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#4 記憶

 俺には、前世の「記憶」がある。

 いやそれは、正確には「未来の記憶」とでもいうべきだろうか。


 遠い昔、というのも変な言い方だが、机の上に広げた書籍を眺める場面が、うっすらと思い浮かぶ。そこには、隣国のヴァルハラ共和国と我がアーカディア帝国との戦争の歴史が書かれていた。

 その書籍には、ヴァルハラ共和国とアーカディア帝国との戦いのことが、かなり詳しく描かれている。どうしてそんな本を読んでいるのか、よほど戦いの歴史にはまっていたのか、それを専攻する学生か研究家だったのか、今となっては分からない。だいたい、その時の自分の名前すら思い出せないほどだ。

 が、なぜか戦いの詳細だけは異様なまでに思い出せる。アウグスタス線と呼ばれるこの両国の国境間を隔てる塹壕や要塞群での攻防戦、そこで行われた死闘の数々を歴史書で知る。それを見て、悔しい感情が込み上げていることまでは覚えている。

 実は俺が彼女らに語った「エルダーバッハの森の戦い」だが、あれは本来、我々が惨敗する運命だった戦いだ。

 その歴史を知っていたがゆえの、あの無茶な突撃命令だ。そこに敵の指揮官が無防備にも現れることが、その分厚い歴史書には書かれていた。

 そのことを知らなければ、俺があの場で突撃など命じるはずがない。まさに、知識による勝利だった。


 そして、俺の持つ「記憶」とやらは、その先のことも知っている。

 今日は標準歴1145年、我が帝国歴では234年の3月3日だ。今からおよそ5か月後に、ヴァルハラ共和国の連中は、中立を宣言していたエテルニア王国へ一方的に宣戦を布告した上で侵攻を開始し、わずか2週間ほどで我がアーカディア帝国の国境まで達する。

 そう、ちょうどこの、ネルベブルグ要塞付近までやってくるのだ。


 俺がそんな場所に送り出されたのも、何かの運命なのだろう。そう思っている。

 が、その運命とやらは、あまりにも残酷すぎる。なにせ配属された先は、あの103大隊。戦車10両に、女性兵士のみの部隊だ。

 本来、大隊とは戦車30両程度の部隊を指す。が、戦車登場時点では10両で一大隊だった。ヴァルハラ共和国との戦いが本格化する前の「大隊」規模、今ならば中隊と呼ぶべき数の戦車と兵士だけで、これから歴史的な共和国の侵攻作戦を迎え撃つ羽目になる。


 なお、俺が知っている史実では、このネルベブルグ要塞はあっという間に陥落し、我がアーカディア帝国は国土の3分の1を奪われることとなる。その敗戦により帝政は崩壊し、共和制へと移行するきっかけとなる。

 それが、俺の知る「歴史」だ。

 しかし、ここにいるということは、その歴史を修正せよということなのか? まさにあの「エルダーバッハの森の戦い」のように。

 エルダーバッハの戦いでも、本来なら中隊が一つ、全滅することになっていた。紛れもなく、俺が率いていた中隊だ。だが、その結末と、敵の指揮官が前線に赴いていたことを知っていた俺は、その歴史を塗り替えた。

