<101>発、鉱山
反乱は終結した。首謀者とアスクの死亡そして鎮圧によって。首謀者もしくは扇動者という柱を失った反乱は瞬く間に鎮圧へと向かい半日もしない間に全員が捕らえられあるいは死亡した。明確な意図をもって実行されたならともかく曖昧な方向性がたまたま一致したにすぎぬ反乱など一日も継続しない。
アスクの遺体は直ちに片づけられた。という話を聞いた。
セージはメローとルエと一か所に集められてひたすら時間だけを持て余した。反乱の詳細や、今後の処遇、その他情報の一切は教えて貰えないじまい。
やっと通された。先頭にセージ。二人が後から続いて入室する。
疲れた表情をしたアッシュが椅子に腰かけており書類に目を通していた。アッシュはざっと三人を見遣ると部下に出ていくように命じた。
緊張感漂う室内。同じ血をわけた一族を目の前で射殺してみせた女が相手なのだ、緊張しない方がおかしい。今三人の首に拘束具は嵌っていない。制圧は容易いだろうが知的かつ冷酷な作りの瞳からいかほどの力が繰り出されるか測り兼ね、動きが取れない。
前髪をさらりと指に触れたアッシュが顔を俯かせたまま眼球だけを動かし三人を捉えた。
「さて……知ってのとおりの結末になったわけだけど、一つ提案があるの」
「なんだよ」
「傭兵団に入らないかしら」
「断る」
提案の内容も聞かず即座に却下する。傭兵団に入ればしがらみとなる。しがらみ、組織という頸木はやがて足を引っ張る枷となるだろう。関わりあいにならない方が今後のため。事前に考えて相談しておいた事柄である。
アッシュ側すなわち傭兵団側の方が立場が上だろうが、先の反乱では鎮圧する側に加担したことが知られているため、また内情を知っていることから強く出ても大丈夫ではないか、という議論をしていた。一族の殺し合いがあったことを外部に漏らされたくないだろうことは明らかであり、しかし同時に消される恐れもあった。内情を知るものを外に逃げせばリスクとなるからだ。
しかし、そのリスク持ちの首輪を外してわざわざ面会に呼ぶということは、ひょっとするかもしれない。
いずれにせよ揉めるのは違いない。揉め事は回避してひっそりやっていきたいと考えていたが、いざとなれば強硬策も辞さない構えだった。
そんな三人の思惑とは裏腹にアッシュは営業スマイルを浮かべた。何やら細かいことの記されている書類に目をやりながら。
「セージ……だったかしら? 話を聞いて頂戴。不幸にも我がきょうだいアスクは死亡した。誰が殺したのかは不明のまま、ね」
「はぁ………つまりあれか、黙っててくれってか」
「これは餞別よ」
暗に黙っていろという提言を見出した。揉め事を起こしたくないのだろう。傭兵団が荒事が常とはいえ長が殺し合いを演じただの反乱があっただの話が漏れれば信用が失墜する。エルフ三人を相手取って攻撃すればエルフの里と契約を結べなくなる可能性もある。大人の汚いやり取りというやつである。
アッシュがおもむろに硬貨をポケットから指に移した。柄のない銅貨である。それを指で弾く。セージが危なげに受け取る。待っていましたと言わんばかりに口の端を持ち上げる。明らかに作り笑いとわかる鉄仮面のような笑みを。
「あなたは硬貨を受け取った。契約は成立した。そういうこと。他言無用。今日中に荷物をまとめて出ていくこと。以上」
尻を蹴り飛ばされる形となった三人は鉱山を後にすることとなった。
別れ際にガブリエルが今後のことについて危なげなことを口にしたが、報告するようなことはしなかった。あとは彼らの問題。旅路を急ぐ一行には関わりあいの無いことだとして。いつか、風の噂で鉱山について耳にするかもしれない。
旅路が再開された。装備品一式も戻ってきた。だが労働やら戦いやらで疲労した三人は思うように先に進めずにすぐに休息を取ることとなった。
