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婚約破棄は断捨離から ~愛のない贈り物も、裏切った婚約者も親友も、もう要りません~

作者: 冬月子
掲載日:2025/09/19

「……何故かしら。片づけても、片づけても、部屋が綺麗にならないわ……」


私は散らかった部屋で、呆然と立ち尽くした。

本来、掃除はメイドがやる仕事だけど、大切なものを勝手に捨てられたら困るので、自分で片づける様にしている。

けれど、いくら片づけても部屋は一向に綺麗にならない。むしろ手を付ければつけるほど、散らかっていくように思えた。


天井まで高く積まれた帽子箱は、重みで下段が押し潰され、無残に歪んでいた。引き出しからは無数の手袋が溢れ落ち、床の隅には脱ぎ捨てられた靴たちが所在なげに転がっている。


「どうして、私はこうも掃除が苦手なのかしら……」


この部屋を見た人は誰もが言う。「物を減らせばよい」「捨ててしまえ」って。

彼らには分からないのね。これらはみんな、私にとってただの物ではない。愛の証なの。

家族が私を想って贈ってくれた小物も、そして──アルフォンス様が届けてくれた宝飾も。

どれひとつとして手放せない宝物。


ふと、心の奥底を掻き乱すようにあの記憶が甦った。


──浮気相手に柔らかな笑みを向ける、アルフォンスの横顔。

──かつては親友だと信じていたクラリッサが、その腕に寄り添う姿。

──社交界で、私を値踏みするように嘲笑する令嬢たちの冷たい眼差し。


嫉妬、怒り、虚栄、後悔──

心の片隅に押し込めたはずの感情たちは、この部屋の品々と同じく、ひとつも捨てられずに積み重なり、私を押し潰していく。

その重みは、息をすることさえ苦しいほどだった。


「……はあ。急にこの間の晩餐会を思い出して、どうしちゃったのかしら、私……」


吐息は自分でも驚くほど弱々しかった。

私は戸棚に身を預け、震える声で自分に言い聞かせる。


「大丈……夫。私はまだ愛されているわ」


アルフォンス様は「愛してるよ、アイリーン」って、欠かさず贈り物をしてくれていたもの……。

けれど、かつて途切れることのなかった贈り物は、ここしばらく一度も届いていなかった。


その時だった。


ガタリと不穏な音が響き、バランスを崩した帽子箱が雪崩のように崩れ落ちた。

箱の蓋が開き、手袋やスカーフが宙を舞い、ひとつ、またひとつと落ちていく箱の影が視界を覆い──


「あ……」


咄嗟に身をかがめたものの、頭上から落ちた固い箱の角が額に当たり、鋭い衝撃が走る。

世界が一瞬、白く弾けた。


そして──その痛みをきっかけに、忘れていた記憶が鮮やかに蘇る。


前世の私は、平凡な主婦だった。

ごく普通の、どこにでもいる女性。


だけど、今の私と同じように、ものをため込み、捨てられない性格だった。押入れに、食器棚に、古い服や雑誌や小物を、必要かどうかも考えず積み上げていた。


あの日も、私はリビングの端にうず高く積まれた段ボールを見て、見て見ぬふりをしていた。


「片づけなきゃ」と何度も思った。

けれど、あの箱の中には、子供が幼稚園のときに描いた絵や、古いビデオカメラ、壊れた体温計──

いつか見るかもしれない、使うかもしれない、忘れたくない、捨てられない。


本棚には読み返すつもりのない本がぎっしり詰まっていて、

台所には賞味期限が切れた乾物が、密閉袋のままぎゅうぎゅうに押し込まれていた。


足の踏み場がない程、床一面に散乱する衣服や積み重なった紙束を一瞥する。

どこから手をつければいいのか分からず、ただ深いため息をつくしかなかった。


そんな部屋から逃げるように、ふらりと外へ出た。

街路には夕暮れの柔らかな光が差し込み、行き交う人々の影が長く伸びる。

足取りはふらふらと、あてもなく街を彷徨う。


そして、ふと足を止めたコンビニの雑誌コーナー。

色とりどりの表紙が並ぶ中、ひときわ目を引いた一冊の本。

表紙は白を基調に、パリ風の洗練された女性の写真が大きくあしらわれていた。

その上に、目を奪われる大きな見出しが踊る。


『物を減らすだけで人生が変わる!』


その言葉が、なぜか胸に刺さった。


私はそのまま、何かに突き動かされるようにレジに向かっていた。

ページをめくると、目に飛び込んできたのは、こういう言葉だった。


“過去の思い出の品を取っておくことで、

あなたは『今』を生きることを妨げていませんか?”


