擦り切れるテープ
『擦り切れるテープ』
何度も、何度も。聴いては戻し、聴いては戻し。
年代物のラジカセは、今日も頑張って僕に曲を聴かせてくれる。
―――なにゆえに、なにゆえに―――
彼女の澄んだ声は、いつだって僕の心の曇りを晴らしてくれる。
―――ひとしずくの涙は渇いたアスファルトに呑み込まれた―――
「またテープ聴いてるの? いつの時代のヒトだよまったく」
同居している弥生は、呆れた様子で僕を見る。いいじゃないか、好きなんだから。だがそれはなかなか言えなくて、悔しいだけ。
―――所詮未完成の人生なら、ありったけの力で壊してしまえばいい―――
「早く寝なよ、明日も朝から仕事でしょ。私は先に寝るからね、おやすみー」
おやすみ弥生。また明日。
僕もこれをあと3回ほど聴いたら寝るとしよう。
ベッドからゆっくり起き上がる。既に部屋のカーテンは開かれていて、心地よい陽射しが床を温めていた。
「行ってらっしゃい」
弥生に声をかけられ、行ってきます、と手を振る。家を出る。さぁ今日も張り切って仕事をしなければ。
上司に挨拶をし、今日の任務をインプットし、再び外へ出る。戦うサラリーマン。僕は弥生を守るために働く。
仕事を終えて帰宅すると、弥生は家に居なかった。僕は古びたラジカセを押し入れから取り出し、テープを再生した。
―――所詮未完成の人生なら、ありったけの力で壊してしまえばいい―――
8回目が終わって巻き戻していると、弥生が帰ってきた。
「相変わらず好きだねぇ、それ」
僕がこれを日課にしているということは、必然的に弥生も毎日聴いているということだ。不満を言わないところを見ると、嫌ではないらしい。実際はどうなのかは不明だが。
「あれ、ところどころ雑音まじってない?」
うむ、確かにびりびりしている箇所は複数ある。それすら聴き慣れてしまっていて、気に留めていなかったが。
「きっとテープが擦り切れてるんだよ、聴き過ぎなんだなー」
何十回、何百回再生しているんだ、そりゃぁ擦り切れたりするよな。僕は弥生を見つめた。
「……わかったよ、また録ってあげるから」
―――なにゆえに、なにゆえに―――
―――ひとしずくの涙は渇いたアスファルトに呑み込まれた―――
―――所詮未完成の人生なら、ありったけの力で壊してしまえばいい―――
弥生が歌う。僕のために。実を言うと、この瞬間が一番の楽しみだったりするのだ。
より透明さを増した彼女の声は、何の弊害もなく僕の心に沁みわたる。
「ほら、もう遅いから、今日は寝なよ。明日またテープで聴けるんだから」
名残惜しいが仕方ない。僕の充電もそろそろ限界だった。
「おやすみ」
僕は充電カプセルに入り、踏み台に両足を乗せる。金属だがさして重くない身体が、ロックされた。
スイッチを入れると、エネルギーが満ちるのをふわっと実感すると同時に、力が抜けていく。
おやすみ弥生。また明日。
「どういうこと? それって、もう……嫌だ! 嫌だよ!!」
僕のカプセルをがんがん叩く音がして、目が覚めた。音の主は弥生のようだ。なにか、焦っているようだ。
「……ちょ、ちょっと離して! だめ、連れて行かないで!!」
何が起こっているのか知りたくて外に出ようとするが、出られないようだ。ロックが外れないようだ。スイッチが効かないようだ。
プラスチック越しに見える弥生の姿。ぼろぼろのようだ。泣いているようだ。
「約束したんだから! 今日聴かせるって約束したんだから! 少しだけ……少しだけでいいから!! お願いします!!」
弥生は何者かに両腕を押さえつけられているようだ。必死に叫んでいるようだ。
「いやだよ、いっちゃやだよ……」
少しでも僕に近付こうとするが、叶わないようだ。僕は動きたいが動けないようだ。
『キミノシゴトハシュウリョウシタ ケンキュウジョヘソウカンスル』
どこからか声がした。どうやら研究所へ連れて行かれるらしい。
何も理解しないまま、僕が入ったカプセルは動きだした。弥生は泣いていたようだ。
やがて、ごとんという音と共にカプセルの揺れが止まり、スイッチを押すと僕は外へ出ることができた。
僕のラジカセ。弥生のテープ。当然だがここにはない。
何故だ? 何故ないのだ? 何故ないことが当然なのだ?
何故ここに弥生が居ないのだ? 何故僕はここに居るのだ?
ここはどこだ?
「YH-53号、調子はどうだ?」
最悪です、とすかさず答えようとする。質問したのは、目の前の白衣の人間だ。
「はっはっは、そうだろうな。寝ているところを起こす形になってしまってすまないな」
そんなことよりも、弥生は? ラジカセは? テープは? 辺りを見回しても、それらしきものは見当たらない。
何故だ? 何故ないのだ? 何故ないことが当然なのだ?
何故ここに弥生が居ないのだ? 何故僕はここに居るのだ?
堂々巡りする僕の疑問は、誰も解いてくれやしない。こうなったら僕が自力で解くしかない。
「おい、どこへ行くんだ! 待て!」
僕は駆け出した。何かの声がしたようだが、空耳だろう。
何も考えずに行き着いたのは、建物の外。それは戦場だった。それは、途轍もなく、戦場だった。僕と同じようなモノが、溢れていた。
もちろん僕はその流れ弾に当たる。金属の身体に穴が開く。
地面に倒れる瞬間、弥生の姿が見えた。ラジカセとテープを持った弥生だ。遠くの方から僕を見ている。そう、僕を見ている。
開いた穴から火花が散った。何故弥生はこちらへ来ない? 視界が霞んでいく。
見えている世界が完全に白くなった頃、音楽が聞こえた。聴き慣れたあの曲。僕は嬉しくなって起き上がろうとした。だが無理に力を入れたせいで、尚更僕のエネルギーは減少したようだ。
這いつくばったまま、僕はまた疑問を抱いた。
何故僕は生まれてきた?
何故僕はずっと弥生と居られないのだ?
何故僕は人間ではないのだ?
どこからか飛んできた弾丸が、僕の中枢を貫いた。疑問は止まらない。
何故僕は生まれてきた?
何故僕はずっと弥生と居られないのだ?
何故僕は人間ではないのだ?
もうエネルギーがないようだ。“EMPTY”表示が出ている。
何故僕は生まれてきた?
何故僕はずっと弥生と居られないのだ?
何故僕は人間ではないのだ?
びりっと小さく火花が散った。
何故僕は生まれてきた?
何故僕はずっと弥生と居られないのだ?
なzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
Fin.
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