<113>酒場
酒場に入ってすぐ失敗したことを思い知った。
兵士と似たような格好をした男たちが群れていたからである。何か騒動があれば面倒なことになるのは明白であり、まさに狩場ににのこのこと足を踏み入れた鹿の気持ちだった。
胸元をはだけさせたセクシーなエルフが入場するや男たちの視線が集中する。
セージは一瞬気圧されそうになったが、表面上のすなわち表情と態度に灰汁を浮き上がらせないように堪え、カウンター席へと向かった。腰にはナイフはあるし、いざとなれば酒場ごと吹き飛ばす心づもりはあった。もっともそんなことをすれば兵士から袋叩きにされギルドの封鎖を突破すること自体難しくなるだろうが。セージは遺跡の中に入りたいだけで戦いたいわけではなかった。
カウンター席に座ると、片目を眼帯で覆った渋い男が器を磨いていた。鋭い眼光が注がれる。一目で軍隊か野党かカタギではない空気を感じ取ることができた。気のせいでなければカウンターには飲み屋で使うにしては先端の尖りすぎたナイフが置いてあった。
セージはため息とともに髪の毛を払うと、物憂げな表情となり肘をついた。眼帯の男――マスターに口を開く。
「おすすめのを一つ。あまり強いのは勘弁したいけれど」
甘ったるい調子を含んだ声色が喉からすらすらと飛び出した。金糸のスタイルのいいエルフの年頃の女の子にそう言われて気分を害するわけもなく、マスターは無言のまま女性向けの酒を水で割って出した。感謝の頷きをすると、つい今しがた後をつけてきた兵士をグラスに映りこむ反射で確認した。
彼は一見兵士然とした格好をしてはいるものの、頬の赤らみや顔立ちからそう大差ない年齢のように見えた。子供が兵士――傭兵の類だろうが――をやるなど、珍しいことではない。
あからさまな視線を真っ向から受けつつ、酒を一口。蒸留酒をベースにしたほのかな甘みのある酒。銘柄はわからなかった。酒豪という肩書きから程遠いことを自覚しているので、あくまで舌に染み込ませるだけにとどめる。
自分の頬に触れながら灌漑に耽る。エルフはいわゆる白人系の容姿なため、肌が白い。すぐに頬の色が変わるのも利点ではないかと。
「―――はぁ」
セージはため息を吐くと、カウンターの向こうに置かれた古い酒瓶にピントを合わせ、考え込んだ。
勢いよく飛び出してきたのはいいが、どう口説き落とすのかを考えていなかった。後先考えない自分の性分を呪う。酒を飲みつつぼーっとしていた。ちびちびと甘い酒を喉に流し込みつつ、何気なく横を向いてみる。
白人系。堀の深い顔立ち。青い目。赤らんだ頬。兵士がこちらを見ていた。暫し見つめ合う。
「あの……」
「あ、あの………」
同時に発音。顔を見合わせあう。気まずい空気を打ち払うべく、兵士――青年は緊張した笑みを浮かべると、席を経ちセージの横の席に移動した。距離は極めて近くなった。
青年は安酒を満たしたグラスで喉を湿らすと、あからさまにセージの顔の横に視線をずらした。獣人を見分けるときは体毛と尻尾を、エルフを見分けるときは白い肌と耳を見るのが常識である。
ある意味視線にさらされるのには慣れているセージは、ひらりと肩を竦めた。
「君、エルフ?」
「ええ、その通りエルフ。あなたは幽霊さん? ってくらい当たり前の質問だと思うけれど」
糞と心の中で毒づく。男口調で暮らしてきただけに女言葉は使い慣れない。背中の鳥肌が止まらなかったが続行した。
軽い皮肉とも取れるものいいをされ、怖気た様子を纏った青年であったが、気を取り直して前のめりになった。
「すまない。実はエルフ見たの初めてだったんだ」
「あぁ……なるほど。エルフはあまり外にいないものね……感想は?」
「きれいだ」
そのものずばりな感想が口から出るや、セージの顔が引き攣った。恐らく女の子慣れしていないために直球ど真ん中を投げたのだろうと予測する。
嬉しいなと一瞬思ってしまったのも事実だが、ここはなんとかちょろまかして遺跡の中に入るための踏み台になってもらわねばならない。足を組むと、誤魔化し半分に酒を一口飲む。
「あ、あ……ありがと。じゃなくて! 一つ聞きたいのだけれど、いい?」
「おう何でも聞いてくれ」
