#8 要塞戦
「この要塞にて、敵戦車をできる限り多く、叩く」
俺はそう宣言するが、集まった140人の顔はすぐれない。
「貴官らの考えていることは分かる。あれだけの決死の覚悟で突撃したというのに、未だ90両程度を保有する敵を相手に勝てるのか、と」
図星だったのだろう。皆の表情が変わるのが、この演台の上から見ていてもよく分かる。
「だが、ここは仮にも要塞だ。400年前とは言え、堅固な城を構えている。ここを陥落せずして敵は前進できない。だから、敵は必ずここにやってくる。そこで、敵の戦力を可能な限りそぐ。残った敵は、アルトシュタットにて援軍と合流して迎え撃つ。その戦いを少しでも有利にするために、ここでは敵を消耗しなければならない」
それまで、戦場とは無縁の中立国国境警備にあたっていた女性兵士らが、いきなり血みどろの現実を見せつけられた。その翌日に、今度は9倍の敵を相手に要塞での攻防戦をやれと言われている。
「簡単な戦いではないことは、承知している。なればこそ、準備に準備を重ねてきたのだ。貴官らの奮闘に期待する」
一斉に敬礼する140名。俺も返礼で応える。いよいよこの要塞始まって以来の激戦が始まろうとしている。
なお、この要塞には爆薬が仕込んであり、いざという時には古城を破壊できるようになっている。これは敵に要衝となりうる建物を渡さないためであり、外に作られた格納庫ともども、爆破できるようにしてある。
元より、この要塞は放棄するつもりだ。敵を消耗した後に後退し、援軍と合流する。
俺の生前の史実ならば、ここで103大隊はあっけなく全滅し、アルトシュタットまで、ものの1日で侵攻されたという。援軍のいないその街では悲惨な光景が……しかし、今はその歴史を知った者がここにおり、その足止めのため作戦を練っている。
あと3日半だ。3日半の間、ここで踏ん張ることができたなら、アルトシュタットに増援が到着し、占拠されることはなかった。この3日余りという短い期間が、国土を失うか否かを決めるのに十分な期間だった。それは、後の歴史研究でわかっていることだ。
この3日半を稼ぐのが、我が103大隊の役目となる。
少なくとも、そのうちの2日間をここで稼げれば……
「今回は、森での待ち伏せはされないのですか?」
俺にそう尋ねるのは、指揮車である2番車両の車長を務めるナタリー・クラウス曹長だ。
「いや、かえって森の中は危険だ。敵に囲まれる恐れがある」
「とはいえ、ここは要塞とは名ばかりの、剣と槍で戦ってた時代のお城ですよ」
「ここでいい。狭い林道から侵入を試みる敵を狙い撃ちするには、この小高い丘の上に立てられた城はかえって都合がいい」
「そうですね、その方が狙いやすい。隊長のいう通りでさぁ」
そう答えたのは、操舵手のウェーバー兵長だ。
「この先、しばらく整備がうけられないであろうことを考えると、不整地走行はなるべく避けた方がよいでしょうね」
そう告げるのは、車長であるクラウス軍曹だ。
ところで、この車両の操舵手の勘はなかなかのものだ。俺も2番車両に乗っていて、この操舵手の操縦に信頼を寄せている。時にわざと横滑りさせて走るものの、それをうまく制御し戦車とは思えないほどの動きをさせることがある。
砲手のシュミット軍曹は、実に冷静に照準を定める。前回の戦いでも、敵の34式の弱点である冷却穴に見事命中させた。しかし、こいつは無口で、ほとんど声を聞いたことがない。
そして、そんな連中を束ねる車長のクラウス曹長だが、こいつがなかなかの度量の持ち主だ。前回の戦いで敵兵を轢いたにも関わらず、全く動じていない。
初陣で、実戦体験が初となる女性兵士の多くが心病んでいる状況で、この2番車両の連中はかえって士気が上がっている。特にこの車長はやばい。
「敵兵が出てきませんかねぇ。何なら今度は、2、30人単位で履帯の下敷きにしてやりますよ。ふっふっふっ……戦闘が、楽しみですねぇ」
初陣で変な快感を覚えてしまった車長に、俺の方が引いてしまう。
が、そこに情報が入る。
『敵兵、まもなく要塞入口に到達します!』
ミュラー兵長からの通信が入る。それを聞いた俺は、無線機から全車両に向けて指示を出す。
「各車、砲撃用意だ。一両でも多くの敵戦車をここで叩く」
俺がそう指示を出した、その時だ。ブラウン大尉が意見具申を求める。
「参謀、意見具申!」
すでに10両の戦車隊は、林道出口に照準を合わせている、この期に及んで何を意見するというのか?
