【日常】「子供が生まれたら犬を飼いなさい。」
「おはよー神美さん!」
「ふふっ、おはよ!」
「し、神美ちゃん、おはようございます!」
「おはよ!」
「さ、さすがだな。」
「ん?なにが?」
お姉ちゃんが姿を変えた数日後、冬服を着ると汗が滲んでしまうようなあたたかさが学校の廊下を包んでいた。
ボクの隣を歩いている、真っ白なシャツ姿のスバルは、困惑や驚愕などの感情を混ぜ合わせたような顔をしていて、その表情が不思議に思えてじっと顔を見つめてしまう。
「いや…笑顔絶やさねぇなって。」
「ボクのアイデンティティだよ!」
「そ、そうか。」
目一杯の笑顔をスバルに向けるが、ボクの笑顔の先には純粋な困惑の表情しか存在していなかった。
「もーそんな顔しないでよー。」
「え?あ、わ、わりぃわりぃ。アハハ……」
頭を掻いて気まずそうに視線を泳がせるスバルに疑問を持ちながら、再び前を向いて教室へ進んでいく。
──その時だった。
「わっ!?」
視界が暗転し、外の空気とは違う、とても温かい感覚がボクの目に覆い被さった。
「だーれだ。」
突然、聞き馴染みのない中性的な声がボクの耳元へと囁いてくる。
でも、聴いたことがないと言ったら嘘になる。
少しだけだけど、聴いたことがある声だ。
確かこの声の主は…穏やかな月光が照らしていた銀色の髪の毛をしていて、絵本から出てきたような緑色の服を着こなしていた美人で華麗な女の子……
「って、え、奏ちゃん…!?声戻ったの!?」
「戻ったんじゃない、変えたの。」
そうやって、年頃の元気な女の子の声に囁かれ、世界に光が戻っていく。
後ろを振り返ってみると、口元を隠してくすっと笑う制服姿の奏ちゃんが立っていた。
月光に照らされていたあの髪は綺麗に結ばれていて、明るく輝く日光を反射している。
あの夜の不思議な雰囲気と朝の明るい雰囲気のコントラストによって、ボクの思考回路は今にも焼き切れそうになってしまう。
「私声変えることができるんだー!へへへ、凄いでしょ!」
「す、すごいけど…え!?いや…えっ!?」
さらに情報を投下されてボクの脳味噌は処理の限界に到達していた。
助けを求めるためスバルへ顔を向けると同時に後ろに隠れて静かに笑うお姉ちゃんを見つけてしまった。
「そこ!お姉ちゃん!説明!説明!」
「う、卯月。お前、語彙が…」
「スバル!静かに!してて!」
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「卯月、喋れる?」
「う、うん……」
ボクは今、渡り廊下付近の階段に座っています。
「おお、これが噂のガッコウノケイジバンかー!」
「剥がそうとすんなよ?」
「剥がさないよ!」
「ちょっと、あんまり歩き回らないでよー?迷子になったらホームルームに間に合わないから。」
周りを駆け回ろうとする大きい子犬と手綱を握る飼い主達と一緒に。
「お願いだから一から説明を……」
「知世、もういい頃合いじゃないか?」
ボクとスバルの視線は自然にお姉ちゃんへと集まった。
「あははは、まあ、そうだね。いいよー。話したげる。」
そう言ってボクの隣りに座っていたお姉ちゃんは、その場から立ち上がり、目を輝かせて周りを見渡す奏ちゃんの頭の上にポンと手を置いた。
それに対して奏ちゃんは不思議そうにお姉ちゃんの顔を見つめる。
「そうだねー、変装を辞めた日の話だよ。そこに居る"鬼"の頼みから始まったの。」
「お、おいおい、鬼ってさすがに…」
「黙ってて!」
「はい……」
***
あれは下校の時だった。
辺りを警戒しながら一人で帰っている時、アタシの家の前に、赤い瞳の男の子が黒い車の側に立って誰かを待っているように、空を見ていた。
「スバル君…?アンタ何してるの?」
アタシの存在に気づいたスバル君は穏やかな顔をこっちに向けながらもどこか厳格な雰囲気を漂わせていた。
「今日はお前に頼み事があってきた。」
そう言って車から2人の男女が出てくる。
スバル君と同じ赤い瞳を持つ背の高い男性と、ピンク色の瞳を持つ銀髪の女の子……って、
「白花!?アンタ何して……」
「えへへ、やっと会えたね!」
「は、はぁ…?」
車を出たと同時に駆け寄って、アタシの手を取りながら楽しそうに笑う白花により、アタシが感じた先ほどの重い緊張はどこかに吹っ飛んで行ってしまった。
スバル君と車から出てきた男は笑顔を見せながら話しをしている。
あれ…?この男の人、もしかして…
「…スバル君のお父さん…?」
アタシの呟きに男の人は反応する。
そしてなにかを思い出したかのような顔をした後、一歩前に進んできた。
「ああ、いつもうちの血気盛んな息子がお世話になっています。」
そう言って男の人は軽くお辞儀をした。
思っていたものとは違うちゃんとした挨拶に少し戸惑いを感じながら同じようにお辞儀をする。
「周りが気になるなら車の中で話そうか?」
「っ!……はい。お願いします。」
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「…あのスバル君が言ってたように頼み事って何ですか?」
運転席と助手席に座る羽田親子に少しの緊張を覚えながらバックミラーに映る赤い瞳を見つめて問いかけてみる。
「そ、そんな警戒しなくてもいいぞー?は、はは!」
「父さん…」
スバル君は哀れむような目をして自分の父親を見つめていた。
「はぁ…俺って顔怖いのかな…?」
「雰囲気だろ。」
「なっ!」
「……あのー。」
「「あっ。」」
アタシ…忘れられてる……頼まれるのに……
「……コホン!」
少し漂った沈黙を切り裂くようにスバル君のお父さんの咳払いが車内に響いた。
「話は簡単だ。君の隣にいる白花 奏を預かって欲しい。」
……え?
