#3 交流
数時間かけて前線からこの中立国との国境近くにやってきたかと思えば、模擬戦闘に巻き込まれた。こちらも疲れたな。皆が引き揚げるのを見届けると、古城の中の指揮官室へと向かう。
「明日の昼12時に、俺の就任に合わせて集会を行う。それまでは各自、休憩をとれ」
「朝から、ではないのですか?」
「敵が来るわけでもない。それに、あのイレギュラーな戦闘訓練の後だ。午前中は休みとする。第一、俺自身が疲れた」
「はっ、承知いたしました。ところで、大佐殿」
「なんだ」
「食事の後、誰か一人、控えさせたほうがよろしいでしょうか?」
何やら急に、意味不明なことを言い出したぞ、この参謀は。
「なんだ、この部隊は夜に何か、会議をするような慣わしでもあるのか?」
「いえ、そういうわけではありませんが……」
妙にズバズバと発言する参謀にしては、はっきりした物言いをしない。俺はさらに突っ込む。
「言いたいことがあるのならば、はっきり言ったらどうなんだ」
この言葉にほだされ、ようやくブラウン大尉は言葉を引き出す。
「その、大佐は男性でいらっしゃいます。そして、ここにいるのは女ばかり。もしも夜のお供をと願われるのでしたら、皆に代わり、私がお相手をいたします」
ああ、そういうことか。つまりこの古城仕立ての要塞では、貴族どもがやってきては何か卑猥な要求を突き付けてきたのだろう。その盾役として、参謀自身が名乗り出たというわけか。
「ブラウン大尉、俺がここに来た理由がなにか、分かるか?」
「我が103大隊を、前線でも通用する部隊に変えるため、と聞いております」
「そうだ。その任務遂行のために、その夜のお供とやらは必要か?」
「い、いえ、必要性はございません」
「俺は不要なことはしない主義だ。部隊の全員にも、そのことを周知させておくように」
「はっ!」
そう告げると、ブラウン大尉は俺に敬礼する。なんとなくだが、この参謀はこれまで何かと矢面に立たされ、苦労を一身に引き受けてきたと見える。俺も返礼で応え、指揮官室に入った。
そこは2つにわかれた部屋で、一方には執務用の机と椅子、書類が積まれており、そしてその奥にはベッドのある寝室が供えられていた。指揮官たるもの、いざ敵の接近を知れば軍務にかかることとなる。それゆえに、生活と軍務の場所が同じとされていた。
「そうだ、ブラウン大尉」
「はっ、なんでしょうか」
「夕食だが、俺も貴官らと同じ食堂で摂ることとする」
「いえ、そのようなことをなさらずとも、食事はこのお部屋まで運ばせますので」
「いや、俺は前線でも兵士らと食事を共にしてきた。前線と戦う兵士らと同じものを食べ、同じ戦場へ向かわねば、戦には勝てない。それが、俺の信念だ」
と、いうことで、俺は荷物を置くと、大尉とともにすぐさまこの古城の最下層にあるという食堂へと向かった。俺が入ってくるなり、食事を摂っていた女性兵士らは突然立ち上がって、一斉に直立、敬礼する。
「あー……食事を摂りに来ただけだ。今は軍務中ではない。敬礼は不要、皆、いつも通り過ごすように」
といったところで、いきなり新任の、それも男の指揮官が現れたのだ。いつも通りに過ごせるわけがない。遠慮がちに、小声で会話をしつつ食事を続ける。
そんな彼女らを前に、俺はこう言い放った。
「そうだ、俺のエルダーバッハの森の戦いを、聞きたいいやつはいるか?」
スープを一口、口にしたそのスプーンを振りながら放ったこの言葉には、何人かが食いついた。
「あの『エルダーバッハの奇跡』と呼ばれる戦いでありますか!?」
「ぜひ、お聞きしたいです!」
急に兵士たちの目の色が変わってきた。そう、あれは3倍の敵の侵攻を食い止め、やつらを撤退させたという戦いだ。
そして、その時の指揮官は、俺だった。
第501中隊には、10両の戦車と200人の歩兵。このわずかな兵力で、35両の敵主力戦車、丁型34式戦車と600人以上の敵兵の侵攻を食い止めよ、という司令部からの命を受けていた。
が、いくら守りに徹するとはいえ、敵は最新型の34式だ。90ツェント・ラーベという大型砲を持つ戦車に、当時の最新式とはいえこちらの4式2型が正面からぶつかれば、勝ち目はない。
「……で、俺は考えた。その場所は、30両以上を抱える敵が通るには細い森の中の一本道。その木々の間に隠れて敵を攻撃し、後退する。少しづつ消耗させていけば、何とかなるんじゃないかと」
