーテールを翻し家から出て行った。
家で一人になって気がついたことがあり、それは風や地面の干渉で家そのものが揺れていると言うことだ。ぎしぎしと軋む音が家に響いていて、コンクリートやレンガの家とは違った良さがあった。
ツリーハウスというより木に同化するように建てられたアネットの家は塔からほど近い場所にあり、反対側の窓から塔の足元が見えている。
あの塔を造るにあたっては相当数の岩が必要なはずだが、周囲を見ても低い山しかない。どこかに採石場でもあるのだろうか。
セージは机の上でぼーっと時間を潰した後、やがて家を出て行った。
アネットの言っていた通り、長老の間には大して時間をかけずに通された。
相変わらず暑苦しい筋肉の守衛が扉の前におり、こっちを見てくるのだから気が気ではなかったが、前とは違って里に迎えられたのだから大丈夫という安心感はあった。
部屋に入る前にノックをすべきか迷ったが、そんな習慣があるかも分からないのにやったら不思議がられると思ってそのまま入った。
「失礼します。セージです」
「おお、来たか」
部屋の様子は爪の先程も変化しておらず、長老も何やら本に羽ペンで書き込みをしているだけだった。
緊張を誤魔化す様に唾を飲みつつ長老の机の前に歩み寄り、アネットがしていたように両足をぴたりと揃え背筋を伸ばす。だが、あくまで少女の体なので余り様にはならなかった。
長老は苦笑すると羽ペンをペン置き場に置くと首を回し、それから机の上に両手を置いた。
「そんなに畏まらなくてもいい。アネットのような堅物になってはすぐに疲れてしまうぞ」
「えっと………こういった場では礼儀を正すべきですから」
「……ふむ、年の割にしっかりした子だ。養子に欲しいくらいだよ」
「養子!?」
「そうだ、君さえ良ければ……」
「………そのー……それはですね……ちょっと、ええっと……でもなくって……」
「さてと……冗談はその辺にして、君がここに来た理由を尋ねたい」
さらりとトンデモ無い事を言ってのける長老に直立不動で緊張しかけたが、冗談と聞いて汗が滲んだ。緊張する理由がさっぱり分からなかったが、例えば自分の勤める会社の社長に直接声をかけられたらこうなるのだろうか。
一方長老は反応を楽しんでいるが如く唇を持ち上げると、柔和な動きで羽ペンを取った。
セージは数秒逡巡したが、口を開いた。
「実は……俺はこの世界の住民では無いんです」
「……………ふむ。続けてくれ」
長老の目が光った。最初里に来たときのような目つきでセージを見遣り、真意を測ろうとしているようだった。
鋭き眼光に射抜かれた“少女”は、また唾を飲むと思い切って経緯を説明することにした。
内容は、現代の世界(本人の目線からしての現代)で死に、“神様”に転生させられた挙句この体にされ、ふと気が付いたら燃え盛る村に居てここまで必死で逃げてきた、と。
少女の話を黙って聞いていた長老は、小さく唸りながら腕を組むと目を瞑って頭を前に倒し気味にして何やら考え始めた。
ある意味当然の反応だった。
突然「私は別世界から落ちてきたのだ」などとのたまえば、「お前は何を言ってるんだ」と嘲笑されてもなんら不思議ではない。
どれほど時間が経過しただろうか、目を開けた長老は突如立ち上がると歩き始めた。
少女の横を通過する途中で壁に手を向けて杖を一本呼び寄せ、扉の前で止まると振り返り手を振る。
「ついてきなさい」
「はい」
何が何だか分からないがついていかねばならぬような気がしてついて行く。呪文も無しに杖を吸い寄せたのはちょっとだけ驚いた。
長老が外に出るや守衛が武器を掲げ一礼し、少女もなんとなくだが頭を下げておいた。
塔の廊下には途中で松明置き場があり、守衛やローブを着た人達がいた。会話の内容が哲学的な内容だったこともあれば、魔術的な話、外の情勢についての話もあった。彼ら彼女らはここで働いているのだろうか。
長老の部屋から二階ほど下りたところ。そこに石造りを鉄で補強した頑丈そうな倉庫らしき部屋が並んでいた。
そこの階の廊下を長老は進んでいき、また少女も付き従った。
文字の書かれた扉の三つ目で長老は止まると、杖を一振りして何事かを呟いた。イメージ触媒が必要なのか、それとも鍵的な意味合いなのかは分からなかった。
錠前がかちりと音を鳴らし、止め具がせり出して扉が勝手に開いた。
「入りなさい」
入り口で入っていいのだろうかと躊躇していたところ、長老が手招きをしたので思い切って入ってみた。埃臭いその部屋には木箱や本棚が並んでおり、他と比べてひんやりとしていた。
長老は以外にも機敏な動きで本棚の間に滑り込み一冊の本を持つと、縄の戒めを解いて少女の横にあった小さい机の上に置いた。
少女はそれを腰を屈めて観察したが、ほかの本と大きい違いを見つけることは出来なかった。茶色の表紙は煤けており、皺が多かった。
長老はそれを目を細めて見遣り、表紙を爪でなぞった。
「これは?」
「遺言書……と言うべきか。以前この里に突如“落ちてきた人間”が最期に書き遺したものだ」
「な………お、落ちてきた人間!?」
少女は素っ頓狂な声を上げると、許可も得ずに本のページを開いた。