「具申、許可する。なんだ」
「はっ。今一度確認いたしますが、この要塞は放棄なさるおつもりですよね?」
「そうだ。最終的には爆破し、敵の拠点として使えないようにするつもりだ」
それを聞いたブラウン大尉は、微笑みながらこう告げた。
「ならば、せっかくのネルベブルグ城を活かさない手はないのではありませんか?」
◇◇◇
林道を越えた敵は、驚くほどの静けさに迎えられる。
予想された攻撃はなく、それどころか、敵の気配がない。
目の前には、400年前に建てられたという古城が見える、その脇には戦車整備のための追加建屋が見られる。その前には、広い訓練場も広がっている。
が、これほど広い場所に、人気を感じられない。
常識的に考えれば、要塞ならば徹底抗戦するために一斉砲撃を仕掛けてくるものだ。が、それとは真逆の空気が流れている。
「妙だな」
当然、ヴァルハラ共和国軍の司令官は訝しく思う。戦車87両を訓練場と思しき広場に展開しつつ、攻撃態勢をしいたまま周囲を警戒する。
その戦車隊の中に、指揮車を止める。
「明らかに、敵が何かを仕掛けているに違いない。城に向けて砲撃を開始せよ」
指揮官が命じると、34式の20両ほどが一斉に砲撃を開始する。が、400年前とは言え、石造りの建物はなかなかに崩れない。
一方、横に併設された格納建屋には攻撃は行われず、兵員が数十人、派遣されたのみだ。何しろ中はがらんどうで、敵の姿が見当たらない。後々に利用することを考えるならば、わざわざ攻撃して破壊する必要はない。
が、裏に潜んでいるかもしれないと、兵士らを送り込み警戒させる。が、誰一人として見当たらない。
その日の夕刻には、城の中も調べられた。指揮官室には重要書類と思しきものはすべて持ちされていたものの、ベッドも机もそのまま残されていた。
「トラップの可能性は?」
「くまなく調べましたが、壁や柱に爆薬を仕掛けられた形跡はありません。完全に、もぬけの殻です」
「そうか」
普通ならば、これほどの軍事拠点を何事もなく明け渡すなど考えられない。何らかのトラップを仕掛けておいてダメージを与えるのが普通だ。
が、600人以上の兵がいくら調べてもそれらしきものが見当たらない。
考えてみれば、ここは侵攻を前提とした軍事拠点ではない。要塞とはいえ古い城をそのまま使いまわしただけの場所だ。我が電撃戦を前に、仕掛けをする暇もなかったというのが実態なのだろう、と指揮官は考える。
「詳しい捜索は明日にしよう。ともかく、全車両を格納庫や訓練場に集結させ、整備を行わせよ」
指揮官はそう命じると、かつて敵の指揮官が使っていた指揮官室へと入る。
無血開城。前日にあれだけの奇襲を仕掛けた相手にしては、あまりにもあっけない撤退ぶりにあきれ果てるほかない。
どこか引っかかるところはある。が、それを裏付ける何かが見当たらない限りは、心配しても仕方がない。
戦場でのテント暮らしが続いたこの司令官は、指揮官室のベッドに横たわりいつのまにか寝てしまった。
◇◇◇
「敵は、まんまと要塞に入り込んだようです」
「そうか……まさかここまであっさりと入られるとは、舐められたものだな」
俺はブラウン大尉の進言が上手くいったと思うと同時に、こちらがいかになめられていたかを実感し憤りすらも感じていた。
それを、晴らさせてもらう。
ところでこのネルベブルグ要塞というのは、かなり大掛かりな改造が加えられている。元々、このネルベブルグ城の前には堀が掘られており、昔は敵対関係にあったエテルニア王国からの侵攻を阻む一大拠点であった。
が、時代は変わり、堀の上には鉄板を載せ、その上から土を盛られ訓練場とされた。
このため、訓練場の地下には堀の名残である巨大な空洞がある。ここは夏でも涼しく、砲弾や火薬の備蓄に向いていたため、多量の火薬類が蓄えられていた。