「はーぁぁぁぁぁぁぁぁぁ生き返るぅぅぅぅ………」
とある森で見つけた滝壺に佇んで顔を上に向けて水を受けて大仰な声を上げる、一人の人物。ブロンド髪に布一枚纏わぬ生まれたままの姿のセージである。疲れすぎて馬上で居眠り仕掛けるほどだったので、一日を休息に充てることにしたのだ。落馬で死亡という見っともない死に方だけは御免だった。
案の定メローは泥のように眠りこけてしまい水浴びどころではなく、セージ一人だけだった。
程よい水温の滝はまるでシャワーのように感じられる。
ちなみにルエには耳にタコを作る勢いで覗くなと釘を刺しておいた。真顔で覗いてもいいですかと訊ねられたときはさすがに拳骨を固めざるを得なかった。助平心を丸出しにしてくる相手の対処法など教えて貰ったことも書物で読んだことも無い。
手入れをしないはずだった髪の毛を水という機械油で摩擦係数を減らして触る。上から下へ梳くように洗う。手入れをしないはずだったのだが、ふと気が付くとするようになっていた。己の爪を見遣る。やすりで削られている。胸に手を置く。くびれに手を滑らせる。頭の天辺から触れた水はなだらかに下って首うなじ背中胸腰臀部腿脛と経由して水面へ還る。エルフ特有の白亜の肌は清らかな水に温度を奪われ血流が活性化したせいか、ほんのりピンク色を浮き上がらせており、形の良さに花を添えている。
ふと、背筋に視線を感じた。殺気にも近い感触である。ぞくぞくと背筋から腰にかけてこそばゆさが震撼する。
「あいつ……覗きに来たのか? アグレッシブ過ぎる………馬鹿かよ。覗くなって言ってるのに」
知らず赤面する頬を意識から遠ざけておいて、振り返ることなく水面に手を触れ、魔術を使う。無詠唱の火の玉を水中にねじ込む。途端に水が沸騰して水蒸気の帳を一面に展開した。靄の中で手探りで付近の葉っぱを二枚毟って前と後ろの大切な部位を隠す衣服を作る。片側は茎で結び、片側は枝で貫いて固定する。上は手で隠す。視線の方角へとじゃぶじゃぶと足を進めていくと、予想通りにルエが木の陰にいた。
呆れかえった表情で腰に手を付き、片手で胸ともう片側の胸を隠して応対する。目立ちが剣呑を湛えた。
「馬鹿野郎。覗くな言ったじゃん忘れたの? 馬鹿なの? いや馬鹿なんだばーか」
「ばれないようにしたんですが、さすがに気が付きますか」
不敵な笑みまで浮かべて堂々たる態度で覗き宣言をする変態は木の陰から一歩進んで水辺へと近づいて見せた。顔こそ真っ赤だが言動は冷静そのもの。歩調はゆっくりと。薄着に後ろの髪を下した格好であることから、水浴びしようとしているのがわかる。ただ滝は一つ。浴びる対象は二人。嫌な予感がした。
相手の視線が思いきり胸元に突き刺さっているのを居心地悪そうに体を斜めにして受け流すと、心臓が高鳴る己と、恥ずかしいはずがない同性なのだからと演説する己を自覚する。
ドキドキしてどうするというのか。己を戒めつつ、相手から一歩遠くに後退する。
「お前前も言ってたよな………そんなに見たいの?」
「はい。もちろんです」
「変態か! お前変態だろ! 真顔で見たいですじゃないんだよ鼻の下伸ばしやがってさ!」
「変態で何が悪いんですか!」
「キレんな馬鹿、寄るな!」
変態という罵り文句が通用せず、むしろ相手を興奮させている気がしないでもない現状。胸を押さえる片手は使用不可なため、空いた片手を振り回して牽制しつつ後退する。
じりじりと距離を詰めるルエの顔は赤く吐息が荒い。理由は多岐に渡るが、鉱山という環境では欲求不満が蓄積するに任せていたのが大きい。