突然、制服の腕の部分から引っ張られるような感覚が静かに主張してきた。
その引っ張られる方へ顔を向ける。
そこには可憐な顔して『拾ってください』と言っているような上目遣いをする白花がいた。
何も言わずじーっとただアタシを見つめている。
「あ、アンタ……」
そう、じーーっと……
「あーもうっ!わかったからそんな目しないでよ!」
「やったぁ!」
白花はそう言って強く抱きついてきた。
何度も何度も揺さぶってくるほど興奮している。
こ、この犬っころめぇ……
「ヘヘッ、決まったみたいだな。」
「うっさい!"鬼"!」
「はい……」
「ハハハハ!ホントに仲良いな!」
もう…さっきの緊張はどこいったのよ……
「でも、この件は君に対してもメリットがあるはずだ。だろ?」
スバル君のお父さんは気さくな笑顔を向けながら、少し低いトーンでアタシのことをバックミラー越しに見てくる。
「……まあ、そうですね。」
きっとこの人はアタシの正体を知っている。
ただ語らないだけで、アタシの状況と問題を見通しているんだ。
だからきっとアタシの側に白花を置いたんだ。
「よし、じゃあ今から手続きをしようと思う。一緒に来てくれるか?準備したいなら行ってきていいぞ。ま、必要なものは何もないけどな。」
「…じゃあ、車を出してください。とっとと終わらせましょうよ。」
「ハハッ、冷たいねぇ。あ、シートベルトはしてくれよ?職業上、そこら辺守らないといけないんだ。」
そう言って、前の2人はシートベルトを同時に締めた。こ、これが親子ってやつ…?
アタシ達もさっきのシンクロに続いてシートベルトを締める。
「そう言えば、貴方の名前は…?」
「ああ、自己紹介もまだだったか、俺の名前は羽田 剣竜。警察関係の者だ。」
車は震え出し、町は後ろへと流れていく。
ひたすら前へと進んでいく。
警察…関係…?
バックミラー越しに映る赤い瞳はアタシではなく白花を見ていた。
何か冷たい瞳で何かを伝えるように。
白花は何かを察したようにしてピンク色の瞳を大きくして黙りこくっていた。
###
─ガチャ
「ただい──」
「お邪魔しま~す!」
大荷物の白花がウキウキとスキップしながら入り込んできた。
圧倒的な遠慮の無さに唖然としてしまう。
「わー!す、すごい!たくさんそろってるじゃん!」
「…そう?」
「そうだよ!キッチンとお風呂とトイレがあるっていいことだよ!」
目を輝かせる白花に「当たり前のことでしょ?」と言ってしまうのはきっと、間違っていることなのだろう。
彼女はない事が当たり前の世界で生きていたんだ。
アタシの物差しで自由に過ごす彼女を測るだなんて、そんな行為ナンセンス極まりない。
「はぁ…この部屋防音だけどさあんまり騒がしくしないでよ?アタシが苦情出すかも。」
犬のしつけをするように白花の目の前まで近づいて、額をつつく。
「えっと…笛吹くのはだめ?」
動物が甘えるような感じで瞳孔を開きながら、さっきとは違う趣旨の上目遣いをアタシに向けてきた。
「いや…まあ、言ってくれるなら……いいけど。」
つい目を逸らして答えてしまう。
「やった!」
「も〜調子狂うなぁ〜。」
頭を掻きながらもとりあえず荷物を預かり、部屋の奥へと置いて、キッチンを見渡す白花の服をじっと見つめる。
「アンタ…ずっとその服なの?」
「えへへ、まあね。買えるお金もないし、私のお気に入りだから。」
ボロボロの服を見つめる彼女の瞳は故人の墓を見るような物寂しい瞳をしていて、見ているこっちの胸も締め付けられるような感覚を覚えてしまう。
「…そう。でもしばらくはアタシの服使って。それ洗濯したげるから。」
「え、いいの?」
再び瞳を輝かせてアタシの目の前へズカズカと歩き出す。
「い、いいけど。」
「ホントに!?」
やがて顔をグイッと近づけて、輝く瞳が視界いっぱいに広がってしまう。
「近いって!」
「もご!?」
限度を知らない顔を何とか押し返し、心を落ち着かせるためベッドに座り込む。
「アンタさ風呂とかどうしてるの?」
「なんで?」
「いいから。」
「えーっと…山の水で体洗ったり、稼いだお金でシャワー浴びたり……」
「え……サバイバルでもしてんの?憲法機能してるの?」