 俺は悟った。今、俺がこの時代にいる理由は、我が帝国の惨敗を食い止めよ、ということなのだと。

 それゆえに俺は、一見すると戦場からはほど遠い配置転換がなされたのだと考えている。上官にも尋ねたが、どうして俺が選ばれたのか、その理由については知らないという。

 総司令部、いやゾルターブルグ公爵夫人の気まぐれ、そういうことにされた。

 だが、俺にとっては必然だったのだろう。


 ただひとつ、困った事がある。それは回された部隊が、女だらけだということだ。

 女だからダメだというつもりはない。が、体力的、機動力的に劣るのは、生物学上致し方ないことだ。

 現に、先の訓練戦闘においても、やはり俺が思う以上に歩兵の速力が遅い。

 ただ、俺が考えていた以上に、ここの兵士は持久力がある。あの戦闘で、対戦車用煙幕弾を抱えたまま、訓練場のほぼ端から端まで走りぬいた上に後退もほぼ全力で走りぬいた。

 思った以上に、使える兵士だ。相当訓練を続けてきたことは、容易に想像できる。

 が、何もかもが、教科書通り過ぎる。


「ノルトハイム大佐、そろそろお時間です」


 俺が書類に目を通しながら考え事をしていたら、ブラウン大尉がドアをノックし、俺を呼びに来た。そうか、もう昼だったか。

 とにかく、ここの連中がどんなやつらなのか、よく分かっていない。兵士らの履歴書に目を通すが、やはりこれだけではどれだけ「使える」人材なのかは分かるはずもない。

 現地に足を運び、実際に彼女らが動いているのを見てみないことには、その実力を推し量ることはできない。


「ノルトハイム大佐殿に、敬礼!」


 ブラウン大尉の号令とともに、演台の上に立つ俺に向かって一斉に敬礼する、総勢120名の103大隊全員が集結していた。

 その後方にも、整備士の姿が見える。その数、20名。これもまた、女だらけだ。総勢で140名の女性集団、それを前にする、たった一人の男。


「諸君らの戦いぶりを、たまたまではあるが昨日、見させてもらった」


 俺は開口一発、こう言ってのける。


「確かによく訓練されていることは実感した。が、教科書の基本に忠実過ぎる。それでは、敵に行動を読まれてしまう。だから諸君がすべきことはまず、敵の裏をかき、勝利するための訓練だ」


 それを聞いて、不安げな表情を浮かべる。何をやらされるのかと思っているのだろうな。だから俺は、こう言ってのける。


「なあに、簡単なことだ。森の中を、走る。ひたすら走る。ただ、それだけだ」


 俺のこの一言に、ブラウン大尉がこう反論する。


「森の中の不整地行軍訓練も、我々は十分にやってのけております」

「それは基本中の基本だからな。だが、俺が言っているのは、その不整地を行軍するのではない。走れ、と言っている」

「行軍と走るのとでは、どう違うのですか?」

「やれば、すぐに分かる」


 皆、きょとんとした顔つきで俺と参謀との会話に聞き入っている。


「手始めに半日、まずはやってみろ。それがどれほどのことか、身に染みて分かるはずだ。全員、小銃を抱えたまま走れ。戦車乗員も、例外ではない。戦車がやられた場合は、歩兵として戦うことになるのだからな」


 ともかく、彼女らは疑問を抱きながら、各々、小銃を手に持ちぞろぞろとこの倉庫を出る。俺も銃を取り、彼女らの後についていく。


「大佐」


 そんな俺を、ブラウン大尉が呼び止める。


「なんだ」

「まさかとは思うのですが、大佐も訓練に参加されるので?」

「当たり前だ。俺はここの指揮官だぞ。自らができない訓練を部下に強要して、何をしろというのだ」


 指揮官自身が訓練に参加することに、この大尉は何やら違和感を覚えたようだ。だが、戦場では指揮官も一兵卒も関係ない。いくら指揮官でも弾が当たれば死ぬし、体力がなくては前線での指揮はつとまらない。

 で、森に入った途端、恐る恐る走り始める兵士たち、その間を、俺は全力で駆け抜ける。


「おい、何をやっている! 走るとはこういうことだ!」


 森というところは、まばらな木々の間につる草で覆われた凸凹な地面があちらこちらにある。勢いよく走れば、当然転ぶ。俺自身、この訓練を始めてやったときは何度も転んだ。

 元をただせば、この訓練方法は俺の発案ではない。かつて俺の上官だった人物が率先して行った訓練だ。しかし、これのおかげで俺は生き残れたようなものだ。だから、同じことを彼女らに強要する。

 やはりというか、走り始めるとあちらこちらで転ぶ姿を目にすることになる。


「ほ……本当に、この訓練、必要なのですか?」


 たった3時間の訓練で、参加した120名の多くが疲弊する。転んで怪我をした者、挙句に骨折する者まで出た。


「戦車ならば、あの程度の不整地は難なく走り抜けるからな。随伴する兵士も追従せねば、敵に奇襲を仕掛けることはできない」

「お、おっしゃる通りです。が、しかし……」

「まさか女だから、そのような訓練は不要だと、そう言いたいのか?」

「い、いえ、ここは激戦のアウグスタス線から遠く離れた地です。こ、これほどの訓練が必要なのか、と」

「必要だから、やっている。戦場は常にアウグスタス線だと思わないことだ」

「は、はぁ」


 さすがのブラウン大尉も音を上げるほどの訓練だった。骨折者まで出したのは、少し性急すぎた。だが、5か月しかない。5か月後にここが戦場と化した時、今の彼女らでは骨折どころでは済まない。


 それから、来る日も来る日も、不整地疾走の訓練を続ける。3日ほどは、それこそ夕食時には口がきけないほどの疲労に襲われる日々が続いた。が、人というものは試練を受け続けると慣れるものだ。4日目には、少し明るい雰囲気が出始めてきた。

 ひと月もすると、骨折者を除く117名が森の中を縦横無尽に駆け巡れるほどになる。このネルベブルグ要塞周辺の森ならば、整地とほぼ同じくらいの行軍速度を出せるまでになる。