「ですが、敵はなかなか後退するどころか、進軍速度を上げてきたと、そのように聞いてますが」
「そうだ、その通りだ。俺は頭を抱えたよ。司令部のお偉いさまがベッドから逃げる身支度をする時間稼ぎにもならないなんて、なんて凡庸な指揮官だと」
それを聞いて、どっと笑い声が上がる。今となっては笑い話だが、あの時は本当に死に物狂いだった。
◇◇◇
「ノルトハイム少佐! 1両、撃破されました!」
2度目の待ち伏せ戦で、たった10両の内の、貴重な1両を失う。いくらなんでも早すぎだ。俺は双眼鏡を握る。被弾し煙をを噴く4式戦車に、さらに2発が命中。炎上する。
「やむを得ん、さらに後退する。この先は集結用の広場がある、その手前で迎え撃つことにするぞ」
そう命じて、残りの9両を後退させる。対戦車用の爆雷を抱える兵士たちも、一斉に森の木々の中を走る。
が、敵が思いの外、速い。あまりの速さに、集結場所である広場を通り越して、その奥まで引いてしまった。敵はその広場を活かし、30両以上の最新式戦車を集めた。
木々の陰から、俺は双眼鏡でその様子を眺める。敵は一旦、そこに集結して一気に攻勢に出るつもりだ。おそらくは、木々の陰で潜んでいる我々を想定して、帯域砲撃や火炎放射などを仕掛けるに違いない。
まずいな……このまま潜んでいたら、数で劣る我々はあっという間にやられてしまう。敵を見ると、戦車はほぼ全車両、集結しつつある。が、歩兵はまだ4分の1ほどしか集まっていない。よほど急いで前進し、足の遅い兵員らが置いてきぼりを食らってしまったようだ。
それを見た俺は、好機だと考えた。
「中尉、敵戦車のもっとも密集する位置はどこか?」
突如、俺が投げかけた質問に、参謀役の中尉は答える。
「前方、やや右方向。8両の戦車が密集しております」
双眼鏡を見ると、確かにあそこだけ、やけに戦車が集まっている。俺はそれを見て、参謀長に告げた。
「中尉、敵のあの分厚い戦車陣へ、総攻撃を加えるぞ」
それを聞いた中尉は、もちろん反論する。
「我らはたった9両ですよ!? あそこだけで8両、その周囲には20両以上の敵戦車がいます! そんなところに飛び込めば、袋叩きにされます!」
「飛び込まずとも、このまま敵が集結すればそこで袋叩きだ。ならば一か八か、敵の混乱を誘うしかあるまい」
しばらく言葉を失う中尉だが、俺の意に従い、突入することとした。
「全車、突撃用意!」
残った9両の戦車隊、その後ろに随伴する歩兵200。俺は無線機片手に右手を挙げ、やがて振り下ろす。
「全車両、かかれっ!」
◇◇◇
「……で、驚いたのは敵の方だった。なにせ、35両もの戦車が集まる広場に、たった9両の戦車隊が突撃してきたんだ。敵も臨戦態勢だったとはいえ、意表を突かれた。一斉に放たれた我が隊の砲弾は、あっという間にその8両を火だるまに変えた」
「えっ、敵の34式といえば、神話の大神の雷でも貫けないと言われるほどの装甲を有しているという噂があるほどなのに、それが火を噴いたというのですか!?」
「たまたまだが、後方の3両が給油作業をしていたらしい。そこに我々の9両の集中砲火を受けて、燃料に火が付いた。たちまちにしてその場は火の海と化し、大混乱に陥ったというわけだ」
「とはいえ、まだ20両以上の敵がいたんですよね! ど、どうなされたのですか!?」
「まさか左右に広く展開している20両を、まっとうに相手にするわけにはいくまい。その場は随伴歩兵の対戦車用爆雷を投げつけて、後退することにした。が、ここで俺は、とんでもないものを見つけた」
「とんでもないもの、とは?」
特に横にいるブラウン大尉が、目を輝かせて食いついてきた。そんなに俺の話は面白いのか? まあいい、少し俺は自慢げにしゃべり続けた。
「カーキ色の幌をつけた、一両の車両だ。敵方であの車両といえば、それはすなわち指揮官の乗る指揮車ということになる。本来であれば後方にいるはずのその車両が、燃料による火災を逃れるために、その広場の真ん中に出てきたというわけだ」
「もしや、それを見逃さなかったと」
「そりゃあそうだろう。敵の指揮官を殺れば、敵の統率が乱れる。しけたソーセージばかりかと思ったら、そこにシャトーブリアンが転がってきた。貴官らも、そんな美味しい料理を逃すわけがないだろう?」
