濁った幸せ
「…これがアタシの全てだよ。」
「…そっか。」
白花はその場から立ち上がり、そのまま数歩進んで屋上の高い網の柵を掴む。
彼女は今どう思っているんだろう…
さっきの一言は、失望のような、同情のような、何とも言えない声のトーンだった。
…アタシのこと、どう思っているんだろう…?
…ハハ、声で感情を読み取るなんてアタシには到底無理だ。
でも…どうせ……アタシなんかといるのは──
「あはは!やっぱり私の耳は本物だね!」
「…え?」
彼女は振り向く。
とても嬉しそうで、純粋で、光り輝いている。
月光に照らされていた不思議な笑顔とは違う、日光に照らされた明るい笑顔。
影ができてしまいそうな程に、眩しく見える。
「ああ、ごめんごめん。失礼だったかな?」
そう言いながら手を後ろに組んで、穏やかに笑いながら歩いてくる。
まるで心を落ち着かせているような雰囲気で。
「言ったでしょ?私、ずっと独りって。」
彼女はアタシの前まで来て立ち止まる。
太陽の光を背にして彼女の影がアタシを覆った。
その影の中で彼女は似合わない顔を見せていた。
アタシと同じあの顔を…
「…だから?」
彼女の顔から目を逸らすよう俯いてしまう。
「失礼に聞こえるだろうけどさ…私、初めてアナタの声を聴いた時、確信したんだ。」
「…は?」
「私と同じ、独りきりなんだって。」
「…」
同じ…独りきり……
「…アンタにはさっきみたいに動物達がいるでしょ?」
「それ言っちゃうと、あの2人はどうなるの?」
「…っ……」
スバル君…卯月…
あの2人はアタシの大切な人達だ。
幸せになってくれるだけで、アタシも幸せになった気持ちになる。
一緒に帰るだけでいいんだ。
ふざけるだけでいいんだ。
側にいるだけでいいんだ。
観ているだけでいいんだ。
この…濁った幸せを少しずつ…飲んでいくだけで…アタシはもう…充──
「ねぇ。」
「っ!」
突然、あたたかな感覚が手のひらを包んだ。
彼女が見上げるようにして俯くアタシを見ている。
あの時のような姿勢を取りながら。
真面目な顔して、アタシを観て……
「君に涙は似合わないよ?」
「じゃあ、見ないでよ…!」
本当に分からない。
イライラや後悔が混ざりに混ざった感情のせいで、体が重い、目眩もする。
なんで…白花はアタシなんかを見るんだよ…
なんで…話すだけでこんなにも苦しいんだよ…
なんで…アタシは…手を…振り払わないんだよ……
「…わかった。じゃあ聴きたいことがある。」
彼女はその場から立ち上がってホルダーにしまっていた笛を取り出す。
風を味方につけて、元気に笑う。
草木がざわめき、さわやかな風が流た後、静寂がより一層目立っていく。
雲から漏れ出す太陽の光がアタシごと、彼女を照らしていく。
「『君、音楽は好きかい?』」
「…音…楽?」
「そう。音楽!」
音楽…なんで今そんな事を…
「へへーん、音楽って凄いんだよ!演奏する人も、聴く人も、裏で支える人も、みんなみんな元気になれるし、みんなみんなしんみりした気持ちにもなれる!生きる希望にもなるし、生きる手段にもなれる!過去、現代、未来すら繋ぐ変幻自在な人類の叡智の象徴なんだ!」
彼女の声がさらに明るくなる。
彼女の瞳がさらに輝く。
あの時の顔が嘘のように。
なかったかのように。
強く、眩しく、煌めいている。
「私は君の側で音楽を奏でていたい。君の歓声をずっと受けていたい。奏者がいなければ聴衆もいないように、聴衆がいなければ奏者がいないように。…もう、悩まなくていいんだよ!怯えなくていいんだよ!だって君はもう…独りじゃないから!」
「…っ!」
世界が少しづつぼやけていく。
熱い感覚が目から頬へと伝っていく。
『独りじゃない』
どこにでもある、ありきたりな言葉。
ああ、どうして…どうして……
どうしてアタシは…こんな言葉に救いを覚えてしまったんだろう。
「え、えっと…結構うるさくしちゃったけど…。ど、どうかな?君の声を聴き……って、だ、大丈夫!?」
「うっ…くっ…うぅ…」
「ご、ごめん!失礼なこと言い過ぎたよね!え、えっと…こういう時どうすれば──」
「……好き…だよ…」
「へ!?」
「聴こえて…ないの……?」
「あっ、いやっ、その!」
「ぐすっ…だ、だから…好きって、言ってるんだよ…!…大好きって言ってるんだよっ…!このばかぁ!」
「っ……!そっか…そっか!あはは、ありがとう!」
「なんで…アンタが…感謝してるんだよ……」
涙でぐちゃぐちゃになっている中、多分だけど分かった気がする。
なんで彼女を妬んでいたのか。
それはきっと、一歩踏み出せる勇気があるから。
独りきりでも、人の手を握れる心があるから。
そんな輝くものが羨ましかったから。
欲しかったから。
もっと聴いてみたいって思った自分を気持ち悪く思ったから……
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「うっ……ぐすっ…」
