#15 誤算
「いいか、慎重に進め」
先頭の2番車に乗り込んだ俺は、操舵手のウェーバー兵長に命じる。
「こんな道、なんてことありませんぜ」
「お前はそうでも、後ろがついてこれないだろう。無難な道を後続に知らせながら進むんだ」
「ちっ、あたいの運転技が活かせねえなんて、ストレスが溜まるぜ」
いよいよ、我々は裏ルートというところに入る。断崖絶壁にあるわずかな出っ張りを平坦に削って作られた道のようで、ところどころ幅の狭い部分がある。
そんな不安定な道を、重さ25グロスの戦車が進むのである。32グロスの34式よりも軽い戦車とはいえ、今にも崩れそうな脆い通路に、内心ビクビクしながら進む。
よくこんな道を、34式で通ろうと思ったものだ。その時の敵の指揮官の肝っ玉の太さに感心する。
断崖絶壁の下は、およそ200ラーベ下まで地面はない。ちょっとでも外れたならば、たとえ頑丈な4式といえどばらばらに砕け散り、中の乗員は落下の衝撃で、もれなく轢死する。
そんな道を10両の戦車が慎重に進む。
が、まずいことになった。
「なんか、視界が悪いっすね」
そうだ。霧が出始めた。視界はおよそ100ラーベといったところか。
まだ3000ラーベも進まなきゃならないんだぞ。こんな視界の悪いところを、神経をすり減らしながら進めというのか?
イライラが募るが、引き返すわけにもいかない。ともかく10両はゆっくりと前進を続ける。
「大佐、8番車が!」
と、突然、ガラガラと音を立ててがけが崩れる音がする。側面に「8」の数字が書かれた4式戦車が、正にその崩れたがけに引きずり込まれようとしていた。が、全速でその場を乗り切り、どうにか落下を免れる。
しかし、その後ろに続く9番車、10番車が止まる。崩れて狭まった道を前に、途方に暮れている。
が、俺はこう指示する。
「全速で駆け抜けろ! 勢いさえあれば、乗り越えられる幅だ!」
一部崩れた崖の部分を、全速で抜けろと命じる。が、こちらも前進を続け、その2両の戦車の姿が霧で見えなくなる。
ああは命じたが、大丈夫だろうか。しかし10両がそろわなくてはこの先の戦いなどおぼつかない。強引だが、あそこを突破してもらわなくては困る。
しばらく経っても、その2両の姿は現れない。まだ戸惑っているのか、それとも崖の下に落ちたのか。おれは後方の白い霧の向こうを眺めつつ、焦りを募らせる。
が、やがて2両が姿を現す。どうやら、勢いで乗り切ったようだ。俺は胸をなでおろす。が、これではっきりしたことが、一つある。
ここを引き返すことは、もう不可能だな。さすがにさっきの道を10両が通り過ぎれば、途中でさらに崩れることになる。横断不可となることは、間違いない。
片道の行軍となってしまったその山道を、ひたすら、じわじわと進む。
「よし、全車停止。しばらく、休憩とする」
ちょうど中間地点となる場所で、俺は全車に停止を命じる。少し休憩を取らないと、この先が持たない。
時計を見ると、10時を指していた。あと2時間後には、味方が峡谷のど真ん中を抜けて敵陣に攻め込む。それに呼応して、我が隊は敵の弾薬庫と燃料タンクを破壊、混乱をあおる。
タイミングが重要な作戦だ。ちょっとでもずれれば、我々は袋叩きにあうか、あるいは味方は峡谷の出口で各個撃破される羽目になる。
航空隊の支援要請も出してある。エテルニア王国内の空港から、ブリッツクレーヘ攻撃機隊20機が飛び立ち、峡谷の間を通り抜けて敵戦車隊を攻撃することになっている。一方の敵はといえば、例のオーディン攻撃機が入り込むには狭すぎる場所だ。速度が劣るブリッツクレーヘだが、その低性能がこの際は有利に働く。
しかし、いずれもタイミングだ。ぴったりと、ほぼ同時に敵に攻撃を仕掛けてこそ勝利が得られる。
「にしても、のどかな場所ですね」
そんな大決戦を前に、能天気なことを口走るやつがいる。それは意外にも、ブラウン大尉だ。
「だが、この先は地獄の戦場だぞ」
「その通りです。が、今は休憩中です。そんなことは、忘れましょう」
といいながら、大尉は俺のすぐ脇に座ってくる。
「なあ……ちょっと、近すぎないか?」
「仕方がありません。この4式の砲台は2人が座るには狭すぎるのです」
「いや、自身の席があるだろう」
「せっかくですから、崖の向こうを見たいのですよ。こんな光景、我が帝国内ではそうそう見られるものではありませんから」
そういいつつ、俺の右腕にぴったりと寄り添いながら、その高い崖の向こう側をじーっと眺めるブラウン大尉。その横顔は、これから戦いに臨む者の表情とは思えない。
すこし笑みを浮かべつつ、赤い頬を見せる。南方の砂漠地帯が出身だと言っていたが、やや褐色の肌に、黒い瞳。そして長いまつ毛に、つるんとした丸い顎。
美人とはいえないが、どことなく愛嬌と愛くるしさがある。特に、その下にあるものを知る俺としては……いや、余計なことを考えるのはやめよう。
「こうしてみると、戦場にいるとは思えませんね」