思わず笑ってしまった。

まるで私の部屋のことを、心の中まで見透かされているようで。


さらに読み進める。


“物には心がない。執着しているのは、あなた自身です。

だからこそ、手放すという行為は、失うことではなく、自分の心を自由にすることなのです。”


……自由。

確かに、今までの私は自分に縛られていたのかもしれない。


「捨てたら、後悔するよ」

「もったいないじゃない」

「せっかくの思い出なのに」


そうやってずっと、他の誰のものでもない自分自身の言葉に縛られて生きてきた。


そして──最後のページには、こう書いてあった。


“捨てることで、あなたは未来を選べます。”


未来を、選ぶ。


今まで私は、自分が“物にしがみついている”と思っていた。

でも違った。


私は、“過去の自分”にしがみついていたんだ。


はじめは半信半疑だった。物を捨てることに、罪悪感さえ覚えた。けれど、ひとつひとつ手を放すたびに、心が軽くなる感覚を知った。空いたスペースに風が通り抜けるような、胸の中に光が差し込むような、あの自由な感覚。


──ああ、そうだった。

──私は、手放すことで救われたことがあるのだ。


思い出すと、頭の中がすっきりしてくる。あのとき感じた、物の重みだけでなく、心の重みまで解き放つ快感。


「……また、この部屋も物で溢れてる……」


ガタリ、と古びた戸棚がきしんだ音を立てる。

私はその前で立ち尽くした。


天井まで積まれた帽子箱、引き出しから溢れ落ちる手袋、脱ぎ捨てられた靴、ボロボロの髪飾り、片方だけのピアス、ほつれたマフラー──

散乱した荷物を見下ろす。手を伸ばせば、また一つひとつの“重さ”を抱え込んでしまいそうで、思わず息を呑む。

どれも、これも、私が誰かのためではなく、自分を抱きしめるために集めたものだった。


「どうして、前世でも今世でも……こうも、私はものをため込んでしまうのかしら……」


その答えは、幼い日の記憶の奥底に眠っていた。

幼い頃の私には愛情が足りていなかった。

親は忙しく、気まぐれに褒めるだけで、私の存在そのものを認めてはくれなかった。

「いい子にしていなさい」と言われるたびに、私は物で自分を慰め、孤独を埋めていた。

愛情の代わりに与えられたのは“形だけの贈り物”だった。


ぬいぐるみ、色褪せた本、壊れかけの人形──

すべては「私を見ていて」と願う私の小さな叫びだった。


「失いたくない」という恐怖が、私を物で満たすよう仕向けていたのだ。

モノがあれば、心の隙間を埋められると思っていた。

それは、本当の安心とは程遠い虚ろな拠り所だった。


嫉妬、怒り、虚栄、後悔──

捨てられずに心に積み重ね、重く、苦しく、息が詰まるような人生だった。

前世の私もまた、同じだった。

毒親のもとで育ち、愛を求めて物に執着し、やがて夫の浮気と言う裏切りに打ちのめされた。あのときも私は押入れを埋め尽くす雑誌や小物に囲まれて、見えない孤独と戦っていたのだ。


