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<104>干し、星、


 女性にとって髪の毛とはエルフでいう耳と同意義らしい。らしいというのは、セージ自身が髪の毛について最近まで頓着してこなかったから理解が浅いからである。髪の毛を切りそろえる、整える、という常識的な範疇を自発的に行うようになったのはつい最近のことだ。少し前まではアネットやクララなどに言われるがまま処置を施していた。よって髪型といえば短いか長いか後ろで結い上げるかしか選択肢がなく、例えば結い上げるだの、髪型だの、髪飾りだのを、試してこなかった。試そうと思えばいつでもできたが、する気が起きなかったのだ。

 という事情と、もともと黒髪が主流な日本社会に生きてきた記憶とがあったせいか、メローの艶やかな黒髪は羨望と郷愁の混ざった複雑な感情を喚起させた。お人形のような、もしくは妖精のような綺麗な顔立ちと相成って、まるで日本人形を思わせた。

 セージのよりなお細く艶とコシを兼ね備えた美髪を櫛で梳いていく。傷をつけぬように、引っかけないように、少しづつ取っては梳くを繰り返していき、髪の毛全体を梳かす。

 メローは心地よさそうに目を閉じてセージの作業を享受していた。マッサージにしろ、他人に体を整えて貰うことは心地の良いことだ。

 ここは平原のど真ん中。果てしなく続く緑色の大地の一角。大きな木が作り出す影に腰かけて小休止中。休めるときに休んでおけというのが旅の鉄則である。馬は木に括り付けられていたが不機嫌な顔をするでもなく無心に草を食んでいた。

 時間帯は既に夕方。薄らな空の光を頼りに髪を梳いているものの、支障はない。

 女性陣が髪の毛を整えている傍ら、整えるものもない男は一人岩に腰かけて時間を潰していた。

 セージは後頭部から下に垂れる髪の毛をすっかり整えると、次に耳付近から垂れる髪に着手した。耳に触れてはならぬ。慎重に髪を手繰り寄せると櫛で整える。上から下に生える方向に逆らわぬように。


 「おかゆいところございませんかー」

 「なに、それ……?」

 「なんでもない。痒いとこあったら掻いてあげるから言ってみ」

 「ない」

 「そっか」


 何となしに床屋さんの真似事をしてみたが、メローに通じるはずも無く首を傾げられる。わからないのも当たり前なので気を取り直して作業再開。

 黒髪を指に並べるようにして掴み取って夕日に晒す。髪質の良さを伝えるが如く夕日を反射してまるで金属のように均一な光沢を見せていた。リンスも無ければ整髪料も無いのに美しさを保っているとのことだから驚きであった。

 セージはそれこそ床屋さんのように全周をまわって髪の毛の梳き残しがないかを丹念に黙示で確かめると、櫛を返却した。我ながら上出来ではないかと満足げに胸を張る。


 「これでよし。完璧だ。それにしても髪の毛綺麗でいいなぁ………」


 黒真珠のような髪を前に、顎に指を沿えて何気なしに羨望を口に出す。髪の毛が汚いわけではないが、メローのように宝石が如き輝きを放つ髪質ではないことを自覚しているが故に、ぼそりと呟きが出たのだ。

 メローはそっと己の髪の毛を撫でながら顔の片側だけをセージに向ける程度に振り返った。


 「髪は女の嗜み………大切にしておいて損はないって、どこかで………聞いた……」

 「そうなのか?」

 「うん」

 「フーン……手入れしてみるかなぁ………」


 セージはおもむろに腕を組んで空を仰ぐと、ふと我に返った。髪の毛を気にするなどまるで――。中指を折り、額を打つ。乾いた音と痛み。

 謎の行動をとるセージを不審そうに見つめるメローの赤い瞳を避けるように手をゆらりと振ると、大地に腰かける。


 「よし終わりっ」

 「ありがとう」


 太陽は夕日となっていた。朝は朝日。夕方は夕日。夜は月に役割を委託する。

 刻一刻と変化していく時の流れに耽る。

黄昏に黄昏て。

あぐらを掻き肘を腿に乗せて顎をささえながら地平線の向こう側へと姿を消そうとしている太陽を見送る。熱せられた大気と冷たい大気の差異によって生じる揺らめきが、あたかも大地という不動を溶岩のように身動ぎさせていた。さわやかな風が大地を舐めつつやってくると大木の葉を数枚浚っていった。

