囲まれた空
***
ピアノの軽い旋律が弾むようにして小さな部屋に響き渡る。
私を含める小さな列がピアノを囲って歌い始めた。
「「「「ど〜はどーなつのど〜!」」」「ド〜。」
「ちょっと!かなでちゃん!おとずれてるよ!」
「ちがうよ!この曲がズレてるの!ねぇねぇ、そうおもうでしょー!」
統率を取りたがる女の子とは目も合わせず、緑色の衣装に身を包む、優しく、温かい緑の眼差しを持った男性へと賛成を求めるよう、私は見上げた。
***
「先生……」
空は青く、風が穏やかに流れている。
みんな歩いたり、走ったり、くっちゃべったりと、生活音が屋上まで聴こえてくる。
とても騒がしくて、活気に溢れている。
なんで今頃になってこんなこと思い出しちゃうんだろう。
学び舎…だからかな…?
「あ、いた!アンタここで何してんの?」
下から聞こえた知世の声によって私の上半身は起き上がり、澄んでいる空から美しく発せられる声の方へと顔を向ける。
「塔屋で空見てた!気持ち良いよ!」
下に人がいないか確認して、静かに知世の下へと降りる。
「そんなの見ればわかるって…危ないでしょ?」
「ヘーキだって!」
知世の周りを少し歩いていると、手に何かの包みのようなものを2つ持っているのに気づいた。
「ん?あ、これ?お弁当。そのために来たの。」
めんどくさそうに緑色の包みを渡され、抵抗もできないまま包みは私の手の上へと乗せられた。
「…ほら、座って食べよ。」
そう言って知世は目を逸らしながらも椅子に座って私のことを誘ってくれた。
「はは、そっか。ありがとう。」
「そ、そんなバカ真面目に言わないでよ。」
「そんな恥ずかしがることないのに〜。」
「は、恥ずかしがってなんか…!」
一向に目を合わせようとしない知世の隣に座って、顔をのぞき込んでみる。
しばらく見つめていると、チラッとだがやっと目を合わせることができ、ついつい口角が上がってしまった。
「な、なに…?早く食べないとお昼終わっちゃうよ?」
「そうだったね!じゃあ、いただくねー!へへへ、人が作った物食べるなんて久々〜!」
期待を練り上げるように両手を揉んだ後、膝の上に乗っている緑色の包みをゆっくりと丁寧に解く。
「おお〜!お弁当箱見るのも久々〜!」
思うがままに手を動かすと、色とりどりで食欲をそそるような食べ物が私の前に現れた。
「うわ〜!野菜いっぱいだぁ〜!へへへ、ホントにありがとうね!」
再び知世の方へ顔を向け、目と目を合わせて感謝の気持を誠心誠意伝えた。
「…結構探したんだから。」
知世はチラチラと目を合わせたり逸らしたりしながら呟くように言い捨てた。
「え、音楽科の教室まで来てくれたの!?」
「な、なに?こっちの身にもなってよ!知らない大勢に対してアンタのこと聞き回ったんだから。」
「えへへへ〜」
「ニヤニヤしないでって!」
本当にいいなぁ…!
空が青くて、久しぶりのお弁当をいただけて、隣に私の好きな人がいるなんて……。っ!
「しまった!紙がない!」
「え?カミ?」
「そうだよ!え、えぇっと!ペーパーペーパー!もってない?白紙の…っあ!そうだ、生徒手帳!」
記憶の片隅に置いてあった生徒手帳をポケットから取り出して、五線譜を書き出し音符を次々と置いていく。
できるだけ速く、忘れないように。
「な、何してんの?」
「……」
「えっと…おーい?」
「ごめん、今キテるからまって。」
「…え、え?」
しばらくすると知世の声は聞こえなくなり、少し騒がしい生活音が風と一緒に耳へと入ってくる。
でもそれはただ耳に入ってくるだけで、私の頭の中までに入り込むことはなかった。
###
「…よ、よし……!後は笛で調整すれば!」
「えっと…終わったの?」
少しの困惑と少しの疑問が入り混じった声が隣から聴こえて──
──あ。
忘れてた…!