「こんな部屋で……私はいったい、何をしていたんだろう」


呟いた瞬間、頬を伝って涙が零れ落ちた。

ぽろぽろと、途切れることなく。

指先で拭っても追いつかないほどに。


何もかもが重くて、息ができない。

けれど──ふと胸の奥で、淡い光が揺らめいた。


物を捨てれば、身体も心も、軽くなる気がした。

私は立ち上がり、棚の奥から何年も開けていなかった引き出しを開けた。


ひとつ、ゴミ箱に入れる。

もうひとつ、またひとつ。


着れなくなったドレス、ボロボロの髪飾り、片方だけのピアス……

それらは、かつて婚約者から贈られたプレゼントだった。「愛している」という言葉と共に。

宝飾よりも、その言葉こそが私の宝だった。

けれど、その言葉はもう──久しく、私には与えられていない。


だからこそ、私は捨てられなかった。

たとえ壊れても、たとえ使えなくなっても、贈り物を手放すことは「愛まで失うこと」だと、ずっと怯えていたから。

忘れたくなかったのだ。

かつて“愛されている”と信じたあの瞬間を。


手が震える。胸が締めつけられる。

けれど──それでも私は、手放すことを選んだ。


前世で知ったあの自由な感覚が、微かに私の手を引くように囁くの。


「捨ててみなさい。手放すことは、恐れることじゃない──心の解放よ」


ひとつ、またひとつ捨てるたびに、心が軽くなっていく。

そして、わたしは知った。


捨てることは、失うことじゃない。

新しい自分に生まれ変わるための最初の一歩なのだ、と。


私の胸の奥で、何かが静かに、しかし確かに「断捨離」という言葉と出会い、初めて“手放すことの自由”に気づいたあのときの感覚を思い出していた。


***


後日、王都で催された舞踏会──。

華やかに飾られた広間に、煌びやかなドレスや礼服が揺れる中、人々の間にざわめきが広がった。


「アルフォンス様。私、婚約を破棄いたしますわ」


涼やかで、凛とした声で告げる。

その瞬間、広間が静寂に包まれた。

沈黙の余韻の中で、誰よりも動揺しているのは──元婚約者のアルフォンス。そして、私の元親友を名乗るクラリッサだった。


「あら、何を驚いているの?」


私はゆるやかに微笑み、言葉を続けた。


「意外でも何でもないでしょう。

貴方とクラリッサが浮気しているのは、もはや公然の事実。いつ婚約破棄されてもおかしくなかったのでは?」


私の言葉は、誰が聞いてももっともだった。

けれど、つい先日までは──アルフォンスとクラリッサが人前で平然と腕を組み、日ごとにその関係を露わにしていく姿を目にしても、私は何ひとつ咎めることができない、哀れな令嬢だった。

それどころか、エスカレートしていくふたりを見ても「どうしてクラリッサと」「私をまだ愛してるでしょう?」「捨てないで」惨めな言葉を繰り返しながら、縋っていた。


そんな私を知っている他の令嬢や子息たちも、ざわつきと驚愕を隠せずにいた。

こんなに急に態度が豹変するなんて……と、目を見開き、声を潜めて囁き合う。


「えっ、えっ……アイリーン、それは……冗談……よね…?」


クラリッサの声が震える。

しかし私は、微笑みを絶やさず、静かに答えた。


「ええ、あなたも、ですわ。クラリッサ。

親友だと思っていたのに──私に近づいたのは、婚約者に取り入るためだったなんて……」


そこで一拍置き、視線を真っ直ぐに射抜く。


「これまで私がどれほど“我慢”していたか、ご存じかしら?

でも、もう結構。あなたも、断捨離リストに加えることにしたの」


まるで戸棚の奥から不要な器を一つ手に取り、微笑みながら捨てるように。

あくまでも口調は、穏やかでありながら、冷ややかに。


だって、気づいてしまったの。

私の人生に、貴方たちはもう必要ない──ってことに。


ゴミを処分していくうちに、ふと理解した。

不要なものは、ためらわずに捨てなければ、とね。


「……だ、断捨離……?」


誰かが震える声で繰り返した。言葉の意味を即座に理解できなかったのだろう。

けれど、私の毅然とした態度が「婚約破棄」という事実を鮮明に示していた。


「待ってくれ、アイリーン!」


アルフォンスの声が広間に響く。

その声には、焦りが混じっていた。


「このような場で、軽率な真似を──ああ、気を引きたかったのかい?こんな事をしたら、もう……」


「違いますわ。これは“整理”です。

愛のない関係を抱え込むのは、不要な荷物をため込むのと同じこと。

私はようやく、それに気づいただけ」


アルフォンス。貴方からの甘い言葉も、かつての贈り物も、すべては過ぎ去った幻。

私はもう、それらにもう縛られないの。


「貴方がクラリッサを選ばれるのなら、それもよいでしょう。

ただし、その瞬間、私は“不要”と判断したのです。

私の人生にとって、あなたという存在を」


クラリッサは蒼白な顔で元婚約者の腕を握りしめている。

アルフォンスの瞳には動揺と怒り、そして僅かな後悔が交錯していた。


そうよね。婚約破棄されて困るのは、むしろ貴方達のほう。

アルフォンス、あなたは婿入り出来なければ、平民として生きるしかない。そしてクラリッサ、あなたは“私の親友”という看板で、社交界で入り込んでいたのだし。

それなのに、私のことを侮って粗末に扱ってきた――その報いよ?


二人の哀れな姿を見て、私は悟った。

ああ、この人の顔色を窺って、怯えて、取り繕っていた自分は──もうどこにもいないのだと。


「私は、私の人生を綺麗に整えていくつもりです。

だから、貴方達とはここでお別れよ」


一礼して背を向けると、ざわめきが一段と大きくなった。

私は背を伸ばし、静かに歩み出す。

裾を翻し、煌びやかな広間をあとにしながら──心は驚くほど軽やかだった。

まるで、長く縛りつけていた鎖が解け、背に羽が生えたかのように。


人間関係も綺麗さっぱり整頓して、身軽になった、

私の人生は此処から始まる──。

面白いと思っていただけたら、☆マークから評価・お気に入り登録をしていただけると嬉しいです。

また、代表作の『悪役令嬢のダイエット革命!〜前世の知識で健康美を手に入れてざまぁします!~』もよろしくお願いします!


尚、処分した服のうち、買い取ってもらえそうなものは売却し、その売上金は寄付したそう。

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