「え、えーっと…そうだ!」
彼女は一歩下がって笛を口元に寄せる。
袖や目元が涙に濡れているアタシをみる。
涙を拭いて、流てくる鼻水をすすりながらアタシも彼女をみつめる。
「一曲聴いてみてよ。」
「いっ…きょく……?」
「うん。安らぐよ。これは前みたいな催眠術じゃない。私の曲。どうか…聴いてほしい。」
うまく声に出せないまま、少し頷く。
それを見た彼女は瞳を閉じて息を吸う。
一瞬、ほんの一瞬だけ、笛を吹く前の彼女の口元が笑っているように見えた。
再び世界は静かになる。
そして──
〜〜♪
鼓動が聴こえてしまうような静寂を切るように、古い木の優しい音色がこの屋上から広がりだした。
曇りの空から漏れるスポットライトが、揺れる木の葉の拍手が、全てをものにする彼女の音色が…
アタシの耳に、瞳に、刻まれていく。
鼓膜の揺れの行き着く先は脳だけにはとどまらず、手足にも、心臓にも、心にも、穏やかにかつ足を取られてしまいそうなあたたかい波が打っていた。
アタシの視界に映る世界は、いつまで経っても忘れられない、いつでも見返せて愛されていく、どこにでもあるただのミュージックビデオのように…とても……
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「以上です。ありがとうございました。」
…アタシは音楽のことはあまりわからない。
横笛なんて以ての外だ。
でも、1つ分かる。
紳士のように礼儀正しくお辞儀をする奏者に対して贈るもの。
沢山の感情が喉に詰まって言葉にできないアタシがとる行動。
小さく真っ直ぐ贈ってみる。
──称賛の拍手を。
「ありがと。あはは、よかった。気に入ってくれたんだね。」
「あっ…えっと…その……」
拍手を止め自分の指を絡ませて喉に詰まる感情を声に出そうとしてみる。
これじゃ…足りないんだ……
「ううん。全然大丈夫!歓声はまだいいよ。この曲には、たった1人の拍手が相応しい。」
「え…?そんなのって……」
「いいの。君の歓声は安売りするべきじゃないよ。だって、もっといい曲たくさんあるんだから!あ、先に謝っておくけど、ファン第1号はもういるからね!」
そういって彼女は胸を張り、笛を持ちながら両手を腰に当てる。
「ファン…1号……」
「そうそう!第1号はねー──」
***
「卯月はしょうらいなにになりたいの?」
「ん〜?おねえちゃんは?」
「とくにない!」
「えー?ふふっ、ボクにはあるよ!」
「えっ!なになに!」
「女優さん!あんなふうに、なんにでもなれるカッコイイひとになりたい!」
「わ〜!いいじゃん!じゃあアタシがファン1号だね!」
「うん!」
***
「…卯月……」
「えっ?いやいや、ファン第1号は先生だよ?」
「あっ…いや…今のは違うの。」
「…?」
疑問な表情を浮かべてアタシの顔をじっと見つめる。
そんな彼女の疑問はさっきの発言だけじゃないような雰囲気を醸し出していた。
「そのそばかす……お化粧だったの?」
「えっ…!?」
手鏡をポケットから取り出して、自分の頬を確認する。鏡に反射したアタシの頬には綺麗さっぱり何もなく、朝、付け直したはずのそばかすが落ちていた。
「きっと涙で落ちちゃったんだね。」
「まずっ…!」
「私はいいと思うよ。」
頬に触れるアタシの手の甲に温かい指先がそっと寄り添った。
「は、はぁ?」
「今の君らしい。」
「今の…アタシ……」
「そう。」
ピンク色の瞳がアタシの目の前に近づいてくる。
温かい吐息が聴こえてしまう。
誰かの心臓が暴れている。
…って!
「ちょっ、近い!」
「えっ!?ああ、ごめん!」
彼女は慌てて後ろに下がり、身振り手振りで大きく謝罪をする。
はぁ…距離の詰め方を勉強させないと…
でもまあ…最悪って程じゃない。
「…はぁ〜。」
「ほ、ほんとにごめんっ!」
「アンタさっきから謝りすぎ。アタシの妹みたい。」
「え、えーっと…それって…?」
手鏡をしまい、その場から立ち上がって両手で頬を一回叩く。
彼女がしてくれたように瞳をまっすぐ見つめ返す。
「いろいろあんがとね!決心ついたよ!」
あの時みたいに、また笑ってみる。
「…ああ。行くんだね。」
「うん。」
鞄を肩にかけ、扉へ向けて一歩踏み出す。
笑顔で見送ってくれる彼女に少し振り返ってウィンクをする。
胸を張ってドアノブを捻る。
「…あ、そうだ!もう一つ聴きたいことがあるんだけど、いい?」
「ん?どうしたの?」
無邪気にアタシを呼び止める声の方へと顔を向ける。
「君のことどう呼べばいいかな?」
アタシのこと……か。
「知世。朝日 知世!自称だけどね!」
「はは、素敵な名前!じゃあ知世!最後にいい?」
「なにー?」
「知世のおともだちの名前を教えてほしくて!」
「そうだね。それも教えてあげるよ!」
眼鏡とカラコンを外して、いつもの笑顔でVサインをおくる。
「神美 二日。ずっと寄り添ってくれたアタシの大大大大大親友の名前だよ!ふふっ。」