人の良さそうな笑みを浮かべる青年に、セージは逡巡する素振りをしてから口を開いた。
「遺跡の中に入りたいのだけれどどうすればいいの?」
「遺跡の中か、そりゃもちろん俺ら……ギルドに話を通さないと面倒なことになるぞ」
「具体的にどれだけお金がいるのか聞いてもいい?」
セージの問いかけにいぶかしむ様子も無く青年は答えてくれた。提示された金額は現在持っている路銀全てを使い果たしてようやくというもの。既に必要な薬品類は揃えたとはいえ金を使い果たすのリスクが高い。
懐柔するしかないだろう。
セージは小難しい顔を意図的に取ると人差し指を赤い唇に触れさせ小首を傾げた。
「フーン………困ったわ。実は遺跡の中にどうしても入らないといけないんだけどお金が無くて。あ、もちろん稼ぐとしたらまっとうなお仕事だけだから勘違いしないように」
「もちろんだ! えーっと参った。俺見ての通り下っ端だから融通効かないんだ」
青年は初々しく顔を赤くしたが続いて首を横に振った。格好はいわゆる兵士のもの。ギルドに雇われた用心棒の類。
ならばとセージは手招きをすると耳を貸すようにジェスチャーを送った。
疑問符を浮かべた彼の耳に唇を接近させると声量を極力落とした言葉を与えた。
「なんとか中に入れてくれないかしら」
「……買収ってやつ? やめてくれ。俺はこれでも契約は守るほうだぜ」
渋い顔をして耳を元の位置に戻そうとするのを肩を掴んで引き戻す。もし話が通じない、初めからそのつもりがないなら既に席を立っているだろうから。
ここぞとばかりにまくしたてる。耳元で。青年はこそばゆそうに指を折り曲げたり開いたりをしていた。
「んーじゃあ例えばたまたま睡眠薬飲んじゃって眠ったみたいな話はよくあると思わない。ふと気が付くと懐にお金が入っていた。十分な金額だ。ギルドのお雇いやめて故郷に帰ろうって」
「………」
押し黙る青年。これはいける。なぜ青年がこんな僻地で働いているのかを想像してみた成果である。最前線に行くと死ぬ可能性が高い。用心棒ならば死ぬことはない。死なずにしかし大金を稼がねばならない理由がある。いつ給料がくるかもわからないところで働くより金を貰ってトンズラした方が賢いに決まっている。
セージはぐっと接近すると、相手の手を突いて返答を催促した。仕事終わりとだけあって男性特有の体臭がした。懐かしささえ覚える。
青年の戸惑いがちな目が承諾を意味するであろう瞬きをした。言うならば以心伝心。察したのだ。
どちらがともなく乾杯した。
「遅かったですね」
「すまんすまん」
帰ってみると腕を組んでいらだちを隠せない様子のルエと、ベッドに薄着で横になって寝息を立てているメローがいた。扉を閉めてサークレットを外して机の上に置くと、椅子に深く腰掛ける。
セージは髪の毛を手で整えつつ、机に上半身を投げ出すようなだらしない格好をした。
心配を隠せず爪でも噛みだしそうなルエの顔を見て口を開く。
「心配すんなって。遺跡の中に入るための取引はしてきた。ドンパチやらずになんとかできそうだ。金が要るけど」
「そうですか、それはよかった」
ルエは納得して首を縦に振るものの腕は解かずセージの顔を見つめるばかりだった。
相手の思考を読むことはできないが予想はできる。
ニヤケ顔となったセージは椅子を発つと、緩くストレッチをしつつルエの背後へと回って、首に腕を回して抱き着くようにした。ジタバタとしたコミカルな抵抗を完全に封じ込めるべく相手の目を腕と手で巧妙に固定してやった。
「お前もしかして妬いてんの? 確かに用心棒の一人に色気つかったよ俺。嫉妬した? なぁ嫉妬した?」
「痛いです! それにいろいろ当たってていててて!」
本格的に頭を締め上げられて悲鳴を上げる様が楽しくてますます力が籠る。
きりきりと頭を締め上げながら相手の直上から声をかける。表情は完全に緩んでおりほんのりと漂う酒の香りが辺りに振り撒かれていた。
「いつもの威勢はどうしたよ! オラ!」
一方実は少し前に目を覚ましていたメローはいちゃつく二人を背中にするよう寝ころんでいた。
うるさい。
もし無口じゃなかったらそんな不満を漏らしたであろうか。
いくらなんでもずっと放置はまずいということでリハビリかねての一話