オオカミと三人の子ヤギ達(1)
……ここは、どこだろう?
音がなくて真っ黒な世界。
自分の体があることすら感じられない。
「私、死んだのかな?」
(奏)
っ…!?
「誰なの?」
(うーむ…ショックで倒れてしまいそうだ。)
私の声が私に語りかけてくる。
……あの翡翠色の水に入れられてからだ。
あの時から頭の中に声が響いてくる。
きっかけもないのに昔のことを思い出してしまう。
(きっかけも何も、ただ思い出せられてるだけなんだよ。ワタシに近づこうとするためにね。)
私の考えを…!?
(ここは奏での頭の中だ。奏の考えることは感じられるよ。)
「ねえ、さっきから私の事を知ってそうだけどさ、君は一体誰なの?姿を見せてよ!声を聞かせてよ!」
(奏。…後ろを向いてごらん。)
「え?」
穏やかな声に従って、曖昧な身体を後ろへねじる。
この真っ黒な世界の中、ポツンと一匹の狼が私のことをじっと見つめていた。
鋭いはずの深い琥珀の瞳に、どこか優しく包んでくれる温もりを思い出す。
ま、待って……あの子って……
(ご覧の通り、ワタシには人間の声というものがない。わかるだろう?奏。)
……ルナ…!?
「本当にルナなの!?」
(久しぶりだな。奏。)
「ルナ!」
懐かしい姿に抱きつこうと前へ進もうとするが、なぜか距離が縮まらない。
(ワタシはオマエに干渉できない。どうやら奏も同じみたいだな。)
そんな……
(奏。オマエはさっき『死んだのかな』と言っただろう?結論から言うと死んでない。)
「じゃ、じゃあ早く戻ってみんなを!」
(それは無理だ。)
「なんで?こうやって考えられるってことは意識があるはずでしょ?」
(そうだな。意識はある。だが、現在の体の所有権はワタシだ。)
「じゃあ早く返し──」
(できない。)
「……え?」
冷たく刺された鋭い言葉に唇の動きが鈍くなる。
(今、体を渡したら奏は死ぬことになる。)
死ぬ……?
(ああ。死ぬ。)
私は困惑と共に頭の中で何かが繋がった気がした。
気づいたら手にしていた身体能力。
しかもそれは調子によって変化するもの……
きっとルナが影響していたんだろう。
翡翠色の世界から知世に縛られるまでの記憶がないこともきっとルナが原因だ。
(……きっとそうだろう。『私と奏は干渉できない』、言い換えるのなら、お互いに存在できないということだ。だが、影響を受けることもある。オマエが身体能力を手に入れたように、ワタシが人間の言葉を操れるように……)
ルナのお陰で……
(奏。今のワタシ達には生きることしかやることがない。)
……うん。悔しいけど今は、みんなに任せるしかないよね。
(そうだな。)
威厳のある狼は口を少し緩めたように見えた。
(いい機会だろう。少し昔話をしようか。)
***
いつ頃のことだったかな……
ああ、そうだ、涼し気な森の中、ワタシが群れから追い出され猟師の罠に引っかかった時だった。
「君、大丈夫かい?」
白髪の弱々しい男がこちらに近寄ってきたんだ。
変に大荷物で汗だくの男だった。
見た目も相まって強い人間とは言えない声がワタシの事を気にかけている。
正直舐められたものだと思っていた。
しかし、その男は詰め込められたカバンからマイナスドライバーを一本取り出して私を解放してくれたんだ。
その場から立ち去ろうとしたかったが、罠にかかったときに足をやられたみたいで動こうにも動けなかった。
そしてその時だ。
「おい!お前何をしている!」
男の背中にもう一人の男。
知人ではないようだし、ライフルを構えている。
ああ、確かコイツは……
「貴方は猟師の方でしょうか?」
「ああ、それがどうした。」
「どうかこの子を助けてやってくれませんか?」
「はぁ?やるわけねぇだろ。こっちは動物殺して生きてんだ。しかもこの負け犬は毎回俺の邪魔をしてくる狼どもの一匹だ。」
いや、違う!お前がアイツラのナワバリに侵入してきたのだ!それにもう仲間じゃない!
そう訴えかけたが、「吠えるな」と一蹴されてしまう。これ以上だと、ライフルに撃たれて終わりだ。
そう思ってワタシは男の後ろに隠れた。
助けを求めるためじゃない。盾にするためだ。
しかしあろうことがその男は……
「怖がっているじゃないですか。」
そう言って、体を大きく広げたんだ。
「んだとぉ!」
─バンッ!
森の中に自然界では考えられないような大きく冷たい音が響き渡った。
焦げ臭い匂いが辺りに漂う。
猟師が撃ったんだ、男に向けて。
「チッ、なんなんだよお前……」
「ただの科学者です。」
依然、体を大きく広げる男に向けて、猟師は嫌な顔をしながら去っていった。
おかしい、撃たれたのでは?