「ごめん!臭くてごめんってば!」
「はぁ……安心して、激臭ってわけじゃないよ。犬みたいな感じ。」
「どういう感じ!?」
ベッドから立ち上がり、顔を赤らめ今にも泣いてしまいそうな白花の手を引いて、そのまま歩き出す。
「わわっ、どこいくの?」
「風呂場。アンタここに住むんだし、そのボサボサ頭鬱陶しいから。」
「えっと…ありがとう。」
「いい。必要だからやるだけだよ。」
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「ちゃんと目つぶってる?」
「子供じゃないし、シャンプー達の扱い方はわかるよ!」
「じゃあなんでトリートメントとコンディショナーの違いが分からなかったのかな?」
「う、うぅ……だって、先生一緒にお風呂入ってくれないんだもん……」
「ああ!動かないでよ!服に泡ついたじゃん!」
「ごめん……」
アタシは今、白花のために彼女の頭を洗っている。
詳しく言うなら、アタシが使っているトイレタリー用品の解説と使い方の伝授、そして普通にシャワーを浴びさせているだけである。
「…アンタのその『先生』ってさ、男性だったりする?」
「え…?うん。」
「そりゃそうなるか……」
「ば、バカにしてるの!?」
「してないよ。」
そのまま、ワシャワシャと硬い髪質に指を入れて髪を解く。
湿気がすごい風呂場の中で水の滴る音と髪を洗う時の泡の音だけが、しばらく響き渡った。
「じゃ、泡落とすよー。」
「う、うん。」
温かいシャワーを彼女の頭に当てて、痛くないようゆっくりと髪を解かしながら泡を落とす。
鏡越しに見える彼女の顔は少し赤くして目をつぶっていた。泡を落とし切っても、目を開こうとはしなかった。子供のように必死なもんで少しおかしく思えてしまう。
「ふふっ、もういいよ。」
「え!?あ、うん。」
「大丈夫?顔赤いけど、シャワー熱い?」
「い、いや、適温だよ全然!」
「アンタ結構わかりやすいね。」
「な、なにが!」
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「どう?スッキリした?」
そう一緒にベッドの上に座る白花に問いかけても、顔を赤らめながらボーッと天井を眺めているだけだった。
でも、タオルを肩にかけている白花を見るに…満足しているはずだ。きっと。うん。
「そう言えば、アンタって春桜に編入するんだよね?」
「え?あ、うん。」
気がついたようにしてアタシの顔をじっと見つめる。
「やっていけそう?音楽科なんでしょ?アタシ達がサポートすることは──」
「大丈夫だよ!」
彼女は立ち上がり手を後ろに組んでアタシに笑顔を向ける。
「世界一の音楽家になるんだもん。そんなのでへこたれるようなほど私はヤワじゃないよ!へへっ。」
***
「と、まあそんな感じに色々あって白花はここにいるってこと。」
お姉ちゃんがポンポンと、手のひらで奏ちゃんの頭を優しく叩いた。
「へぇ~!奏ちゃん音楽科なんだ!」
「まあ、そこじゃないとダメなんだけどね。」
「そんな風に下卑しないでよ!奏ちゃん音楽得意そうだし!」
「ぷっ、あははは!違うよ卯月。得意『そう』じゃない。大得意だよ!なんせ世界一の音楽家になるんだから!」
奏ちゃんはそうやって大きく胸を張り、高らかに宣言した。
「ふふっ。いいじゃんいいじゃん!」
「おーい。お前ら。そろそろホームルーム始まるぞ?」
そばで見守っていたスバルがスマホを見ながら声を上げた。それに従ってその場から立ち上がり、奏ちゃんにお別れの挨拶を交わす。
「それじゃ私行ってくるね。」
奏ちゃんはお姉ちゃんのことを見ながら頭に乗っている手を両手で握った。
「職員室だっけ?……なんかやらかさないでよ?」
「大丈夫だって!それじゃ!」
渡り廊下を走って手を振る奏ちゃんにボクとお姉ちゃんも一緒に振り返す。
「お姉ちゃんなんか楽しそう!」
「な、なに〜?からかってるの…?」
「ふふっ、真っ先に否定しないんだー。」
「なっ、卯月ったら……はぁ…誰に似たんだか。」
「お前じゃね?」
「うっさい!」
「はい……」
「ふふっ。」
本当に楽しそう!