 夕日は憂鬱な気持ちと、追憶をもたらすものだ。心の中に雑多な映像が浮かんでは夕闇に溶けていく。耳には風と大気の重い鳴り響きしか聞こえてこない。

 何気なしに己のブロンド髪を指に絡めると、独り言を呟こうとして、直前で吐息に混ぜることで打ち消した。他愛な内容だったからだ。


 「よっ! と」


 胡坐を解き足を振り上げると、反動と筋力で上体を起こして膝を払う。

 そろそろ出発してもいい頃合いである。草原という目標物が無いフィールドでは星が目印となるから、夜間こそ移動に向いているのだ。

 草に足跡を残しつつ歩んでいくと、親指を馬に向ける仕草をしてルエに声をかける。ルエも黄昏た表情にて木の根元にあった風化して掠れた岩に腰かけて地平線を眺めていた。何を考えているのかはセージにはわからない。以心伝心の仲でもなければ、相手の思考を読む技能も持ち合わせていないからだ。


 「へいへい。出発するぞー。待たせたな、メローの髪の毛量が多くってさ、手間取ったんだよ」

 「……あ、セージ。そうですか、では出発しましょう」

 「そうだな」


 セージは、さっそく岩から腰を上げて馬の方へ歩き出す相棒の背中を見つめ、暫し考え込んだ。忘れている事柄があった。人差し指をピンと立てて腰にぶら下げた袋の感触を指先で感じ取る。

 早歩きで接近すれば、相手の肩をむんずと掴んで振り返らせてやり、腰にぶら下げた袋を示す。


 「と、待った。メシ食お。干し肉か何かでさらっと腹ごしらえしてからな。馬を操縦しながらメシは辛いぜ。手元がぶれて指を食っちまう」

 「火は熾しますか」


 ルエは早速馬の積荷を探って干し肉やらの保存食を取り出そうとしつつ、セージに訊ねた。即ち焚火はいかに、と。

 セージの魔術は火に偏っている。かつてのように掌に火を起こすだけで疲労困憊になるような体たらくからは脱却して、やろうと思えば一面を火の海にすることも容易い熟練度であり、焚火を熾すことなど朝飯前である。夕飯前だが。しかし薪がない以上、無駄に体力を使うだけである。首を横に振っておく。


 「………んー。炙りも魅力的だからなー………けど薪がないから無理」

 「ですよね」

 「おーいメロー! メシにするぞー」


 呼ぶよりも前にメローは木の傍にしゃがみ込んで食べる姿勢を取っていた。小食でハムスターのような食事量の彼女であるがお腹が空くのは人一倍早いらしい。

 そして三人は寄り集まって干し肉もとい保存肉だけの質素な食事を始めた。

 肉を歯で噛み唾液を染み込ませながら柔らかくして咀嚼して飲み込む。決して急いで食べてはならない。解し、噛み切って、細かくかつ柔らかく加工して胃袋に送ってあげるのだ。長く味わい噛むことで脳の満腹中枢を刺激する意図もあった。

 セージは塩気の効いた肉を奥歯で磨り潰しつつ、ふと面を上げた。ルエの視線がまぎれも無く己に降りかかっている。じっと双眸で見返してみると逸らされた。弄り倒したい衝動がこみ上げるも、肉を噛み締める作業にリソースを裂くことに決めた。噛んで緩めて前歯で噛み切って飲む。乾いた肉から染み出す野性味のあるエキスが唾液の分泌を招く。たちまち、口内は唾液の海となった。

 この世界に限らず干し肉もとい保存肉という食べ物は主に三種類の調味料によって保存性を向上させている。日光、煙、塩である。スモーキーな味わいと強い塩気の為に肉の味がほぼ死んでいるので楽しむ余地はあまりない。

 赤黒い肉を掴んで、きりきりと歯を鳴らしつつ噛み切る。


 「干ひ肉へっほんほーに食いにくいからほまるよなー」


 肉にかぶりついたまま喋る。発音が曖昧になったがルエはきちんと認識できたらしく相槌を打った。


 「ですが生肉のまま持ち運びは不可能ですからね。妥当なおいしさです」

 「妥協なおいしさ?」

 「そうともいいます」


 一枚目を食したところで無意識に他のヒトが保存肉をどれだけ食べているかその進度が気になり目線を水平に位置してみれば、メローが肉を咥えたまま真上を仰いでいた。肉が固くて食えないのだろうか。


 「どーした?」

 「星………」

 「えっ?」


 メローの囁き声はそれっきり途絶えてしまった。慌てて視線の先を追尾してみれば、漆黒に染まりかけた群青色の天蓋に無数の線条が誕生しては死んでいく様が繰り広げられていた。流星群。途端に発生した光は空を横切って没する。痕跡も無く、ただ虚空だけを遺書にして。光は徐々に数を増していくと、隙間を埋めてしまわんばかりの線を描き出す。

 いつしか三人は食事の手を止めていた。


 結局、突発的な星空観賞会のせいで出発は大幅に遅れることとなったという。


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