「当然だ。戦場まではあと1800ラーベ先にある」
「いえ、そうではなくてですね。異国の果てまではるばるやってきて、こうしてのどかな気分でいられるなんて、そして人のぬくもりを感じながら霧と岩石が醸し出す荘厳な風景を眺められるなんて、幸せだなぁと思いまして」
なにやらこの大尉は、時折風呂場に現れては垣間見せるあの表情を、俺に向けてくる。が、すぐ向こうには、30両以上の34式と600を越える兵士が待っているというのに、何と気の抜けたことを口にするのか、この参謀は。
「あのなぁ、戦争はまだ終わってないんだぞ。そんな気合のないことでどうする!?」
「大佐、おっしゃる通りです。が、この先、私もあなたも死ぬかもしれないのですよ。であれば、今のこの穏やかで幸せな気分を、少しは堪能すべきではありませんか?」
といって、大尉は再び緩んだ表情を見せる。その顔を眺めることは、俺にとっては決して嫌なことではない。だが、どうしても俺はこの先に待っている敵のことで頭がいっぱいだ。
「総員、行軍を再開する! 戦車、前進!」
それから数分後に、俺は再び号令をかける。号令と同時に、ブラウン大尉は俺の片腕としての役目を思い出したかのように、地図を片手にしてこう告げる。
「この先は、下り坂になります。そこを抜けた先にミュラー兵長とシュナイダー軍曹が待機しております」
「そこから、彼女らに道案内を頼むということだな」
「後方にいる1番車に彼女らを乗せた後、森へと入り込み、弾薬庫と燃料タンク集積所へと向かい攻撃を行います」
「それを合図に、味方が突入を開始するはずだ。こちらはせいぜい派手に暴れて、敵の30両を翻弄してやろうじゃないか」
そばにいる砲手のシュミット軍曹が、黙ってうなずく。この砲手、無口で何を考えているのかはわからないが、我が大隊でも群を抜いた命中率を誇る。およそ60%という命中率で、敵の34式を何台も走行不能に陥れてきた。
とにかくこの2番車は我が大隊でも優秀な操舵手、砲手、そして車長に恵まれた車両だ。それゆえに指揮車として使わせてもらっているのだが、そんな砲手は俺とブラウン大尉とを見ながら、気味の悪い笑みを浮かべていた。
「おい、シュミット軍曹、何か俺の顔についているのか?」
あまりにも不自然なその表情に、たまらず俺はこの砲手に尋ねるが、彼女はただ首を縦に振るだけで、無言で照準器に目を向けた。
そんなやり取りの先に、ようやくこの険しい道の終わりが見えてきた。
下り坂を下り切った先で道が広がり、ようやく走りやすい道へと変わる。そこに、2人の兵士が近づいてきた。
霧の中から現れたのは、我が軍の軍服の兵士。ミュラー兵長とシュナイダー軍曹だ。
「この先の状況は?」
「はっ、敵は峡谷の向こう側から我が軍が行軍中との情報を聞き、30両のほぼすべてを出口付近に集結しつつあります」
「そうか。ならば作戦通り、敵の後方の林へと入り込み、混乱を助長するぞ」
俺が叫ぶと、2人は後ろの1番車両に向かう。そして、その先からは1番車が先導役となる。
霧が徐々に晴れ始めた。しかしそのころには、我々は林に紛れ込んでいた。その間をゆっくりと音を抑えつつ進みながら、じわじわと敵陣後方へと進んでいた。
このまま、敵の弾薬庫と燃料に弾を撃ち込み、混乱に陥れるだけだ。
ところが、である。まったく想定外のものが、林の木々の先に現れた。
「なんだ、あれは?」
ちょうど目前を通り過ぎていったのは、戦車だった。だが、我々が知る戦車とはまるで別物だ。
高さも全長も、34式の3倍ほど。まるで動く要塞のようなその鉄の塊の前方には、長い砲身がついている。
その砲身は、ざっと見て太さが200ツェントはある。戦車砲ではない、あれはもはや重巡か戦艦クラスの砲塔だ。
その砲身を支える戦車は巨大ではあるものの、回転砲塔ではない。さすがにあれだけの砲身を回転させる機構を、このサイズに押し込むのは不可能と考えたようだ。戦車そのものの向きを変えて、狙いを定める。
が、どこに狙いを定めている? 俺が見ている先でそのバカでかい戦車は、砲身を上に上げた。
直後、とんでもない発射音を響かせて砲撃を始める。
その戦車が攻撃した先、それは、峡谷の断崖だった。着弾したその場所からは、バラバラと岩が崩れ落ちる。
それで俺は考えた。まさかこの戦車は、あの峡谷を岩でふさいでしまおうというのではあるまいな。
そう考えた俺は、無線機を片手にこう叫ぶ。
「全車、突撃開始!」
次を放たれたら、我が軍はあの峡谷を抜けられなくなる。その前に、この戦艦クラスの砲身を持つ戦車を止めなければ。
こんな巨大戦車の存在は、俺の知る歴史にはない。おそらく、俺の前世ではこのデカ物は失敗作として葬られたのだろう。
それを活躍する場を、はからずも与えてしまった。そのおかげで、歴史に埋もれていた兵器が顔を出した。
まったくの、誤算だった。だが、その誤算を帳消しし、勝利を得なくてはならない。
何も策はないが、とっさに俺は10両に突撃を命じてしまった。