「ご、ごめん!えっと…集中してて……」
「…ふふっ。」
「え…?」
大げさに謝る私に向けられていたのは、先ほどの硬い顔ではなく、柔らかくて愛想のある顔だった。
とても可笑しそうに、口元を隠しながら。
「ああ、気にしないで。悪い意味じゃないから。」
そう言って笑顔なまま、視界いっぱいに広がる景色へ顔を向ける。
「なんでだろうね。頑張ってるアンタを見るとちょっと心が洗われるって言うか、柔らかくなるっていうか……あはは、ごめん。あんまうまく言えないや。」
そう話しているうちに知世は気を紛らわすようにとモジモジしながら、膝の上に置いてあるお弁当を見ていた。
「今まで本心を自分から話そうとすることなんて、そんなに無かったからさ……また、嘘ついちゃいそうで。」
「大丈夫だって!みんな誰にだって嘘つくもん。私だってつく。だから嘘ついてるって分かっても無理に問いただすことはないよ。だって仕方のないことだから。…ま、まあ、状況次第だけどね。」
「…そ、そっか。」
「ささっ!早く食べよっか!」
「そうだね。」
包みと一緒に入っていた割り箸を割って、次々と香ばしい匂いがする食べ物を口へと運ぶ。
ああ、やばい…お箸が止まらない!
「そう言えば渡してたアレちゃんと持ってる?」
「え?あ、うん!ベルトと一緒だよ!」
「…そう、よかった。無くさないでよ?その……アンタも狙われてるみたいだし。」
つい溢れてしまったように感じたシリアスな声が気になって、お弁当から知世の方へと顔を向けてみる。
その時の知世は、まるで自分事のように不安そうな表情を浮かべながら、ただじっと下を見つめていた。
「そんな不安がらないでよー。私まで不安になっちゃうじゃん!」
そっとお箸をおいて知世の近くへと私は寄った。
「…怖い?」
「……うん。」
微かに震える知世の手をそっと覆い被せる。
「…っ……」
「ご飯食べちゃうぞー。」
「……」
「あ、あはは、黙っちゃった。」
何かを考えたのかは分からないが、あの時と似たような少し堅苦しい顔をしていた。
うーん、おふざけの囁きが効かなかったのは少し悔しいなぁ…
覆い被せた手を離し、ひとまず私のお弁当を空にするため素早く食べ始める。
時間がないし、話がしたい。
しばらくして私が完食した後も知世はニ〜三口ぐらいしか食べていなかった。
笛を吹こうとホルダーに手を近づけたが、知世の気分を害してしまいそうな気がしてやめることにした。
私が伸ばした手はこの重苦しい静寂から目を背けようとホルダーの中にある笛の感触を確かめるだけになってしまう。
「…ごめんね。えっと…少し気持ちの整理させてほしいかも。あ、お弁当箱貰うよ。」
「そっか。分かった。じゃあ、気持ちの整理がついたら元気な知世の声、聴かせてね!」
私は少し無理やりな笑顔を向ける知世の元から離れるためにその場から立ち上がった。
△△△
アタシの言葉によって白花はその場に立ち上がり、元気よくかつ心配そうに手を振って屋上から去っていった。
……ハハ、わからないや。
今までずっと自分の身を案じながら過ごしてきた。
卯月と再開してからは卯月のことを最優先にして動いてきた。
…でも、それは私の妹だから。家族だから。
アタシには卯月のように他人のことを考えるなんて真似は一切出来ない。
アタシが動くのは全部、家族の為。
全部全部、卯月が笑顔だったらそれでいいんだ。
そう思っていたのに…
……最近は…白花のことを考えてしまう。
スバル君のお父さんに白花の事を語られて以来、赤の他人であるはずの白花に何かがあったらなんて思ってしまう。
そう思う度に胸の奥が冷たい針を刺したように痛くなってしまう。
そうだよ…怖いよ。