また、ネルベブルグ城自体にも巨大な隠し地下通路があって、その訓練場地下ともつながっている。
この地下の存在は、やってきたばかりの敵軍にはまだ、ばれてはいない。
「こいつを今夜、爆破する」
今、その地下にはぎっしりと硝酸アンモニウムが詰め込まれている。こいつに引火すれば、城と訓練場を吹き飛ばすことができる。
残念ながら、格納庫に仕掛けた爆薬類は見つかってしまったようで、すべて撤去されたようだ。が、城と訓練場を破壊するだけでも敵はかなりのダメージを受けるはずだ。
何せ訓練場の上には、70両近い敵戦車が並べられている。残りの20両ほどは、格納庫内にて整備中だ。
問題は、その点火線が、要塞敷地内近くにあるということだ。敵に見つからぬよう、埋めてある。が、そこにたどり着き、点火せねばならない。
「ではアイゼマン曹長、任せたぞ」
「任されましたよ、隊長。では、行ってまいります」
カタリーナ・アイゼマン曹長はこの手の工作行動が得意な兵士だ。地雷原を設置したのも彼女が指揮する10人の工作兵であり、今回の爆破任務も彼女らが請け負ってくれた。
大勢の見張りもいる中、たった10人で突入させるのは忍びないが、やむを得ない。彼女らの奮闘に、期待するしかない。
アイゼマン曹長を送り出して10分後、突然、地響きのような音が鳴り響く。
と同時に、我々が要塞と呼んできた数々の建物が、崩れていく。
400年前の優雅な石造りの城が、煙を上げながら崩れていく。と同時に、その向こうの訓練場からも煙が上がるのが見える。
これは硝酸アンモニウムが、予定通り炸裂したことを示す。
「やりましたね」
敵に大打撃を与えることができたことは確実だ。アイゼマン曹長らはうまくやった。
が、問題はその先だ。
「アイゼマン曹長らを回収し次第、直ちにアルトシュタット方面に向かう」
俺はそうブラウン大尉に告げる。大尉は手を振り上げ、後方に控える部隊にその旨を指示する。
まずは歩兵だ。すっかり日が沈んだ後のこの夜陰に紛れて、後方の軍事拠点に引く。そこで増援と合流し、敵の攻勢に対抗し、押し返す。
半数は叩けたと思う。が、それでも40両ほどの敵が残っていると考えるのが妥当だろう。その前提で、俺は撤退戦を考える。
にしても、遅い。アイゼマン曹長らは何をしているのか。が、しばらくすると、アイゼマン曹長の姿が現れる。
が、見るからに血まみれだ。肩や腰から流れる血を押さえつつ、ふらふらと走る曹長を見つつ、俺は小銃を構える。
「追っ手が来る、援護するぞ!」
案の定、その後ろから数名の兵士が現れる。ヴァルハラ共和国兵の服だと分かったため、一斉に奴らへ小銃を放つ。
たどり着いたアイゼマン曹長が、俺に報告する。
「工作兵は私を除き、全員死亡。直ちに、後退を」
そう報告したアイゼマン曹長を抱きかかえると、彼女は気絶する。
「全力で撤退だ!」
俺は曹長を抱えたまま、2番車両に走る。俺が乗り込むと、車長のクラウス曹長が叫ぶ。
「全速後退!」
暗がりの森の中、撤退戦が始まった。わらわらと現れる敵の兵士、しかしまだ敵は戦車を出してこない。
出せない、というのが正しかもしれない。34式は始動に時間がかかる。おまけにあれだけの混乱を与えた後だ。動ける車両を探すのに手間取っているだろう。
とはいえ、対戦車兵器を持つ敵兵相手にまともにやり合っていたら、こちらも無視できないほどの損害を被ることになる。
俺はアイゼマン曹長を抱えたまま、砲塔に取り付けられた機銃を放つ。近寄る敵兵士が、俺の放った弾を浴びてバタバタと倒れる。
が、ここからが本当の撤退戦の始まりだ。緊張とともに命の応酬の続く長い夜が、ここから始まった。