そう思って周りを見渡すと、真後ろの木に弾痕を見つけた。
「ねぇ、どうだい。私と一緒に来ないかな?」
今でも忘れない。
振り返りざまに見せる、決して生物として強くないはずなのに、どこか違う強さを感じる深い白の瞳の事を。
私をそこで、人間について興味が湧いた。
出会ったんだ。
──白花 博 と。
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「え!?狼!え、なになに?どっから拾ってきたの?」
西洋の雰囲気を感じる古い民家に博と一緒に訪れると、ワタシを見るや否や若々しい1人の女性が勢いよく近づいてきた。
「美鈴…あまり驚かせないでやってください──」
「かっわぃ〜!」
「はぁ……」
赤い瞳が目の前まで近づいてくる。
ウキウキとした様子でワタシの前脚や頭を撫でてくるが、どこか観察しているようにも見えた気がする。
「いつも以上にご機嫌ですね。」
そう言われると美鈴は黒いショートヘアを靡かせて、胸を張りながら博を見上げた。
「そりゃあそうでしょ?念願の研究の準備が整ったんだから!……はぁ、長かった…博士号を取るまでのあの苦労……決して忘れないよ。」
「貴方はまだでしょう…?」
「黙らっしゃい!」
「あ、パパおかえり!」
リビングで話していると、2階の階段から幼く純粋な声がダダダと音を立てて降りてきた。
とても嬉しそうに笑顔を見せながら博の元へ近づいてくるとても小さな子供。
黒い髪の毛に白が混ざった女の子。
「ただいま奏。」
「あー、ずるい!私もハグしたい!」
「私が先です。」
「なにをーー!」
とても面白くて輝いていた。
「この子はだれ?」
そう言って、幼い奏は不思議そうにワタシを見ていた。
「この子はね、山で拾った子なんだ。」
「おなまえは?」
「うーん…そう言えばまだだったね。」
「名前がないなら私が決めたげるよ〜?」
「ほう?」
「ウルフちゃん!」
「名前ですよ…?」
「うぅ……」
「あはは!わたしママより、いいなまえ思いついちゃった!」
奏は博の元から離れ座って見守るワタシの方へと寄ってきた。
「お月さま!お月さまでいいでしょ?だって、お月さまみたいな色してるもん!」
「いいですね。お月さま。うーん…少し言いにくいでしょうからアレンジしてみましょうか。」
「はっ!じゃあルナはどう?」
「ママにさんせー!」
「なんと、なんでも横文字にしたがるクセが生きてくるとは……」
「ちょっと!」
奏は再びワタシを見つめ、小さな両手でワタシの顔をむしゃむしゃと撫でる。
「よろしくねルナ!」
でも正直、悪い気はしなかった。
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そこからのこと、白花一家は天涯孤独だったワタシを日本と一家に迎え入れてくれた。
最初は研究に忙しい両親の代わりに奏の世話を見ていたが、時間が経つにつれてワタシも博達についていくことが多くなった。
「休日の朝って……お前、少し休んだりとかしなくていいのか?」
「兄よ〜大丈夫だって心配しなさんな!」
「いつもありがとうございます。剣竜さん。」
「ああ、いえ、大丈夫です。私が責任持って見守りますので、奏くんのためにも研究に注力してください。」
「兄者よお硬いぞ〜?私の夫が怖いかな?」
「まったく調子いいなお前は。」
「ママ、パパ、ルナ、私いい子にするからはやくおわらせてね!」
「……ええ、パパに任せてください。」
「ふふ、じゃあ、行ってくるね!奏、お兄ちゃん!」
「ああ」「うん!」
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休日の早朝。
家族4人が座れるような少し小さい車の中で、いつものようにワタシはだらけていた。
ガタン、ガタンと車がたまに宙に浮く。
「美鈴、そんなに焦らなくていいんですよ?」
「ううん…ダメだよ。早く終わらせなきゃ。」
「ずっと憧れていた博士号を諦めてまで時間を費やすだなんて……取ってからでも遅く──」
「遅いよっ……わかってるでしょ?ギリギリなんだって……残された時間はもうないんだよ……?」
「……そうですね。」
「『動物の身体能力を借りる研究』これさえ成功すれば、世界はきっといい方向に進む。私の周りの人だって救われる……」
「大学で初めて会った時からずっと捧げてきましたものね。」
「うん……」
「……」
エンジンの音とクルマが横切る音が聞こえる。
窓から見える青空は、薄く空いっぱいに広がる雲の穴から見え隠れしていた。
研究は行き詰まっていた。
装置はできたものの、理想のように動かないと分かり改良しているとのことだった。
装置の理想…それは、対象の動物と人間の両方が安全に復帰できるというもの。
倫理に関わる問題だ。
慎重に進めなければいけない。
関わる全ての人が人間でいるために。
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「美鈴!美鈴!」
白い世界の研究室に普段見せないような表情を浮かべた博がワタシと美鈴の元へと駆け寄ってきた。
「な、なに?そんなに慌てちゃって。」
「こっち来てくれないか?」
「う、うん。」
ワタシと美鈴は困惑しながらも、嬉しそうに走る博を見るとワタシも心のどこか嬉しさを感じるようになった。
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「っ!貴方のテロメアが回復してる……!?」
「ええ、成功です!」
「ねね、これってさ一滴の血液だけじゃなくて人間丸々1人回復させられる?」
「……ええ、できます。しかし、テロメアが回復するほどの力は沢山の動物達から生命を借りることになります。……美鈴、正直に言うよ。寿命を延ばすなんていう技、私たちにはまだ早い。」
「……っ…」
「これは借りるんじゃない。渡すのと一緒だ。……等価交換なんだ。」
「…『寿命をあげる』、か……ねぇ、動物達ってことはさ、人間から人間にでもできるんだよね?」
「え、ええ。」
「私から寿命を抜き取れる?」
「っ!?ふざけないでください!」
白色の世界に荒げた声が響き渡った。
思わず体を震わせてしまうが、美鈴は依然真っ直ぐな態度を貫いている。
「……失礼…しました。」
「あはは、やっぱ怒られちゃうか。……でも、それだけ大事なんだよ。もっと…もっと永く生かせたいんだよ……」
「美鈴…」
「やっとできたんだ、念願なんだ…奏と貴方と一緒にいる時間は世界で一番大切だ。でも、それと同じくらいしなきゃいけないんだ……」
一雫の涙が世界に滴る。
「もう時間がないお兄さんへの恩返しを…!」