怖いんだよ。
アンタが居なくなることが、怖いんだよ。
今までのアタシなら、また独りになることが怖いって思うはずだ。でも、そんなんじゃない気がして、心の奥が気持ち悪い…まどろっこしい……
アタシは…なんで……
###
「…ねぇ、スバル君。頼みがあるんだけどさ。」
「…ん?なんだよ。」
今日の授業が終わりみんなが帰る中、教室で離席している卯月を待つスバル君へと声をかける。
「…アタシに、人を守れるような技術を教えてほしい。」
「……そうか。」
スバル君はアタシの急な頼みに瞳を開きながらも少し考えて、そう言い放った。
それと同時に、鋭い赤がアタシの元へと向けられた。
「教えねー。」
「なっ!アン──」
「きっとお前は、戦えるような技術が欲しいんだろ?」
「っ!」
「図星か。ただの護身術ぐらいならいいが、人を守る程の戦闘技術を教える気はない。」
なんの躊躇いもなく淡々と冷徹に突きつけられるスバル君の言葉に理不尽を覚えながらも、どこか納得してしまう自分がいた。
何も言えなくなってしまうほど、正確に言い当てられてしまった。
「知世。お前は俺でも卯月でもない。そんな険しいゼロを覚えるよりも自分の持ち味を活かしたほうがいいんじゃねぇか?」
アタシの……持ち味……?
「大丈夫だ。お前なら守れる。隣に居てくれる奴だけじゃなく、周りにいる人間全員…な。」
それだけだ、と言い残して鞄を持ち上げその場から立ち去っていった。
「卯月もそう思うだろ?」
「…え?何の話?」
…アタシの持ち味。
も〜!アイツ分かってんなら教えてくれたっていいじゃんか!
でも、スバル君のことだ。教えてくれないってことは、自分で見つけたほうが効果的ってこと。
振り返るに、スバル君はアタシが身体を張った戦闘は無理って言っていた。
裏を返せば後ろでサポートするほうがいいってこと。
…白花は笛を使って身を守っている。
前に出るべき存在じゃない。
そしてアタシができるのは、裏に回って応援したり、せいぜいトラップ仕掛けて人縛ったり、糸使って物ぶつけたりすることぐらいしかできない。
もー!役割完全に被ってるじゃん!
「うーん……」
─キーンコーンカーンコーン
突然鳴ったチャイムによって思考が一旦止まってしまう。周りを見るとそこにはもう誰も居なく、アタシの席に鞄が1つ置かれていた。
「やば!帰らないと!」
鍵渡してないし、連絡手段もないからなんかやらかされたら面倒くさいし。
△△△
「制服でこの大通り来るのは初めてだなー。なんか新鮮。」
「白花ちゃんここ来たことあるの?」
周りにいる3人中の1人が明るい声をして驚きながら顔をのぞき込んで来た。
青色のメッシュが揺ら揺らと肩付近で揺れていてちょっと気になってしまう。
「夏海さん!あまり私を舐めないでほしいな〜。私ここよく来るよ?」
「なにしになにしに?」
ショートヘアの女の子が興味津々に問いかけてきた。
さらさらした茶色い髪が顎をやってくるほどの勢いで迫ってくる。
「ら、楽奈さんったら……へへへ、聴いて驚かないでよ〜?それは…路上ライブ!」
一瞬だけ戸惑いながらも勢いに負けまいと胸を大きく張り、目の前を歩いている2人に向かって言い放った。
「「お〜!」」
─パチパチ
「なんの楽器をメインにしてるんすか〜?」
小さな拍手が鳴った後、私の言葉を聞くや否や両肩に手を置かれ、凭れ掛かるようにして、私の顔を見てくる。
「あ、彩歌さんったら危ないよ?」
「いいじゃないっすかぁ〜!あと、その『さん』づけやめましょ!うん!」
人懐っこい黒色のロングヘアーと共に制服についている謎のチェーン達がアタシの体に密着する。
「わ〜!装飾品に貫かれちゃうよ〜!」