「驚きました。まさか、ここまでの部隊に仕上げてしまうとは」


 ブラウン大尉が感心するが、むしろ驚いたのは俺の方だ。たったひと月で、まさかここまでの成長を見せるとは、俺の予想を超えている。


「ともかくだ。これなら、敵がどれほどの大軍であっても森に潜んで奇襲、一撃離脱できる程度には十分な戦力にはなるな」

「はっ!」

「もっとも、単にこのあたりの地形に慣れただけだ。ここを離れれば、さすがにこう上手くは振る舞えないだろうがな」


 我が隊員は、この森のどのあたりにくぼみや枯れ木の切り株といった障害物があり、それらを避けて最短で走り抜けるルートを描けるようになっただけだ。違う森に行けば、そんな記憶頼みな技能など、何の役にも立たない。

 が、もうひと月、これをやり続けたら、不思議なことが起きる。

 それは、ネルベブルグ要塞からやや離れた内地の森へ出向いての訓練を行った時に発揮される。


「ついてきてるな。地図上ではそろそろ街道に出る」


 2時間近く走り続け、やがて本を抜けて街道に出る。1人の脱落者もなく、117人が揃う。

 初日に骨折した3人はようやく怪我が治り、いずれもネルベブルグ要塞周辺での訓練を始めたところだ。ふた月もの練度の差を埋めるべく、ブラウン大尉の元、訓練をしているところだ。


「隊長、初めての森でしたが、なぜか草や枯れ葉で隠された地形が分かるんです。なぜなのでしょうか?」

「それを、俺に聞かれても答えられない。が、それだけ貴官らの感性が鍛えられてきたということだ」


 そう、理屈では到底説明できないが、なぜか先の地形が読めてしまうのだ。それが、この訓練の恐ろしいところでもある。

 俺がここにきてからの2か月間は、こうして過ぎた。

 それからはただひたすら、戦車を使う。


「1番、3番、前進し第7標的を撃て。当たらずともいい、一撃離脱で、撃った直後に後退せよ」


 ただ、俺は戦車でも奇襲を前提とする戦いぶりを要求する。この部隊の性格上、これは仕方がない。いずれこの10両の大隊で、敵の大軍と戦わねばならない。自ずと、奇襲に頼らざるを得ないだろう。

 それまで、あと3か月だ。長いようで短い。その間に俺は、新兵同然なここの連中を鍛える。自らの民族こそ優れた思想を体現した人種と称し、それ以外の民族を躊躇なく殺戮し続けるあの天国(ヴァルハラ)共和国と名乗る残虐非道な連中と張り合えるだけの、それだけ力をつけさせねばならない。

 果たして俺は、それがなせるのだろうか? 史実通り、彼女らもろとも全滅させられる運命が、待っているだけなのだろうか?

 一人ぽつんと、ただ広い浴場の湯船につかりながら、俺はそう考えをめぐらせていた。

 ところで、このネルベブルグ要塞には浴場が一つしかない。まさか俺が女性兵士と一緒に入るわけには行かないから、時間を決めて交代で使う。

 男は俺一人、だから部隊の皆が入った後、最後に俺が浴場を使う。50人はさばけるこの広い浴場を、たった一人で独占する。

 燃料費がもったいないから、追い焚きをしないよう通達している。やや温めの、汗臭さの残る広い浴場だが、俺がこの先何をすべきかをゆったりと考える場としては、かえって良い場所だ。

 考えにふける俺だが、いきなり、浴場の入り口が開く音がする。掃除当番が、時間を間違えて入ってきたか? 振り返ると、そこにいたのはなんとブラウン大尉だった。

 大尉は全裸のまま、敬礼して俺にこう告げる。


「二人きりで、話したいことがあります」


 訓練で、手足や腹のあたりにあちこちかすり傷が見える。が、その上には刺激的な膨らみが……さほど大きいとは言えないものだが、予告もなしに見せつけられると、男はどうしても本能的な反応が起きてしまう。


「な、なんだ、話とは! そういうのは指揮官室でもよかったのではないか!?」


 目を逸らしつつ、俺は答える。が、ブラウン大尉は構わずこう答える。


「いえ、他の兵に聞かれては困ります。ここならば、安全かと。お隣、よろしいでしょうか?」


 俺は後ろ向きのまま、うなずく。汲んだ湯でその身体を流したあと、俺のすぐ脇に入ってきた。

 しかし、話とはなんだ? まさか……男女が全裸で並び座り語ることなど、通常ならば一つしかあるまい。しかしだ、ブラウン大尉が俺に好意を寄せる理由など見当たらないし……などと卑猥な考えを巡らせる俺を前に、この大尉は全く予想外のことを尋ねてきた。


「ノルトハイム大佐。あなたはこの平穏なネルベブルグ要塞がいずれ戦場になると、その事実を知り我々にあのような訓練をされていると、そのように小官は愚考いたしました。いかがですか?」

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