セージは矛盾を抱えている。男性に対して男性として振る舞おうとして振る舞いきれないという致命的な矛盾を。男性ならば男性に裸体を見られても恥ずかしくはない。現に恥ずかしがってしまう以上、男性というよりむしろ女性よりに傾いている。昔ならば男性の前――特にルエ――でも気軽に着替えていたが、近頃そうは問屋が卸さない、ということである。
後退速度と前進速度。後者が上回った。
セージが、ずんずんと水面を突き進んでくる銀髪の男の顔目掛けて水を蹴りあげて視界を奪わんとする。
もうもうと立ち込める蒸気をかき分けて足の甲一杯分の容量が眼球を直撃した。水滴が散る。たまらず顔を手で覆いのたうつ。驚愕の声を迸らせた、僅かな隙。
「うわっ!?」
「この――――……やろっ!」
「ぐえっ……!」
そのわずかな隙を狙いブロンドが疾駆すると相手の鳩尾に掌底を叩き込み手早く首を掴むと足を払い重心を崩すと後ろに押し倒した。浅く水の張った砂利の地面に肉体が沈む。顔の後半部分が水中、目鼻が外気に露出する水深だったため、呼吸に支障はなかった。
ただし掌底と足払いを受けて目を回してしまいぼんやりと沈黙してしまった。
セージは不届きものの顔を覗き込むと頬を軽く数度に分けて叩いた。水を掬い目を開けられぬように集中狙い。かけて叩いてかけて叩いて。
「ほれほれー水飲めー」
「ちょ、苦しっ……やめてください! やめてくださいってば!」
ルエがセージの手を取り止めさせた。手を握ったまま上半身を起こす。必然的に距離は至近距離である。
手で作った胸の防御から零れる柔らかそうな肉に視線が釘付けとなる。こみ上げる欲望が沸騰して理性を破壊という檻を融解させんと奮闘していた。
視線の露骨さにたちまち皮膚に血が巡り始め、動揺に息を呑んでしまう。セージは自分が赤面している事実を認めたくないので表情だけは真面目にしておくと、相棒とでもよくべき男性の暴走の原因を探ろうとして顔を見つめてみた。中性的で綺麗な顔立ち。酒に酔ったようにこちらを見返してくるスカイブルーの瞳に心臓が痛くなる。視線をあれこれ彷徨わせ原因を特定しようとする。一点で視線移動の速度が低下したのち、急速離脱した。
セージは意を決して口を開いた。目線は明後日の方角である。まるで消え入りそうな鈴虫の声量で。
「その………えーっと。ウン。見るだけなら………勘違いすんなよ!? 見るだけなら……見るだけならちょっとだけいいよって言ってるの! わかる! ええコラ! 聞いてんのか!」
「……見るだけですか……?」
「残念そうな顔すんな馬鹿! 感謝しろよ!」
最後のほうは怒鳴り声だったとか。
“寝たふり”をしていたメローは、ルエの水筒の中身を草むらに捨てていた。
とある香り高い茸を磨り潰した粉、トカゲの皮、花粉、いくつかの薬品を調合して作る薬を仕込んでおいたのである。ルエが飲むように仕込むのは骨の折れる作業だったがメローへの警戒心の薄さ故に不可能な所業でもなかった。
水筒に己の水筒の中身を入れて濯ぐと布を突っ込み丹念に掃除しておく。あとは中身を補充するだけ。証拠は消えてなくなった。
薬剤の効力は麻薬のように強くはないが誘導するにはもってこいである。何を誘導したのか。メローは語らない。
ロウからそれとなく二人の関係について教えて貰っていたので実験も含めて介入してみたけである。同じことをロウにすると一目で看破され解毒されるかそもそも飲まないのでルエのように飲んでくれるケースは興味深く映った。二人を見ていると心が安らぐ。いい反応を見せてくれるからだ。ロウとあの女のやり取りを横合いから弄る愉悦に似ている。
二人がどうなったのかを好奇心に任せて調べに行くのもいいだろうが、やめた。寝たふりといっても疲労がたまっているのは事実。体を丸めローブに顔を埋めて寝る姿勢を取る。流れ星が落ちるがごとき速度で意識が消えた。
すやすやと健やかな寝顔が生まれた。
割とノンビリ回。鉱山で激務だったのでたまには