再び、笑い声が上がる。が、その時は本当に偶然で、運がよかったとしか言いようがない。いや、偶然ではあるが、その偶然を俺は承知しており……ともかく俺は当然、指揮車への砲撃を命じる。
「で、我が戦車隊の砲によって、装甲板すら持たない指揮車はあっという間に吹っ飛んだ。それを見た我々は、悠々と後退した。もう勝敗は決した、あとは後退しつつ、統制の乱れた敵を各個に撃破するだけだ、と」
などと面白おかしく語るが、実際はそんな甘いものではない。指揮官を失いつつも、態勢を立て直しつつ敵の20両が一斉に砲撃を加えてきた。
◇◇◇
200人ほどの歩兵も、銃撃を加えてきた。我々は大急ぎで再び森の奥へと後退する。木々の間を走りながら、参謀役の中尉が叫ぶ。
「ノルトハイム少佐!」
走りながら叫ぶ中尉に、俺は答える。
「なんだ!」
「少佐の腕から、血が!」
ふと見ると、俺の右腕が血まみれになっていた。不思議と、痛みは感じない。試しに動かしてみるが、肩に若干の痛みを感じるものの、これだけ自在に動かせるならばたいした傷ではなさそうだ。が、見た目は酷いものだ。右腕が真っ赤に染まる。
が、そこで俺はふと思い出した。血まみれになりながらも、味方を鼓舞したある将軍の話をふと思い出した。それに倣い、俺は立ち止まってこう叫んだ。
「俺の右腕が、お前らの分まで敵の弾を引き受けてやったぞ! これで勝利は確実だ!」
真っ赤な右腕を掲げて叫ぶこの異様な指揮官に、なぜか奴らは鼓舞された。その後は、統制の失った敵を迎え撃っては、次々に消耗を加えていった。
やがて、指揮官を失った敵兵は引き上げていく。残った戦車は14両。我が方は8両。数の上では敵の方が上だったが、敵にはもはやこれ以上の攻撃続行を指示する指揮官もおらず、後退するしかなかった。
◇◇◇
「と、いうことで、敵は尻尾を巻いて逃げていった。俺の見事なまでの作戦勝ち、というわけだ」
「そうですよね、そのおかげで今、大佐にまで昇進成されたのですから」
一瞬、皮肉を言われたようにも感じたが、目を輝かせてそう語るブラウン大尉は尊敬のまなざしだ。ちょっと、調子に乗り過ぎたな。
が、ここで俺はすこし、口調を変える。
「エルダーバッハの森の戦いでは、我々は多数の敵に勝利した。が、勝利はしたが、戦車は2両、兵員も30人、失うこととなった」
急に現実に引き戻されるような口調に、一同がしーんと静まり返る。当然だが、勝っても負けても、死者は出る。無論、負傷者も出た。片腕や片足を吹き飛ばされた兵士らも、何人も出た。その現実を俺は、包み隠さず語る。
「たとえ奇跡と言われた戦いでも、戦争である以上、誰かが死ぬし負傷者も出る。なればこそだ。指揮官が一人、この食堂にいるからと言って遠慮などする必要などない。いずれは戦場で命を散らすことになるかもしれないのだ。そう思えば、今やりたいこと、語りたいことを語るべきだろう。それが今、貴官らがすべきことだ」
「「はっ!」」
と、俺のこの一言で、皆の顔が和らいだ。それから徐々に、食堂の中がにぎわってきた。
「さすがですね、大佐」
やや冷めたスープを飲みながら、正面に座るブラウン大尉がそう語る。
「何がだ?」
「いえ、確かに大佐は戦場で戦われ、大勢の部下を失いつつも、彼らを想い慕ってきた。これまでの指揮官とは違う人だと、今の話で彼女らは悟ったはずです。思惑通りではないのですか?」
「そこまでは考えていない。俺はただ、命ある限りは楽しめと、そう言ったに過ぎない」
「そうでしょうか? しかしまあ、いずれにしてもこのネルベブルグ要塞が戦場になるとは到底、考えられませんが」
ソーセージを口にしながら、参謀のブラウン大尉がそう語る。それを聞きながら、俺は冷めたスープを飲み干した。
「では、部屋に戻る。明日の昼、就任のあいさつでまた会おう」
俺はそう、ブラウン大尉にそう告げると、大尉は立ち上がり敬礼する。返礼で答えつつ、俺は食堂を後にする。
が、先ほどのブラウン大尉の言葉を思い返しながら、俺は思いを巡らす。
大尉よ、残念ながらここは近いうちに、戦場となる。それも、かつてないほどの地獄の戦場に、だ。
なぜか俺には、その未来が見えている。
来るべき戦いの前に、俺は彼女らを「兵士」として鍛え上げなければならない。そう思いながら俺は、指揮官室へと戻っていった。