「あやちゃんったら鎖とかピアスが多すぎてノリが軽い人間凶器と化しとるもんね〜。」
「の、『ノリが軽い人間凶器』って……失礼なこと言わないでくさいよ!この格好と口調はウチの憧れなんすー!」
拘束が解かれ、人間凶器さんは身長差のある楽奈さんの方を揺らし始めた。
「うわぁ〜!?なっちゃん助けてぇ〜!」
「もー。これぐらいにしてあげなよ?人様の迷惑になっちゃうじゃん!」
この3人は右も左も分からず緊張していた私を快く受け入れてくれた新しい友達だ。
笛を引っ提げて、謎にスカーフ腕に巻いてるクセの強い人って思われたらどうしようかと思ってたけど、私の個性なんか薄れちゃうほどみんな一癖二癖あって少し安心しちゃった。
これから迷惑かけちゃうだろうけど楽しく過ごしていきたい。
「そーいえばカナっち。聞きたいんだけどさ、一緒に登校してた、えーと……そう!嘘之さん!ウチらなんかについてきてよかったの?」
「え?あー、ちょっと悩み事があるみたいでさ、気持ちの整理のために1人にさせてあげようかなーって。」
そう言うとさっきまでじゃれ合っていた3人の注意は一気に私へと集まってしまった。
「だいじょーぶなんすか?」
「心配やねー?」
「私たちからも解決するよう祈ってるよ!」
「へへへ、みんなありがと!」
みんな優しくて自分が小さく見えてくるなぁ…
やっぱり上達にはこの優しさも大事になるのかな?
私もがんばりゃな──
「っ!?」
3人が不思議そうにこっちを見ている。
…行かないと。
「えっと…ごめん!あの子の元に行かないと、ははは…じゃ、じゃあね!変な人に声かけられたら逃げるんだよー?」
みんなの言葉も聞かず、来た道をそのまま歩く。
笛はある。体の調子はあの夜程にはないけど、壁ぐらいはよじ登れる。
人混みを避け、少し薄暗い裏路地へと身を溶け込ませる。
「もう、いいんじゃないですか?」
中性的な声に変えて、笛を構える。
「フフフ…もういいんですか?」
悪意しか感じられない冷徹な声が裏路地へ響く。
汚れた白衣を身にまとった細身の男のもたらす影は、私を包むほど大きく重く広がっていく。
「なんで私を追いかけるのかな?君は誰だい?」
「ああ、やっと見つけましたよ…No.001。フフ…フフフ……フフフフフフ!アッハハハハハ!」
恍惚した表情を浮かべ狂気じみた男の笑いに悪寒と吐き気を覚えてしまう。
「は、話が通じない人みたいだね……それじゃあ、おや──」
「アハハハハハハ!」
「っ!」
いつの間にか男の両手には、黒い銃が握られていた。何重もの暗闇が混ざり合った鈍い光は私にではなく斜め上へ向けられていた。
…銃にビビっちゃったけど、そんなことは関係ない……眠らせて羽田さんに…!
「おやすみ。No.001。」
「くっ!」
─ダンッダンッ
〜〜♪
謎の方向に弾を飛ばした男はよろめきながらも醜く笑う表情を崩すことはなかった。
…銃声で効果が弱まった……!
でも、そんなことより……
「弾は…一体……うっ!?」
突然、右足の脹ら脛に鋭い熱さを覚え、力が入らなくなり、地面に膝をつけてしまった。あとから遅れてやってきたジリジリと広がる粘着質な痛みが体中に冷や汗を垂らすように促してくる。
「はぁ…はぁ…後ろ…から?…っ!?」
背後から、鉄パイプが壊れる音が聞こえた。震える体を無理やり動かしながら振り返って見ると、暗闇から硬く軽い鉄の音が何十も何百も小さな光とともに響き渡るのが確認できてしまった。
それはどんどんとこちらに近づいてくる。
とても残酷に。
「逃げっ──」
避ける暇もないほどとても素早く。
気づく頃には、ビルに囲まれた青い空が私の視界に映っていた。
──ドロっと広がる『赤』と一緒に。




